親父 平成27年夏


 

  親父

 

   平成27年夏

 

 「おーいリョウ。お前毎日練習に来るのはいいけど何か目標を持って練習した方がいいんじゃねーか?プロテストでも受けてみろよ。目標を持って練習すると違うぞ」

 この成川トレーナーの一言がきっかけだった。リョウは当時18歳。大学1年生だ。体は今でこそ身長は170cmで決して小さい方ではないが体重はと言うと50kgあるかないかのガリガリ。中学校3年生まではいつもクラスで一番のチビだった。そして人とのコミュニケーションを取るのが大の苦手だった。幼稚園の頃あまりにも会話をしないリョウを心配し妻と一緒に色んな病院・施設でリョウを検査し言語の発達障害と言う診断を受けていた。今でこそ発達障害という言葉は世間一般的になってきたが当時はまだまだ社会の認知度は低く親の躾が悪いだのと揶揄する人間が多かった頃だ。残念ながら未だにそういう無知な大人、人の触れられたくない部分に無神経に足を突っ込んでくる輩も多い。知識もないのに自分が正しいと思っている方々だ。子育てはどんな子も大変だ。だが人の子供に対してあたかもわかった風な気で偉そうに講釈を言うのは良くない。家族しかわからない苦労と言うのはどんな家にもあるのだから。

 さて、もちろんそんな調子だからリョウは団体行動は苦手。団体スポーツもダメ。当然のごとく小学校時代はいじめに合う。お決まりのパターンだ。もちろんスポーツはからっきし。そんなリョウに成川トレーナーはプロテストを目標にしろと提案したのだ。ちなみにボクシングは数多あるスポーツの中でも最も運動神経を必要とする競技と言われている。動体視力・反射神経・スピード・戦略・etc。とてもこれまでのリョウの生い立ちを考えれば無理難題だ。ところが「はい。やってみます」何とリョウが言ったそうだ。家に帰ると私に「ねーパパ」「あー何だ」「今日さー成川さんからプロテスト受けてみろって言われた」「はあーお前何言ってんだ。それでどうした」「うん。やってみようかなと思ってる」「マジか。お前ボクシングは殴り合いのスポーツだよ。相手をぶっ飛ばす競技だよ。お前に出来んのか」「うん。まーでも受けるだけ受けてみるよ」「受けるのは勝手だけどまずは受けられるだけの実力をつけなきゃ受けさせてももらえないよ。わかってんの」「わかってる」「そうか。まーじゃー頑張ってみろよ。ママ。リョウがプロテスト受けるんだって」「私は知りません」「あっそう。とにかくリョウ。やるからには一生懸命やれ。俺も出来るだけ付き合うから」

 どこの家庭でもそうだが大抵母親は息子がボクシングをすること自体いい顔をしない。そりゃそうだ自分がお腹を痛めて産んだ子が殴られる姿は見たいはずがない。

 元々リョウがボクシングを始めたきっかけは私がジムに通っていてそれについて来たのが始まりだ。

 「リョウ。練習メニュー考えたぞ」

○ 朝6時起床

○ 6時半からジョギング5km

   50mダッシュ10本

   ラダートレーニング

   ダンベルを持ってのシャドー

   その他諸々

○ 学校から帰宅後ジムでのトレーニング


「これをテストまでとりあえず続けよう。ところで目標はいつ受けるんだ」「とりあえず今年の11月を目標にしろって言われた」「11月か。今7月だから4ヶ月か。ちょっとかったるいかな。でも別に一回で受からなくてもいいんだろう」「うん」「よし。とりあえずこれで頑張ろう。早速明日からやるぞ。俺も出来るだけ付き合うからな」「うん。わかった」

 そもそもリョウは小さい頃からまともに運動をしたことがないので基礎体力が中学生低学年並だ。唯一父親とジョギングをしていたので持久力だけは人並み程度はあった。

 そしてとにかくリョウと言う子は決めた事は一生懸命やる。上手い下手は別にしてだが真面目に続ける事に関しては人並み以上だ。これはある種発達障害の子の特徴の一つかもしれない。言われた事はやるが応用が全くきかない。不器用もいいとこだ。そんなリョウが事もあろうに運動能力を頂点に使うようなスポーツのボクシングプロテストを受けると言うのだから大変だ。並大抵の努力では追っつかない。まずは基礎体力のトレーニングだ。何しろ筋力がない。パンチ力は小学生かと思うほど弱い。腹筋・背筋・腕立て・スクワットはもちろん筋トレはトレーニングの中でも欠かせない一つだ。私も必死にトレーニングに付き合った。

 そもそもリョウが発達障害と診断されてからは兎に角リョウと過ごす時間を多く取るように勤めていた。それは当時相談をした持田先生。(教育関係の本を出版していた大学の先生)から「兎に角お父さんと過ごす時間を多くしなさい」とアドバイスを受けた為だ。私は時間を見つけてはリョウと過ごした。二人でキャンプに行ったりジョギングをしたり色々だ。中学1年生の夏休みには妻の実家まで二人でジョギングで行ったりもした。妻の実家までは家から120kmもある。当然泊まりながらだがリョウは最後まで走り通した。そんな経験が功を奏したのかそれまでのいじめもいつの間にか克服していた。

 私はこれまで地元で市会議員をやっていたがこの年の4月の選挙で県会議員に立候補した。しかし落選しこの時は浪人中で比較的時間の調整もできる状況であった。落選から3ヶ月。大分元気にはなったがまだまだ敗戦のショックは完璧には拭えていなかった。選挙とは勝つと負けるとでは大違いだ。これまで近づいていた人間のほとんどが掌を返すごとく素知らぬふりをする。誹謗中傷も物凄い。そんな私を見てリョウもプロテスト受験を決意したのかもしれない。少しでも私を元気づかせようと。

 トレーニングは日曜日を除き連日行われた。リョウは真面目に一生懸命取り組んだ。しかし元来優しい性格だ。ボクシングは殴り合いのスポーツ。優しい子には不向きもいいとこだ。

 「リョウ。お前には闘争心がないんだよ。闘争心が。ボクシングは相手をぶっ倒さなけりゃダメなんだからよ。常に相手をぶっ倒してやろうと思わなきゃダメだ」成川が言う。

 リョウもそんな事は百も承知だろうが如何せんこれまでがこれまでだから体が言うことをきかないのだろう。私もトレーナーとの練習を見ていて頭を抱えていた。私はリョウとは違い勝気な性格だがやはり母親似なのだろう。祖父母からは天使みたいな子だと言われている程だ。「こんなんで大丈夫か」私は不安になっていた。

 この年の夏は特に暑く記録的な暑さが続いた。ジム内は真夏でもエアコンは使わない。暑さと男の汗臭さで慣れた人間でなければとてもジムには居られない。ものすごい匂いだ。トレーニングで使ったウェアーなどはむせる程の匂いだ。

 「ちょっとパパとリョウ。使ったウェアー洗濯機に入れないでよ。他の洗濯物に匂いが移っちゃうよ。それにしても物凄い匂いね」 

 妻が呆れるほどだ。ボクシングの練習は本番に合わせて1R3分を繰り返す。インターバルは通常1分だが矢沢ジムでは30秒だ。まずは柔軟体操、縄跳び2R、リングサイドステップ2R、ベンチシャドー2R、シャドーボクシング3R、サンドバッグ5R、ミット2R、シングル2R、ウィービング1R、腕立て、腹筋、背筋、スクワット等の筋トレ、時にマスボクシング2R、スパーリング2Rを行う。これがリョウの通常のトレーニングだ。21R+筋トレだ。経験した方ならわかると思うが3分間動き続けるのがどれほどの苦痛か。経験したことのない方は是非一度経験していただきたいと思う。それを21R+筋トレだからどれ程の汗の量か考えただけでもげんなりしてくる。私もリョウ程ではないが12Rはコンスタントにこなしていた。こう言った連中がジムでトレーニングしているのだからその匂いと言ったら想像しただけでも悍ましい。又、その後のウェアーだ。妻が呆れるのも無理はない。

 私は無類の酒好きだ。練習後の一杯が楽しみでしょうがない。特に真夏のトレーニングの後の生ビールはたまらない。「かーうまい。トレーニングの後のこの一杯がたまんねーな。この為に練習してる様なもんだ。なんつーかなカラカラに乾いたスポンジが水を吸い込んで生き返るみたいなそんな感じかな。まースポンジの気持ちはわかんないけどな。アッハッハ」「しかし高杉君もよくボクシング続くねー。すごいハードでしょう」

 言い忘れたがリョウの名字は高杉。高杉リョウだ。私の名前は晋作。どこかで聞いた様な名前だが高杉晋作だ。

 「いやーマスターいい運動だよ。ハードはハードだけど普通のスポーツジムなんかよりは全然面白いね。マスターもやれば、痩せるよ」「やりたいのは山々だけど痩せる前に死んじゃうよ」「そうだ。今度うちのリョウの奴がプロテスト受けるって言うんだよ」「えーあのちびっ子が」「そうそう。でももうチビではないけどガリガリだよ」「へー受ける気になっただけでも大したもんだ」「まーねっ。そんな事もあって親父としては頑張っちゃってる訳だよこれが」「なるほどねー。兎に角頑張れや」「押忍」

 この店には10年以上前から通っているジムの近所の焼き鳥屋太郎だ。店の客も常連客がほとんどだ。

 「なんだ高杉君の息子、プロテスト受けるんだ。実は俺もライセンス昔取ったんだよ」「マジですか丸田さん」「あーまー取っただけだけどな」「へーだから喧嘩強かったんですね。先輩俺らの代じゃ伝説になってましたよ。弟さんも喧嘩強かったじゃないですか。どうやら兄貴に鍛えられてるらしいって評判でしたから、その兄貴が先輩ですもんね」「まーな弟は結構鍛えたからな。でも俺からしてみたら全然弱かったけどな」「そうですか」

 この丸田は高杉の六つ上の中学の先輩だ。数年前酔った帰りに自転車で転倒し車2台に轢かれ死の淵をさ迷い奇跡的に復活した男だ。

 「でも先輩。よくそこまで良くなりましたね。もう松葉杖も付いてないですもんね。驚きますよ」「まーな。俺もそう思うよ」「やっぱり若い頃体を鍛えていたからじゃないですか」「あー絶対それはあるよな」「俺は未だに鍛えてますけどね。まーリョウが無事にプロになったら応援してくださいよ」「あーもちろんだ」

 太郎はこう言った地元の常連客の集まりの場所だ。


 朝練から始まりジムでの真夏のトレーニングが続いた。

「だいぶスタミナはついてきたな。でもまだまだ力強さが足りないな。ちゃんと筋トレやってんのか」「はい。やってます」「ただやればいいってもんじゃねーぞ。ちょっと腕立てやってみろ」「1、2、3」「なんだその腕立ては、そんなんじゃ力つかねーよ。もっと深く。ケツを落とすな。そんなやり方してんじゃ力つくわけねーよ。もっとしっかりやれ」成川トレーナーが吠える。リョウの練習時間帯には会長はほとんどジムにはいないので成川の教えが全てだ。リョウも成川を信頼し慕っている。

 地獄の暑さの8月も終わり9月に入ったがまだまだ連日30度を超える残暑厳しい日が続いた。

 「しかし今年は本当暑いなー。生ビールが上手くてしょうがないわ。どうマスターも一杯」「サンキュー。ありがとう」今日も練習後の一杯だ。「どうだい息子は」「うーん。やっぱり難しいな。上手くはなってるけど基本的に戦い方が全然わかってないよね。まともに運動もしたことがないから相手の裏をかくみたいな事もできないしフェイントももちろんダメだし、何よりやっぱり喧嘩もしたことないからどうやって戦っていいか全くわからないんだな。教えたことはやるんだけど全く応用が効かないんだよ。まー継続は力なりと言うからいつか変わる時がくると思うけどね」「そうだなーまー焦る事はねーよ」「わかってるんだけどね。この間ジムに入ったような高校生より力強さがないんだよなぁ。あとこれは難しいけど自分の距離がまだまだ掴めてないよね。この距離なら相手に届く。この距離なら相手のパンチは届かない。そう言うのがわかってないよね。まーこんなの全部できたらチャンピオンになっちゃうけどね。でもどっちにしてもまだまだだよ」「へいいらっしゃい」「あっ先輩どうも」丸太だ。「何だよ高杉君。又、ジムかよ。よくやるなー」「いやー飲むために行ってるようなもんですよ。練習後の生は最高っすよ。まさに至福の時ですよ」「全く飲みすぎんなよ」「そのままお返しします」「どうだ息子は頑張ってっか」「頑張ってますよ。これからこれから」「昔ちょこっとボクシングを齧ってたおじさんが頑張れって言ってたって言っといてくれ」「ありがとうございます。じゃー今日も飲みますか」ここは私のストレス発散の場でもある。

 本格的に練習を始め2ヶ月になるがスタミナがついた以外はあまり進歩がないのが実情だ。

 「真面目で素直でいい子なんだけどな。言われた事はきちんとやるし、やっぱりこれまでまともな運動経験がないのは痛いよな。サッカーと空手はやらしたけど本人は気づいてなかったと思うけどただのお客さん状態だったからな」

 暑さ厳しい残暑の9月もこれまで通りのトレーニングが続いた。進歩にウルトラCはない。地道なトレーニングを愚直にこなしていくしか成長はない。まさに継続は力なりを信じ、努力は報われると信じ。リョウはトレーニングに明け暮れた。


   平成27年秋


 暑い夏が終わり10月になるといよいよ実践練習。スパーリングだ。プロテストの内容は筆記試験とスパーリング2Rだ。この筆記試験は形式的なもので落ちるものなどいない。ボクサーにはまともに字を書けないものもいる。勘違いしないで頂きたいがごく稀にと言う意味だ。ボクサーに能書きは不要だ。強いものがのし上がるだけだ。だから筆記試験の勉強などはしない。スパーリング、実践あるのみだ。だいだい筆記試験の問題と答えは公表されジムに貼ってある。それを見ておけば落ちようがない。

 ジムにはリョウに合うウェイトの人間はほとんどいない。唯一いるとすれば女子のプロボクサーだ。それでも体重はリョウの方が軽い。必然的に出稽古に出かけなければならない。テストまであと1月半。週に一回の出稽古。それ以外はジムでトレーナー相手にマスボクシングだ。トレーナーと言っても成川ではない。若手のプロのトレーナーだ。誰も相手がいない時は私が付き合う。

「おいリョウ。まだまだだな。俺に勝てなきゃプロテストなんか受かんねーぞ」「わかってるよ」私も伊達に6年ボクシングはやっていない。その辺の小僧には負ける気がしない。だがリョウは腐ってもプロ志望だ。50過ぎに勝てない様ではとても合格はしない。

 リョウは私とやる時は正直なかなかいい。しかし他人とやると従来の優しさが出てしまうのかなかなかパンチを当てる事が出来ない。

 会長の矢沢にはいつも「リョウ。パンチ当てろよ。そんなんじゃ受かんねーよ」と怒鳴られている。この会長の矢沢は元フェザー級の日本チャンピオンで15回防衛記録を持つ男だ。この記録は未だに破られていない。ちなみにトレーナーの成川は元日本ライト級チャンピオンでトレーナーとして2人の世界チャンピオンを育てている名トレーナーだ。

 ここで二人の現役時代について少し話しておこう。会長の矢沢は元フェザー級日本チャンピオン。フェザー級にしては身長が低く160cm弱だ。ボクシングスタイルは身長が低い事もあり相手の懐に入り兎に角連打。休まず打ち続けるタイプだ。兎に角スタミナがあり当時はタイトル戦は15Rだったが1Rも休む事もなく打ち続けるほどスタミナには定評があった。ずっと手を出し続けるものだから相手選手がほとほと嫌になるそうだ。それに対して成川は元ライト級日本チャンピオン。こちらはどちらかというと接近戦ではなく自分の距離をしっかりと保って戦うタイプのボクサーだ。正直全くタイプが違う。この事が実はリョウを悩ませる事になる。

 「リョウ。サンドバッグは全力で叩け。弱いパンチはいらない。手は絶対に休めるな連打連打」これが成川だ。

 「リョウ。全力じゃなく兎に角アッパー、フック、ストレートで短くてもいいから細かく手数出せ」これが会長。

 正直言ってる事が全然違う。元来不器用なリョウだ。それにすぐにパニックを起こしてしまう。どっちの言う事を聞けばいいのか頭を悩ませていた。

 「ねーパパ」「なんだ」「あのさー会長と成川さんが言ってる事が違うんだよ。どうしよう」「そーだな。俺も見てて思ったよ。会長は滅多に来ないから来た時だけ会長のいう事聞いてればいいじゃん。普段は成川さんのいう事聞いて」「そうだね」「それが世渡りってもんだ」「よわたりって何」「世の中をうまく渡り歩くってことだよ」「世の中って渡るの」「まーいいや。どっちにしたって二人とも言ってることに間違いはないだろうから。只、二人ともタイプが違うからしょうがないんだよ。お前もプロテスト受かったら自分のスタイルを作らなきゃいけないんだからな。まずはテストに受かる事だよ」「わかった」リョウの会話は極端に短い。

 

「ダメだなー。やっぱり全然闘争心が感じられない。ボクシングにとってある意味それが一番大事だからその部分がないとテストは受かんねーぞ。もっと向かって行かなきゃ」成川が言う。

 「はい。やってるつもりなんですけど」リョウにすれば精一杯やってるつもりなんだろうが側から見ると全くそれが感じられない。決して逃げているわけでもないのだが迫力が感じられないのだ。これはガリガリに痩せているのもあるだろうがやはり根本的に力がないのだ。パンチが軽く弱く見える。筋トレは続けているがこれまでスポーツ経験が無かったと言うのはやはり大きな弱点だ。ボクシングをやるような子は小学校、中学校、高校と運動には自信のある子たちばかりだ。この差を埋めるのは容易ではない。

 「まー兎に角実践あるのみだな。テストまで1ヶ月もないからこれから体づくりじゃ間に合わないしな」成川が言う。

 10月の後半に私は軽い心筋梗塞を起こし入院してしまった。幸い大した事もなく退院したが流石にリョウとのスパーリングは当分お預け状態になってしまった。

 10月も終わりテストまでは後25日。11月26日がテスト日だ。

 「高杉君。どうだい倅は」「そうだなーまー今回は厳しいんじゃないかな。まっ1回で受からなくてもいいよ。運動なんて全然やった事もない子だからね。今回ダメでも受かるまで頑張れって言ってるよ」「そうだな。それでいいんだよ」私は練習後の一杯をやりに太郎にいた。例によってマスター相手に与太話だ。

 「でもねマスター。俺は嬉しいんだよ。あのいじめられっ子のリョウがボクシングのプロテストだよ。信じらんないよ。まー内藤チャンピオンもいじめられっ子だったみたいだけど実際に自分の息子がプロを目指すと思うとなんとも言えない気分だよ。でもあれだねやっぱりスパーリングで息子が殴られてるのを見るのは嫌だねー。女房が見にこないのはわかるね」「そりゃそうだろう。自分の子が殴られるのなんて親なら誰でも嫌だろう。特に女親はな」「そうだよなー、でも後楽園ホールなんて行くときゃっきゃっ言いながら指の隙間を大きく開けて一番はしゃいで見てるのは女の子だけどね」「そっ。女は血を見るのに慣れてるからね!それに戦いが好きなんだよ。基本的に。ライオンも狩をするのはメスだからね」「なるほどね。でも結構可愛い子が多いんだよね。ボクシングファンには。リョウもモテるかな」「そりゃー強くなればモテるよ」「そりゃー楽しみだ。まっ難しいと思うけどな」今日も与太話だ。

 

 「さて、誰かリョウとスパーリングやる奴いないか?おっ畳屋お前やれ」成川が言った。「えっ俺っすか。全然ウェート違いますけど」「いいんだよいないんだからグズグズ言ってないでやれ」「わかりました」この畳屋と呼ばれた練習生は元々アマチュアの選手で現在は畳職人だ。実力的には十分プロのレベルである。しかしウェートはリョウより10kg以上重い。なかなか男子でリョウ程度の体重の人間はいない。通常フライ級の選手も減量してその体重にするのであって普段ははるかに体重は重い。しかしリョウは減量も何もせずに普段から50kg前後の体重だ。相手を探すのは一苦労だ。

 「普段から重いのとやってた方が本番になれば楽だからいいよ。本番では同じくらいの奴と当たるんだろうから楽に感じるだろう」「でもパンチの重さが違いますけど」「パンチもらわなきゃいいんだよ。いいなリョウもらうなよ」「はい」「はいってリョウ俺のこと舐めてる」「いいえ」「もういい。とっと始めろ」「ブー」ゴングが鳴った。やはり畳屋はうまい。伊達にアマチュアではやっていない。今の時代。世界チャンピオンを見渡すとほとんどがアマチュア出身の選手だ。そうでないのはパッキャオくらいだろう。それだけアマチュア全盛の時代だ。

 「リョウ。もっと体振れ。正面に立つな。お前の方が手が長いんだからもっとジャブ出せ。ワンツー主体。ワンツー主体」

 2Rが終了した。「やっぱり全然力強さがねーなー。まっ今回はダメでも次があるからな。負けんなよ」「はい」受ける前から絶望的な言葉だ。

 なんやかんやであっという間にテストの日がやってきた。

 「リョウ。余裕持ってちょっと早めに行こう。12時までに着こう」「わかった」私はあまり車の運転は好きな方ではないので移動はほとんど電車だ。それに電車の方が時間が読める。しかしここのところ電車はよく止まる。事故が多いのだ。実はこの日も電車が止まった。「参ったな。どうするか。今更車で行く訳にもいかないし」「そのうち動くんじゃない」運よく10分足らずで動き出した。「やっぱり早めに出ておくもんだな。何かあっても対応できるもんな」テストは12時30分集合。13時からだが何とか集合時間には間に合った。テストはまずは体重だ。

 「はい。次」「矢沢ジム所属高杉リョウです」「はい。乗って。んー50kgジャスト」 

リョウのウェイトは50kg。ゼッケンは1番。やはりテスト生の中では一番軽い。

 「はい。体重測った人はこっちの部屋で随時筆記試験始めて」試験管の目もゆるゆるの試験だ。暫くするといきなりリョウが手を挙げた。「すいません。ここわかりません」

 「はあー。お前何言ってんだ」前代未聞である。わからない問題の答えを堂々と尋ねるとは流石の試験管も呆気にとられた。しかし驚いたことに答えを教えていた。さすがボクシングの筆記テスト。全然関係ない。結果は85点で合格。普通は100点か1問間違い程度だ。85点は相当低い方だ。しかし合格。そもそも合格ラインが何点かもわからない。要は筆記で落ちる奴はいないって事だ。無事に全員合格。

 「おい。リョウ。いくら落ちる奴はいないって言うけど試験管に答え聞く奴はいねーぞ。お前面白すぎ。それにジムに問題と答え貼ってあっただろう。見なかったのかよ」「あーそうだった。いやっなんかさ思わず手上げちゃったんだよ」「これで完全に目をつけられたな。まっいいや。兎に角スパーリング頑張れ」「うん。わかった」リョウの会話は短い。

 次はいよいよメインのスパーリングだ。通常は軽いクラスから行われる。そうなると当然リョウは一番最初だ。しかしこの日は女子のテストとB級ライセンスを受ける選手がいたのでこれらが終わった後に男子のC級ライセンスの試験が始まった。

 「リョウ。少し体動かしとけよ。リングに上がってシャドーでもやってろよ」「うん。わかった」今日のテストには私も付き添いでやってきていた。「しかしみんなうまそうに見えるな。大丈夫かリョウは」何だか不安になった。思わず対戦相手を探して見てしまう。

 さて、いよいよC級ライセンスのスパーリングが始まった。「1番」「はい」リョウが呼ばれた。相手は2番の選手だ。スパーリングでは名前ではなく番号で呼ばれる。囚人の様だ。スタイルは上半身裸、下は短パンだ。中央でレフリーの注意が終わった。「ボックス」いよいよ始まった。ボクシングで「ボックス」と言うのは「始め」の合図だ。1R中盤。いきなり止められた。バッティングの注意だ。プロテストではバッティングは特にうるさい。何とか1Rは乗り切った。続いて2Rが始まった。ここからはスタミナ勝負だ。だが途中またしても止められた。ここでスパーリング終了。最後までやることはできなかった。リョウがリングを下りてきた。やはり相当息が上がっている。テスト本番は普段の倍疲労すると言われている。そりゃそうだ初めての聖地後楽園ホールのリング。スパーリングの相手は初対面。緊張するなと言う方が無理だ。

 「おーリョウ。お疲れ。とりあえずシャワー浴びて着替えてこいよ」「ハアハア」「何だ疲れたか。ここで待ってるから着替えてこい」「わかった」

 「会長。今回はやっぱりダメですね」「まーいい経験じゃないの。次も受けるの」「そりゃーそうでしょう。受かるまでやるでしょう」「じゃー次頑張りましょう」「そうですね」

 リョウが着替えを終え戻ってきた。

 「さて、帰ろう。リョウどうだった」「うん。自分なりには出来たかなって」「そうか。でも厳しいかもよ。まっ明日に何なきゃわかんねーけどな。もしダメでもまだやるんだろう」「うん」「一度やると決めたんだから受かるまで頑張ろうぜ」「わかった」「でもよくここまで来たよ。もうちょいだもうちょい。もう11月だから今年も終わりだな。ダメだったらもう一回体を作り直して来年受けよう」「そうだね」リョウの会話は短い。

 翌日テストの結果が発表された。結果はやはり不合格。

 「リョウ。やっぱりダメだったな。どうする今日の練習は」「どうしよう」「まーそんな調子じゃ練習してもしょうがないから今週一杯休んで来週から又、気合い入れてやろう」「そうだね」この時はまだ二人とも次だ次と言う軽い気持ちでいた。

 私は一人ジムでトレーニングをしていた。「やっぱり根本的に力がないし痩せてるから見た感じも貧弱に見えるのがよくないよな。どうすっかな」今後のリョウのトレーニング方法を考えていた。「まずは足腰強化だな。ランニングはもちろんだけど俺を乗せてスクワットやらせるか。後は腕立てだな」成川が来た。「成川さん。やっぱりダメでした」「そうか。まっ仕方ないよ。次も受けましょうよ」「えーもちろんそのつもりで本人もいます」「やってりゃそのうち受かるよ」「そりゃそうですね。でも成川さんには感謝してます。成川さんが言ってくれたお陰であのリョウがテストを受けられるまでになったんですから本当ありがとうございます」「何言ってんの。そう言うのは受かってからにしてよ」「アッハハそうですね。まずは受からないとですよね」

 練習後いつも通り太郎に行った。

 「マスター。リョウダメだったよ」「そうかー残念だな。まっ次もあるよ」「そうだね。でも頑張ったよ。だいぶ上手くなって来たよ」「やっぱり継続は力なりだよな。諦めなきゃそのうち何とかなるさ」「そうだね。いやー今日も生がうまいよ。寒くなって来たけどやっぱり最初はこいつだよな。マスターも一杯やりなよ」「サンキューありがとう。ヘイ。生一丁。高杉君の奢りで」「何だよ俺にもご馳走しろよ」「あれ。先輩いたんすか。いいっすよ。今日は残念会だ。丸田さんにも生一丁ね」「はいよ!生一丁。高杉君につけといて」太郎はいつも陽気だ。

 

 週が明けて朝のトレーニングが再開された。

 「リョウ。今日からシャドーやるときバーベル持ってやれ。パンチ力もスピードもまだまだ全然ダメだからな。それと50mダッシュをもっと入念にやろう。それと最後に俺を肩に乗せてスクワット50回な」「えっ。できるかな」「できるかなじゃなくてやるの」「わかった」最初はやはり私を乗せてのスクワットはできなかった。ちなみに私は身長180cm、体重80kgだ。リョウは身長170cm、体重50kgだ。「やっぱ無理だよ」「大丈夫だ。やってりゃできる様になる」案の定一週間でできる様になった。「ほらな。できるようになっただろう」「うん。本当だね」やはり継続は力なりだ。

 朝晩のトレーニングは続いた。朝は6時半からランニングがスタートする。真冬のこの時間はまだ薄暗い。気温も低い。練習時間は凡そ1時間。トレーニング場所は近所の公園。終わる頃には汗びっしょりだ。その後家に戻りひとっ風呂浴びる。これが最高に気持ちがいい。朝練の辛さも吹き飛ぶ。リョウはこのあと約1時間一眠り。これが又、至福の時だ。朝練で疲れた体を睡眠で癒す。ベッドに横になると同時に吸い込まれて行く。まさに至福の時だ。私はと言うとストレッチをしながら8時からのNHKの朝ドラを見て朝食をとり9時から仕事だ。この朝ドラはクセになる。リョウは大学に行く。言葉に難があり会話が苦手であった為入試の時には面接で大変苦労したようだが何とか進学することができた。リョウが大学に行けるとは全く思ってもいなかったので受かった時には大泣きして歓喜の声をあげたものだ。思い起こせばリョウは三つの大学を受験し、二つ失敗。最後の一つと言うことで私は今の大学の事前相談に言ってリョウの言語の発達障害の話を隠さずに相談したことが功を奏したと思っている。初めて発達障害と言われた時は誰にも話せなかったが今は逆にどんどん話すようにしている。絶対に隠すよりオープンにした方がいい。

 

 夕方は6時からジムでトレーニングがスタートする。約2時間のメニューをこなす。これが二人のルーティンだ。只、私にはもう一つあった。それは練習後の一杯。太郎への出勤だ。これが私にとっての至福の時だ。 

 こうして平成27年も暮れようとしていた。

 「リョウ。次テストいつ受ける。年明けて2月にするか。それまでにはだいぶ筋力もアップして力強くなるだろう」「そうだね」「じゃー年明けジムが始まったら会長と成川さんに2月に受けますって言っとけよ」「うん。わかった」こうして初めてのプロテストを受けた平成27年も残念な結果だったが暮れて行った。


   平成28年幕開け


 平成28年元旦。リョウは宮城県の田舎にいた。「よし。今年こそプロテスト合格するぞ」決意新たに一人でランニングを始めた。私はと言うと地元廻りの為自宅で一人、正月を過ごしていた。遅くなったがここで高杉家の家族を紹介しよう。父親。私は晋作52歳。母親は真里51歳。妹のジュンは17歳。花の高校2年生だ。そしてリョウ19歳。大学1年生の4人家族だ。私と真里は大学時代に付き合い始めそのまま私が27歳。真里26歳の時に結婚。なかなか子宝に恵まれなかったが7年目にしてリョウが生まれ、その2年後に妹のジュンが生まれた。リョウが小学校1年生の時に私は市会議員に立候補し以降3期12年努めたが先の県議選で落選し現在浪人中だ。その為家計は火の車状態が続いている。収入は真里が以前からやっていた塾の講師の収入と不動産業を営んでいる私の手数料収入のみだ。この手数料も毎月決まって入ってくるものではない。まとまって入るときもあれば全く入らない月が続くこともある不安定な状況だ。当然リョウもアルバイトを始めジム代など自分でできるものは自分で賄っている。もちろん奨学金も受けている。妹のジュンは地元でも有数の進学校に通っている。来年はいよいよ大学受験だ。まさに家計的にも今が一番お金の掛かる状況だ。そんな中での私の浪人はとてつもなく辛い状況だ。しかし元来私は自分で言うのも何だが超ポジティブな性格だ。家族が後ろ向きになりそうになってもいつでも「大丈夫。何とかなるさ」これが口癖だ。そんな私に呆れながらも家族皆んなが明るくついて来てくれた。若干妹のジュンは反抗期で難かしい時ではあったが仲の良い家族だ。

 コミュニケーションを取るのが苦手なリョウを心配した私は小学校から私立の学校に通わせた。受験には面接もあったが幼稚園児にする面接だ。「好きな食べ物は何ですか」「ラーメン」こんな調子の面接だから何とか試験もクリアーした。リョウの通った小学校は中学、高校、大学まである学園だ。必然的に妹のジュンも同じ学園に通った。この学園は中学に上がるときに三つの選択肢があった。A、通常の付属中に行く B、進学校の付属中に行く C、学園とは縁のない中学に行く この三つだ。当然リョウはAだ。あまり勉強は得意ではない。ちなみに妹のジュンはBであった。Bの学校は県内でも有数の進学校で毎年東大に数十人が受かっている。

 私が危惧した通り私立でもやはりいじめはあった。もちろんリョウはいじめられる側だ。しかしリョウはこのいじめを克服した。当然面倒見のいい学校だと言うこともある。しかしやはり一番の要因はリョウ本人だろう。彼は常に自分の居場所を持っていた。学校内はもちろん学校外でもだ。自分の居場所があると言うのは精神的に落ち着ける所があると言うことだ。これは大きい。周りの人間を気にせず生活を送るルーティンを持つと言うことだ。学校外での居場所の一つがボクシングジムだった。ボクシングは根本的に個人トレーニングだ。これはリョウにはフィットした。私について中学2年生の頃から通い始め、そうこうしているうちに完璧にいじめはなくなった。その頃は只遊びでやっていただけなのでまさかプロテストを受けるとは誰もが夢にも思っていなかった。しかも誰の目から見てもセンスの欠けらもないのが一目瞭然でもあった。そんなリョウがプロを目指しているのだから彼の過去を知っている人間は驚いただろう。

 正月からのリョウのトレーニングが続いた。次のテストは2月8日だ。既に1ヶ月を切っている。「だいぶ良くなってるんだけどどうしてもスパーリングになると相手との比較になるからか弱さがはっきりしちゃうんだよな」成川が言う。「そうなんですよね。手足が長くて痩せてるから余計にそう見えますよね。最初のイメージで既にか弱さが出てますもんね」「まーこればっかりは体質だからな」「やたら14オンスのグローブがでかく見えますよね」「確かに」

 トレーニングを続けテスト当日を迎えた。

 「どうだ。リョウ。調子は」「うん。普通」「そうか。兎に角自分から先に手を出して行け。テストは手数勝負だからな」「うん。わかった」相変わらず会話が短い。

 体重計量が終わった。今回もリョウは50kg。ナンバーは又、1番。最軽量だ。リョウは体のひ弱さもあるが顔も幼い。とても19歳には見えない。実際未だに中学生と言われるのがほとんどだ。そんな感じだから相手への威圧感が全くない。これも損をしている部分だろう。

 リョウのスパーリングが始まった。何事もなく1Rが終了した。「リョウ。ダメだもっと手を出さなきゃ。特に2R目はスタミナを見られるからな。しっかりやれよ」

 2R目が始まった。「もうちょっと手ー出せよ」私はひとりごちた。

 スパーリング終了。「おう。ご苦労さん。シャワー浴びて着替えてこい。前回よりは良かったぞ」「うん」

 私がシャワー室に行ってみるとリョウが何やら鼻歌を歌っていた。「何だあいつ。今回は自信あるのかな。でも微妙なんだよな。悪くはなかったけどな」

 リョウが着替えて出てきた。「おう。今日はどうだった」「うん。結構できたかなって感じ」「そうか。受かるといいな」「うん」発表は翌日だ。

 翌日。ネットで発表を見た。リョウの名前はない。「ふー参ったな。あいつがっかりするだろうな。そんなに悪くなかったけどな」矢沢会長に電話した。「会長。今回もダメでしたわ」「あーそう。私も見てたけど本当にもうちょっとなんだろうな。やっぱり力強さなんだよ」「もうそれしかないですよね。しょうがない。ありがとうございました」電話を切りリョウに結果を報告しに行った。「リョウ。残念だけどダメだったよ」「えーダメだったの」「会長も言ってたけど本当に惜しかったってさ、俺も見てて思ったけどそんなに悪くなかった。もうちょいだよ。それでリョウ。これからどうする。まだやるか。俺はな、ここでやめたら一生後悔すると思うぞ。せっかくここまでやったんだから受かるまで頑張ろうぜ。なっ。絶対に努力は報われる。努力は嘘つかないよ」リョウの肩を抱きながら言った。「うん。わかった。頑張るよ」「よし。じゃー頑張ろう。まっ。でもとりあえず2、3日休めよ。それから又、スタートだ」

 「あーあ悔しいな。今回は大丈夫だと思ったんだけどな。何が悪いんだろう。自分じゃ力強く打ってるつもりなんだけどなんでかなぁ。よくわかんないや。兎に角受かるまでは頑張ってみよう」

 

 私はこの頃ある決断をしていた。先の県議選で敗れて以来ずっと思い悩んでいたことだ。「民生党にはもはや俺の居場所はない。今の民生党の体質にもいい加減嫌気がさしているしな。原点に帰るか」元々私は地方分権、地域主権。地方から国を変えねばならないと言う考えだ。今の中央集権国家ではもはやこの国の未来はない。毎年増え続ける国の借金。これはもはや政策の問題ではなく根本的に仕組みを変えなければならない。政権が変わろうが仕組み構造を変えねば絶対に良くならない。そのためには道州制にして税金も国に吸い上げられた後に地方に降りてくるのではなくまずはしっかりと地域でまちづくりの出来る税を徴収しその他の部分で国が国防、外交、教育の3点を行えば良い。但し教育に関しては日本人としての大きな柱を示しその手法に関しては地域に任せる。国の役割はこの3点。後は地域に任せるべきだと考えていた。実はこの時私の考えと全く同じ考えの政党があった。それが新撰党だ。私はダメ元で新撰に公募してみようと思っていた。公募の内容は論文だ。「まっ。ダメ元でとりあえず出してみるか。参議院なんて学者先生みたいな人たちばかりだしな。タイプ的にも場違いだしな。でもいい経験にはなるだろう」自分にそう言い聞かせ論文を提出した。

 1週間後新撰から連絡がきた。書類が通ったので面接に来いと言う返事だ。流石に焦った。まさか通るとは思っていなかったので早速地元の支援者に集まってもらった。

 「実は前々から考えていたんですがもはや民生党に私の居場所はありません。これは皆さんも思っていることだと思います。しかしながら私はこれで政治を止めようとは思っておりません。それで自分の原点はなんだったんだろうと考えました。私はやはり地方分権、地域から国を変えていこう。今の一極集中政治では未来はないと言うのが持論です。これに立ち返ると現在この考えに合致しているのは新撰党だけです。そこで実はダメ元で公募にエントリーして見ました。そうしましたら先日連絡があり書類は通ったので面接に来てくれと言うことです。まさか通るとは本音を言えば思ってませんでした。ですが状況が変わってしまったので皆さんにご相談しようと本日お集まり頂きました」これにはさすがに皆が驚いた。「公募って一体何に応募したの」「参議院の比例区です」「えー」皆が驚くがそんな中「参議院の比例区だと地元で誰かとバッティングしないのか」「はい。誰ともしないと思います」「ふーん。じゃー応援できるな。やって見なよ」「そうだな。いつまでも何もしないでいる訳にも行かないだろう。やんなよ」今回集まった5人全てがそのように答えた。「わかりました。それでは面接に行って来ます。只、その前に民生党には離党届を出します。それはご了解下さい」こうして私は面接地神戸行きを決断した。

 

 1次面接

 「まずは我が党に公募した動機をお願いします」面接の相手は党の幹事長だ。「はい。私はかねてより今の中央集権体制ではこの国の未来はないと思っています。その為の道州制。そして地方から国を変えると言う理念がまさに私の考えと合致しておりました」「わかりました。ところで高杉さん。どうだろう比例区ではなく選挙区で出て見てはくれないか」「いやーそれは全く頭にありません。地元の方々とも相談して比例区ならとのことですからそれ以外では出ません」はっきりと答え神戸を後にした。帰りの新幹線で「しかし何十年ぶりかの面接はやっぱり緊張するな。リョウの大学受験を考えるとやっぱり奴には大変な事だっただろうな。選挙区断ったしこりゃーやっぱりダメかな。まっそうなったらそれはそれでしょうがねーや。仕事を終えての新幹線の車中はやっぱこれが最高だよな」ビールだ。至福の時だ。 

 3日後連絡が来た。結果は2次面接を行うから再び神戸に来いと言うことだ。

 

 2次面接

 「どうですか高杉さん。やっぱり選挙区はダメですか」「はい。前回お話しした通り比例区以外では出ません」「そうですかわかりました。では比例区で頑張って下さい」「えっいいんですか」「はい。比例区でお願いします。その代わり選挙区でしたら党からの応援がありますが比例区はご自身で全てお願いします」内心呆気にとられた。帰りの車中。「いやいや通っちゃったよ。こりゃ大変だ。どうやってやったらいいんだ。とりあえず地元廻りをしてからだな。それにしても日帰りの神戸は慌ただしいな。もう今日は終わりだ。これに限るな」ビールだ。至福の時だ。

 翌日新撰党から連絡が入った。すぐに新聞発表をしたいとの事だ。「いやっさすがにちょっと待って下さい。色々報告をしないとならない方々がいますのでその前に発表されるとややこしいことになっちゃいますから少し時間を下さい」私は主だった方々を片っ端から廻った。それでも1日2日で終わるものではない。相手の都合もある。一通り廻り新撰に連絡したのは1週間後だった。「もう発表しても結構ですよ」それでは3日後党大会がありますのでその席で正式に発表しますので神戸に来て下さいとの事だ。「又、神戸かよ。毎週だな」

 

 党大会

 私は党大会にて参議院の候補者として壇上で紹介された。その後新聞社の質問などを受け夜8時過ぎの新幹線に飛び乗った。「いやー参ったな。やっぱり国政選挙ともなると全然違うな。何だよこの調査表の数は」各新聞社から配られた候補者の調査表だ。「写真はバンバンとられるし参ったな。まーでも今日も終わりだ。お疲れ様だ」車中のビールだ。至福の時だ。

 「昨日テレビに出てたね」何人もの方から電話が入った。「えっあんなの見てた人いるんだ」どうやら昨晩のニュースで映ったようだ。テレビの力は凄いと改めて感じた。

 そして面接の前に民生党に離党届を提出したが結果的には除名処分となった。「これで唯一の前市長派の生き残りの俺もいなくなり今の執行部はせいせいしてるだろうな」

 実は前市長は一昨年急逝し敵対していた人間が現在市長に就任している。今の執行部は全員現市長派で私が唯一残った前市長派だ。この除名を機に民生党関係者に私との接触を禁止する御触れが回った。

「全く相変わらず小っちぇーな。まっどうでもいいや」

しかしこれはやはり後々尾を引いた。元々私の地元は民生党王国と言われるほど民生党が強く、皆んな民生党に気を使いこれまでの支援者も表立って応援してくれる人間はいなくなった。正に一人での選挙だ。

 比例区は対象選挙区が全国だ。とは言え芸能人ではあるまいし全国的な知名度など全くない。

 「まずは地元廻りだよな。その後はとにかく全国の知り合いをピックアップして片っ端から連絡を取ろう」

 まずは地元を廻った。廻ってみると参議院の比例区に対してほとんどの方が理解をしていないのには驚いた。「名簿は何番めだ」とか「新撰と書けばいいのか」だとか確かに新撰と書けば党の票にはなる。しかし私の票にはならない。比例区の順位は名簿ではなくあくまでも個人票の得票で決まるのだ。これを理解している人はほぼ皆無であった。

 「こりゃ大変だな。まずは仕組みを理解してもらわないと」それはそうだこれまで地元から参議院比例区に立候補した者はいない。誰一人投票経験がないのと一緒だ。

 「それにしても雲をつかむようなもんだな。どうするか」

又、やはり民生党を離れた為、地元廻りをしていてもこれまでと全く雰囲気が違った。「ちっ。絶対居留守だなこりゃー」明らかにいるのに出てこない方も多数現れた。

 私は恩師の元衆議院議員で全国区にも出馬経験のある方に相談した。

 「先生。この選挙はどうやって戦ったらいいですか。全くわかりません」「高杉君ね。私もやったけどこれは難しいんだよ。私は選挙区に出る候補者の所に押しかけて構わず便乗選挙をやったよ。それぐらいしかないよね。誰か一緒にやってくれる人はいないのかい」「正直先日公認されたばかりでどんな候補者がいるのかもわかっていない状況です」「そうか君の地元の選挙区から出る人間はいないの」「今のところはまだいません」「それが決まればその人間と回るのが手だと思うよ。後は片っ端から知り合いのつてを辿るんだね」「わかりました。それしかないですね。ありがとうございます」「しかし高杉君も元気があるよな。落選し会社の事もあるのに普通じゃプレッシャーに負けてるよ。大したもんだな」「いやー先生。はっきり言ってめちゃくちゃしんどいですよ。でもやるしかないですよ。前を向いて行かないと逆にプレッシャーに押しつぶされちゃいますよ」「まー皆んながあなたみたいな考えだったら日本の自殺者も激減するだろうね。兎に角頑張んなよ。なんかあったらいつでも来なさい。私で役に立つ事があれば協力するから」「ありがとうございます」

 その後は党主催の選挙説明会に出席した。その席での説明では比例区での個人票は選挙区の個人票の10倍の価値があるという事だ。要は比例区での1,000票は選挙区での10,000票に値するという事だ。新撰の当落ラインは50、000票と言われていた。そうすると選挙区で考えると500、000票ということになる。これはとてつもない票だ。やはり全国的に知名度のある著名人でないとこの選挙は難しいと改めて実感した。しかしだからと言って今後のこともあるのでやるだけのことはやらねばならない。もし今回ダメでも党での自分の立ち位置をきちんとしておかねばならない。そのためにもできる限りのことはやらねばならない。

 「選挙が終わるまではジムには行けないな」


 「リョウ。話がある。実は又、選挙に出ることになった。それで選挙が終わるまではトレーニングは一人でやってくれ。もう何をやったらいいかはわかるよな」「うん。わかった。大丈夫だよ」「よし。しっかりやれよ」「うん」リョウの会話は短い。

 選挙戦が始まった。今は4月だから投票日まで3ヶ月半だ。まずは朝7時から8時半まで月曜日から金曜日まで地元市内各駅での駅頭。その後支援者廻り、昼と18時からは県内主要ターミナル駅での駅頭を主とした。

 その間リョウは一人で黙々とトレーニングに励んだ。元来自分で決めた事はバカが付くくらいやり通すタイプだ。これまで通りしっかりとトレーニングを積み4月のプロテストに臨んだ。

 「どうだリョウ。今度は行けそうか」「わかんない」「まー最近全然見てないからわかんないけどそろそろ何とかなんじゃないか」「うん。そうだといいんだけど」

 こればっかりはどんな選手とスパーリングで当たるかわからないので運不運もある。普段やらないサウスポーと当たったり、アマチュア経験者と当たったりすると最悪だ。

 そんな頃知り合いからダルマを頂戴した。

 「リョウ。ダルマに片目入れろよ。プロテスト合格祈願だ。受かったらもう一方に目入れしよう」

 リョウはダルマの片目に目入れをし祈った。「今度こそ頑張るぞ」

 そしてテスト当日。今日も筆記試験は免除。スパーリングのみだ。もちろん私は立ち会っていない。リョウ一人だ。相手は何と事もあろうにサウスポーだったそうだ。何とか2Rやり遂げたらしいが結果は明日だ。

 その晩「どうだったリョウ」「うん。わかんない。相手サウスポーだった」「そっか。ついてねーな。でもまだわかんないだろう。もしダメでも次があるよ」「そうだね」心なしか元気がない。

 翌日結果が出た。リョウの名前はやはりなかった。これで3度目の失敗だ。「なんだかここのところうちは運がないな。なんとかしないと」

 そんな時だ。妻の真里から嬉しい知らせが来た。

 「実はパパには黙っててって言われてたんだけどジュンが小説出すのよ」「はっ。意味がわからないけど」「あの子前から携帯小説に投稿してたみたいで中1の時に書いたのが結構人気があってそれを文庫化したいってことで出版社から話があったの。それで今度出版することになったの」「ちょっと待て。それって凄くねーか。向こうから出してくれって言われたんだろう。大したもんだな」「ねー私もびっくり」「いやーすげー。これはめでたい。久しぶりに明るい話だ。いいぞー。さすがジュンだ」「でもこれは発売するまで内緒だからね」「なんでよ。もう決定なんだろう」「そうだけど出るまであなたにも内緒にするって言っちゃったから」「なんだそれ。まっいいやわかった。いやーそれにしても凄い。めでたい」我が家にとっては久しぶりの明るいめでたいニュースだ。「しかし全然知らなかったな。ジュンにそんな才能があったなんて」真里に聞けば学祭での演劇の脚本なども結構頼まれて書いているそうだ。知らぬは親父ばかりなりって事だ。

 ほどなくジュンの本は出版された。私はその本を持ち歩き知り合いに会うたびに宣伝した。数多の会合での挨拶でも「実は私の娘がこの度小説を出版しました。13歳の時に書いた本で現在花の高校生17歳です。ぜひご覧ください」完璧な親バカだ。自分の選挙の事よりも熱心に話す始末だ。それだけ嬉しかったんだろう。何せここのところの我が家は負のオーラで包まれていたから尚更だ。

 私は近所の書店に行き「この本売れてますか」「あっそれ売れてますよ。でも不思議なんですよね。普通そういう本は若い人が買うんですけどやたら年配の方からの問い合わせが多いんですよね」

 そりゃそうだ私の支援者は高齢者が多い。そういう方々の会合で宣伝してるんだから必然的にそうなる。

 「あのこれ書いたのうちの娘です。地元なんでよろしくお願いします」又、こんなこともあった。後輩がやっている地元地域新聞にも「なあうちの娘が本出したから取材してくれ」こんな始末だ。究極の親バカだ。 

 「やっぱりジュンは俺に似たんだな。この才能はまさに俺だな」「何言ってんだか」真里も呆れっぱなしだ。

 実際にジュンの本は10,000冊出版され、まーまーの出来だったようだ。真里の話ではその他にも暖めているのが何冊かあるらしい。しかし、受験を控えた身だ。受験が終わるまでは執筆はお預けだ。しかしよっぽど本を書くのが好きなのか暇さえあれば勉強そっちのけで書いているようだ。思い返せば小さい頃から本が好きでハリーポッターなどはほとんど丸暗記していた。

 

 選挙も残すところあと2ヶ月の5月半ば選挙区での立候補者が決まった。

 「よし。これで多少票が出るかな」

 当初の予定では選挙区で候補者が出ればそれとの相乗りで相乗効果がでると言う目論見だった。しかし比例区は対象が全国。大票田の都市がある私の地元には日本中から有力候補者が集まってきた。その中には当然知名度の高い候補者もいる。選挙区候補者も当選を考えればそう言った候補者に乗っかった方が良いに決まっている。知名度のない私と回ってもメリットがないのだ。

 「なかなか思い通りにはいかないな」初めての全国規模の選挙に翻弄された。

 6月に入りいよいよリョウが4回目のプロテストに挑戦する。トレーナーの成川もいい加減なんとかなるだろうと思っている。そもそも可能性が0なら受けさせることもしない訳だ。ここまでは正直相手にもいまいち恵まれてなかったがそんな事よりもやはり一番の要因は力強さがない事だ。正直スタミナはテストを受けるには十分ある。それは成川も認めていた。後は攻撃力と力強さだ。やはり元来の優しい性格が仇となっている。リョウも今度こそとの思いが強いが生まれ持った性分はなかなか改善されない。

 私は選挙まで残り1ヶ月となり全くジムには顔を出していない。朝も早くから駅頭、夜も帰ったら風呂に入り食事をしてすぐに寝る為、リョウとはほとんど会話らしい会話は交わしていない。

 あっという間に6月のプロテストの日が来た。学科試験は1度受ければ良いのでリョウ

はスパーリングだけだ。例によってナンバーは1番。今日も最軽量。1番始めのスパーリングだ。このころになると後楽園ホールの試験管、レフリーでリョウの顔を知らない者はいない。さすがに4回目だ。誰しもが覚えている。それはプラスでもあれマイナスでもある。前回からあまり進歩してなければ恐らくダメ。逆に明らかに進歩がわかれば合格する。知られている分だけ厄介な面もある。リョウは精一杯やった。結果は明日だ。

 結果はネットで見られるので翌日私が確認した。結果はまたしてもリョウの名前がない。不合格だ。私は極力明るく言った。

 「リョウ。ダメだったよ」「えーまた」「次だよ次。10回目で受かる奴もいるそうだぞ。お前はこれまで全然運動もやってなかったからその分時間がかかるのはしょうがないんだよ。なっ次だ次」「うーん」

 さすがのリョウも落ち込んでいた。

 「まっ今週一杯休んで又、頑張ろう」「うーんそうだね」 

 7月いよいよ投票日まで残り1週間。参議院選挙は3週間。日本一長い選挙も残りわずかだ。私はできる限りの事をした。ポスティング、ハガキ等許されるものは全て行った。参議院選挙は他の選挙とは桁が違う。特に比例区は凄い。法定ハガキだけでも25万枚だ。これだけの数を出すところを見つけるのも大変だがそれを出す作業はもっと大変だ。支援者も総出で頑張ってくれた。何とかやるだけの事はやったが地元では知名度があってもやはり全国的な知名度は皆無だ。私はこれは次への布石だ。その為にも精一杯やる事はやらねばと思っていた。

 投票日当日。即日開票だが比例区の結果は遅い。深夜。結果が出た。やはり思った通り惨敗だ。唯一の救いは地元では全候補者の中でトップの票をとった事だ。

 「あー疲れたな。ダメだろうとは思ってたけど実際に結果が出るとやっぱしんどいな」実は選挙は本人はもちろんだが家族も相当苦労する。妻の真里はもちろんだが驚いたのは子供達だ。特に娘のジュンの落ち込みは相当なものだ。実は今回の選挙から初めて18歳以上が投票権を持った。要は子供達の年代が投票できるようになった訳だ。子供達は真里に言われ友達に私への投票をお願いしていたのだ。結果が出てジュンは2、3日学校を休んでしまった。流石の陽気な私もこれには参った。それはそうだ。自分の父親が惨敗したのは友達全員いやそれ以外の人間にも知れ渡り噂になっているのは明確だ。学校に行く気にはなれないのは当たり前だ。

 「本当。俺はバカだな」家族のグループラインに書き込んだ。「俺が言うのも変だけど皆んな元気だそう。人生山あり谷ありだ。そのうち何とかなるさ。頑張ろう」誰からも返信はなかった。

 元々ジュンは難しい年頃で私とはまともに口も聞かない状態だったがこれ以降輪をかけて酷い状況となった。

 その頃リョウはジムのトレーニングを続けていたが家計の状況もありアルバイトを探していた。これまでアルバイト等したこともないのでどうやって探したのかもわからないがいくつか面接を受けた。やはり全て不採用。コミュニケーションの苦手なリョウだ。接客は到底務まるとは思えない。ある時「ねーパパ。これなんかどうかな」見ると警備員の仕事だ。「お前これ多分。ガードマンだよ。しかも道路工事とかの。どこで仕事するかわからないしジムの練習もあるから時間がきちんと決まってる所がいいんじゃねーか」「でもないんだよ」「そこの回転寿司は」「あっそうだ」「お前ねーもうちょっと考えろよ。あそこなら皿洗いとか色々あんじゃねーの。受けてみろよ」「わかった」

 結局近所の回転寿司に決まった。

 私はと言うと選挙の敗戦処理に廻っていた。地元廻りはもちろんだが神戸の本部に出向き今後について話し合った。

 「高杉さん。お疲れ様でした。どうでしたか」「いやーどうもこうもこの比例区と言う選挙はとても手に負えません。正直二度とやりたくないですね。でもおかげさまでもうどんな選挙も逆に言うと怖くないですね」「そうですか。今後はどうしますか」「もちろん新撰として活動して行きますよ」「どうですか次の衆議院選挙は」「いやー下手をすると今年中にあるかもしれませんよねー。流石に対応できません。それに今、家族の状況が芳しくないですわ」「とっ仰いますと」「実は娘が高校生で友達が18歳の子が結構いてその子たちに選挙の依頼をしたんですけど結果がこれでしたからショックで参りました。ですから今は選挙の話はとても流石に切り出せません。今は思いっきり格好悪いオヤジですから」「そうですか。まっまだ時間がありますからじっくり考えてください。そして今度こそ格好いいオヤジを見せてやりましょうよ」「そうですね。ありがとうございます。今後は党と相談しながらやっていきます」

 帰りの車中。「いやーこれで当分神戸に来ることもないだろう。ひと段落だな」仕事帰りの新幹線はやっぱりビールだ。至福の時だ。

 9月に入りジムに復帰した。ところがいつもいるはずの成川がいない。「どうしたんだ。会長。成川さんは」「んーちょっと体調崩して休んでるんだ」「あっそうですか。悪いんですか」「いやー酔っ払って階段から落ちて頭打ったらしいんだよ。幸い脳には異常ないみたいだけど」「そりゃー危ないな。成川さんも飲むからな。じゃー当分無理ですね」「そうだねー」

 実はリョウは8月に5回目のテストを受けまたしても失敗していた。その時には成川はいたはずだ。成川は「このままじゃリョウの将来にとっても良くない。こんなプロテストごときで挫折したらダメだよ。何としても受からせましょう」と言ってくれていた。リョウも成川のことを頼りにしていた。それはそうだそもそものきっかけが成川の言葉からだ。その成川がいないのだ。「どうりで最近リョウの様子が可笑しいと思った」先日のプロテストに落ちた後いつもの様に「大丈夫だ。リョウ。そのうち受かるよ」と声をかけた。すると「僕。いくらやってもやっぱりダメなのかな」「何だお前。どうした。らしくないぞ。大丈夫だよ。努力は必ず報われる。努力は嘘つかない。信じて頑張れ」「なんか自信がなくなっちゃった」「お前ここまで頑張ったんだからここでやめたら一生後悔するぞ。来月から又、俺もジムに行くから一緒に頑張ろう」「うん。そうだね」これまでにないリョウであった。

 「成川さんがいないのは痛いな。それになんかジムの雰囲気が良くないな」私は怪訝に思った。ジムに復帰し2週間が経った頃その原因がわかった。皆5回もテストに落ちているリョウに呆れているのだ。私には気を使っているがそれは雰囲気でわかる。成川と言う後ろ盾もいない。

「くそっ。参ったな。関係ねーや。堂々とやってやらー」ひとりごちた。

 ところが9月に入りどうもリョウの様子がおかしい。リョウは小さい頃よりいじめにあいそれを克服する位打たれ強いし根性もある。そのリョウの様子がどうもおかしい。

 「おい。リョウ。風呂入ろーぜ」久しぶりにリョウと風呂に入った。「お前最近なんか変だけどジムで何かあったのか」「別に」最近のリョウの口癖だ。「別にじゃねーよ。何だはっきり言え」「いやー実はさー。なんか変なんだよ。悪い僕と良い僕が出て来るんだよ」「はっ。何だそれ。意味がわからん」「んー何だろう。悪い僕はお前なんて才能ないんだからボクシングなんてやめろって言うんだよ。でも良い僕は努力は必ず報われるから頑張れって言うんだよ」「何だそれ。夢に出て来るのか」「いや夢じゃないんだよ。普通に起きてる時だよ」「何だそう言う感覚に陥るってことか」「んーもっとなんて言うか2人が入れ替わり出て来るって言うか。とにかくそんな感じ」「まー何だかよくわからんけどとにかく良いもんリョウの方で行け」「うーん。そうは思ってるはずなんだけど」

 さすがのリョウも5回の失敗、父親の落選、成川がいなくなる等色々な事があり精神的に参っているようだ。又、リョウ自身もジムの雰囲気がこれまでとは違うのを肌で感じてるようだ。元来超マイペースで我関せずなのだがここまで結果が出ないのでは堪えるのも無理はない。

 そんな状態の9月であったが6日の日にリョウは二十歳の誕生日を迎えた。練習が終わりリョウを連れ太郎に行った。以前から二十歳になったらビールが飲みたいと言っていたのだ。「マスター生二つね」「あいよ。おっ今日は息子も一緒か」「そう。今日誕生日で二十歳何だよ」「へーそりゃーめでたい。親父に似て飲兵衛なんじゃないか」「どうだろうね」「はいよ。生2丁」「よし。じゃーリョウ乾杯。おめでとう」「にがっ」「アッハハ。苦いか。これがそのうち上手くなるんだよ。ところでどうだ調子は」「うん。普通だよ」「そうか。まー色々言う奴もいるかもしれないけど気にするなよ」「うん。大丈夫」「絶対何とかなるさ。受かったらここで又、一杯やろう」リョウはなんだかんだ言いながらもあっさり生を飲んだ後、グレープフルーツサワーを飲んでいた。やっぱり親子だ。飲兵衛だ。「リョウ。ボクシングやってるうちは酒はあんまり飲むなよ」「わかってる」

 

 私はと言うと選挙後の処理を済ませると同時に4年前に実質倒産にした会社の法的整理を済ませた。これも相当の誹謗中傷に晒された。当然ながらご迷惑をかけた方もいる。しかし人間「人の不幸は蜜の味」とは良く言ったもので、あることないこと面白おかしく全く関係のない人間が触れ回る。「おい。あいつはかみさんに愛想つかされてどっかに飛んズラしたらしいぞ」とかありもしない事を言う。だいたい普通愛想つかして出て行くのはかみさんのはずだ。「どうやらあいつは養子だったらしいぞ」終いにはこんな噂も出た。こんなものは可愛い方でもっとひどい噂も数多出た。これはこれまで私が議員をやっていたり目立つ存在だったからと言うこともある。噂にするには格好の的だ。いじめは子供社会だけの問題ではない。大人の社会にも当然ある。まさに村八分とは良く言ったものだ。只、私の人生訓の中に「絶対に逃げない」と「人の悪口は言わない」と言う信念があった。これは何も今に始まった事ではなくこれまで生きてきた中で何に直面しても逃げない、逃げたら絶対に立ち直れないとわかっていたからだ。又、人の悪口を言うと周りが不快になるし自分も後ろめたくなり前向きにもならないと思っていた。だが多くの人間は噂好き「人の不幸は蜜の味」だ。こう言う状況だから新しく仕事を始めようとしてもなかなかうまくいかない。ご丁寧にわざわざ商売相手に噂を吹き込みに来る奴もいた。

 私は自分から弁解もしなかった。人の口に戸は立てられないと思っている。噂に弁解してもキリがない。正面切って質問して来る人間が入れば真実を伝えようと思っていた。しかしそう言う人も皆無だ。要は関わり合いになりたくないのだ。当然ながら周りから人はどんどん減って行った。しかし元来私は一人で酒を飲みに行ったりするのが好きなタイプであり、一人で過ごすのが実は好きであった。この点はやはり親子なのかリョウと似ているところがある。だからほっておくだけだった。とは言え収入がなければ生活は出来ない。今までの経験を生かし色々な会社の相談に乗り顧問として収入を得る事と不動産取引の仲介で収入を得た。不動産取引は水物だ。定期収入とは違う。もう一つ家計を支えたのは真里の塾の講師としての収入だ。それでもまだまだ足りずリョウもジュンも奨学金を受給した。大変な状況だ。ジュンの受験も控えている。我が家は最大のピンチを迎えていた。

 ジムに復帰しリョウと二人三脚で再びプロテストに向け再始動した。基本的な練習は変わらないが兎に角もう少し見た目の力強さが必要なので下半身はもちろんだが上半身の筋トレに力を入れた。プロテストのスパーリングは兎に角手数が重要だ。其のためのスタミナ作りも欠かせない。次のテストは10月だ。

 「リョウ。だいぶ良くなってるよ。自信持てよ。誰が何を言おうが関係ねーよ」「うん。わかってるんだけど悪リョウと良リョウが前よりも多く出て来るんだよ。それも悪リョウの方が多いんだ」「それって自分で全然意識してないのか」「全然してないよ」「そうか」私は首をかしげるしかなかった。

 リョウのトレーニングは続いた。そしていよいよ10月の6回目のテストの日を迎えた。

 「リョウ。リラックスして行け。いつも通りやれば大丈夫だよ。兎に角先に仕掛けて行け」「カーン」スパーリングの第一ラウンドが始まった。「あっ。サウスポーだ」私は舌を打った。「本当。ついてねーな」1ラウンド目が終わった。「まーまーだけど次のラウンド次第だぞ。こっちから攻めてけ。後はスタミナな」「カーン」第二ラウンドが始まった。若干相手に押され気味だ。「カーン」終了の鐘がなった。「はい。お疲れさん。シャワー浴びて着替えてこいよ」

 「微妙だな。正直ちょっと厳しいな。なんで自分からもっと積極的に行けないんだろう。やっぱり根っこは変わらないのかな」私は正直今回も厳しいと感じていた。何しろ後楽園ホールのレフリーは全てリョウを知っている。はっきりと成長が見えないとなかなかもはや受かる状況にはない。

 帰り際にリョウと遅い昼食をとった。「リョウ。もうちょっと自分から行かなきゃダメだよ。なんでもっと手を出さないんだよ」「えーそんなに悪かった。ちゃんと出来たと思ってるんだけど」いつになく強い口調だ。「まー明日になんないと結果はわかんないけど厳しいと思うぞ」「そんなー」

 翌日結果が出た。やはりリョウの名前は無い。

 「参ったなぁ。何て言うかな。まーいつも通り言うしか無いな」流石に気が重かった。「リョウ。ダメだったわ。でも絶対諦めるなよ。受かるまで頑張ろうぜ。皆んなを見返してやろうぜ」しかしリョウからの返事は無い。

 リョウはジムを休んだ。私はいつも通り自分のトレーニングに行った。行くと矢沢会長が「高杉さん。次もやるんでしょう」「えーやると思いますよ。リョウももう20歳何で基本的には任せますけど受かるまでやると思いますよ」「今ひとつなんだよねー。本当に力強さが無いからね」「そうですよね。手足が長くてガリガリだから見た目でも損ですよね。あれでもう少しおっかない顔でもしてりゃいいんだけどどっから見ても中学生位にしか見えないですからね」そう。リョウは恐ろしいほど幼く見える。スパーリング相手がビビるはずがない。「あーあ。優しくて癒し系で最高なんだけどな。ボクシングとは真逆だよな。まっ1週間位ほっとくか」ひとりごちた。

 「おいリョウ。そろそろトレーニング始めろよ」「うるせーな」「あっ。何だお前この野郎」リョウがこんな口の聞き方をするのは初めてだった。「どうしたんだお前」「えっ。何が」「何がってお前。今俺にうるせーなって言っただろう」「えっ言ってないよ」「はあ。お前おかしいんじゃねーの」「あーパパ。悪リョウが出たんだよ」「何だそれお前意識ないの」「そうなんだよ。最近悪リョウの方が多く出るんだよ」「大丈夫かよ。体動かせ。今日からジムに行け。汗かかないからだよ。汗かけばストレス発散にもなるしよー」「でもさっ。なんかもう自信ないよ。やっぱり悪リョウの言う通りなのかな」「お前。何弱気になってんだよ。ここで諦めてらんねーだろう。絶対に大丈夫。努力を信じろ。お前は人一倍頑張ってる。結果が出るのは人それぞれ時間が違うんだよ。お前は必ずこれから練習の成果が現れる。良リョウの言うことを信じろよ」「わかった」リョウの様子が以前にもましておかしくなってきた。精神的にも限界かもしれない。流石の私も頭を悩ました。ジムの雰囲気も日増しに悪くなっている。皆がリョウと私に呆れているのがはっきりとわかる。これまではリョウにとってジムはまさに自分の居場所の一つであった。しかし其の心の拠り所の居場所が居心地の悪いものとなっている。元来リョウは子供の頃から自分の居場所を見つけそこで自己コントロールしいじめなど嫌なことを乗り切ってきた。リョウのような発達障害の子にとって自分がホッとできる居場所と言うのは何よりも替え難いものなのだ。リョウの様子がどんどんおかしくなってきた。朝も起きてこない。声をかけても以前には考えられないような口の聞き方をする事が多くなった。普通の男の子なら親父に対して口答えするのはこの歳では珍しくないがリョウはそうではない。明らかに精神的に揺らいでいる状態だ。「これ位悪たれの方がボクシングはいいかもな」当初は心配したが視点を変えればこれも良しと考えるようにした。

 会長から電話が来た。「高杉さん。今協会にいるんだけどリョウの次のプロテストの事で話をしたらまだ受けさせないでくれって言うんだよ」「ちょっと待ってくださいよ。本人はやる気んなって受かるまでやってやるって言ってんですから。ここまでダメだけど頑張って来てるのを踏みにじるのは勘弁してくださいよ。ここで諦めたら今後の人生にも影響しますよ。もう一回話してください。お願いします」「わかりました。又、連絡します」電話が切れた。「冗談じゃない。ここまで頑張って今更ダメなんてあるか。絶対に努力は報われる。努力は嘘つかないって言って来たんだ何が何でもやってやる」

 数時間後「高杉さん。何とかOKしてもらったよ。最後は私も怒鳴りつけたよ」「すみません。ありがとうございます」「でも次こそ頼みますよ」「はい。頑張らせます。ありがとうございます」電話を切り「これがラストチャンスかもな」ひとりごちた。

 ジムの雰囲気は悪くなる一方だ。「どうせ次も受かんねーよ」「センスないんだからやめちゃえよ」聞こえよがしの悪口を言うものまで出て来た。「うるせーよ」リョウが言う。皆が目を丸くして驚いた。そりゃそうだ私同様みんなリョウに対しては大人しいイメージしか持っていない。悪リョウが頻繁に出るようになったのだ。「くそ。絶対に受かってやる。努力は必ず報われる。努力は嘘つかない」良リョウだ。この頃には悪リョウと良リョウがひっきりなしに出てくるようだ。又、それが相乗効果になって良い方に向いて来ているようだ。逆にいいかもしれない。次のテストは12月だ。あと1ヶ月だ。

 平成28年も12月に入りいよいよ今年も終わりと言う事で恒例のジムの忘年会が行われた。この席で事件がおこった。酔った年配の練習生が私に絡んできた。「だいたいよーボクシングは体育会系何だよ。ろくに挨拶も出来ねー奴が受かるはずねーだろ」「何だお前。うちのガキの事言ってんのか。うちのは最初と最後きちんと挨拶しとるわ。いつも後から来て先に帰ってる野郎が何言っとんじゃ。わかるわけねーだろう。オメーこそ酔っ払った時だけ声がでかくて普段はボソボソ何言ってかわかんねーんだよ」「うるせーよ何回受けても受かんねーガキはジムの恥なんだよ。受けさすんじゃねーよ」「何だとこの野郎」立ち上がった。途端に他の若い練習生たちが一斉に止めに入った。危なく乱闘になる騒ぎであった。

 忘年会もお開きになり私は一人で太郎に行った。「ちきしょう。皆んな勝手な事言いやがって。一番辛いのは本人なんだよ。どんな想いで頑張ってると思ってるんだ。リョウのことを何も知らねーくせに、小さい頃からここまでどんだけ苦労してると思ってるんだ。ふざけんな。どんだけお偉いか知らねーがよくもまー親の前で人様の倅の悪口が言えるよなー。信じらんねーや。あれで元市会議員だからな呆れるわ」そうこの男は1期だけ私と共に市会議員をしていた。酔っているとはいえ人様の息子をその親の前で平気でボロクソ言う輩は絶対に許せないし人間失格だ。

 突然目から涙が溢れ出した。「どうしたの高杉君」「いやー何でもないよマスター。只、悔しくてさー。こんな悔しいのはねーよ」私は飲んだ。そりゃそうだ発達障害と診断されてから特にリョウと必死に生きて来た。そしてリョウがどれだけ辛い思いをして来たかも知っている。そのリョウをボロクソ言われたのだから悔しさは計り知れない。

 その晩は泥酔し家に戻りリョウに「リョウ。今度こそ絶対受かろうな。皆んな見返してやろうぜ。ちきしょう。馬鹿野郎」「どうしたの」「リョウ。ほっときなさいもう寝てるから」「ガー」私は驚くほど寝つきがいい。

 二日後いよいよリョウのプロテスト7回目の挑戦の日だ。この日はリョウを含め3名のジム選手が受験する。計量が終わった。今回もリョウは最軽量。ゼッケンは1番だ。まずは女子のスパーリングだ。続いてB級ライセンスのスパーリング。いよいよリョウの番だ。「リョウ。兎に角自分から攻めて行け。もう皆んなお前の事はわかってるからこれまでとの違いを見せれば何とかなるからお前に足りないのは積極性だよ。思い切って行け」

 「カーン」第一ラウンドが始まった。「あっちゃーまたサウスポーかよ。本当ついてねーな」「カーン」1回目終了の合図だ。「リョウ。もっとガンガン行け。頭からは行くなよ。止められたら終わりだからな。最後はスタミナ見てるからな」「カーン」第二ラウンドが始まった。「もっと自分から行けよ」「カーン」あっという間に2回目が終わった。「はい。お疲れさん。シャワー浴びて着替えて皆んなのスパーリング見学しろ」リョウのテストは終わった。「参ったな。又、ダメかもしれない。あー頭痛テー」私の自己裁定では不合格だ。

 テストは終了したがこの日は知り合いのジムの選手の引退式がある為、私は一人後楽園ホールに残った。セミファイナルは元バンタム級日本チャンピオンの選手の引退式とファイナルは日本ライト級のチャンピオン戦だ。引退式もチャンピオン戦も素晴らしい内容だった。しかし心底楽しむ事はできなかった。それはそうだリョウのテストの結果が気が気でならない。私の中では今回もダメだと思っていた。今後の事を考えると頭が痛いのだ。後楽園ホールからの帰り道は憂鬱でしょうがなかった。「まっ結果は明日だ。今日は考えるのをやめてそっとしてよう」

 矢沢ジムは駅から自宅に向かう途中にある。「あっそうだ。今日もらったポスタージムに置いて行くか」何気にジムに寄った。「お疲れ様」ジムには女子プロ選手と女性トレーナーの高木の二人がいた。「ちょっと今電話があってもう今日のテストの結果が発表されてるって。何だかリョウ君の名前が載ってるとか載ってないとか言ってたよ」「えっ本当。だっていつも明日じゃない」「ちょっとネットで見てよ」私はスマホで協会のホームページを開いた、「んっ。あっ本当だ載ってる。ちょっと拡大して見るよ」そこには高杉リョウとはっきり記載されていた。「うぉー受かった。受かったぞ」「いやったー」「いやったーおめでとうございます」二人と握手を交わした。トレーナーが「よく頑張ったよ。普通2、3回落ちるとめげて諦めちゃうもん。いやー良かった」女子プロも「おめでとうございます。なんかめちゃくちゃ嬉しいです」「いやー本当にありがとう。早速リョウに知らせてきます」私はジムを出て自宅まで急いだ。「いやったーいやったぞリョウ」目からは涙が溢れていた。「ただいま。リョウいるか」「いるよ。なーに」「受かった。受かったよ」「受かったってプロテスト。発表明日じゃないの」「ところがもう発表されたんだよ。見ろ」スマホを差し出した。「あっ本当だ。受かった」「だろう。受かったんだよ。万歳。万歳」私はリョウを抱きしめた。「なっ。努力は必ず報われる。努力は嘘つかなかっただろう」「うん。本当だね」「よーしこれからも頑張ろう」「何だかリョウよりパパの方が喜んでるね」真里が笑った。ジュンは呆れていた。

  


  息子


  想い


 翌日正式にジムの会長から連絡が入った。結果は見事合格。直ぐに父さんに知らせた。「父さん。受かったよ」「よっしゃー。良くやった。ママ。リョウ正式に受かったぞ」「本当に凄いじゃん。あのリョウがプロボクサーねっ。何か信じらんない。一番小さくていつもいじめられてたのにね。びっくりだわ」「俺のおかげだな」「何言ってんのよ。リョウの頑張りよ」「そりゃそうだ」

 これで一つ目標達成だ。自分でもこんなに強くなるなんて小さい時には思ってもいなかった。考えて見れば僕にはいい「居場所」があった。持田先生のところ。うちの前の塾。そしてボクシングジムだ。特に僕みたいな発達障害の子どもには「居場所」は大切だと思う。持田先生が父さんに「兎に角父親と一緒にいる時間を増やしなさい」とアドバイスしてくれなかったら今の僕はいない。持田先生ありがとうございます。又、それをきちんと実行してくれた父さんに感謝だ。ありがとうございます。そしていつも親身に相談にのってくれた塾の先生にも感謝だ。ありがとうございます。会長。成川さん。高木さん。木滝さん。ジムのみんな。母さん。ジュン。そして僕を見守ってくれたみんなに感謝だ。ありがとうございます。

 父さんがある時こんな事を講演で言っていた。「子どもは徹底的に愛してやらなくちゃダメです。自分は本当に愛されているんだと子どもが実感すれば決して誰かをいじめたりはしなくなると思います。いじめを無くす第一歩が子どもを徹底的に愛してやる事です。それと「居場所」を作ってやる事も大切だと思います。「居場所」を自分で見つける子もいます。それができない子もいると思います。ですからそれを見つけるチャンスを与えてやるのは大人ができる事の一つだと思います。私の息子は言語の発達障害で自分の意思を伝えるのが苦手です。今だに会話はダメです。当然子どもの頃はいじめられました。でも彼は自分の「居場所」を見つけた。私にできる事はその機会。チャンスを作る事だけでした。結果彼はいじめを克服し楽しい学校生活を送りました。いじめは結局自分で克服するしかありません。ですがそのチャンスは我々大人が与えてあげられると思います。子どもを徹底的に愛してやる事。「居場所」を見つけるチャンスを作ってやる事。この2点がいじめを無くす大きな要素だと思います。そして最後に私は息子に常々言っていた事があります。それは努力は必ず報われる。努力は嘘つかないと言う事です。彼はボクシングのプロテストを6回失敗しました。普通は挫折します。でも彼は頑張りました。私の言葉を信じて。結果7回目で見事合格しました。いじめを克服するには最終的には本人の意思しかありません。それをくじけずにやり通す言葉をかけ続けてやるのも大切です。それも親の役目だと思います」

 正にその通りだと思う。会話は相変わらず苦手だけどとりあえずここまで来た。父さんもいつ再発するかわからない。母さんと妹もいる。障害何かに負けちゃいられない。



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