大学



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 無事にS大学に入学しいよいよ大学生活のスタートだ。大学まではうちから1時間かからずに着く。近くてバッチリだ。うちから近くて少人数制。何だか最初からこの学校に入る宿命だった様な気がする。

 普通なら入学祝いだけど我が家はそれどころじゃない。ちょうど父さんの選挙の投票日が4月なのだ。 

 投票日がやってきた。即日開票。結果は落選。初めての経験だ。やっぱり最後は相当な嫌がらせと圧力があった様だ。さすがの父さんも相当落ち込んでいる。こんな父さんは見た事がない。そんな父さんを母さんは必死に支えていた。選挙が終わり1週間が経ち突然田舎からあーちゃんが来た。「父さんと母さんは2、3日出かけるそうだからいない間はあーちゃんがいるからね」両親が僕たちを置いて出かけるなんてこれまで一度もなかったし考えた事もなかった。嫌な予感がしてしょうがなかった。まさかこのまま僕らを置いていなくなるんじゃないかとさえ思った。「ねーあーちゃん。二人はどこに行ったの」「さすがに選挙で疲れちゃったから温泉でも行ってくるって言ってたよ。何。リョウ。心配してんの。大丈夫だよ。明後日には帰って来るから」

 予定通り二人は2泊3日で帰って来た。「ただいま。おうリョウ。元気だったか」「もちろん元気だよ。どこ行ってたの」「温泉。富士山が目の前に見える露天風呂がある温泉。良かったぞ。今度みんなで一緒に行こうな。又富士山でも登るか」「登らないよ」「やっぱりママと二人だけだとなんか落ち着かないや。おまえらが一緒じゃないとやっぱダメだな。それはそうとおまえちゃんとジムに行ってんのか」「ちゃんと行ってるよ」「そうか。俺も明日からジムに復帰するぞ。選挙で10ヶ月位休んでたから身体がすっかり鈍っちゃったよ。でもまだまだおまえには負けねーぞ。明日久々にスパーリングでもやるか」「うん。いいよ」

 父さんは大分元気が出てきた様に見える。でもまだまだ本調子じゃない。そりゃそうだ。 

 翌日一緒にジムに行った。父さんは柔軟体操をしてこれまで通り縄跳びからトレーニングを始めた。暫くすると。「リョウ。やっぱダメだ。身体が動かねー。今日はスパーリング中止だ。慣れるまでこりゃー1ヶ月位かかるな。参ったな。はっはっはー」そりゃそうだ。選挙でいくら歩いていたって言ってもボクシングは別物だ。それにもう歳だしきっと今までの様には身体は動かないと思う。

 父さんが落選して我が家は大変な事になった。まともな収入が無いのだ。元々3つ会社をやっていたが1つは倒産。2つは既に人に任せているので今更父さんがしゃしゃり出る訳にも行かない。当然僕とジュンは奨学金を受ける事になった。それでも生活は苦しい。父さんはこれまでの人脈を駆使し収入源を探したがこれもやはり選挙の負け組には世間は厳しい。逆に人は父さんからどんどん離れて行ったみたいだ。まさに手の平返しだ。選挙中よりも落選した選挙後の方が誹謗中傷はすごかった。近所の目もなんだかよそよそしい。でも父さんは何を言われても耐えていた。「大丈夫。今や人生90年の時代だ。俺には後40年弱ある。絶対に復活するから見てろ。必ず見返してやる。それに人生うまくいかないのが当たり前。うまくいくのが珍しい。そう考えればリョウが大学に合格しただけでも良しとしなくちゃな」自らを鼓舞していた。本当にいつも前向きだ。実際は相当辛いはずだ。悔しいはずだ。そう言う父さんを見ると僕も頑張ろうと思う。負けてられない。

 トレーニングを再開して1ヶ月位経ち僕は「父さん。どう。そろそろスパーリングでもやる」「そうだな大分動けるようになってきたからな。そろそろやるか。2ラウンドな」「うん。いいよ。じゃ次のラウンドからね」「カーン」ゴングが鳴った。「シュッシュッ」ジャブだ。僕はフットワークを使いながら牽制した。父さんはあまり動かない。僕は懐に飛び込んだ。「ガツン」アッパーを貰った。ちきしょう。父さんが前に出て来た。「ドスン」パンチが重い。こんなの貰ったらやばい。動き回る。あっという間に2ラウンドが終わった。「リョウ。まだまだだな。全然ダメ。そんなんじゃ当分俺には勝てねーよ」

クソッ。体重差がありすぎる。多分30㎏位違うんじゃないかな。でも相手は50過ぎの親父だ。いい加減何とかしないとな。

 僕はトレーニングに明け暮れた。6月のある日トレーナーの成川さんから「リョウ。おまえも何か目標を持ってトレーニングしろよ。どうだプロテストでも受けて見ないか」びっくりした。考えてもなかった。でも即答した「はい。頑張ってみます」

 「パパ。実は今日トレーナーからプロテスト受けて見ないかって言われた」「本当かよ」「うん。やってみようと思う」「マジか」

 翌日。正式に「成川さん。プロテスト受けて見ようと思います。よろしくお願いします」「そうかわかった。でもこのままじゃ受かんねーぞ。びしびし鍛えるからな。今まではお客さんだったけど今日からは違うぞ。気合い入れてけよ」「返事は」「はい」「声が小さい。金玉付いてんのか」「ハイ」いきなり人が変わった。

 「成川さん。リョウにプロテストなんて受かりますかね」「今のままじゃ全然ダメだよね」「そうですよね」「でもやる気のない奴に無理やりやらせるより全然いいよね。やる気があれば何とかなるんじゃないかな」「あいつは決めた事は結構きちんとやるからびしばし鍛えて下さい。よろしくお願いします」 

 翌日7月1日から父さんと早速朝のランニングが始まった。家の近所の公園の周りを10周ダッシュ&スローだ。それが終わると腿上げダッシュ30回3セット。腿上げジャンプ30回。これが朝の日課だ。学校が終わると夕方6時から今度はジムでのトレーニングだ。僕は力がないのでまずは筋トレだ。上半身の強化と下半身の強化だ。腕立て。腹筋。背筋。サーキットトレーニング。その後シャドー。「シュッシュッ」「もっとパンチを早く打て。引きを速く。遅い。体を左右に振れ。ちんたらやってんじゃねーよ」サンドバック。「もっと強く打て。おばちゃんじゃねーんだからパスパス打ってんじゃねーよ。もっと速く。腰入れろ。ボディは左足に体重をしっかり乗せて打つんだよ。このへたくそ。引きを速く。パンチを切れ」ミット打ち。「お願いします」「声が小せーんだよ。金玉付いてんのか」「お願いします」「はい。ジャブ」「パンッ」「弱い。もっと強く。遅せーんだよ。はい。ワンツー」「パッパーン」「弱い。腰が入ってねーよ」「バチン」痛っ。「ガードはどうした。ぼけっとしてっとひっぱたくぞ」「はい。ボディ」「ドスン」「違う。左足にしっかり体重を乗せて打つんだよ。何回言ったらわかんだ。このばか」パンチングボール。「タタンタタンタタンタタン」「音が小さい。弱えーんだよ。もっと強く打て。相手をぶっ殺すつもりで打て。ボクシングはそう言うスポーツだ」ロープ。「タンタンタンタン」「もっと色んな飛び方しろ。腿上げろ。もっと体振れ。じっとしてたらパンチもらうぞ。常に左右に体振れ」「バシン」「痛っ。

ちきしょう」ガードが下がると容赦なく叩かれる。「避けたら入ってボディ打て。何ちんたらやってんだ」凡そ1時間半のトレーニングだ。「よーし上がれ。トレーニングは長くちんたらやっててもしょうがねーんだ。パッパとテキパキやらなきゃダメだ」ジムでは成川さんがトレーナー。うちでは父さんがトレーナーだ。うちに戻るとボディの訓練だ。父さんが容赦なくボディを打つ。それをひたすら耐える。「ふん」「ドスン」「ふん」「ドスン」この後は横になり80㎏の父さんに腹筋を踏まれる。これが僕の1日のトレーニングだ。僕は自分で言うのもなんだけど一度決めると結構集中して取り組む。これも発達障害の特徴って言う人もいるけどこれはプラス要因だと思う。

 ジムには会長、成川トレーナーの他に高木トレーナー、木滝トレーナーがいる。会長、成川トレーナーは元日本チャンピオン。異色は高木トレーナーだ。日本初の女子プロボクサーだ。年齢は結構行ってる。でも何たってあのラスベガスで試合をした事がある世界5位の世界ランカーだ。日本人でラスベガスで試合をした事のあるボクサーは現在でもほとんどいない。当時日本には女子プロは高木さんしかいなかったので単身アメリカに渡り試合をしていたそうだ。相当な変わりもんだ。今でこそタレントが女子プロボクサーになったりして話題になり段々人気が出てきたけど高木さんが若い当時だ。さすがに年齢は聞けないがゆうに60歳は超えている。40年以上前の話だ。父さんがよく「高木さんは相当な変わりもんだよね。その当時一人でアメリカ行ってボクシングをしようとなんて普通思わないよね。しかも女性でね」「うん。そう。あたし変わってるの。とにかくボクシングが好きだったから」「はーたいしたもんだわ」

 女性で年齢も行っているのでスピードは無いが高木さんはさすがに基本がしっかりしている。よく素人の男性は女子プロゴルファーの真似をした方が良いと言うがボクシングも最初はそうかも知れない。ダッキング、ウィービング等色々教わった。ある時父さんと防御の練習をしていた時だ「おまえ。全然上達しねーな。そんなにパンチもらってたら頭ばかになるぞ。常に体振ってないと避けられるわけねーだろう。ちょっとは考えろ」高木さんがリングに上がってきた。「お父さんちょっとパンチ出して。リョウ君。ちゃんと見てて」「シュッ。シュッ」父さんがジャブを出した。当たらない。「さすが高木さんうまいねー」「いいリョウ君。まずは自分の距離をきちんと取りなさい。あなたはいつもお父さんのパンチの射程距離内にいるのよ。それじゃあ避けられるはずないよ。お父さんだって普通の素人じゃないんだから。しっかりと距離を保ってパンチをかわしたらさっと入ってパンチを打つの。わかった」「はい」「よし。じゃー次のラウンド行くぞ」「カーン」「シュッ。シュッシュッ」パンチがさっきより見える。ここだ。ダッキング。「ダン。ドスン」左ボディ。「パン。パッパン」ワンツー。かわせる。ウィービング。「シュッ。ドン」左フック。「カーン」ラウンド終了。「ふー。最後良かったな。大分わかってきたか」「はい」「ちゃんと高木さんにお礼言っとけよ」

 8月に入って久しぶりに父さんとスパーリングをやった。この年の8月は異常に暑かったのでさすがの父さんもばて気味だ。密かにそろそろ勝てるかなと心の中で思っていた。しかしやはり父さんは強い。体重差が30㎏あるけどそんなものは言い訳にはならない。なんたって僕はバリバリの18歳。父さんは52歳の中高年だ。負けるわけにはいかない。「おまえ。まだまだだな。俺に勝てないようじゃプロテストなんか受かんねーぞ。2ラウンド限定ならまだ負けねーな。大体パンチがへなちょこなんだよ。もっと練習の時見たいにビシッと打てよ。体も全然左右に振れてねーよ。何回言ったらわかんだ。動きが固すぎる。ぜんまい仕掛けのおもちゃじゃねーんだからよ。もしかしておまえちゃんと出来てると思ってんの」「うん」「嘘だろう。まるっきり出来てないよ。本当に出来てると思ってんだ。かー。明日ビデオを撮ってやるよ。どんだけ無様な格好してっかわかるよ」ちきしょう。来月中には絶対ぶっとばしてやる。

 翌日父さんが僕のスパーリングをビデオで撮った。「おうリョウ。ちょっと見てみろ」愕然とした。自分がイメージしていたものと全く違う。そこに写っているのはまさにぜんまい仕掛けのおもちゃだ。ぜんまい仕掛け自体わからないけどきっとこんななんだろう。昔から運動は苦手だけどこんなに酷いとは思わなかった。リズム感0だ。

 この日から毎日ビデオで自分の姿を確認した。やっぱり自分の動きはなかなか自分で見る事は出来ないのでこれは非常に効果的だった。

 9月に入ると朝のランニングの回数が10周から15周に増えた。10月からは20周にするそうだ。兎に角スタミナをつけなければならない。

 9月6日僕は19歳になった。プロテストの予定は11月だ。

「リョウ。ちょっとおいで」「何。ママ」「何じゃないわよ。あなた教習所どうなってんの」「どうってちゃんと行ってるよ」実は3月から自動車教習所に通っている。「あなたもう半年経つのよ。11月が期限切れなんだからね。大丈夫なの」「大丈夫だよ」「ちょっと教本見せて。ちょっとあんたまだ1段階終わってやっと仮免じゃない。仮免の学科は受かったの」「いや。この間受けたけどダメだった」「これ何。1段階よりこれからの方が長いじゃない。ここまで半年掛かって残り3ヶ月じゃ無理じゃない。どうするのよ。今までのお金全てパーじゃない。うちが今どういう状況かわかってんの。どうすんのよ」「ねーパパ。どうしよう。絶対間に合わないよ。何とかしてよ」「何とかしてよって。何処の教習所行ってんだよ」「U自動車学校」「あーあそこの社長知ってるわ」「えーじゃーちょっと相談してみてよ」「とりあえず電話してみるわ」僕は仮免まで取れば期限はなくなるものとばかり思っていた。大失敗だ。結構こういうへまはやる。「おい。リョウ。これから教習所行くぞ。学校のスケジュールわかる物持ってこい。何とか間に合うようにスケジュール組んでもらうから」教習所に行き期限内で終了するスケジュールを組んでもらったが「おまえさ。11月プロテストもあるし何やってんだよ。よっぽどしっかりやらないと両方ダメんなるぞ。本当頼むよ。大体大学生にもなって教習所に親父と行くなんてみっともなくてしょうがねーよ。しっかりしてくれよ。学校は進級できるんだろうな。まったくよ。今日はジムでボコボコにしてやるよ。覚悟しとけ」結局仮免の学科試験は4回落っこちて5回目でやっと受かった。しかも5回目の前日に父さんと試験の特訓をやってやっと受かった始末だ。やっぱり試験は苦手だ。

 その日ジムに行って父さんとスパーリングをした。でもなんとなくこれまでと違ってパンチが見える。大分避けられるようになってきた。「おまえ。もっと手ー出せよ。手数が少ないとテスト受かんねーぞ」「パン。パパッン」「ふー大分良くなって来たけど持っと手数出さないとダメだ。テストの基本はワンツーだからな。それにまだまだ俺に勝てないようじゃダメだ。テストはたったの2ラウンドなんだからガンガン行け」プロテストに予想外の教習所のピンチが加わって9月の後半からは結構しんどかった。そしてこの頃から段々父さんは僕とスパーリングをやらなくなった。

 10月に入り早朝ランニングが15周から20周になった。20周だと約5㎞だ。さすがにこのダッシュ&スローは結構堪える。だけど自分でも大分スタミナがついてきたのがわかる。10月に入ると父さんは全く僕とスパーリングをしなくなった。さすがにしんどくなってきたみたいだ。それにやはり少し体重差がありすぎる。テストの相手を考えれば

やはり同クラスのスピードに慣れなければならない。僕は50㎏位だからフライ級だ。フライ級はスピードが命だ。実践でこのスピードに慣れなければならない。ジムにはバンタム級クラスのプロが数人いる。僕は彼らとのスパーリングを行った。さすがにプロだけあってスピードもパワーも一枚上手だ。いつも簡単にあしらわれてしまう。

 10月の後半。何とか教習所を卒業した。これでトレーニングに集中出来る。朝は父さんとのトレーニングだがこの頃なんか父さんの顔色が悪いような気がする。「パパ。なんか顔色悪いよ」「そうか。ここのところちょっと飲みすぎかもな。プロテストもいよいよラストスパートだから少し控えるか」「そうだね」20周のダッシュ&スローにも大分慣れた。筋力も随分ついた気がする。後はスパーリングを増やして実践に備えるだけだ。他のジムにも遠征してスパーリングを行った。 

 10月末。夜が明けるのが大分遅くなった。朝6時。なんとなく周りは薄暗い。いつもの様に父さんとトレーニングをする為に外に出た。「うっ」いきなり父さんがうずくまり苦しそうにしている。「パパ。どうしたの。ママ大変だ。パパが」「あなたどうしたの。ねー」「ダメだ。真っ青だ。ママ。救急車」直ぐに救急車が来た。心筋梗塞だ。元々父さんは飲みすぎでたまに不整脈があって心臓は唯一の弱点だった。選挙等で精神的にも参っていたと思う。敗戦後の方が誹謗中傷も露骨になった様で未だに色んな事を言われていた様だ。勝てば官軍負ければ賊軍だ。そこにきて僕とのトレーニングだ。大分参っていたんだと思う。なんてったって52歳が19歳に付き合うわけだから大変なもんだ。集中治療室に運び込まれた。「神様。絶対にパパを助けて下さい。まだまだパパとやりたい事が一杯あります。お願いします」母さんもジュンもいる。みんな父さんが大好きだ。大丈夫。父さんはこんなもんじゃ死にはしない。

 処置が早かったので何とか一命は取り止めた。後遺症も残らないだろうと言う話だ。「リョウ。悪いな。当分トレーニングは付き合えないわ」「大丈夫だよ。もうやる事は決まってるから一人で出来るよ」「そうか。後は成川さん達の言う事をしっかり聞いてやれよ」「うん。わかってるから早く元気になってよ」「大丈夫だ。直ぐ元気になって又、スパーリングやろうぜ。でもさすがにもう無理か。なんてったって受かればプロボクサーだからな。俺に負けるプロはいねーわな」「まっ軽くあしらってやるよ」「言うじゃねーかばかやろう。おまえは正直運動神経も悪い。ボクシングセンスもあるとは思えない。でもな続ける才能はある。続ける事もすごい才能だ。どんガメでも続けていれば必ず追いつくから焦らず腐らずコツコツやれ」「うん。わかった」

 父さんの為にも絶対に受かろう。考えてみれば父さんがいなければ今の僕はない。ちびでまともに会話もできなかったいじめられっ子が気づけば全くいじめられなくなった。いじめられなくなったと言うよりも最後はいじめられっ子のヒーローみたいだった。これも父さんがいつも僕を誘って鍛えてくれたおかげだ。最初はジョギングだった。中1の時母さんの実家まで走って行ったのがきっかけで自信がついた。それからはボクシングだ。今思えば父さんはやっぱり年々動けなくなって行ったと思う。トレーナーが歳の割に体力があるって言ってたけどやっぱり歳は歳だ。まーこの際ゆっくり休んで貰おう。

 11月。いよいよプロテストの月だ。トレーニングも熱を帯びてきた。「おらー。ちんたらちんたらやってんじゃねーぞ。休むなこのぼけ」成川さんは絶好調だ。「リョウ。サンドバッグ何回やった」「5回です。よしミットやるぞ」「お願いします」「声が小さい」「お願いします」「はいジャブ」「バチン」「はいワンツー」「パッパーン」「はいジャブ」「バチン」「遅い。弱い。もっと引きを速く。そんなんじゃテスト受かんねーぞ。親父に笑われるぞ。はいワンツーフックストレート。よーし。今日はシャドー軽くやってあがれ。だらだら長くトレーニングしててもしょうがねー。メリハリを持ってビシッビシとやんねーとな。あとリョウ。明日スパーリング行くぞ。ジムを5時に出るからそれまでに来い」「わかりました」「声が小せーんだよ」「はい。わかりました」

 テストは11月26日だ。あと3週間だ。みっちりとスパーリングをしないと受からない。

 「パパ。調子どう」「おう。リョウか。大分いいぞ。おまえのテストまでには退院できるんじゃないか」「本当に。じゃー見に来てよ」「あーもちろん行くよ。ところでちゃんとトレーニングしてんのか。俺がいないからって手ー抜いてないか」「そんな事してないよ。ちゃんとやってるよ。明日もスパーリングに行くよ」「そうか。まー顔見ればちゃんとやってるかどうかわかるな。段々いい面構えになってきたよ。あと睡眠はしっかり取れよ。休むのもトレーニングのうちだからな」「うん。わかってるよ」

 あっという間に11月26日テストの日がやってきた。まずは筆記試験。これで落ちたやつは聞いた事ないと成川さんが言ってたからさすがの僕でも大丈夫だろう。でもなんてったって全国1だからな。無事に筆記試験が終わりいよいよ実技。スパーリングだ。「いいかリョウ。兎に角ワンツーで手数出せ。手数が少ないやつは受かんねーからな」「わかりました」「声が小せー」「はい。わかりました」「カーン」第1ラウンドが始まった。相手は僕よりも背が小さい。ちびだった僕は今は身長170㎝。フライ級では背が高い方だ。左右に体を振りながら前に出た。「パチンパチン」ジャブ。「パッパーン。パッパーン」ワンツー。「カーン」1ラウンド終了。「よし。いいぞ。どうだパチン当たるか」「はい。当たると思います」「よし。じゃー思い切って踏み込んでぶっ倒す気でやってこい。どうせたったの2ラウンド。このラウンドで終わりだ。思い切って行け」「はい」「カーン」第2ラウンドが始まった。「パパーン。パンパン。ズン。パッパーン」コンビネーションだ。当たる。左足に体重を乗せてボディ。「ズドン」返しのフック。「バチン」相手も必死で打ち返して来た。ダッキング。ウィービング。今日はパンチが良く見える。ダッキングで避けて左ボディ。「ドスン」よし。もろに入った。ここはレバーだから結構きく。自分でやられてきいた場所は忘れない。チャンスだ。「カーン」ここでゴングが鳴った。終わった。とりあえず精一杯やった。テストの結果は明日発表だ。

 「よう。リョウ。お疲れさん。今日はなかなか良かったぞ。結果が楽しみだな」「うん。ありがとう。やれるだけやったよ。ところでパパ調子はどう」「あーもうすっかりいい。そろそろジムにも復帰しようかと思ってるよ」「又、あんまり無理しないように」「あっ。成川さん。お世話になりました。ありがとうございました」「いやーリョウ普段から頑張ってましたよ。明日の結果が楽しみですね」「そうですね。無事受かったら一杯行きましょう」「いいですねー」「それじゃー今日はこれで失礼します。リョウ。飯食って帰ろ。何食うか。焼肉にするか」「うん。いいねー。焼肉にしよう」

 「今日は相手にも恵まれたな」「そうだね。いつもスパーリングしてた相手にタイプが似てた」「まー明日発表だけどどうなるかわかんねーけどな。もし受かったらプロボクサーか。おまえが。信じらんねーな。あのいじめられっ子のちびがねー」「もうちびじゃないよ。父さんよりは小さいけど。でもまだ諦めてないよ。まだまだ伸びると思ってるからね」「いやーもう無理だな。まーいーやとっと食って帰ろう。ママたち待ってるぞ」「ところでパパ。もうお酒飲んでるの」「当たり前だろう。さすがに入院した日は飲まなかったけど次の日からちびっとづつな。今や絶好調だ。アッハッハ」「ダメだこりゃ」

 

  

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