高校
高校
何とか無事にB中学を卒業しB高校に入学した。クラブは中学と同じ美術部に入った。生活は相変わらず学校、塾、ボクシングジム、週一回の持田先生のルーティンだ。このパターンでお陰様で精神的にも安定している。しかし美術部でこけた。中学の時は結構好き勝手にやらせてもらえたが高校はちょっと違った。協働作業があるのだ。まず手始めは秋の文化祭に向けた協働作業だ。これが僕はだめだった。先生には「あなた何勝手な事やってんの。ちゃんと皆んなとやりなさい」毎日文句を言われるしいい加減嫌んなって行かなくなってしまった。
文化祭当日父さんが見に来てたけど「おいリョウ。美術部見に行ったけどおまえの作品わかんなかったぞ」そう。僕の作品には名前が付けられていなかった。でも僕の絵はちょっと変わってるから父さんは多分わかったはずだ。まー敢えて何も言わなかったんだろうと思う。そんな事で美術部はやめた。今度は何部にしようか色々考えた挙句囲碁部にした。これは本当に偶然だったが父さんは市の日本棋院の支部長をしていたのだ。父さんは家で囲碁をした事もないので全然知らなかった。まさに偶然である。どこまでも縁がある。
さて、この囲碁部。部員は1年生は僕一人。他の2名は3年生のたった3人のクラブである。正直存続が危ぶまれる。初めて囲碁を打ったけどネットのゲームで一人でもできるので結構おもしろかった。
2年生になり3年生二人はいなくなった。晴れて囲碁部の主将だ。何としても新入部員を獲得しなければならない。僕は部員募集のポスターを作り必死に勧誘した。つもりだ。でも誰も入らなかった。そりゃそうだ。話すのが苦手。説得力0だもの。囲碁部主将。部員1名。見兼ねた先生が中学の囲碁部と合併させた。中学の囲碁部。部員1名。高校と合わせて2名のクラブだ。中学の囲碁部の子は女の子だ。実はこの子が強い。僕は全く歯が立たない。それでも何とかクラブとして存続はできた。
2年生になり6月。とんでもない事が起きた。父さんの会社が倒産したのだ。父さんは元々3つの会社を経営していたが議員になりそれぞれ番頭さんに任せていた。そのうちの一つが倒産したのだ。番頭さんに任せていたとは言え責任はやはり父さんにある。会社の整理に当たり家も手放す事になった。僕らの生活は一変した。ゴールデンウィーク、夏休み、春休み。当然何処にも行けない。冬の田舎だけは行ったがスキー三昧は無くなった。休み毎の家族写真も途切れた。
妹のジュンは1年位前から荒れ出していてこの頃はひどい状況だ。ある時母さんと大喧嘩をしてリビングのガラスを割る騒ぎがあった。父さんにも「全部。あんたが悪いんだからね」さすがに父さんも落ち込んでいた。家の雰囲気は最悪だ。母さんも働き出した。何とか議員の給料があったので生活は出来たがこれまでの暮らしとは全く変わってしまった。でも父さんは僕の3つの「居場所」はしっかり守ってくれた。僕にはこの「居場所」さえあれば何とかなる。
債権者からの電話。いやがらせのビラ。普通なら暗くなるどころの騒ぎじゃない。ところが父さんはこんな時でも僕らの前では決して弱音をはかず明るかった。普段と全く変わらない。これが我が家の救いだった。好きなお酒も毎日欠かさなかった。と言うよりは飲まなきゃやってられなかったのかも知れない。でも父さんのお酒はこんな時でも明るい酒だ。
夏休みに入る前に三者面談が行われた。今回は父さんが来た。「先生。こいつの成績は聞かなくてもわかっています。実はお願いがあります。リョウは中学の時からボクシングをやっているんですけどぜひ高校の大会に出したいんです。ところがこの学校にはボクシング部はない。無くても唯一出られる方法があります。それは先生が一人付き添って頂ければ出場が可能になります。何とかお願い出来ないでしょうか」「まー行ってやりたいのは山々ですけどこればっかりはちょっと学校で相談しますのでお時間下さい」「わかりました。よろしくお願いします」「ところでリョウ君は結構強いんですか」「いや。全然ダメです。ただここの所大分やる気が出てきてこの話も今では無く、来年の大会の話ですからそれまでには強くさせます」「そうですか。わかりました。でもこの子は本当に変わりましたね。おい。先生の事殴るなよ」「そんな事しません」その晩。家に戻ると「リョウ。ボクシング頑張ればボクシングでも大学行けるんだぞ」「そうなの」「ボクシング部のある大学なら可能性はあるよ。唯、高校での経歴がものを言うから今からだとちょっとかったるいかもな。まーどっちにしても大会に出られなきゃ話にならないけどな」「そうだね」
結局学校では認められず大会の出場は断念した。
夏休みになったが僕らはこれまでみたいに何処かに行く事はなくなった。というより行けないのだ。でも僕には「居場所」がある。これさえあれば平気だ。
実は僕の「居場所」の塾には高校生は僕以外いない。大学受験になると大抵の人はいわゆる予備校的な塾に行くのが常だ。でも僕は相変わらず同じ塾。僕の「居場所」に通っている。でもここで塾の先生に色々相談が出来た事は本当に良かった。ある日「パパさー。僕大学に行こうと思うんだよね」「おまえ。受からなきゃ行けないんだよ」「うん。わかってるよ。やるだけやってみる」「まー好きにしろよ」
塾の先生とも色々話し合って僕は歴史が好きだったので史学部のある学校を志望した。自分を弁護する訳ではないけどこの頃はもう偏差値25ではなかった。40以上はあった。それに全国1位でもない。
2月修学旅行が行われた。3年生になると受験があるのでこの時期に実施される。場所は何とカリフォルニア西海岸だ。入学時より積立をしていたお陰で何とか行く事が出来た。やっぱりアメリカはでかい。ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、グランドキャニオン、空母ミッドウェイ、ボクシングの聖地ラスベガス。ここでスーパースター達の試合が行われる。マニーパッキャオ、ドネア、メイウェザー等など。桁が違う。この学園で行く最後の修学旅行だ。相変わらず変わり者だと思われてるがもう僕をいじめる奴は誰もいない。存分に楽しんだ。
3年生になりすぐに三者面談が行われた。「お母さん。リョウ君は大学進学を希望してますが正直難しいですよ。近頃は色んな大学があって何処でもいいとおっしゃるなら入れる大学はありますけどどうなんですか」「えー本人は歴史が好きだから史学部を希望してるみたいですけど」「史学部ですか。難しいですね。史学部がある所はある程度歴史のある大学しかないですからね。本学園の大学なら何とか入れると思いますけど史学部はないですからね。あなたは史学部以外は考えてないの」「はい。史学部以外は今の所考えてません」「推薦とかAO入試とか色々あるからよく研究しなさい。推薦やAO入試は秋だから早急に準備するように」「わかりました」
本格的に受験準備を始めた。まともな試験ではとても受からない。それ位の自覚はしている。やはりAO入試がベストだろう。AO入試があって史学部のある学校3つに絞った。
10月に入り受験シーズンがやってきた。先ずはT大学。手応えはあったけどちょっと面接の時ワイシャツの襟が折れているのを気づかず面接官に注意された。それだけが気がかりだ。
試験の結果がでた。不合格。ショック。受験は小学校以来だから初体験みたいなものだ。やはり落ちるとへこむ。「次があるから頑張れ」父さんは常に前向きだ。次はK大学。手応えは前回よりあった。父さんが「リョウどうだった」「うん。前回より全然出来たと思うよ」「そうか。受かるといいな」結果が出た。不合格。ショック。はっきり言って自信があっただけに相当へこんだ。どうしよう次ダメだったら行くところがない。この結果を受け父さんはK大学の知り合いに何がダメだったのか聞いてくれた。結論は面接が全くダメだと言う事だった。AO入試は論文と面接だ。僕的には面接も上手く答えたつもりだったのに全然ダメだという事だ。
「やっぱり言語の発達障害じゃ面接はダメなのかな。相手に伝わらないもんな。クソっ。ちきしょう。悔しいよ。面接の練習も塾の先生と沢山したのに通じないんじゃどうしようもない」見兼ねた父さんが母さんに「次は何処受けるんだ」「S大学」「そこは受験の事前相談みたいなのは無いのか」「あると思うよ」「ちょっと直ぐに電話して予約取ってくれ」「どうすんの」「事情を正直に話に行く。ダメ元だ」後日両親はS大学の事前相談に行き父さんが「実はうちの子は子どもの頃言語の発達障害と診断され自分の意思を相手に伝えるのが極端に苦手なんです。ですから面接の時じっくりと息子の話を聞いて頂きたいんです。お願いします」「わかりました。それは面接官に伝えます。唯、その事で優遇される様な事はございませんのでそれは了承しておいて下さい」「もちろんそれはわかってます。兎に角出来るだけじっくりと聞いてやって下さい。よろしくお願いします」父さんは隠していてももうしょうがない。はっきり言って臨んだ方がいいと判断した訳だ。
S大学受験当日。「リョウ。頑張って来いよ。今まで色んな事をおまえは乗り越えて来たんだから自信持ってやってこい」「うん。わかった。行って来ます」
論文も終わりいよいよ面接だ。「失礼します」「まず本校を志望した動機を聞かせて下さい」「はい。2点ございます。まず一つ目は私は歴史に非常に興味があり史学部を希望しております。貴校にはその史学部があります。これが1点目です。2点目は何よりも少人数制と言うのが自分には最適だと思ってます。私は幼稚園の頃言語の発達障害と診断され非常に人とのコミュニケーションをとるのが苦手でした。それを心配した両親が少人数制で面倒見のいい私立の小学校に入学させてくれました。結果は大正解だと考えています。こちらも少人数制ですから学生一人一人にしっかりと目を配った教育を施してくれるものと思ってます。これが2点目の志望動機です」「次に趣味についてお聞かせ下さい」「はい。現在はボクシングに凝っています。中学校2年生から父に進められ始めました。元々身体も小さくどちらかと言えば貧弱だった事もあり又、男は一つくらい格闘技を習っていた方が良いという事で始めました。練習時間も束縛されず個人練習ですので自分の都合でジムに通えます。お陰様で大分体力もついたと思ってます」
言いたい事はきちんと言ったと思う。後は結果を待つだけだ。「おうリョウ。どうだった」「うん。今までで一番良かったと思う」「そうか。この間も同じ様な事言ってだめだったな。はっはっは」「そんな事。言わないでよ」「あーごめんごめん。受かるといいな」
3日後父さんが叫びながら帰ってきた。「受かった。受かったぞー」父さんが郵便を受け取ったのだ。「リョウ。おめでとう。良かったな。やっぱりママ。事前相談行っといて良かったな」「そうね。正解だったわね」「あのリョウが大学生なんて信じらんねーな。全国1位だったんだぜ。下から。本当信じらんねー。リョウ良かったな」父さんに思いっきり抱きしめられた。涙が出た。
これで進路が決まった。本当に助かった。後日、高校の先生が大学に電話して話を聞いた所面接官3人の内の1人が僕に非常に興味を持ってくれて「どうしてもあの子を入学させたい」と押してくれたそうだ。拾う神ありだ。本当に感謝だ。でもその前に事前相談に行って僕の事情を打ち明けてくれた両親に感謝だ。「ありがとう」後から聞いた話だけど試験の前日父さんは一人で日帰りで宮城に墓参りに行ったそうだ。僕の合格をご先祖様にお願いに行った訳だ。
実はこの頃父さんは4回目の選挙に向けて活動を始めていた。毎朝駅頭で演説をしている。僕は電車通学だから小学校1年生の頃から父さんの駅頭を見ている。早いなーあれからもう12年だ。会社の事もあり非常に厳しい選挙の様だった。酷い噂もあった様だ。家にも無言電話や変な電話が掛かって来ていた。ネットでも相当やられた様だ。
今回の選挙で僕は初めて個人演説会なるものを見に行った。壇上では父さんが必死に訴えかけている。隣には母さんが神妙に立たずんでいる。両親のこんな姿は初めてみる。なんかこういう親の姿を見ると変な感じだ。父さんは人前で話をするのは僕と違って得意だ。スポーツも得意だ。時には本当に親子なのかなと思ってしまう。でも他人から見ると僕と父さんは見た目はそっくりだそうだ。
年が明けていよいよ選挙も佳境を迎えていた。いやがらせは益々エスカレートしている見たいだ。何か手伝ってあげたいけど僕にはどうする事も出来ない。父さん母さん頑張れと言うしかない。父さんの疲れ方は僕が見ていてもちょっと尋常じゃないようだ。体力には相当自信のある父さんがあの様子という事は精神的に相当参ってるんじゃないかと思う。でも父さんは家ではいつも通り明るく過ごしている。
個人演説会は何回か行われた様で何とあのジュンまでもが応援に行った。やはり家族だ。心配なんだ。何だか追い込まれて段々家族がまとまってきた様な気がした。不思議なもんだ。
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