中学校



  中学校

 いよいよ中学生。僕の通うB中学はこれまで最寄り駅から歩くと30分以上かかる不便な場所にあった。ところが何とこの年から新駅ができ駅から徒歩2分と言う好立地に変わった。本当にラッキーだ。おかげでうちから学校までドアTOドアで1時間掛からない。 

 余談だが僕は結構運がいい。近所の商店街の抽選会では何と毎年特賞を当てていた。残念ながらもうその抽選会はなくなったが本当にくじ運は良かった。結構僕の様な発達障害の子はうそか本当かわからないけど運が強いと言う都市伝説があると聞く。

 クラスは全部で5クラス。其の内2クラスが小学校からの付属組みだ。付属組と受験組が一緒になる事はない。周りは知った顔ばっかりだ。当然僕をいじめてた奴らもいる。

 中学になると部活動をしなければならない。僕は勉強もスポーツも苦手なので美術部に入った。美術部なら一人でこつこつ出来るし物を創ったりするのは結構好きだった。僕の絵は凄く独特で「ピカソ的」と言われた。この言葉は褒められてるのか貶されてるのか良くわからない。「ピカソさんごめんなさい」

 中1の夏休みは色んな事があった。まずは7月22日の皆既日食だ。この日僕たち家族は久米島に向かった。那覇空港から久米島に向かう飛行機の中から徐々に太陽が欠け始めた。久米島に到着すると段々とあたりが暗くなりホテルに着きビーチに向かうと鳥や虫が騒ぎ始めた。彼らにとっても経験したこともない突然の変化なのだろう。「ザザザー」風が出てきた。人の声は聞こえない。太陽が消えた。一瞬にして世界が変わった。なんとも言えない幻想的な雰囲気が漂う。5分後何事もなかったように現世に戻った。何となくタイムマシーンに乗った気分だ。この日の久米島は96%太陽が欠けたそうだ。天気は快晴。恐らくこんな皆既日食は二度と見られないだろう。100%消えると言われた喜界島は大雨の土砂降りで全く見られなかったそうだ。なんというラッキーだろう。こんな経験をさせてくれた父さんに感謝だ。「いやーおまえらにこれを見せたくてこの日にしたんだぞ。感謝しろよ。でも本当に晴れて良かったな」後で母さんが言ってたけどこの日に皆既日食があると言うのを実は父さんは知らなかったそうだ。たまたま時間が取れる日がこの日程しかなかったと言う事だ。全く大人は調子いい。でも最高の経験が出来たのは事実だ。

 この旅で初めて家族4人で海に潜った。シュノーケリングはいつもやっていたけどダイビングは初めてだ。段々と深く潜って行くと聞こえるはずが無いのになんか音がきこえる。それがなんとも言えない不思議な魅惑的な音だ。決して「おばけの声」なんかじゃない。心が安らぐ音だ。もしかしたら母さんのお腹の中の音に似てるのかも知れない。水も綺麗。サンゴ礁も綺麗。色んな魚もいっぱいいる。まさに竜宮城だ。久米島最高。

 父さんはこの久米島が大のお気に入りだ。理由は海がきれいな事はちろんだが全然お金を使わないそうだ。確かに使う所がない。それと町営のスパがあるのも理由の様だ。海から戻るとまずはスパに行く。コバルトブルーの海を見ながら風呂に入り冷えたビールを飲みながら本を読むのが最高だそうだ。それが父さんの久米島ルーティンだ。父さんは秋に行われる久米島マラソンにも出場した事がある。まさに久米島大ファンだ。ここでも沢山写真を撮った。  

 さて、久米島から戻ると父さんが「せっかく5年生からジョギング続けてるんだからお盆休み。母さんの実家まで走って行くか」「うん。いいよ」僕は父さんと一緒に行動するのが当たり前と思っていたのでいつも何も考えずに返事をしてしまう。ところがうちから母さんの実家までは120㎞あるそうだ。1日20㎞走っても6日掛かる。父さんも流石にそんなに休めないので3日で走れる80㎞地点からスタートする事になった。そこまで母さんに車で送ってもらう。母さんの実家は茨城県常陸太田市。スタート地点に選んだのは茨城県霞ヶ浦。そこで一泊して朝スタートだ。母さんにホテルまで送ってもらった。「じゃーパパ。リョウ。頑張ってね。私とジュンは先に車で行ってるから。暑いから気をつけてね。バイバイ」随分軽い。「さて、とりあえず荷物を置いて飯食いに行こう。明日からハードだから今日は焼肉にしよう」「うん。いいよ」父さんはビールを飲みながら焼肉を食べてたけど流石にいつもよりアルコール量は少ないようだ。「リョウ。明日は6時半に起きて食事をして8時スタートな」「うん。わかった」僕の会話は短い。

 80㎞を3日。1日約27㎞だ。父さんは真夏なので午前中に走り終えるつもりらしい。8時にスタートして休憩入れながらお昼まで4時間かけてゆっくり走る計画だ。いよいよ初日の朝。外は晴天だ。「こりゃー暑くなるな。よし。ゆっくり行くぞ。出発だ」「パパ。頑張ろうね」「オウ。今日の目標は石岡だ。初日だから20㎞ちょっとにしたぞ」ひたすら国道6号を走った。30分毎に休憩しながら走った。段々と気温も上がってきた。国道沿いは交通量も多く路面上はものすごい暑さだ。だけど他に道は無い。30分で5㎞も走れない。「リョウ。大丈夫か」「大丈夫だよ。全然平気」目的地までもう少しという所で突然父さんが止まった。「どうしたの」「ごめん。間違えた。さっきの所右に曲がるんだ」「まじ」「ごめん。戻ろう」「もう何やってるの」何とかお昼前に目的地の石岡のホテルに到着したけど結局道を間違えて5㎞位余計に走った。ホテルに着くと「何処から走って来られたんですか」「霞ヶ浦です」「本当ですか。凄いですね。坊ちゃんもですか」「そうです。国道6号沿いに走ってきたんですが暑いは空気は悪いはで参りました」「そうですか。お疲れでしょう。すぐにお部屋を用意しますので少々お待ち下さい」通常であれば3時チェックインだけど僕たちの様子を見てホテルの人が気をきかせてくれて早めにチェックインさせてくれた。父さんは風呂が大好きだから大浴場のあるホテルを予約していた。早速2人で風呂だ。走った後の風呂は本当に気持ちいい。「リョウ。どうだ辛かったか」「んーそうでもないかな。明日は何処まで行くの」「明日は水戸まで行く。明日が一番長いぞ。30㎞位だ。今日より10㎞位多く走る。気合い入れろよ」「うん。わかった」「あー風呂は最高だな」「そうだね」風呂から出てお昼ご飯だ。「いっぱい食べろよ。じゃないともたないぞ。飯食ったら昼寝だ」

 お昼を食べて気がついたら4時位になっていた。「リョウ。風呂行くぞ」「わかった」「風呂上がったら俺はマッサージするからおまえは適当になんかやってろ。6時には飯食いに行くぞ。今日は何食うか。昨日は焼肉だったけどやっぱり精つけなきゃならんからステーキにしよう。同じ肉でも焼肉とステーキはちょっと違うからいいよな」「うん。いいよ」結構美味いステーキだった。父さんはその日はビールとワインを飲んでいた。帰って少し休憩したら「よし。リョウ。風呂行くぞ」「また行くの。いいよ」これで本日3回目だ。「明日はちょっと早く出よう。6時に起きて飯食って7時半に出よう」「わかった」「明日も頑張ろう」「オーケー」

 朝6時今日も快晴だ。「今日も暑くなるぞ。リョウ。気合い入れろよ」「僕は大丈夫だよ。パパこそ頑張ってよ」「ばーか。楽勝だよ。朝飯しっかり食えよ。食わないともたないぞ」「わかってるよ」7時半いよいよ2日目の出発だ。「行ってらっしゃいませ。本日はどちらまで」「今日は水戸まで走って行きます」「水戸ですか。遠いですね。お気をつけて行ってらっしゃい。僕も頑張ってな」「はい。頑張ります」「ありがとうございます。じゃー行ってきます」「ありがとうございました」今日も昨日と同じく30分毎に休憩しながら走る。今日は昨日にも増して暑い。それに昨日より車も多いようだ。上からは容赦ない太陽の光と紫外線。下からはアスファルトの熱気に車の熱と排ガス。楽に40度は超えているだろう。「リョウ。大丈夫か」「大丈夫だよ」そう言ってる父さんもきつそうだ。そりゃそうだ。僕は手ぶらだけど父さんは僕らの荷物を入れたリュックを背負って走ってる。これはかなりの違いだ。休憩も多くなる。お昼までには到底着きそうにない。「ダメだ。リョウ。どっかでちょっと早いけど飯食おう。さすがにこのままじゃもたない」道路沿いの定食屋でお昼にした。「汗びっしょりじゃない。何処から来たの」「石岡から走って来ました」「石岡。本当に。そりゃー凄い。この暑さの中倒れちゃうよ。まさか僕も一緒に走って来たの」「あっはい」「凄いね。へーったいしたもんだね」食堂のおばさんは本当にびっくりしてた。1時間位休憩して出発した。もう水戸市内には入ってる。ホテルは水戸駅前だ。少し走ると湖が見えてきた。「パパ。あれ何」「おーあれは千波湖だ。昔ママとよく来たんだ。水が気持ち良さそうだな。なんか泳ぎたくなってくるな」「本当だね。それに綺麗だね」「なんてったって偕楽園に千波湖。ここは徳川御三家の水戸藩だからな。やっぱり凄いよ」「あっ。あれ黄門様じゃない」「おーそうだ。水戸黄門の銅像だ」「こっちは徳川斉昭と慶喜だよ。すげーな。パパ。せっかくだからちょっと歩こうよ」「そうだな」実は僕は一番好きな教科は歴史だ。こういう歴史あるところは大好きだ。その中でも近代史は好きだ。維新の立役者水戸藩と聞けば黙っていられない。千波湖、偕楽園周辺を見て廻った。「おーい。リョウ。そろそろ走って行くぞ。遅くなっちゃうよ」「うん。わかった」結局この日はホテルに到着したのが4時頃になってしまった。「いらっしゃいませ。今日はどちらから」「石岡から走って来ました。本当ですか。凄いですね。お疲れでしょう。ゆっくりお休み下さい」「ありがとうございます」部屋に荷物を置くと早速風呂だ。今日のホテルはスパ形式の浴場だ。父さんは散々汗をかいたのにサウナに入っていた。試しに僕も入ってみたけど流石にすぐに出た。「いやーリョウ。流石に今日はきつかったな。参ったよ。ふー。でもやっぱり風呂は最高だな。この後またマッサージ呼んでるから夕飯は6時半な。今日は何にするか。海も近いし寿司にするか」「いいよ」「よし。じゃー今日は寿司だ」寿司も美味しかった。父さんはその日はビールの後は日本酒を飲んでいた。「リョウ。明日で最後だな。頑張ろうな。辛くないか」「全然平気だよ。きついけど楽しいよ」「そうか。無事に完走したらみんな驚くだろうな」

 流石にその日は疲れたようで部屋に帰ったら二人ともばたんきゅうだ。

 気づいたら朝6時だ。「リョウ。おはよう。今日も昨日と同じで7時半に出発しよう。昨日よりは距離は少し短い。今日も頑張って行こう」朝食を済ませ少し休んでチェックアウトだ。「ありがとうございました。今日はどちらまで」「今日は常陸太田まで走って行きます。妻の実家があるもので」「そうですか。暑いですからお気をつけて。僕も頑張ってね」「ありがとうございます。それじゃお世話になりました」「ありがとうございました」「よし。今日も快晴だ。最後だ。行くぞ」「おう」スタートした。

 考えてみると父さんと僕は究極の晴れ男かも知れない。二人のイベントで天気が悪かった事は一度もない。

 水戸を抜けるとだいぶ車も減ってきた。車が減ると少しだけど暑さが和らぐ気がする。でも暑い。さすがの父さんも3日目はつらそうだ。「リョウ。ちょっと休もう」なんか父さん痩せたみたいだ。「よし。行くぞ。もうちょいだ」川が見えた。なんか見覚えのある所だ。この川を渡ればあと少しのはずだ。「パパ。この川を渡ればあとちょっとだよね」「そうだ。よく覚えてるな。くじ川を渡れば残り3㎞位かな。ちょっとあそこのくじ川って書いてある看板で写真撮ろう」「カシャ。後で証拠写真ママに見せないとな。よし。ラスト行くぞ」「おう」常陸太田駅を通り過ぎた。後は坂を登ればすぐそこがおばあちゃんちだ。ゴール。最後は父さんを追い抜いてやった。「あー。着いた。リョウお疲れ。いやーお前凄いな。尊敬するよ。俺がお前の歳じゃ絶対にできないよ。本当に凄い。頑張ったな。この事。学校の宿題とかで出してみろよ」「えーいいよ。だって僕の言うことなんてきっと誰も信用してくんないよ」「おまえねーそんな卑屈になるなよ」「ひくつって何」「ダメだこりゃー」

 その日は母さんの実家に泊まった。おばあちゃんと従兄弟の家族そして僕達家族で夕飯を食べていると話題はジョギングの話だ。「いやーやっぱり子どもはすごいね。一晩寝るとケロッとして元気だもんな。俺なんか日に日に疲れが溜まってゲッソリだよ。6㎏痩せた。考えてみれば80㎞だから3日でフルマラソン2回走るのと同じ位だからな。きついよ。でもリョウ。おまえ本当に大したもんだよ」おじさんには「途中で電車に乗ったんじゃないの」とからかわれたけどみんなに「リョウ。おまえすごいな。たいしたもんだ」って言われた。そこまで言われると流石に僕もなんだか自信がついてきた。疲れたけど最高の思い出だ。

 夏休みが終わり2学期が始まった。実はこれ以降全く僕はいじめには合わなくなった。やっぱり夏休みの経験が僕の中の何かを変えたんだと思う。それが多分体から溢れ出てるんじゃないかと思う。でも相変わらず勉強はからっきしだ。そうそう上手くは行かない。 

 クラスでびりを守りつつ僕は2年生になった。あまりにも勉強が出来ないので見かねた母さんが父さんに「どこか塾に通わせようと思うんだけどどこがいいかな」「うちの目の前の塾でいいじゃん。少人数制だしうちから近い方がリョウには絶対いいよ。それに俺も知ってる所だし」「じゃーそうするわ」この塾は僕のうちの目の前にあり父さんの後輩がやっている会社が経営していた。これがまた僕にぴったりはまった。ここは生徒に塾を開放していて授業がない時でも時間のある時はいつでも塾で勉強してもいいシステムになっていた。僕は自分の部屋ではなく塾を勉強部屋代わりに使った。また、ここの先生ともうまがあい、持田先生の所に続く2つ目の「居場所」になった。

 この頃父さんは「もうジョギングはやめた。猫も杓子もジョギングを始めてなんか面白くなくなってきた。これからはボクシングをやる。リョウ。おまえもやるか」「うん。いいよ」僕の会話は短い。

 実は近所にプロのボクシングジムがオープンしたのだ。父さんは完璧にはまった。このジムは夜10時までやっていていつ行っても何時間やっても構わない。全て自己管理なのだ。曜日、時間に制約がないので自分のペースで練習出来た。不規則な生活の父さんにはうってつけだったのだろう。但し、このスポーツは相当ハードだ。僕はと言うとこの頃はまだ身長もそんなに高くなくどっから見ても小学生にしか見えない。ジムに行ってもお客さん扱いだ。唯、ボクシングはまさに個人競技。自分のペースでできるので僕はとっても気に入った。同じ格闘技。例えば空手も一見個人競技の様だが稽古はみんなでやる。その点ボクシングは違う。究極の個人競技だ。ボクシングジムは僕にとって3つ目の「居場所」になった。自分の「居場所」がはっきりすると僕の様な子は充実する。 

 3学期に入った3月11日東日本大震災が起こった。その時僕は学校にいた。勿論電車はストップして動いていない。全員体育館に集められた。先生方は今後の対応について協議していた。結局バスで各自の最寄り駅まで送ろうと言う事になり体育館で班分けをしている時ちょうど父さんが迎えに来てくれた。良かったもうちょっと遅かったら行き違いになる所だった。父さんの車で帰宅途中。「リョウ。震源地は宮城県だって。あーちゃんに電話したけど全く繋がらないんだ」僕の祖父母は宮城県に住んでいた。海沿いは津波でやられた情報が入っているけど内陸部がどうなっているかは全く分からない状況だ。父さんが言うには田舎のある所が最も震度が大きいと言う事だった。渋滞の中、何とか家にたどり着いたけど相変わらず田舎とは連絡が取れない。流石の父さんも元気がない。実はこの時父さんはちょうど3回目の選挙の真っ最中でもあった。それも重なりどっと疲れが出たんじゃないかと思う。震災から4日目。宮城のおじさんから連絡が入った。「全員無事」良かった。父さんもほっとしてた。だけど気仙沼の親戚だけは行方不明との事だ。結局亡くなってしまった様だ。父さんは選挙中で地元を離れる訳にも行かず葬儀に出席する事も出来なかった。

 ちょうど春休みになって僕は救援物資の運搬等のボランティアに参加した。まだ中学生だったので現地には行かせてもらえなかったけど貴重な経験をさせてもらった。何しろ宮城県は僕の田舎だ。1日も早く立ち直って欲しい。 

 そんな中で父さんの3回目の選挙が行われた。結果は快勝。でもさすがの父さんも今回は相当疲れた見たいだ。

 再度クラスでびりを守りつつ僕は無事に3年生になった。小学校の6年間と比べると中学校の3年間はあっという間だ。

 中3と言えば進学問題だ。三者面談。「お母さん。大変申し難いのですがこのままではいくら何でも上の学校に推薦する訳には行きません。よっぽど頑張って頂かないと無理です」散々脅かされた。その晩うちで「リョウ。おまえそんな酷いのか」「ひどいもなにも常にびりよ。このままじゃ高校は無理だって。それでちょっとこれ見てよ。この間駿台の全国模試があったんだけど問題は中1と中3でもちろん違うんだけどちょっと見て」「げっ。全国で1番じゃない。すげーな。初めて見た。本当にいるんだな全国1って。大したもんだな。下から1番もちょっとやそっとじゃ取れないぞ。お目にかかれねーな。しかも偏差値25。こんなのあるんだ。すげー。ジュンもすげーな。全国で120番。まー1番には負けるけどすげーな。偏差値75か。大したもんだね。でもよー75と25で足して2で割ってちょうど50か。足して2で割って丁度半分か。2人合わせて一人前か。笑えるな」妹のジュンは勉強ができた。中学も僕とは違う学力の高いA中学に進学していた。「ふーん。そんな勉強嫌いなら高校行くのやめろよ」「えっ。せめて高校位は行かせてよ」「じゃーちょっとは勉強しろよ。大体高校は勉強しに行く所なんだから嫌なら行くなよ」「あのー今時高校行くななんて親いないよ」「そうか。じゃー頑張れや。あっはっは」全く信じられない親。 

 学校に行く。塾に行く。ボクシングジムに行く。そして週一回持田先生の所に行く。これが僕のルーティンだ。

 中3と言えば何といっても修学旅行だ。僕の中学の修学旅行は何とオーストラリアだ。受験があるので夏休み前に行く。

 いざ出発と思い来や。飛行機が故障で飛べない。「まじか」その日は何と成田のホテルに一泊した。翌日無事に飛行機は飛びオーストラリアに着いたがスケジュールは大幅に変更となった。でも行くとこ行くとこ全て初めての経験なのでとても楽しかった。僕は子どもの頃から一人で遊ぶのが好きだったせいかどこにいても自分なりに楽しめる。オペラハウス、ゴールドコースト、エアーズロック。どこも最高だ。因みに父さんと母さんも新婚旅行はオーストラリアだそうだ。本当はエジプトに行きたかったらしいがちょうど湾岸戦争が起こって急遽変更したそうだ。

 夏休みが終わり2回目の三者面談があった。今回は父さんが来た。「今回はちょっと先生に聞きたい事があるから俺が行くからな」なんだか嫌な予感がする。「先生。いつもリョウがお世話になってます。どうですかうちのは」「んーまず成績ですがやっぱり芳しくないですね」「何とか進学できますか」「まーうちはとりあえず付属ですから何とかしたいと思ってます」「ありがとうございます。何しろここで進学できなかったら行くとこないですから。高校行くのやめればって言ったんですよ。そしたら今時高校行くななんて親いないよ。高校位行かせてよって言われちゃいましたよ。でもこのままじゃしんどいんですよね。どうすればいいですか」「そうですね。これからは補習が増えます。これは絶対に休まず出席してください。それと与えられた課題、提出物は必ず出すこと。そうすればなんとかなるでしょう」「ありがとうございます。おい。リョウ。しっかりやれよ」「はい」「ところで先生。実はこいつは中2の時からボクシングをやってるんですが普段の生活はどうですか」「えっ。ボクシングやってるのか。どうりでなんか変わったなと思ったよ。お父さん。ご存知の通りこの子は小学校からうちの学園で預かっているので小さい頃から見てますが私が思うに一番成長した子どもの一人だと思いますよ。正直未だにうちの学校でもいじめらしきものはあります。まー大したものではないと思ってますが。この子も最初はいじめられる側でした。ところが今や全くいじめられない。それどころか今までこの子をいじめていた人間がある日突然何かのきっかけでいじめられる側になったりするんです。そう言う人間に今この子は慕われてるんです。不思議なものですね。今やいじめられっこのヒーローみたいですよ。要は何であいつはいじめられなくなったんだろうと皆んな不思議がって興味があるんじゃないですかね。そうそうリョウ。中島の面倒見てやれよ。うちのクラスではあいつだけだからちょっといじめられてるっぽいのわ」「はー」「頼むな。そういえばお父さんご存知ですか」「えっ何がですか」「実は今、卒業に向けて生徒一人一人もしくはグループでもいいんですけど一人1分持ち時間で卒業に向けたメッセージを撮ってDVDを作成してるんですけどリョウだけですよ。複数の女の子と撮ってるの」「なんですかそれ」「まー見てのお楽しみにして下さい。兎に角あなたは進学できる様にしっかりとやる事。いいね」「はい。わかりました」「先生。今日はありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」学校を出た。「おまえよー。頼むよ。塾行ってんだろう」「行ってるよ」「進学出来なかったら笑いもんだぞ」「わかってるよ」「まーじゃー頑張れ。以上終わり。飯食ってくか」「うん」父さんはあんまり勉強の事はとやかく言わない。「おいリョウ。その中島君って子。面倒見てやれよ」「面倒臭い」「何だそりゃ。それにしてもおまえ女の子にもてるのか」「そんなんじゃないよ」

 うちに帰ると父さんは母さんにDVDの話をしてたけど母さんは「そんなもてるとかじゃないと思うよ。要はリョウは安パイって事。害がないって事だと思うよ」「ふーんそうかね。でもこいつしゃべんなきゃ結構かっこいいと思うよ」「んー確かにしゃべんなきゃね」こんな話を聞くと余計に話をするのが嫌になる。


 

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