第3話

僕がもし、あちら側の人間だったら話は簡単で、俗物は俗物同士好きにやってくれと言い放つことができる。あちら側の人間とはつまり、選ばれた人間だ。知性に優れ、愚民どもを影であやつり世界をリードしていく存在。僕の不幸というのは、まさにその狭間にある。選ばれた人間でもなく、俗悪な大衆に混ざることもできない。どっちつかず、中途半端な立ち位置にいる。むなしい。むなしすぎる。英雄にはなれず、平民にもなれない。では僕はいったいなんなのか。孤独である。我一人只此処有。平民を愚弄していた僕は、いつか上流の仲間入りするものだと思っていた。そして明確な壁にぶち当たり、これ以上先へ進めないことを知った。その先は全く別の言語が飛び交う未知の世界で、一線が引かれていた。その線を越えようと足を上げれば、線の位置は前に移動していた。簡単に越えられるものと勘違いしていた。向こう側の人は初めから向こう側にいた。あまりにも近く感じていたから、その線が一生越えられる類のものでないことになかなか気づかなかった。


単純な例で言うと、学力である。僕は小学生の頃塾へ通い、何も考えず夜遅くまで勉強していると、進学校の中学に入学した。中学にいた周りのクラスメイトは、3種類のパターンに分かれた。一つは小学生の頃のように黙々と勉強をするタイプ、もう一つはあまり勉強せずとも結果を残すタイプ、最後は入学してから勉強をやめてしまい落ちぶれるタイプ。僕がどれに当たるかは言うまでもない。小学生の頃は何も考えずに勉強していたが、中学に入った途端つまんないという感情が芽生え、やってられなくなった。よくあんな退屈なことを無意識に続けられていたもんだ。まるで奴隷か、機械のようだ。そうやって中学に入ってもいまだに黙々と勉強する人間を意思なき人形であるとバカにしていた。成績は最悪だった。しかし、勉強せずとも結果を出す層と、同じ勉強をしない者同士として仲が良かった。だから成績は最悪だという現実がなかなか腑に落ちなかった。自分はこっち側だと思っていた。真面目に取り組めば、学校の成績なんていつでも挽回できる。そう信じて疑わなかった。その間にも勉強せずとも結果を出す層は、やはり結果を出し続けていた。同じ勉強しない者同士でありながら、その差はどんどん広がっていった。黙々と勉強する層からもどんどん取り残されていった。もはや授業にもついていけない。


中高一貫校だったため、高校には自動的に進学できた。しかし高校において授業の難易度はさらに上がった。いまさら勉強を始めたところで、取り返しはつかない。こうなってくるとなおさら勉強しようなどという気は起こらなかった。高校に入っても勉強しない組と時間を過ごし、学校ではずっとマンガを読んでいるか寝て過ごしていた。目を覚ますと教室には誰もおらず、すべての授業が終わっており、教室の窓の向こうで夕日が沈みそうになっているのを目にすることが何度もあった。当然成績は悪かった。英語や現代文は小学校の頃の知識でやり過ごすこともできたが、古文や漢文、世界史、数学や物理化学といった中高の積み上げが必要になる科目に至っては、定期試験をほぼ白紙で提出することも多かった。このままでは進級できないということで、試験のあといつも課題が出た。それも僕は取り組まなかった。中学に入って以降は勉強した記憶がない。何故かそのまま3年まで進級したが、さすがに卒業できないのではないかと不安が募った。それでもやはり勉強をする気は起こらず、相変わらず学校では寝るかマンガを読んで過ごしていた。マンガは勉強しなくても結果を出す層が毎回全巻セットで持ち込んでおり、回し読みをしていた。学費は親が支払っていたが、親は成績表を見ても僕に対して何も言ってこなかったし、自宅で学校の話をすることはなかった。


最後まで不安はつきまとったが、そのまま高校を卒業した。あの高校は、入学させた者はたとえどんなに成績が悪くとも、課題を提出せずとも卒業させる方針だったらしい。そして何も勉強せずとも入れる大学を受け、春からは地元を離れ、大学生になった。中高の同級生たちは、そのほとんどが国公立の大学に進学していた。風のうわさでは、その後大学で研究職を続けている者や、研究職で有名企業に入った者、官僚になり外務省に入った者までいたらしい。彼らは中学に入っても勉強を続けていた層か、勉強せずとも結果を出す層だったか、いずれにせよ、同じ中高時代を過ごしながら一線の向こう側にいた人たちだった。俗物が混じっていたかもしれないが、それでもあらかじめ僕とは違う舞台が用意された存在だった。知性とは僕にとって、目の前にぶら下げられたニンジンであった。手を伸ばせばいつだって届きそうな気になる。現実は追いかけてもジャンプしても決して手が届くことはない。そうやってあきらめても、いつも目の前にぶらさがり視界にちらつく厄介な存在である。同級生たちは悠然とニンジンに手を伸ばし、日々の糧としていた。そういう差だけを見せつけられた中高生時代は、今思い返すと暗黒の時代だった。


大学に入ると、ニンジンをぶら下げるやからさえ見かけなくなった。中高にいたような選ばれし者は皆無で、ただ就職を遅らせるためだけに入学したどうしようもない人間ばかりが集まる場だった。僕自身もその一人であったことは言うまでもない。中高時代とは違い、今度は俗悪の中に放り込まれた。たとえ目の前にニンジンがぶら下がっていようとも、彼らがそのニンジンを見たことも聞いたこともないとしても、優越感などはまるでない。ただ俗悪の中では会話ができるものもおらず、常に一人で過ごしていた。一人で過ごすことが許される開かれた環境であったと同時に、向こうから誰かが自動的に関わってくることもない。人間関係を築くには自らの積極性が必須条件となる。大学とはそういう場所だった。そして中高の頃よりもさらに孤独に陥った。他人の目線が気になるようなこともなく、講義の合間はいつも図書館で雑誌を読むか、ネットで時間を潰し、食事は売店で買ったものを次の講義がある教室で食べていた。大学生活において気が楽だったのは、周りとの差を意識しなくて良くなったことと、勉強の心配を抱える必要がなくなったことだけだった。


孤独による不安は感じなかった。しかし、あまりにも長い時間をたった一人で過ごすのは退屈で仕方がなかった。暇を紛らわすために、人と関わろうとした。大学構内に知り合いはいないから、手軽なところで誰かと知り合うのに都合がいいネットを頼ることにした。ネット上には一人が寂しくていてもたってもいられない人であふれており、近場の人に会う機会は簡単に作れた。場所を指定して「今から来れる人」と呼びかけると、いつも誰かが来た。もしくは呼びかけている場所に行くこともあった。そうやって名前も顔も知らない人と会い、無駄な時間を過ごしていた。


あるとき呼びかけに応じて来たのは、若い女の子だった。待ち合わせ場所に行くと、シャツにスカートに革靴という学生服姿で、派手な原色のキャリーバッグを引いている。僕はそれを指差し、


「荷物多くない?」と訊ねた。


「お姉ちゃんちに泊まりに行く」

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