フォートレスト

ゆうけん

叙事詩 序幕


「月が綺麗ですね」

 めすは月光に照らされた池を見つめ口を開いた。

 隣に居たおすは映る月を見る。

 小魚の軌跡きせきが波紋を浮かせ、月をかすかに滲ませた。

「あぁ。水面みなもの月は幻想的だ」

 二匹は遥か上空にある月に向かって遠吠えをする。

 鳴き声は山々の大地を震わせ、木々に静寂さを加えた。

 この土地にまだ人間は居ない。

 フォートレストと呼ばれる場所も、まだなかった。



―――



 山林を走り抜ける女がいた。黒いフードを被りローブをなびかせる。木々の隙間から差し込む月灯りだけが頼りだった。


 失敗した。きっと邪念が入ったに違いない。集中して念じたのに上手くいかなかったことに、腹は立つが致し方あるまい。冷静に考えれば召喚魔法なんて初めてだったし、成功に失敗は付き物だ。


 全力で走るなんて、いつ以来だろうか。細い脚が痛みを覚え始めた。ずいぶんと呼吸も荒くなってきたのが分かる。召喚に失敗した代償から、ひたすら逃げる私は体力の限界を感じた。失敗作の魔物は、まだ追いかけて来ているだろう。後方から木々を薙ぎ倒す音が、今も聞こえる。


「くそッ! いい加減にしろッ!」

 走るのに疲れ果てた私は、魔物を倒してやろうと自棄やけになり、振り返り構えた。数秒して失敗作が現われる。土人形に草木がまちまちに生え、頭と思われる部分には眼球が剥き出しになった物が十数個付いていた。脅威なのは大きさである。三メートル程の体格は、樹木を簡単に薙ぎ倒す腕力を有していた。

 私は土人形を凝視し念じる。


 (風の精霊。私の声を聞いてくれ)


 緩やかな風が彼女を覆う。風がフードをゆっくりめくると、真っ直ぐな黒髪があらわになった。その腰下まであろう長髪も、彼女がまとう風でなびいていた。

 土人形は一度立ち止ったが、私の姿を確認すると勢いよく突進してきた。


 (精霊達。風をやいばとし切り刻め。さすれば血を少し分けてやる)


 土人形を指差した。身体の周りにいた風が一気に指先に集まり、目標に飛んで行く。真空の刃は目視できる程はっきりと空間を切り裂いた。まるで火薬が引火したと思わせる爆音が、その風から鳴り響く。身の丈三メートルの標的に真っ直ぐ向かい直撃した。失敗作は跡形もなく砂となる。


 私は膝に手を付き、荒い呼吸を整えようと努力した。次の瞬間、視界がぼやける。あ、これは精霊に血を持っていかれているな。そう意識した時、膝から崩れ落ちる。草の香りがした。大地に耳を当て、虫の音色だけが世界を支配している錯覚に陥っていた。


 まどろむ意識の中、草を踏みしめ近付く音に気付いた。これは人間の足音に違いないと思うが、もう身体はいうことをきかない。こんな辺境の地に誰が居たのだろう。召喚の儀式をするにあたって、誰にも迷惑は掛けたくなかった。ここは人里から遠く離れた場所。まさか盗賊や山賊のたぐいか。


「精霊が騒がしいと思ったが……。これは凄い惨状ではないか」

 私の知らない声が聞こえた。男の声。精霊の気配が分かるのか。これは魔法使いか魔道士だろうな。とりあえずは助かった。


「ふむ。ここに美女が倒れて居る。それを状況に足して考えると、彼女が精霊を呼び出したに相違ない。それらしい持ち物はない。つまり、魔具を使用しないで精霊を呼び出したということか。そうか、この美女は魔法使いの可能性が非常に高い。いや、これは確実に魔法使いだ」

 男性の生き生きとした声を聞いて思った。


 こいつ変な奴だ。私の意識はそこで切れた。




 目が覚めたのはテントのように、簡易な作りをした場所だった。身体を起こし、周囲を見渡す。生活が出来る程度の雑用品、かごには果物やパン等の食料、そして山積みになった本。私の注意を引いたのは魔具まぐだ。文字の通り「魔法の道具」なのだが、見たことのない仕様だ。大抵は杖や棒切れ程度の大きさで、魔術文字がびっしりと書き込まれている。


 しかし、そこに在る杖は初めて目にする造形であった。先端に拳ぐらいの水晶球が付けられていて、球体の内部に魔術文字が大量に漂って見えた。


「おはよう。目覚めは如何かな?」

 聞いたことのある声。そう、あの変な奴だ。私は声の主に顔を向けた。もじゃもじゃな長髪を一つに束ねた髪型。喪服を連想させる上から下まで黒い服装。裏地には魔術文字が白抜きで刻まれているのが見えた。年齢は三十代かもしれない。身長は高めで、すらっとした印象を受けた。彼は口元だけ軽く引き上げ、少し笑った。そして、杖の先端を私に差し出した。


「身体の調子を見てみたい。杖の水晶に手を置きたまえ」


 とりあえず警戒した。手を引っ込めて、状況の説明を催促した。

「貴方は誰? それにここはどこ?」


彼は杖を胸元に寄せて、紳士的な態度を示した。

「これは失礼。お嬢さん。私はヨーゼフ・クレイトン・フランクリン。見てのとおり魔道士だ。ここはベルガモフ帝国から遥か西方に位置し、コスターニャ王国から遠く東の場所。名も無きフォレストだ。君が倒れていた処から、さほど離れては居ない」


「魔道士か……」

 私は小さく呟いた。


「やはり魔道士はお嫌いですか。魔法使い……いや、魔女と言う方が正しいか」

「あ、いや。別に嫌いなわけじゃないし、その……助けてくれてありがとう」


 彼は何か誤解をしているようだ。魔法使いと魔道士は仲が悪いと、もっぱら言われているが実際はそんな事はない。そもそも私達、魔法使いは多くは存在しないのだ。並みの人生を歩んでいれば出会う事はありえない。魔道の世界に身を置いていても、一度会えれば運が良いと言われる。それほど希少な存在だ。


「貴方は魔力を使い過ぎて倒れたと考えられる。一応、身体の状態を確認しておいた方が良い。どうぞ、杖の水晶を触ってくれるだけで良い」


「私はアリステラ。アリスと呼んでくれて構わない。介抱してもらったことは感謝するが、自分の状態は自分でわかる。遠慮させてもらおう」


 冷たい口調で言ったつもりだ。だが彼はあまり気にする素振りもなく、温かい飲み物を出してくれた。大抵の魔道士は興味津々な態度を取り続けるものだ。それが面倒臭くなり、魔道関係の者とは距離を置いていた。


「さて、私は早朝には移動するが……アリスはどうする?」


 実は体調は万全ではない。血を使い過ぎたとは思わないのだが、身体がだるく重いのだ。召喚魔法を試しに使ったのと、その後すぐに精霊魔法を使用した影響か。以前は半日のうちに、あらゆる種類の魔法を使ったこともある。たった二つの魔法をつむいだだけで体調をおかしくするなんて初めてだった。


「正直言うと、もう少しゆっくりしたい」

「そうか。わかった。気が済むまでゆっくりすると良い。それまで私はここにいよう」


 彼は即答した。やはり、こいつは変な奴だ。

 私の予感は的中していた。魔道士なのに詮索をするわけでもなく、本ばかり読んでいる。世間話はするが魔法関連の話をすることはなかった。


 また、このテントは特殊な魔術が仕込まれている事に気付いた。テントの模様は恐らく結界の類だろう。私は魔法使いなので魔術文字は必要なく、読み書きすることは出来ない。何故、それが結界だと思ったか。それは簡単な話である。警戒心が異常なまでに強い動物が、すぐ近くまで来るのだ。例えば「ノナ」である。この動物は姿を見ることが非常に難しい生き物だ。私は姿、気配を消す魔法「エア・ダークネスボディ」を使用して、初めてノナを確認することが出来る程の珍しい生き物だ。


 ノナとは、困った顔をした猫のような生き物で、三角形で構成された外見は神秘的で世界の傑作と言われている。あと、エア・ダークネスボディとは、私の創作魔法だ。ネーミングセンスは気にしないでほしい。風の精霊と闇の精霊を誘惑するのに苦労した魔法なのだ。あいつ等と来たら、風の精霊は闇を認識しないし、闇の連中も風のことを有っても無くても関係ないと言う態度をとるので本当に苦労した。


「アリス。何か食べたい物はあるか?」

 思考を断ち切るヨーゼフの言葉が耳に入った。私は慌てて、考えるフリをした。考えなくても答えは出ていた。甘い物が食べたい! しかし、ここは「希少価値の高い魔法使い様」だと言う威厳を見せなくてはいけない。

 

 どうしようもない、アホらしい態度を後々のちのち反省する。落ち着いて考えれば、彼は魔法使いを特別扱いしない。それは数日過ごしただけで明白だ。私は……普通の人間と接することが出来なくなっているのでは? と考えさせられる出来事でもある。甘味を所望したのは更に数日後になってからの話だ。



 ある時、ヨーゼフがどんな本を読んでいるのか気になりたずねた。様々な内容であった。食材の本から料理レシピの本、生物を研究した本、鉱石、地脈に関する本。制度や法律の本。英雄や伝説などの本、中には人の交尾を詳細に書いた本。ありとあらゆる本を彼は読んでいた。


 一つ疑問が浮かび彼に聞いた。何故、ヨーゼフは料理が上手なのか。彼の料理は絶品であった。材料は周辺の森から、近くを流れる川などで調達する。キノコを採ったり、魚を獲ったりと器用に食材を用意する。私の作る料理とは比べ物にならない程の美味い物を作り上げるのだ。素材の持ち味を最高に引き出した、数々の料理は私を魅了した。私も料理の本は一通り読んだ。手順、材料の選別、何一つヨーゼフと変わりないはずなのだ。


「どれ。今晩の夕飯はアリスに作ってもらおうか。材料は私が用意しよう」


 会話の流れから拒否することも出来ず、夕飯を披露する事態になる。誤解を避ける為、ここに明言しておこう。私はメシマズな料理はしない。それなりの料理が作れるのだ。しかし、私はヨーゼフの作り出す料理には敵わないと思ったのだ。実際に、彼が食した後の感想はこうだ。


「実に美味しい夕飯であった。感謝しよう。アリスが私の料理と比べ、出来栄えに差を感じるのであれば。それは経験の差程度のものであろう。例えば、彩りである。赤、緑、黄。そして黒と白。茶色も忘れてはならない。これら色のバランスが非常に大事なのだ。赤は肉や果実、野菜。緑は植物全般から。黄は卵や植物系の食材。白はどの食材からも工夫できるし、黒は熱を通すことで表現できる。気を付ける点として、色は混ざれば混ざる程、茶色を経て黒に近付く。鮮やかな見栄えを目標とすることで、アリスの料理は更に進化するだろう」


 彼の言う通りだ。たしかに、私の料理は全体的に茶色い。味は問題ないが色彩が美味さと関係しているとは恐れ入った。


 他にも色々と尋ねた。魔術文字の事、杖の水晶球に漂う魔術文字。何故、こんな辺境の地に居るのか。本当に色々なことを尋ね、彼は迷いなく即答した。


 魔術文字に関しては、解からない事が多すぎた。杖は彼が精霊を呼び出す魔具と言うことまでは解かった。辺境の地に結界テントを使用している理由が、のんびり本を読みたいと思ったからだそうだ。その返答を聞いた時、ある思考がぎった。


(私は彼の邪魔をしていたのではないか……)


 馬鹿だ。なんて私は馬鹿なんだ。彼は体調を気遣って、そばに居てくれただけなのに。魔法使いだからと言って、特別扱いしていないと理解していたのに。何故、気付けなかったのだろう。


 思い返せば、彼の事ばかり聞いていた。対照的に彼は、私の事情を尋ねなかった。


「すまない……」

 もう、こんな情けない言葉しか出なかった。


「……明日の朝、私はここを出ようと思う」

 違和感が残る身体のことなど、頭から消えていた。


 青白い月光とき木の赤々とした光が二人を包んでいた。ヨーゼフは少し考えるように顎に拳を付ける。くべた薪や枯れ木が小さく弾ける、静寂な時間が流れた。

「よろしい。アリスの気持ちはわかった。しかし、出発前に君の体調を確認したい」

 彼はそう言って杖の先をゆっくり差し出した。水晶球は相変らず魔術文字がうごめいていた。私は溜息をつきながら、それに触った。


 その瞬間だ。水晶球の中にあった文字が長い列になり、球体の中で回った。十数本もの文字列は、球体に閉じ込められた龍のように動き回る。その内の三本の文字列は赤みがかった色に変化した。彼はその文字列を読んでいるようだ。


「何かわかった?」

「ふむ。どうやら妊娠しているようだ」

 驚くことなく、平然と彼は言った。


 目が点になる私。何を馬鹿げたことを言っている。私は純潔なのだぞ。率直に訴えると、ヨーゼフは指を立て説明し始めた。


「魔女は雄を必要としない。単身で子孫を残すことが出来るのだ」

 私は絶句した。そんな事は初めて聞いた。ほぼ白目を剥いている私を無視し彼は続けた。


「君達、魔法使いを生命体として分類するならば、精霊や妖精、もしくは神々に近い存在だ。いや、もしかしたら、それらをも凌駕りょうがする存在かもしれない。本来、人間がまじわれない精霊と、心を通わすことが出来る。しかも、会話をする程度の感覚でだ。今、上空に位置している月の声。この大地の声。ガイアと言われる星の声。君達はこの世界すべてに干渉することが出来るのだ。それも軽く意識するだけでね」


「ちょ、ちょっと! 月や星となんて会話したことないよ! それにしようなんて考えたこともない。それに、それが私の妊娠と関係はないでしょう!」

 私は血相を変えて、くし立てた。


「それが関係あるのだ。精霊や妖精の力を借りているうちに、アリスの身体の中に彼等の魂が少しづつ積もっていく。恐らく途方も無い年月が掛かっただろう。アリスは外見情報だけを見れば、二十歳そこそこ。しかし、精霊達が残していった魂を逆算すれば、百年、いや二百年は生きているだろう」

 ヨーゼフは生き生きと、水晶の文字列を見ながら話した。


「えっと……。そうだな……。正直言うと、特定の人間とも関わっていなかったし、社会情勢とは無縁な生き方をしてきた。どれだけの歳月が過ぎているかなんて気にしなかったから、自分の歳なんてわからない……」


「だろうな。そんな気はしていた。作る料理は大雑把。独りで食事をすることに慣れている為、彩りなど見た目に興味がなかったのだろう」


 そうか。彼からすれば、私に質問する必要なんてなかったのか。私の言動、行動を観察するだけで十分だったのか。


 彼の説明は私の古い記憶と合致がっちした。母は知っているが父の存在は知らないのだ。単に母が話したがらないと思っていたが、必ずしもそういうわけでもないのか。母はどこで何をしているのだろう。今も遠くの地で、のんびりと暮しているのだろうか。何故か寂しいとは思わなかったし、会わなければならない、とは思わなかった。もし、子供が生まれたら顔ぐらい見せてやらないと、と思う程度に楽観している。

 妊娠していると聞かされた時は驚いた。それは意味が解からず、混乱していただけなのであろう。精霊達の命で生まれる子供か、不思議と不安はなかった。むしろ素敵じゃないか。精霊達は私にとって最も近しい友人。いや、親友なのだ。人生を共に歩んできた存在。完全に冷静さを取り戻した私は言った。


「ヨーゼフ。私は子供を宿す経験はないのでな……」


 私は少し考えた後に続ける。

「是非、付き合ってもらえないだろうか」


 彼は水晶球から目を離し、こちらを見て返答した。

「光栄だ。魔女の出産に立ち会えるとは、実に光栄の極みだ。私で良かったら力になろう」


 私は彼に微笑みかけた。内心は笑っていない。

「立ち会える? 何を言っている。ヨーゼフ。お前は、この子の父親になるのだよ」


 私は彼の表情を見る事なく、中空を見上げた。


「魔法使いの父親が魔道士とは傑作だな。ふむ。私のことを世間の人間は大魔道士と呼ぶ。あながち、それも間違ってはいなかったようだな。私が魔道を志したのは平和でも救済の為でもない。世間の人間達は私の叡智えいちに頼り、社会の安寧あんねいを期待しているようだが、それは違う。私が欲しているのは探求であり、世界の心理なのだ」


 調子の良い声色で話すヨーゼフ。私は空に浮かぶ満月を見ながら言った。


「ごちゃごちゃ五月蠅い。見ろ、月が綺麗だぞ」


 彼も空を見上げた。


「あぁ、とても綺麗だ。とても神秘的だ」


 遥か遠くで狼の遠吠えが、微かに聞こえた。静まり返る世界の中で、焚き木がかなでる音色と、つがいの遠吠えが響く。


「アリス。月はなんと言っている?」

「私達を祝福しているらしい」


「本当にそうなのか?」

「ふふ、変な奴。……そうだ。この子の名前はジョゼにしよう」




――叙事詩 序幕 フォレスト 完

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