第二十二話 一難去ってまた一難ってよく考えると普通のこと

「それで、こいつはこんな怪我していると。ヒアイとヒイロちゃんもまだどこに居るかわからないと」

「す、すいません…」

「いや、別に謝って欲しいわけじゃないんだけど」

普段の凛とした力強い声が嘘のような、今にも消えてしまいそうな声だ

思うこともあるし、言いたいこともあるが、これ以上何かを言うのは流石に止したほうがいいな。思い詰めて自殺でもしそうな勢いだ

てか、彼女たちは、特にハズキちゃんは、奴が死にでもしたら後を追って自殺でもしそうな危うさがある。流石にそこまで重い愛は、羨ましいとは思えないな

「別に責めているわけじゃないし、その場にいなかった僕がどうこう言う権利もない。ただ確認したいんだけど、こいつこのままで大丈夫なの」

ソファに寝かされている奴を一瞥した。出血は止まっているように見えるが、顔色はまだ良くない。このまま死んでもおかしくはないだろう

「止血はしています。こんな大きな怪我は初めてでしたが、怪我の手当はカズヒトさんから色々詳しく教わっていたので。人工呼吸も施し、息も何とかしています」

「へー、愛しのこいつとキスをしたんだ。よかったね」

「リョウガ君」

ホシロさんに短く名前を呼ばれた。それだけだが、なんとも言えない圧を感じる

きっと今のが、ホシロさんなりの怒りの表れなのだろう。茶化した僕に対するのはもちろんだが、きっとその矛先は、別の方向にも向いているんだろうな

「だけど、この大怪我だし、病院にでも連れていったほうがいいんじゃない」

「この大怪我だからです。大怪我が過ぎる患者は診てもらえません、手を施したところで死ぬからです」

そりゃまぁ、ビジネス面や評判と言った方面から見ても、死にかけの患者なんて来てほしくないな

「たらい回しにされて負担をかけるより、ここで安静にさせた方がいいはずです」

「ふーん、まぁ僕に専門の知識はないから、ハズキちゃんの意見に従うけど」

僕はそう言って、奴の首に手を当てた。今なら簡単に首を落とせるぜ、ではなく、脈を確認するためだ。流石に、脈云々は推理物のドラマやアニメを見ていればわかる。脈が弱ければ弱っているし、はっきりと分かれば問題ない、くらいは分かっているつもりだ

ドクンッドクンッ

はっきりとは聞こえないが、生きてはいるようだ。それに首に触れてわかったが、じんわりと汗が滲んでいる。これからどうなっていくかはわからないが、少なくとも、実は死体の世話をしていました、みたいな展開ってことはない

「じゃあ、僕はまたちょっと出かけてくるよ」

「ちょ、ちょっとどこ行くつもりですか。カズヒトさんが、家族が、お父様が倒れているのですよ、心配じゃないんですか」

「じゃあ聞くけど、ヒアイとヒイロちゃんは心配じゃないの?誰が言っていたかはよく覚えてないけど、家族なんでしょ」

「論点をずらさないでください、私はあなたの行動に物申しているんです。私は幼いころに売られたので、家族というものを、親子というものを、語ることのできるほど知っているわけではありません。ですが、お父様が倒れているのに、親が倒れているのに、子供がそばにいないのが間違っていることくらいは、知っているつもりです」

「ふーん、僕には理解できないな。じゃあハズキちゃんは、自分のことを売ったご両親が、倒れたって知らせを受けたら、そっちに駆け付けるんだ。義理堅いことで」

「…ッ、私の親はカズヒトさんです」

「苦しい言い訳だね。だったら僕の親はこいつじゃないよ」

僕の、親と呼べる人間は、母さんだけだ

「あのー、盛り上がっているところ悪いんだけどぉちょっといいかなぁ」

泣きじゃくっていて、若干蚊帳の外になりつつあったホシロさんが、口では申し訳なさそうにしているが、ピンッ、ときれいに腕を上に伸ばした

「リョウガ君はもっと素直になったほうがいいと思うよぉ」

目元を真っ赤にしているが、その瞳ははっきりと僕を捉えている。おっとりとしたたれ目でも、まっすぐ向けられると、目を逸らしてしまいそうになるな

「十分素直な、爽やか青年だと思うんですけどね」

ホシロさんまで僕にこいつの側に居ろというのか、そう思ったが違った

「リョウガ君のカズヒトさんに対する思いは置いといてぇ、素直になるのは私たちにだよー」

「ど、どういうことですかホシロさん」

バツが悪そうに顔を逸らす僕、そして、ホシロさんが言いたいことが分からず、おろおろするハズキちゃん。いやいやハズキちゃん、さっきの話を聞いてても思ったけど、突然のことに弱いよね

「心配なんだよねー、ヒアイちゃんとヒイロちゃんのことがー。最初っからそういえば無駄な言い争いをしなくてよかったのにねー」

ありゃあ、バレてたか。理由も語らずに、緊急時にいなくなり、一人で問題を解決する、そんな渋いヒーローみたいになりたかったんだけどな。いやはや残念残念

…自分の気持ちを茶化してみたが、空しいだけだな。本音のところは、いや、僕自身何が本音なのかわからなくなってきているが、本音らしき気持ちでは、素直に言ったら普通に止められると思ったし、何より、こいつが守ろうとした四人の少女を僕が代わりに守るのは、なんか嫌だと思った、こいつの代わりって思われるのが嫌だった。だからと言って、短い付き合いだが、ヒアイとヒイロちゃんを、行方不明のままにしておくのも忍びない

「そうなん、ですか」

「さぁ、どうだろうね。少なくとも、僕がここにいてできることは無い、こいつの看病とかごめんだからね」

「…なら私が行きます。看病をしてください、なんて言いません、側にいてあげてください」

「ハズキちゃんは奴さんに顔を覚えられているから警戒されていると思うよ。それに、こいつを刺した相手と、まともに会話できるの」

漫画みたいに戦いに行くわけではない、その異空間を操る神様と交渉して、二人の身柄を保護しなければならないのだ

「こいつほどの安心感はないだろうし、こいつの代わりになるつもりはないけど、僕に任せてみてはくれないか。神様との交渉を」

できるだけ安心させるよう、柔和な、何処か余裕のある笑みを浮かべた

「…正直なこと言ってもいいですか」

「もちろん。一度みんなとは腹を割って話したいと思っていたからね」

ありがとうございます、とお礼を言われた後、ハズキちゃんはキッと僕のことを睨んだ

「私はリョウガさんのことが嫌いです。平気な顔をして人の気落ちを踏みにじり、人はみんな計算で、損益で動くと思っていて、私のことをちゃん付で呼んできます、そしてなにより、私たちの大好きなカズヒトさんのことが嫌いな、あなたが嫌いでした」

おやおや、こんな美少女に嫌われるとは、主人公としてどこで選択肢を間違えたんだろうね、セーブ地点まで戻さないとな

まぁ冗談は置いといて、なんとなくそんな気はしていた。この屋敷に住む四人の少女たちから、あまり好意的に見られていないのは、なんとなくわかっていた。こう見えて、人のそういう想いの籠った視線には敏感なのだ

「あなたは自覚するべきです、当たり前の顔をして嫌いと吐いているこの人が、どれだけ代えがたい人なのか。父親に愛されるのがどれだけ幸せなことなのか、リョウガさんは自覚するべきなのです」

「…知っているよ、そんなこと」

こいつが僕をどれだけ愛してくれているのか、僕にとってこいつがどれだけ大切なのか。そんなものは、生まれたその日から知っているよ。もちろん、父親のいない寂しさ、苦しさだって知っている

「知っているのですか。なら、カズヒトさんからの愛に逃げないでください」

こいつからの愛に、僕が逃げているの?

「そんなことは、無いと思うんだけどな。もしかして、いつまでたってもこいつと和解できてないことを言っているの」

そう言えば、ちゃんと口に出して言った覚えはなかったな、ここは一つはっきり言ったほうがいいのかな

「僕とこいつの関係に、横から知ったような口を出さないでほしいんだけどな。それに喧嘩している人たちを、横から無理矢理仲直りさせるのがいいことだとは思えないんだけど。気が済むまで喧嘩させるのだって…」

一つのコミュニケーションだと思うよ、そう続けようとしたが、ハズキちゃんの言葉にかぶされた

「そうじゃありません。確かにリョウガさんのことはあまり知りません。私はあなたではないのですから当たり前です。ですが、あなたが無理にカズヒトさんと喧嘩をしようとしていることくらいは分かります」

無理にこいつと喧嘩、ね。間違ってはないな

「初めて会った時から、なんとなくそうなんじゃないかと思っていましたが、リョウガさん、実はカズヒトさんのこと好きですよね」

「…いやいやいや、流石にそんなことは無いよ、あいつのこと普通に嫌いだし。そういう、自分が好きなものが、他の人も好きって考え方はどうかと思うよ」

確かに、こいつの事情、こいつの思いを聞いて、僕は一方的にこいつを憎みにくくなっている。無理やり理由をつけて憎み、苛立ち、喧嘩をしている

だけど、そうでもしないと僕の気が収まらないのだ。これで収まってしまったら、僕は自分の中にある大切な根みたいなもの、根幹を失くしてしまう、自分の中の価値がなくなってしまう。使い古された言い方をすると、自分が自分じゃなくなる

「いい加減に向き合ってください、正面から愛されてください、その愛にちゃんと応えてください。でなければ、カズヒトさんが可哀想です」

可哀想、か。こいつのことを可哀想に思うやつがいるなんて、なんだか新鮮だな。こいつと、まだちゃんとした家族だった時も、こいつに可哀想なんて思ったことなかったな

僕は少し目を閉じて

「わかった、今回のいざこざが片付いたら、こいつと、いや、六人で話し合おう。お互いの主張や意見、想いをちゃんとぶつけ合おう。そうじゃないと、こいつが可哀想だしね」

ハズキちゃんの言った言葉を、なんとなく使ってみたが、やっぱりしっくりこない

まぁ僕がしっくり来ようと来まいと、ハズキちゃんさえ納得してくれればそれでいい。しばしの沈黙の後、喧嘩腰の敵意の籠った目から、普段の力強く凛とした表情に戻った

これが今まで、営業的なものだったと思うと、なんだかなぁ

「約束ですよ」

スッと小指を出してきた。一瞬何なのかわからなかったが、どうやら指切りげんまんらしい。こいつ、こんなしょうもないことまで広めていたのか

僕はハズキちゃんの小指に、自分の小指を絡ませて、何度か手を上下させた

「…じゃあそういうわけで、僕は行ってくるよ。ちゃんとヒアイとヒイロちゃんを連れ戻してくる」

「うんー、カズヒトさんのことは私たちに任せてねぇ」

ホシロさんが、涙が止まっている顔で見送ろうとした。その時、まるで狙いすましたかのようなタイミングで

「待って、ください」

ソファから声がした。勿論奴である

「はぁはぁ、ハズキさんとも、楽しくお話したんです。私とも、少しお話しましょうよ」

「「カズヒトさん」」

同時に駆け寄った

「おはよう、思ったより早いお目覚めで」

「えぇ、久しぶりに、ゆっくりしすぎましたね。はぁはぁ」

だらだらと脂汗を出しながら、それでも普段通りの笑みを浮かべようとしている

「カズヒトさん、目が覚めたんですね。良かった、生きていて本当に良かった」

さっきまで悲しみの涙を浮かべていた二人だが、安堵の息と同時に、数滴の涙を零した

僕は玄関に向けていた体を半回転させ、つかつかとソファに近づいた

「気分はどう」

「えぇ、あまりよろしくは、無いですね。おなか痛い…」

アハハ、と苦しそうに笑った

「あまり喋らない方が良いんじゃないですかー」

「そうですよ、汗もすごいですし。今拭きますね」

「汗は、後で拭きます。それよりも…」

奴は痛みに顔をゆがめながら、それでも口元に笑みを作り、上半身を起き上がらせた。男の上半身裸、怪我人とはいえ、見ていて気分のいいものではないな

「行くらしいですね…」

「どこから聞いてたんだよ。狙いすましたかのようなタイミングで声かけてきて」

「耳元で、あんなふうに喋られてたら、誰だって起きますよ…ハズキさんの本音、聞けて嬉しかったです」

聞かれていないと思っていたため、ハズキちゃんは、手を顔の前でふりながら

「違うんです、リョウガさんのことを嫌いと言ったのは、その、叱咤激励の意味合いがあって、別に本気で嫌っているわけでは」

「本心でも、構いませんよ、それより。凌雅、森へ行ってはいけません」

「…ヒアイとヒイロちゃんを見捨てろって言っているの」

驚いたなぁ

こいつが僕を止めたことが、じゃない。僕が思いの外に、こいつに対して失望していることに驚いた。こいつはこんなこと言うような奴じゃない、そう言う信頼が僕の中にもあったとは

「そうじゃ、ありません。私が、何とかすると言っているのです」

「その体でねぇ。じゃあ、お任せしちゃおうかな」

やれるものならやってみろ、暗にそう言った

「ええ、任せてください。とっておきの、秘策があるんです」

なさそうだなぁ。そんな脂汗だらだらの、苦痛を耐えながら無理して笑っている人にも実行可能な、二人を救出する秘策、なさそうだなぁ

その秘策について掘り下げてもいいのだが、錆びた螺子しか出てこなさそうだなぁ

「駄目です、そんな体で動いては。今は安静にしておいてください」

「今度こそー、死んじゃうかもしれないよぉ」

僕が反論する前に、当たり前の反応が奴を止めた

先ほどハズキちゃんあ僕のことを、人の思いを平気で踏みにじる、と称したが、こいつも十分踏みにじっているよな。現に今も、心配する二人の頭を撫でて

「いえ、凌雅の言う通りです。ヒアイさんと、ヒイロさんがいないんです、心配で、安静になんか、していられません」

と、二人の気持ちを見ないふりをし、体の良い言い訳で意地を張る

あれ、僕の言う通りってことは、結構早い段階で目を覚ましていたのかよ。起きたんなら声かけろよ

「大人はもう少し聞き分けの良い生き物だと思っていたんだけど。もう少し、相手のことを考えられる分類だと思っていたけど、案外そうでもないんだね」

「子供に、可哀想、なんて称されて、寝ていられるほど、父親の、プライドは、安くありません。家族の安否が、わからないまま、大人でいられるほど、大人は、安くありません」

本当は今にも倒れそうなくらいの痛みがあるのだろうけど、それでもかっこつけたように、安心させるかのように、かっこつけて笑った

「私に、大人で、父親で、いさせてください」

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