第十話 古本屋ではどんな値段のものでも状態が悪く見える

「なんなのあの女」

商店街で、周りの視線を集めるほどの声が響いた。なんなのあの女、は周りの人のセリフだろうに

「色仕掛けでカズヒトさんを誘惑するなんて、歳を考えろよ」

「口が悪いよお姉ちゃん。ビロードさんは確か三十くらいでしょ」

「いや、三十はいい歳でしょ」

「僕は普通にありだと思うんだけどな。大人の色気」

「思いっきり鼻の下を伸ばしてたもんね」

それを言うな。僕のクールなキャラが崩れるだろ

「リョウガさんがそう仰られると、遺伝子的に近い存在であるカズヒトさんも、そうなんじゃないかと思えてきますね」

「大丈夫だよぉ、男の人はみんなおっぱいが大好きで、若い女の子が大好きなんだよ。つまり若くておっぱいがある私たちの方が強いよぉ」

道の真ん中で変なこと口走るのはやめてもらいたい。いや、僕も人のことは言えないけど

「それでもムカつく、あの女にもムカつくし、満更でもないカズヒトさんにもムカつく、ついでに鼻の下伸ばしてたリョウガにもムカつく」

「理不尽な」

「だって昨日私の下着姿覗いたとき、あんなだらしのない顔してなかったもん、かなり淡々としていたもん。女として負けたみたいじゃん」

「負けたってことじゃないの」

ヒアイをばっさり切り捨てると、他の三人から妙な視線を感じる

「え、何、なんなのこの空気」

「リョウガさん、お姉ちゃんの下着姿覗いたの」

ごみを見る目をしてらっしゃる

「いくらヒアイちゃんが可愛いからって、覗きはダメだよぉ」

「覗いたっていうか、扉を開けたら目に入ったっていうか。大丈夫、見ただけで特に何もしてない」

「してたら問題ですよ。大方屋敷の中を見て回っているとき、偶然下着姿のヒアイを見たのでしょ。ヒアイ、これからはカズヒトさん以外の男性と暮らすんだから気をつけなさい」

「理解が早くて助かるよ」

でもその、初めてハズキちゃんと呼んだ時の、何か言いたげな目はなんなの

「うー、私は下着姿見られたのに、なんでハズキから小言を言われなきゃならないのよ」

ぶーたれているヒアイは、ぶつぶつと聞き取りにくい文句を言いながら歩調を速め、僕たちの前にだた。やがて、バッといきなり振り向き、僕たちの来た道、主に先ほどのお菓子屋さんの方を睨んで声を上げた

「それもこれも、カズヒトさんを誘惑する魔性の女と、デレデレとしているカズヒトさんが悪い。ハズキ、今日は夕飯にカズヒトさんの苦手なものをたくさん出してよね」

可愛い仕返しだ

「そんな小さい仕返しはしないわよ。それに、やるならあの三十路ババアにでしょ。私たちのカズヒトさんに色目を使ったんだから」

「三十路ババアって」

それにいつから君たちのものになったのさ

「失礼しました」

いけないいけない、と言わんばかりに口を隠しているが、全然隠せてない、というか昨日の時点でだいぶ表面に出っちゃっていると思うのだが

「もぉ、皆さん。いない人の話題で盛り上がるのは、良くも悪くも陰口ですよ」

「おぉ、流石は我が妹、器が広い、あんな悪女を庇うなんて。あんたも確か、カズヒトさんが好きだよね、異性として」

「悪女ってほどでもないでしょ。確かに少しムッて来たけど、カズヒトさんが信頼している方が、悪い人だとは思えないよ。好きな人を信頼するのは当たり前のこと」

一番年下なのに、三人と比べ対応が大人だ。大人というより、純粋って感じかな。羨ましい、一度はかわいい女の子に言われてみたいセリフだ、だけど

「だけど、ここまで綺麗なこと言われると、なんか一物抱えてそうに見えるな」

「んなっ」

「あぁ確かにぃ。私がヒアイちゃんくらいの頃はぁもっとすれてた気がしますねぇ」

「んななっ」

「ヒイロって昔からそういうところあるよね、良い子ちゃんというか、媚売るのが上手いというか」

「んなななっ」

「そう言われると、家事の手伝いをしてくれるのが、何かの計算のように思えてくるわね」

「もぉ、酷いです。私がそんな腹黒いことを考えるような人に見えますか、昨日会ったばかりのリョウガさんはともかく、皆さん、特にお姉ちゃんに言われるのは心外です」

先ほどビロードさんに挑発されたときに見せた、頬を染めて膨らませる、そんな可愛らしい動作で僕たちを威嚇してくる。可愛い通り越してあざといな、これは、少し目が潤んでいるところもポイント高い

「ごめんごめん、ちょっと言いすぎたよヒイロ。大丈夫、周りの人がなんて言おうと、お姉ちゃんはヒイロが綺麗な心の持ち主だってわかっているから」

「おねえちゃぁん」

優しく微笑みかけるヒアイの胸に、涙目になったヒイロちゃんは飛び込んだ

その抱擁は、まさに姉妹愛という形を体現しているようであった、カンドーテキダナー。ヒアイも一緒になってヒイロちゃんを揶揄っていたのに、なんで自分だけは妹のよき理解者である、みたいな雰囲気醸し出しているのだろう

歩きながら姉妹愛の茶番をするという極めて器用なことをしていると、台の上に書物がたくさん積んである店についた

「ここは、本屋かな」

「はい、本屋に行きたいと仰っていたので」

憶えていてくれたのか、どこに向かっているんだろうとは思っていたけど、これは助かる

積まれた本は、日本でいうところのワゴンセールの古本、一冊百円と言われても買わないくらいに状態はよくない

それを脇目に見ながら、薄暗い店内へと入っていく

「失礼なこと聞くけど、ここ本当にやっているの。商店街はだいぶ活発になっているけど、この店には僕たち以外人っ子一人いないよ。実は潰れてたり」

「…まぁその気持ちは分かりますけど」

ハズキちゃんは苦笑いで答えた

だが苦笑いも浮かべたくなるだろうに

普段は店員がいるであろうカウンターには誰もいないし、しばらくの間まともな掃除がされていないのか、大分空気が淀んでいる。変な虫がいそうで薄気味悪い

「嫌な言い方すると、もっとまともな本屋は無かったの」

「この町には、本屋はここだけです。もともと本屋自体の数は少ないので」

「そっちの世界のことは知らないけど、ここでは本は高価なもので、こういうところに並んでいる本は、大体がたくさんの人が読みまわしたものなのよ」

「お金持ちさんはぁ、お抱えの作家さんがいるからねぇ」

そりゃそうか、現代では当たり前のように紙だのインクだの印刷機だのあるけど、その中で一つでも手に入りにくくなると、本なんて簡単には出回らない

おそらく紙もインクも、ここでは高価なものだろうし、印刷機なんて存在すらしてない、全てが写本だろう。本は貴族の玩具って訳か

ゆっくり見て回りたいからと、一人で本の背表紙を眺めながら進んでいくと、他と比べてまだ綺麗な本が並んでいる本棚が目に留まった

「でもなぁ僕本を買うなら新品派なんだよなぁ。古本屋って、立ち読み屋って意味だと思ってたし」

日本で言えば一つの意見だろうが、ここで言ったらただの贅沢な我儘だ。パンがなければケーキを食べればいい、と言ったマリー・アントワネットの気持ちが分かる。人は自分の知っている世界の尺度でしか物を見ないし、それが当たり前だと思っている。このままだと僕も処刑されちゃうかもね

下らないこと考えながら、適当に本棚から一冊引き抜いた

表紙も中身もボロボロで、黄ばんだシミがたくさんついている

かすれた文字で『森を守る神様』と書いてある。題名から察するにおとぎ話のようなものかな

パラパラとめくった

「あ、その本小さい時お姉ちゃんと読みました。懐かしい」

店に入ると同時に、小走りで本を探しに行ったヒイロちゃんが、いつの間にか僕の隣で、本をのぞき込んでいた

「へぇ、どんな話なの」

「この国に伝わる有名な神話を、子供でも楽しめるようにしたものです。神樹の根元に住む神様が、貧困に苦しむ人々を救うために、異界の地から英雄を連れてくるんです。その英雄は知略に優れていて、様々なアイディアで人々を助けていき、ついに世界一豊かな国になりました」

その英雄とやらはよっぽど有能だったんだな。てか、なーんかに似てないかな、その話

「国を世界一豊かにした英雄は、やがて更なる豊かさを求めて次々に森や荒れ地を開拓していきます、神様のいる森も開拓する対象でした、たくさんの人が阻止しようとしましたが、聞く耳を持たずに…」

「なるほど、それで森を守る神様か」

僕はヒイロちゃんの話を途中で止め、本を閉じた

オチはもうなんとなくわかった

「…カズヒトさんは大丈夫ですよ」

「え、え、な、なんで今あいつの名前が出てきたの」

フフッと笑っただけで、僕の質問には答えない

「カズヒトさんはその本の英雄のようにはなりませんよ」

「だからなんであいつの名前が出てくるの。こんなのよくある話でしょ」

確かに成り行きはちょっと似ているなぁとは思ったけど、所詮は物語、豊かさは人を変える、的な教訓がある話でしょ

そんな話、掃いて捨てるほどあるよ。シチュエーションが似ているからって、すぐ結び付けたがるなんて、大人っぽい子だと思っていたけど、まだまだ年相応なところもあるんだな

「でもやっぱり気になるんですね」

閉じた本を脇に挟んで立ち上がった

「まぁ一応は」

なぜか無性に恥ずかしくなり、目を逸らして答えた

まぁ僕の羞恥はいったん置いといて、あとはこのあたりの地図、この国の文化、魔法についての資料、そのあたりが欲しいところだ。お、これは地図かな

「値札が付いてないけど、いくらくらいだろう」

てか、お金は大丈夫なのか。あんな立派な屋敷に住んでいるんだし、貧乏で払えないってことは無いと思うけど、この世界の物価を知らないからな、考えなしにあれも欲しいこれも欲しいはやめた方が良いよな、そもそも持ち合わせ自体足りるかもわからない

一旦ハズキちゃんあたりに聞いてみるか

二冊の本を脇に抱えながら、三人を探していると、表の方が騒がしい。わざわざ僕と分かれた場で、姦しく待っていてくれたのかと思ったが、そうでもないようだ

「だからさ、君たち可愛いから俺と遊ぼうぜ。金ならたくさんあるし、何なら俺の家まで招待するぜ」

「結構です、人を待っているので、話がそれだけならお引き取りをお願いします」

「そうそう、私たちはお金でなびく女じゃないわよ。もう少し紳士になって出なおしてきなさい」

「私たち全員好きな人がいますからぁ、ナンパしても意味ないですよぉ」

「遊ぶだけ遊ぶだけ、楽しい思いをするだけなら、好きな奴がいるいない関係ないだろ。てか黙ってたけど、俺貴族の息子よ、お前らは勝ち組になるきっかけを目の前にしているのわかってる。こんなくたびれた本屋に女だけでいないで、派手に遊ぼうぜ」

うわぁ、ナンパだ。典型的な異世界ナンパだ

思わず本棚の影に隠れてしまったが、あれは間違いない。日本でも上流階級の嗜み、NA・N・PA。生で初めて見たよ

なんか、僕こっちにきてからお約束にしかあってない気がするな。だったら僕に好意を寄せる美少女の一人でも用意してよ

僕の切実な願いはさておき、これは出ていった方が良いものなのかな

ぶっちゃけ僕が出ていったところで、何かしらの力になれるわけでもないんだし、ハズキちゃんたちが撃退しそうな勢いだし

あれこれ考えている中、三人の反応があまり好感触ではないのを雰囲気で察した男は、ため息交じりに滔々と語りだした

「女の子同士で遊ぶのもいいけど、男を知らないとこの先苦労するぜ。どうせ好きな奴とか言っても、その辺の貧乏でしょぼいやつらなんだろ。貴族の俺がここまで絡んでやっているんだぜ、乗り換えとけよ」

自分が上の立場に立っていると思っているからか、偉そうな口調で三人に話しかけている。いや、話しかけているというより、あまりの上から目線に、説教しているようにすら感じる。大したこと言っていないのに。貴族の力ってスゲー

しかし、そのスゲー貴族様の力でも、好きな人を馬鹿にされた恋する女の子の力に太刀打ちできるかどうか

少し離れていてもわかる、三人の目から「それ以上カズヒトさんのことを馬鹿にしてみろ、血の雨が降るぞ」と聞こえる

これもう僕、というより、かっこよく助けに入るヒーローはいらないんじゃないかな

でもなぁ、このままほっといたら、ヒアイあたりが多分手を出すよな。そしたら一緒にいた僕まで面倒事に巻き込まれるよなぁ

頭の中で何個かシミュレーションした

よし、これなら角が立つが穏便に事を収めることができるかな

「その待っている子も来たら、一緒に飯でも食って騒ごうぜ」

「ゴメーン、お待たせしちゃったかしら」

本棚の影から、内股で走り出し、女口調で呼びかけた







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