第215話 ソリは氷原を滑る

 遠くからでも飛空船の姿が見えたのだろう。

爺ちゃんやイヌーティが俺たちを出迎えてくれた。

「爺ちゃん!」

駆け寄る俺を柔らかな笑顔で爺ちゃんが迎えてくれる。

「アラートアが壊されてて、俺、心配で……」

「はっはっはっ、いつものことじゃよ」

普段通り爺ちゃんは飄々としている。

爺ちゃんに限らず氷原の民はだいたいこんな感じだ。

「何があったの?」

「アイスウルフだよ。暖かくなった頃に襲われた」

やっぱり氷原の民にとって時間の感覚はあいまいだ。

日にちや曜日の概念はない。

だが空を見ればそれも納得がいく。

今は白夜だ。

朝もなければ夜もない。

そんな環境に居れば日にちを数えるのも難しいだろう。

とにかくみんなの話を総合すると三月の終わりから四月の初めころにアイスウルフの襲撃を受けたようだ。

アラートアでは女性一人が逃げ遅れて犠牲になった。

「ところでシャムニクは?」

「恐らく死んだ。立派な男じゃった」

飄々としているはずの爺ちゃんの顔が歪んでポロリと涙が零れた。


 アイスウルフがアラートアを襲撃した時、シャムニクは狩りに出かけるところだった。

連日続いた寒さが緩み、海岸へアザラシを狩りに行こうとしていたそうだ。

「奴等が来た時は、ちょうど犬をソリにつなぎ終わったところだったよ。シャムニクはソリに飛び乗って逃げ出せば簡単に逃げられたんだ」

だが、シャムニクはただ逃げなかった。

敵わぬとわかった上で、狩り用の矢をアイスウルフに射かけ、魔物たちの注意をひいてからソリを走らせたそうだ。

お陰でアイスウルフたちはシャムニクを追いかけ、被害は最小限で済んだ。

元々、氷原の民の所有物は少ない。

僅かばかりの荷物をまとめてすぐにこの場所に移動して現在に至るというわけだ。

「そうか、シャムニクが……」

俺によく似た顔をした氷原の民。

のんびりとした心優しい男。

死にかけてた俺を助けてくれ、家族のように扱ってくれた人だった。


「爺ちゃん、食料は足りてる?」

「ふむ、肉が底をつき始めてるのぉ」

荷台からトナカイの肉を降ろした。

氷原では一番のご馳走だ。

前日にオジーとジャンが狩ってきてくれていた。

人々はさっそくナイフを取り出し、おもいおもいに凍った肉を削りながら食べ始める。

態度にこそ出していなかったがかなり困窮していたんだな。

みんな以前より痩せてしまった気がする。

「ありがとうイッペイ。セイウチの肉ばかりでうんざりしていたところだ」

そういって爺ちゃんは朗らかに笑った。

涙の跡はもう消えて、飄々と全てを受け入れるような、いつもの爺ちゃんに戻っている。

悲しみも、喜びも、あるがままに呑み込んでしまうのが爺ちゃんという人だ。

だから俺もそれを見習うことにした。

シャムニクのために泣きたいだけ泣いた後、爺ちゃんたちにお土産を渡した。

ソリや刃物、毛皮や獣脂などだ。

お腹が膨れ、贈り物をもらった人々は、いつものように歌と踊りで俺たちをもてなしてくれた。

今回はイヌーティだけではなく、他の何人かの女性に歓待されそうになったが丁重にお断りした。



 やることは山積みになっている。

喫緊の課題は雪上トレーラーの制作だ。

最初に『エンジェル・ウィング』用の車両から作ることにした。

すでに『エンジェル・ウィング』の意見も聞いて内装用の素材もそろえてある。

シートのデザインやクロス類など『アバランチ』と比べてもかなりお洒落だ。

核となる魔導エンジンを作りながら、我知らず大きなため息をついていた。

「マスター、どうされました?」

向かいに座っていたアンジェラが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「親しくしていた人が亡くなったからね。そう簡単に気持ちの切り替えはできないものさ」

アンジェラは優しく俺の背中を撫でてくれた。

気持ちは嬉しいが、正面に座ったまま腕だけを2m以上伸ばして撫でてくるのはどうかと思う。


「(マスター、犬ぞりがこちらに向かってきています。氷原の民のようです)」

周囲を警戒しているゴブから思念が届いた。

爺ちゃんには精霊の祠の横にベースキャンプを作ったと伝えてある。

アラートアで何かあったのかな? 

ひょっとしてまた魔物が? 

立てかけてある新型アサルトライフルを掴み、慌てて表に出た。


俺たちの目の前で犬ぞりが止まり、陽気な声が響く。

「戻ってきたなイッペイ!」

俺は驚きのあまり声が出ない?

「ん? 俺の顔を忘れたのか? 同じような顔をしてるくせに!」

犬ぞりから降りてこちらに向き合う男は間違いなくシャムニクだった。

「シャムニク! 死んだんじゃなかったの!?」

「いや? 見ての通り生きてるぞ」

「だって、爺ちゃんが……」

よくわかっていないシャムニクに事情を聞いた。

「おうおう、爺さんにアイスウルフの話を聞いたのか。そうだ、確かに俺は死にかけた」

「だったらどうして?」


あの日、シャムニクは四頭のアイスウルフに追われていた。

犬に鞭を当てて必死に逃げたがアイスウルフとの距離はどんどん縮まっていき、生きた心地がしなかったそうだ。

五分もしない内にアイスウルフたちの息遣いがすぐ後ろで聞こえるほど接近されてしまった。

シャムニクも自分の死を覚悟したそのとき、キャインという悲痛な鳴き声と共に轟音が響いた。

恐々と後ろを振り返ったシャムニクが見たものは、首を折られたアイスウルフを片手で掴んだケナガの姿だった。


「まさかケナガに助けられるとは思わなかったぞ」

シャムニクは嬉しそうに笑っている。

「まあ、俺よりアイスウルフの方が食いではある」

「それで、どうしたんだ?」

「とにかく真っすぐ走り続けたよ。ケナガの気が変わって、こちらを襲ってきたっておかしくはないからな」

シャムニクはそのまま何時間も犬ぞりを走らせ続けたそうだ。

何度も後ろを振り返ったが魔物が襲ってくる気配は感じなかった。

しかし引き返す勇気も出なくて、そのまま走り続けたらしい。

「というわけでひたすら北に逃げたんだよ。そしたら急に思い出したんだ」

「思い出した? 何を?」

「イッペイは北にある精霊の祠へ行きたがってただろう?」

「あ……ああ……」

「だから、北へ逃げたついでに旅をしてみんなに聞いて回ったんだ」

ありがたい話ではあるのだが、自分の無事を爺ちゃんやイヌーティに報せるのだ先ではないだろうか?

「だって、皆がどこへ逃げたか分からんもん」

確かにその通りではある。

「まあそっちはその内あえるだろう? だが、その前に春になったらイッペイが祠へ来ることはわかっていたから先にこっちへ来たんだよ」

「そっか。ありがとうなシャムニク」

「気にするな。それよりも肉を分けてくれ。犬の分もあればありがたい」

相変わらずシャムニクは泰然としていた。

それに比べて俺の方は今にも涙が溢れそうだ。

「肉をとってくるから待っててくれ。トナカイがあるよ」

手伝おうとするゴブを制して一人で食糧庫へ入って、涙を袖で拭いた。


 シャムニクが言うには北の精霊の祠は内陸部にあるらしい。

場所を知っている男が北西沿岸部のアラートアに滞在中との情報を得られた。

シャムニクと犬たちにたっぷりと食べさせてから爺ちゃんたちのいるアラートアへ車両を使って送っていった。

向こうでもシャムニクが帰ってきたことに驚いていたが、特にイヌーティは涙を流して喜んでいた。

イヌーティは最初の夫のシャムヤス(シャムニクの息子)が氷の海に落ちて死んでいる。

自分が不幸を呼ぶ女なのではないかと本気で心配していたらしい。

暫くはみんなとワイワイ話していたが、その内に二人でどこかへ行ってしまった。

仲がよろしくて羨ましいことだ。


 ベースキャンプへの帰り道、ポーラベアというシロクマを巨大にした魔物がこちらへ向かってきた。

「お気をつけくださいマスター。一体だけですが非常に強力です」

早速、応戦の構えを見せるゴブとアンジェラに待ってもらって、新しいアサルトライフルF20000の照準を合わせる。

 俺が放った銃弾は向かってくるポーラベアの肩に命中した。

致命傷ではないがポーラベアの動きが途端に鈍くなる。

先日作成した魔導パルス弾のお陰だ。

強力な魔力波がポーラベアの魔力の流れをかき乱すことに成功したようだ。

ポーラベアは痺れたようにガクガクと脚を震わせている。

動きの止まった魔物の頭部に狙いを定めて、今度は直撃させることに成功した。

「実戦でも問題なく使えそうですねマスター」

開発に携わったゴブも機嫌よさげだ。

「そうだね。でも、もう少しデータが欲しいかな」

「ケナガでも出てきて欲しいところですな」

出てきて欲しくないです。

とにかくライフルの威力が大幅に上がったことだけはわかった。

今はこれで良しとしよう。

ポーラベアの毛皮を手に入れてベースキャンプへと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る