第156話 エルヴィスの最期

 満腹になり、満足しきった顔でイズガモがくつろいでいる。

足の傷もすっかり癒え、表情に余裕が出ていた。

「なあイズガモさん、カイジンってどんな魔物何だい?」

俺もイズガモの横に座って聞いてみる。

「カイジンは海に住む魔物だ。クジラより大きく、長細くて前足と後足を持っている」

イズガモは氷にナイフで絵を掘りながら説明してくれた。

蛇に四肢がくっついた様な絵だ。

これは……シーサーペントか? 

だとしたらかなりの大物だ。

シーサーペントは海龍の一種だ。

「100年前に追い払われたのが戻ってきたんだ。俺たちが獲ろうとしていたクジラが目当てだろう」

第八階層で最強の魔物はケナガと言われているが、それはあくまでも陸上での話だ。

海の中ではカイジンが最強だ。

「それで、生贄をささげればカイジンはどこかへ行ってしまうのかい?」

「いや……それはエビンゴ婆が言っているだけだ」

「エビンゴはあれで気の弱い女だからね……」

大きく膨れた腹をさすりながらアーパが俺たちの横に座る。

「アーパさん、……100年前に何があったんですか?」

「そうさね……」

アーパは昔を懐かしむように遠い目をしてから、ぽつりぽつりと100年前の出来事を語ってくれた。

「もうずいぶん昔の話さ。エルヴィス師は仲間たちと別行動して私たちに神の教えと神聖魔法を伝授してくださっていたのじゃ。」

エルヴィスさんは宣教師みたいなことをしていたわけだ。

さしずめ日本に来たフランシスコ・ザビエルみたいなもんだな。

高位の神官ながら迷宮に来る様な変わり者だけあって、氷原の民と共に極寒の海へクジラ漁をしにさえ行ってたそうだ。

そして、この地で二人の娘の才能を見出して弟子にした。

それがアーパとエビンゴだった。

パリーの日誌にもあったが、エルヴィスさんは後方部隊として食料の確保が任務だったようだ。

狩猟のできる場所はある程度限られてくるから、この地でパーティーの食料を捕獲、貯蔵していたらしい。

「優しい師だったよ。誰にでも分け隔てなく接し、決して怒ることがなかった。ただ一つの欠点はスケベなことでな。ほれ、神聖魔法は男女の交わりを経験すると使えなくなるじゃろう。いつも悶々とされておったわ」

アーパは昔を懐かしむようにクックと笑った。

神聖魔法ってそんな縛りがあったよな。

だからマリアも処女のままだ。

だけど、清らかな乙女のみが使えると思ってた。

「マリア、神聖魔法って男も使えるの?」

「ええ。女性より数は激減しますが使える方はいらっしゃいます。その……未経験な方に限るようですが……」

マリアが顔を赤らめながら教えてくれた。

男もそうだったんだね。

ということは神聖魔法が使える神官さんは全員チェリーボーイなんだ。

……思ってたより厳しい世界だ。

まあ神官さんだって普通の魔法は使えるのだ。

神聖魔法にこだわることはないだろう。

祓魔師部隊ふつましぶたいの中には神聖魔法の使い手は多かったですけど……」

確かにアンデッドなどを相手にする祓魔師にとって神聖魔法は有効だろう。

「そっか、神聖魔法を行使するために禁欲的な生活をしていたんだね」

「はあ……中にはその……男同士でという方も……男女の交わりさえなければいいので……」

マリア、その情報は聞きたくなかったよ。

俺は想像力豊かだからすぐに頭の中で映像が再生されちゃうんだぞ! 

ん? 

まてよ。

「もしかしてマリアも?」

「わ、わ、私は同性はちょっと! 誘われたことはありますが、って、ななななな、そういうことには興味はなかったので!」

な、なんとけしからん! 

神殿の風紀は乱れ飛び交ってますな。

困ったものだ。

俺は想像力が豊かだから頭の中ですぐに映像が……。

「ふふふ、エルヴィス師も同性愛者ではなかった。むしろ根っからの女好きじゃ。だが、師の魔法で直せない怪我や病気はなかったし、戦士としても神がかった強さを持っておった」

「そんなに強かったんですか?」

「師がいた頃、アラートアがケナガに襲われたことがあった。狂乱し逃げ惑う人々の中で師だけが風の無い海のように静かだった。師は激闘の末にたった一人であのケナガを討ち取られたのじゃ。人がケナガを狩るなんてありえないことじゃよ」

俺もそう思います。

普通、人はケナガを狩れないんですよ。

狩りたいと思うことも異常なんですよ。

聞いていますか、ボニーさん!

「だが、そんなエルヴィス師もカイジンには勝てなかったよ」

その日もエルヴィスは氷原の民たちと海へ漁に出ていたそうだ。

弟子たち二人は師の言いつけを守って海岸で瞑想をしていた。

よく晴れた日で、エルヴィスが乗った小舟が沖に浮かぶのがはっきりと見えていた。

何の予兆もなくカイジンは現れたそうだ。

「師は舟に乗った人たちを逃がすために海面を凍らせて一筋の道を作ったよ。皆は陸へと続く細い氷の道を振り返りもしないでひたすらに走った。師の戦いを見ていたのは私とエビンゴだけさ」

カイジンがどれほど強かったのか、俺には想像することも出来ない。

ただ、人々を逃がすために余計なMPを使わなくてはならなかったろうし、海上での戦闘はやりにくくもあっただろう。

海面を凍らせて足場にするだけでも厄介そうだ。

エルヴィスが次第に劣勢になっていくのは弟子の目から見ても明らかだった。

だがエルヴィスは退く気配すら見せなかった。

「師は最後に少しだけ地上の方を振り返られた。逃げ出した人々が陸地に上がるのを確認したようだったよ……」

そして最期は海に落ちて浮かんでこなかったそうだ。

カイジンの姿も海に沈みそれから百年姿を現さなかった。

「私はあれから魔物が怖くなくなったよ。人間どんなに強くても死ぬときは死ぬのだとさばさばした気持ちになったもんさ。だがエビンゴはやたらと魔物を怖がるようになった……」

なるほどね。

ひょっとするとエルヴィスさんが犠牲になってカイジンが姿を消したから、生贄なんて発想が出てきたのかもしれない。

 クイックイッと袖を引っ張られた。ボニーさんが僅かに頬を紅潮させながらこちらを見ている。

「カイジン……見たい」

やっぱりですか。

「まずは調査だけですよ!」

ジローさんを使って上空からの観察だけなら問題ないだろう。

「お前たちは馬鹿か! 私の話を聞かなかったのかい? あんな化け物に敵う人間なんていないんだよ!」

アーパが怒っている。

俺たちを心配してくれているのだ。

短い時間だったがアーパの人となりは理解できた。

イズガモの治療をしてもアザラシの肉を受け取らなかったことからも明白だ。

優しい婆ちゃんなのだ。

「見るだけですよ。戦うわけじゃないです」

アーパは大きくため息をつく。

「いいや、アンタたちは戦うよ。アンタたちの目はあいつらにそっくりだもの」

「アイツら?」

「エルヴィス師やその仲間たち、『アレクサンドロス』の連中さ!」

ずっと黙っていたジャンが武者震いしながら立ち上がる。

「婆さん、そいつあ俺にとっちゃ最高の誉め言葉だぜ!」

もう、うちのおサルさんに火をつけないで欲しいなあ。

「調査だけだからな! 報告書を書くために見るだけだぞ!」

「馬鹿たれが! そうやってあの人たちもパリーを残してみんな死んでしまったのだぞ」

「わかってるさ」

わかっていてもやめられないのが冒険者というやつのさがだ。

正直に言えば俺も見たいんだよね。

でも俺は見たいだけだ。

戦いたくはない。

第八階層はまだまだ未知の領域だから、こういった体験を出版したら売れるかな。

進化論で知られているダーウィンの「ビーグル号航海記」みたいにベストセラーになったりして。

そんなのんきなことを考えながら、カイジンのいる海域の情報を集めた。

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