第130話 秋に愁う

 地平線の向こうに島のようなものが揺らめいている。

砂漠で旅人を惑わす蜃気楼しんきろうだ。

こいつのせいで地形を読み間違えて道を見失う旅人は後を絶たない。

蜃気楼は魔物のように恐ろしい存在でもある。

一度、自分の現在地を見失えば、元に戻るのは容易なことではない。

砂漠では目印に出来るものは少ないし、正確な地図だってないのだ。

俺たちはギルドから購入した第七層の地図を使っているが、これは歴代の冒険者たちが少しずつ情報を足していったものだ。

俺たちも帰還次第情報を提供する予定だ。

七層の情報ともなると魔石より高額で買ってくれる場合がある。


「おっさん、左前方を見て見ろよ。あれが火煙山かえんざんじゃねえのか?」

目印の火煙山が見えてきた。

平均標高は500メートル。

長さ102キロ、幅9キロメートルの巨大な岩山だ。

本来は正面に見えてくるはずの山が左にずれている。

自分たちが考えていたより南に進路をとってしまったようだ。

俺たちには車両があるので修正は容易たやすいが、ラクダの旅では1日以上のロスタイムになっていただろう。

今回は火煙山を迂回せずに超えていく最短ルートを使うつもりだ。

真夏だと火煙山の地表の温度は80度にも達するが、9月も末となりそこまでは熱くない。

登山道の入口は山脈の中央部にあるので軌道を修正して進んだ。


「みんな聞いてくれ。進行方向の火煙山だが、生息する魔物はヒクイドリという鳥型の化け物だけらしい」

ヒクイドリは3メートル程の大型の鳥で主食はなんと溶岩だ。

火煙山は活火山でもあった。

「鳥型の魔物なら空への警戒をげんにしなければいけませんね」

「その必要はないよ、マリア。ヒクイドリは飛べないんだ」

溶岩を主食とするヒクイドリには飛行能力はそれほど必要ではなかったのだろう。

進化の過程で羽は退化してしまったようだ。

その代わりナイフみたいな爪を3本持つ大きな脚が発達した。

ヒクイドリはテリトリーへの侵入者に、この爪と槍のような嘴を使って集団攻撃を仕掛けてくる。

集団攻撃と言えば第三階層のビシャスウルフを思い出すがヒクイドリの戦闘力はビシャスウルフとは比べ物にならないほど強力だ。

連携もさることながら、それぞれの個体が強力でもある。

ヒクイドリが3体いればドラゴンさえ倒せるという報告も上がっているのだ。

そんな凶悪なヒクイドリだがテリトリーから出てくることはめったになく、他の魔物もヒクイドリを恐れて近づかないので火煙山は比較的安全なエリアともいえた。

「奴等は火山活動が活発な北稜にしかいないんだ。だから南鐐よりの登山道は比較的安全と言えると思う」

「じゃあ今夜は火煙山で……野営」

「そうですね。じゃあ宿泊できそうな場所を探してみよう!」

時間的にもそれがいいだろう。

今日は風が強かったのでみんな砂まみれだ。

早いとこ「洗浄」で綺麗にしてやろう。

探索ゴーレム・ススム君からの映像で巨岩がゴロゴロしていて風よけになりそうな場所があったのでそこへと向かった。


 巨岩群のところまで来ると、予想通り風よけになることがわかった。

周囲を索敵して、警報装置を設置する。

「なあおっさん、なんか臭くねえか?」

作業をしていたジャンが鼻をうごめかす。

異臭? 

そういえば風向きが変わったら変な匂いがしてきたな。

……これは……っ!

「ジャン、ついてきてくれ!」

俺は匂いの元へと歩みを進めた。

1分もかからない内に異変が生じていることがわかった。

砂と砂岩しかない場所で、ある一角だけ草が生えている場所があったのだ。

「これって……この臭いと関係あるのか? ゆで卵みたいな匂いがするんだけど」

「たぶんそうだ。ひょっとすると……」

 俺の予想は当たっていた。

火山国日本出身の俺にとっては涙が出るような懐かしさを感じる光景だ。

山肌から湯気を伴ってお湯が沸きだしている。

それほどたくさんではない。

毎分30リットルくらいだろうか。

湯は岩肌を流れ数メートルの川を作って砂にしみ込んでいた。

「なんだこりゃ? 山肌から泉がわいてるのか?」

「ああ、温泉だよ!」

 ボトルズ王国も北の方へ行けば温泉はあるが、ネピアの周辺にはない。

ジャンにとっては生まれて初めて見る温泉だろう。

「これが温泉か。病気療養に使うって聞いてたけど、俺たちも入れるのか?」

「もちろんだ!」

鑑定で調べてみると成分に有害な物質は入っていない。

となればやることは一つだ。

素材錬成と道具錬成を駆使して湯船と壁を作成した。

 山肌を削り湯船を設置していく。

夕方に間に合うように急いだ。

沈みゆく夕日を温泉につかりながら眺めたかったのだ。

お湯の温度は34度くらいでそんなに熱くはない。

1時間ほどかけて露天風呂は完成した。

混浴にはしなかった。

男湯と女湯の二つをつくった。

……マリアにお願いされたので断れなかったのだ。

「うおおお、なんだこれ? 気持ちいいぞ」

「お湯がお肌に沁みる感じです」

「…いい」

みんな温泉を楽しんでくれているようだ。

お湯につかりながら大きな太陽が西のかなたへ沈んでいくのを眺めた。

後で温泉のことをパティーに報せてやろう。

俺はバスマにいるうちに長距離通信機を作ってパティーに持たせてある。

毎日二十一時に通信をする約束だ。

パティーだけじゃない。

地図にもこの温泉の位置を記しておこう。

記号はもちろん温泉マークだ。

名前はやっぱり「不死鳥の湯」だよな。


「きゃあっ!」

「おのれ……不沈艦を気取るつもりか!」

「やめてくださいよボニーさん」

向こうの風呂が騒がしい。

「ぷかぷかと……浮いて……けしからん」

「ちょっと、痛いです!」

胸は浮くんだよね。

パティーに見せてもらったからもう知ってるもん! 

揺蕩たゆたうってああいうことを言うんだね。

「無敵……艦隊のつもりかなのか! こうして……やる!」

「本当にもうやめてくださ……アッ……」

お湯がパシャパシャとはねている。

風情のある夕暮れだねぇ。

清少納言も「秋は夕暮れ」って言ってるもんな……。

砂漠にも四季はあるんだねえ……。

「アン……ちょっ……ボニーさん!」

「沈めっ! ……沈めっ!」

秋思しゅうし」って言葉がある。

秋の愁いとか、はかなさとか悲しみを表す言葉だ。

砂漠に沈む太陽はそんな感傷的な気分にさせる。

茫漠ぼうばくたる砂漠をみれば悠久の時間と人の営みの虚しさを感ぜずにはいられない。

「やあん……先っぽはだめぇっ!」

「よいでは……ないか」

人々の営みは……営みは……、煩悩の繰り返しだあ! 

くそ、今すぐこの壁を取り払いたい。

「ジャン、そろそろでるか?」

「……先に上がってくれ……」

若いねえ。

まだ十代だもんね。

 風呂上がりに食べるスイカがやけに美味しかった。

「もうボニーさんとお風呂には入りません!」

マリアが怒っている。

「温泉を見つけた男たちに……サービスしただけ」

そういうの生殺しっていうんですよ。


 俺たちが見つけた温泉は後にギルドにも報告され、正式に地図に記載されることになった。

やがて冒険者たちの憩いの場として七層を探索する者は必ず寄るほどの人気スポットになるのだが、それはまだ先の話だ。


「マスター、二名の人間が近づいています。距離700メートル」

見張りをしていたゴブの報告に慌てて服を着る。

ナイトビジョンで見ると確かに人間だ。

だが、おかしい。

二人は徒歩だ。

この砂漠をラクダなしで歩くなど自殺行為もいいところだぞ。

しかも一人は子どものようでもある。

「マスターどうしましょう?」

「放っておくわけにもいかないなあ」

親子はこちらに向かって歩いてきている。

焚火の火を見つけたのだろう。

ということは接触の意思があるということだ。

保護を求めるのなら助けようと考えた。

「ゴブ、夕飯の材料は今のままじゃ足りないだろう、追加しておいてくれ」

「はいマスター」

それでも万が一のことを考えてジャンに高台の狙撃ポイントへ移動してもらった。

相手が魔物でもこれでふいがつけるはずだ。

俺たち星明りの元、ゆっくりと近づいてくる親子を待つのだった。

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