第111話 ワインの泡

 九月八日。

三か月に及ぶ休止状態を経て、ついに『不死鳥の団』は迷宮へ舞い戻る。

ようやくここへ帰って来られた。

さあ、灼熱の風を感じに行くぜ!


幹線道路をひた走り、一日十二時間の強行軍で進んだため、三日で第五階層の基地へ到着した。

明日中に第六層を抜けて、ラーサ砂漠入口の街であるワルザドへたどり着きたい。

基地では久しぶりにのんびりと風呂でくつろいだ。

だけどこの風呂ってこんなに広かったっけ? 

部屋にいてもやけに広く感じる。

居間の食卓の誰も座らない二脚の椅子をみて寂しさを感じてしまう。

クロとメグは今回の探索からもういない。


 中々眠れず、何度も寝返りをうった。

少しワインでも飲もうかな。

冒険中だが、ギルドが貸し出している小部屋の安全性はかなり高い。

今回はこの部屋にストックしておこうと何本かワインを持ってきている。

迷宮の中だが基地で飲む分には大丈夫だろう。

それに、いざとなれば血液中のアルコールを分解することも俺には可能だ。


 ワインを飲み、居間に飾られた写真を眺める。

ステュクス川の畔でみんなで撮った写真だ。

全員いい笑顔で笑っている。

扉が開いてマリアが入ってきた。

「あら、起きていらしたんですね。錬成ですか?」

「そうじゃないよ。なんとなく眠れなくてね。あ、マリアも少し飲む?」

俺はワインのボトルをマリアに見せる。

寒い地域で作られる甘口の白ワインだ。

「少しだけ下さい」

マリアのグラスを用意してワインを注ぐ。

白い咽喉のどがワインを飲み下す様子を、揺らめくランタンの明かりが妖しく照らし出す。

マリアと二人きりになるとついドキドキしてしまう。

「イッペイさんはたまに眠れなくなることがありますよね」

「小心者の証拠だよね」

俺は小さく笑う。

「なんか基地が随分広く感じてね」

「寂しいなら添い寝してあげましょうか?」

これって、誘われている? 

ちがうな、本気なら向かいではなく隣に座っているはずだ。

「それは嬉しいけど、マリアがそんな冗談を言うなんて知らなかったよ」

内心ではドキドキしながらクールにふるまう。

「きっと寂しいのは私の方ですね。でもやっぱりやめておきます。パティーさんに恨まれるのは嫌ですから」

「根性ナシが……私ならいつでもいいぞ。私にも……一杯寄こせ」

ボニーさんも眠れなかった口か。

音もなく現れたボニーさんがどっかりとソファーに座った。

「いい……ワインだな」

「例のワインセラーにあったやつですよ。一本20万リムですって。どんな奴が買うんでしょうね?」

「さあ? ……美味しいけど……自分で買う気はしないな」

俺の正面のソファーにボニーさんとマリアが並んで座っている。

両手に華ではないが美人と差し向かいで飲むワインは美味しい。

「砂漠の街ワルザドですか。どんなところなんでしょうね?」

俺が想像するのは物語に出てくるような古い中東の街だ。

「俺の故郷に「アラビアンナイト」っていうお話があってさ、砂漠のある国を舞台にした話なんだ。小さい頃からその話が好きでずっと砂漠に憧れてたんだ」

「どんな……話?」

「ある国の王様が奥さんの不倫を知って女性不信になるところから物語は始まるんだ」

「あら、小さい頃から艶なまめかしいお話を読んでらしたのですね」

「子ども用にそういう場面が削られたバージョンもあるんだよ。とにかく女性不信に陥った王様は毎晩一人の処女を連れてくるように命じて、晩に楽しんでは朝になると殺させていたんだ」

「勃起障害の……刑!」

「俺がその世界にいたらボニーさんと一緒にやってたかもね。とにかく3年もすると都から若い娘がいなくなってしまう」

「私だってそんな都からは逃げ出してしまいますね」

「ああ。マリアみたいな美人ならすぐに目をつけられてお城に連れて行かれてしまうね」

マリアは頬を赤らめて照れている。

「私は……どうだ?」

ボニーさんは処女なの?

「その……、魅力的だから目をつけられるかもしれませんが、余裕で衛兵を倒して脱出できそうです」

「うむ!」

よかった、どうやら正解の答えを導きだせたようだ。

「娘たちは都から消えてしまうが、それでも王様は処女を連れて来いと命令するんだ。命令された大臣は苦悩するんだけど、大臣の娘シェヘラザードが王の悪行をやめさせるために、王の元へ行くことを志願するんだ」

「なにか……考えがあってのこと?」

「ああ。シェヘラザードは王の所へ行き、まあ、処女を散らしてしまうわけだ。だがシェヘラザードはことが終わると、妹に最後のお別れをしたいからここへ呼んでくれと王に頼むんだ」

「さん……ぴ~?」

「しません」

マリアが顔を真っ赤にしている。

知識としては持ち合わせているんだな……。

「シェヘラザードと妹はあらかじめ打ち合わせていたんだが、妹が姉にお話をしてくれとせがむんだ。王様はそれを寝っ転がって静かに見ているわけだ」

「賢者……モード?」

「どこでそういう知識を得るんですか?」

「一般……教養」

ボニーさんは無視しよう。

「で、シェヘラザードは妹に面白い話を聞かせるんだ。王も横で聞いていてだんだんお話の中に引き込まれてくる。だが話が最後まで行かない内に夜が明けてしまう」

「処刑の……時間」

「そう。だけど王はお話の続きが気になってしょうがない。そこでシェヘラザードをとりあえず生かしておくんだ」

「それでどうなりますの?」

マリアもお話に引き込まれてきたな。

「シェヘラザードの話を聞きたい王は新しい処女を呼ぶこともなく、シェヘラザードだけを呼ぶ」

「やることは……やる?」

「やります」

「そこ……大事なとこ」

オッケー!

「で、ことが済んで、お話がはじまります」

「賢者モード……突入!」

はいはい、挿入の後の突入ね。

「それで、その夜も面白い話は続くんだけど、またいいところで夜が明けちゃうんだ」

「続きはまた明日ということになるんですか?」

「マリアの言う通り! そんな夜が千と一夜続いて、王とシェヘラザードは三人の子をもうけたそうだ」

「やり……まくり」

身も蓋もない。

きっと美人で頭と性格とスタイルがよくて、床上手とこじょうずでもあったのだろう。

「王妃となったシェヘラザードによって、王は説話とセックスを楽しんだだけではなく寛容さと倫理も学んだそうだ」

このシェヘラザードのお話の中に有名な「アラジンと魔法のランプ」や「アリババと40人の盗賊」があるわけだ。

「とても面白そうな話ですね」

「読んで……みたい」

この二人がアラビアンナイト風の衣装を着ていたら似合いそうだ。

でもやっぱり一番はパティーだ。

パティーにはオリエンタルな雰囲気も絶対に似合うと思う。

 空になったグラスにゴブがワインを注いでくれる。

「マスター、「アラビアンナイト」はネピアでも購入可能でしょうか?」

「それは無理なんだ。その本を売っている場所にはもう帰れないから」

グラスの中の気泡が一つ浮かび上がって、小さくはじけて消えた。

意識の表層に浮かんでくる想い出の様だった。

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