第98話 思い出はモノクローム
揺れる焚火を眺めながら俺もリカルドも無言のまま時間が流れていく。
明日は目的地の三層2区に到着だ。
三層2区と言えば草原エリアでシルバーマフが率いるビシャスウルフが出現する。
群れで包囲して襲ってくるので注意が必要だ。
「ところで、リカルドはなんで三層2区を目指してるの? シルバーマフの毛皮がほしいとか?」
毛皮が目的ならシルバーマフを蜂の巣にすることはできない。
「そうじゃない。俺の目的はトキメモリアルの花だ」
「なんだそれ?」
「タバコの原料だ……ちょいと必要でな」
トキメモリアルは3層2区に生えている稀少な植物だ。
低樹木で丈は70センチぐらいしか育たない。
44年に一度だけ花を付ける。
ちなみにその木の横で告白すると永遠に幸せなカップルが誕生するという迷宮伝説が存在する。
ギルド非公認の未確認情報だ。
その花びらを乾燥させてタバコの材料にするらしい。
ドラッグ?
それだけ珍しかったら中毒になっても安定供給は無理そうだが、ヤバいものの採取は嫌だぞ。心配が顔に出ていたのか、リカルドは笑って次の様に説明してくれた。
「安心しろ、麻薬のようなものじゃない。ただ少しだけ記憶を鮮明にしてくれるタバコだ」
「そのタバコを吸うと物忘れがなくなるとか?」
それなら俺も欲しい。28歳にして既に物忘れがひどい。
「物忘れはなくならない。ただ昔の思い出が鮮明によみがえるだけの代物だよ」
「へえ。そんなもんがあるんだな。なんか思い出せない記憶でもあるの?」
心に引っかかってはいるが、中々思い出せない記憶というものはある。
自分で封印してしまった記憶とか、日常のちょっとしたこととか。
例えば俺は、親父が羊羹を頬張りながら怒っている記憶がある。
親父が怒っている理由は思い出せないし、なんで怒りながら厚切りの羊羹を頬張っているのかも不明なのだが、その時の親父の顔だけが鮮明に記憶に残っているのだ。
トキメモリアルのタバコを吸えばあの日のことを思い出すのかもしれない。
「思い出せない記憶があるわけじゃない。色あせてきた思い出に少し色を付けたいだけだ。若者が生きるのに夢が必要なように、老人が生きながらえるには思い出が必要なのさ」
そう言ってリカルドは自嘲するように笑った。
「なるほどね。でもそんな植物をよく知っていたな。それに花が咲くのは44年に一度だろう? あるかどうかなんてわからないぞ」
「それは大丈夫だと思う。ちょうど44年前のこの時期、三層2区の探索中に俺たちはあの花を見た……」
おいおい、記憶力いいじゃないか!
トキメモリアルの花要らないだろう。
「ところでリカルドって家族はいるの?」
「ふん、冒険者が家族なんてもてるか! いつ死んでもおかしくない商売だぞ」
「ということは童貞?」
「ば、バカなことをいうな! 若い頃はモテモテだったんだ。儂の武勇伝を語らせたら一晩あっても足りないんだからな!」
爺じじいの与太話は適当にスルーして、地図を広げる。
明日はどうしても力押しになる展開が待っていると思う。
タッ君にミニミニ軽機関銃を積んできてよかった。
人員の不足は弾数で補うしかないだろう。
幸い草原エリアは見通しがいいので遠距離からの射撃ができる。
近接戦闘になってもマモル君を4つ装備しているのでビシャスウルフ程度の攻撃なら何の問題もない。
リカルドの負傷だけ気を付けて戦闘すれば何とかなるだろう。
その晩は最初に俺が夜の見張りをした。
普段はゴブにやってもらうので久しぶりだ。
あいつのありがたみがよくわかる。
帰ったらゴブに新しい本を買ってやることにしよう。
確か「魔導鉄道時刻表(春)」と「食べちゃいますご主人様」が欲しいと言ってたな。
エロ本はわかるのだが、時刻表を眺めながら嬉しそうにしているのはよくわからん。
知力は確実に上がっているようだが……。
見張りの間に新装備を開発する。
今日はフック付きのワイヤーを射出する装置を作った。
モーターでワイヤーの高速巻取りができるぞ。
腕に装備して使う。
垂直な壁や急斜面を駆け上がる時に便利だ。
逆に天井から降りてくることもできるし、高所にフックをひっかけて振り子の要領で飛び移ることも可能だ。
ちょっとイロモノっぽいがボニーさんは喜んでくれると確信している。
第三階層2区に入ってすぐ、壁沿いに右へ折れて進む。
道はない。
たまにマチェットで枝や草を払いながら進んだが、これが結構疲れた。
昔パティーに怒られたが、自分専用に高周波振動発生装置のついたマチェットを開発してしまおう。
パティーは装備頼りの戦い方になり、スキルアップの妨げになると言っていたが、どうせ俺は装備頼りの戦闘をしている。
剣技の伸びなど見込めそうにない。
この探索が終わったら素材屋に出向こうと心に決めた。
2時間ほど野を分け入って、ようやくトキメモリアルの群生地にたどり着いた。
トキメモリアルの花は、一枚7センチもある大きな花びらが5枚付いている。
花びらの端は深紅で内側にいくにしたがってピンク色になる艶あでやかな花だった。
「リカルド、どれくらい摘むんだ?」
「取れるだけ全部だ」
全部ってどれだけあるんだよ。
花びらの枚数でいっても1000や2000じゃきかないぞ。
周囲を警戒しながら、ひたすら花びらを摘んでいく。
27枚までは数えたがそこから先は適当にちぎった。
袋いっぱいの花びらを摘むのに2時間以上はかかったと思う。
44年に一度しか咲かない花だから、希少なのはわかる。
だが疲れた。
何かに使えるかもしれないので自分用にも収穫しておいた。
草原地帯で予想以上に時間をとられたのでその日の内に地上に戻るのは無理だった。
俺たちは第一階層5区で野営をした。
リカルドが夕飯を作ってくれるというので、その間トキメモリアルの花ビラを巻いて、乾燥させる。
簡単な巻煙草の出来上がりだ。
「お、もう煙草をつくったのか? どうやった?」
「特殊な魔法持ちでね、戦闘は苦手だがこの手のことは得意なんだよ」
リカルドが作ってくれたのは塩漬け肉と野菜の煮込みだった。
意外に美味しい。
「長年料理は自分でして来たからな、少しは上手になろうってもんだ」
なんとなく独り者の悲哀を感じるぞ。
食事も終わり俺はリカルドに聞いてみる。
「トキメモリアルの煙草はもう完成だ。早速吸ってみるかい?」
リカルドは黙ったまま自分の手の中にある煙草をじっと見ている。
「……いや、家に帰ってから……やっぱり吸っておこう。死なずに迷宮から出られるなんて保証はないんだからな」
「それじゃあ、今日は俺が先に休ませて貰うぜ」
リカルドから少し離れて床に寝そべった。
部屋の中に甘い葉巻の匂いが立ち込めて、リカルドが煙草に火をつけたのがわかった。
「シャーロット……」
ヘッドセットの高性能集音機がリカルドの声を拾ってしまう。
俺は集音機のスイッチを切って静かに目を閉じた。
無事に地上へ戻り、自分の部屋についたところでシャーロット婆ちゃんの訪問を受けた。
「お帰りなさいイッペイさん。よくリカルドを助けてくれて、大変感謝しております」
「どういたしまして、俺としても結構楽しかったよ」
「貴方とならリカルドも気が合うと思っていたわ。ところで何をしに迷宮へいったの?」
シャーロット婆ちゃんもそれは知らなかったようだ。
「トキメモリアルの花をとりに行ったんだよ」
「まあ! ……もうあれから44年もたったのね」
そうかリカルドも「俺たちは」って言ってたもんな。
二人であの場所を見つけたんだな。
「私が聖女に指名されるほんの2か月前のことだったわ。ビシャスウルフに襲われて、二人であの場所まで逃げて……。赤い花がいっぱい咲いていて、こんなきれいな場所でこの人と死ねるんならそれも悪くないなんて考えたのよ」
婆ちゃんは昔を懐かしむように微笑んでいる。
リカルドも死ぬ前にもう一度あの場所を訪れたかったのかもしれない。
「ばあちゃん、リカルドは煙草を吸いながら呟いていたよ「シャーロット」って」
「そう……。イッペイ、ありがとう」
婆ちゃんはどこか遠いところを見ているようだった。
俺も真似をして遥か彼方へと視線を向けるが、失われた時の欠片を見つけることはできなかった。
その断片が見えるのはシャーロットとリカルドだけ。
二人以外誰も触れることのできない神聖な時の欠片なのだろう。
後日、街で偶然リカルドに会った。
なにやら羽振りがいいようだ。
「リカルド、なんかいい服着てるね」
「ああ。トキメモリアルの花で大儲けだ。昔を懐かしむジジイ、ババアに1本1万リムで売れちまってな!」
「なっ! お、お、俺には1万1千リムしかくれなかっただろうが!」
俺の報酬はそれだけだった。
魔石などは半分分けてもらえたけどね。
「がっはっはっ。44年間生き延びることができたら俺の真似をしてみろ! 大儲けだぞ」
いけるか! その頃俺は72歳だ。無理に決まってるだろう。
「イッペイには感謝してるぞ。また会おう!」
ちょい悪ジジイ風のリカルドは颯爽と人ごみの中へ消えていった。
達者なものだ。
それともトキメモリアルのせいで過去の記憶だけでなく情熱までもが蘇ったというのか。
俺もトキメモリアルのお陰で親父の怒りの原因は分かった。
あれは親父が健康診断で糖尿病と診断された日だ。
これを食ったら二度と甘いものは食わんといって、不機嫌な顔で厚切り羊羹を食べていたのだった。
思い出してもなんの感動もなかった。
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