第49話 ホフキンス村の怪談

 神殿は村の中央に建てられている石造りの小さな建物だった。

正面のドアを開けると礼拝堂があり、祭壇の脇に奥へと続く扉がある。

俺はシスター・マリアに神殿の奥にある事務所へと導かれた。

「予定より到着が遅かったので心配しましたわ」

さっきから俺は神官、ロバート・レドブルだと勘違いされている。

どうしよう、本物の彼は山の中で魔物に襲われて亡くなってしまっている。

真実を告げるべきなのだろうか。

「すぐに昼食をご用意します。もう少々お待ちくださいね」

シスター・マリアの笑顔が可憐だ。

身元を隠したい俺はなし崩し的にレドブルのふりをすることにした。

話の流れからロバート・レドブル師はこの地の新しい神官として赴任することになっていたことが判明した。

前任者は突如失踪したらしい。

俺も明日には失踪する予定だから、ここの神官は連続でいなくなるわけだ。

新たな怪談が作られそうだな。

呪われた地とかの評判がたったらごめんなさい。


 自分の部屋に通されてようやく人心地ついた。

今夜は屋根のあるところで寝られると思うと少しホッとする。

だけどずっと自然の中にいたせいか家の中が少し臭く感じるな。

掃除はされているようだが下水みたいな匂いがする。

感覚が鋭敏になっているのかもしれない。

しばらく使われていなかった部屋のようだから空気が濁っているのだろう。

それでもこの寒空に外で夜明かしするよりはずっとましだ。

今夜はここに泊まらせてもらって、明日の夜明け前にこっそり出て行くことにする。


 昼食はガレットだった。

ガレットはそば粉で出来たクレープだ。

お昼ご飯なので甘いクリームなどではなく、卵やチーズ、野菜などが挟まれている。

久しぶりのまともな食事で俺はがつがつと食べた。

気が付くと、せわしなく食事をかき込む俺をシスター・マリアがニコニコと見守っている。

「すみません、行儀が悪かったですね。しかしとても美味しいうえに、お腹が空いていたものですから」

「いいえ。そんな風においしそうに食べていただけると、作った甲斐があるというものですわ」

笑顔でこたえるシスターのまわりに華が咲く。

これはイカン。

この笑顔はイカンのだよ。

一口に可愛い笑顔といっても、それにはいろいろある。

癒される笑顔、無邪気な笑顔、妖艶な笑顔、清らかな笑顔。

だがこの人の笑顔はイカン部類の笑顔だ。

言うなれば無自覚なエロスって感じだ。

まあ、シスターが悪いわけじゃない。

そういう受け取り方をしている俺が全面的に悪いんだけどね。

この笑顔の恐ろしい所は一撃でDTのハートを打ち抜くところだ。

DTに「清純だけどエロ」は、アンデットに「聖属性の攻撃」を使うのと同義だ。

さすがはシスター…侮れん。


「神官様、到着早々で申し訳ないのですが、早速今夜にでも『祈りの夕べ』を開いていただけないでしょうか」

何ですかそれ?

「そ、そうですね。かまいません…」

「そんなにきちんとしたものでなくていいと思います。お香や、聖歌、聖水などは省略して経典からいくつかお話をしていただければ、それだけで村人たちも安心すると思います」

「安心ですか?」

「はい。…ひょっとして神官様は詳しいお話をご存じでないままいらしたのですか?」

「えー、その、詳しいことは現地に行って自分で確かめる…主義…みたいな?」

「はあ。それでは私がこの村で起きている事件について掻い摘んでお話しますね」

 シスター・マリアの話を要約するとこうだ。

このホフキンス村では神官が失踪する前から相次いで人がいなくなる事件が起きていたそうだ。

最初にいなくなったのはダンという流れ者だった。

流れ者だけあってその時はいなくなっても誰も気にしなかったそうだ。

違う町へ行ったのだろうくらいにしか思われなかったのだ。

ダンがいなくなって一月くらいたった夏のある日、今度はブランドンという男がいなくなった。

この男は村の方々に多額の借金があったので夜逃げしたのだろうと考えられた。

次にいなくなったのはアンバーという未亡人だった。

この女は村のとある男と不倫関係にあり、それを苦にして夜逃げをしたのではないかと皆は噂した。

だが、この頃から村人たちは妙な違和感をもった。

いなくなった人たちがみな自分の荷物を残して去っていたところがおかしかった。

特に未亡人は自分の持ち家を処分もせずに消えている。

どう考えても変だった。

そして最後に神官が消えた。

「前任のタブリア様が失踪される前日、タブリア様は真っ青な顔で礼拝にいらっしゃいました。そして村人たちの前で私は呪われてしまった。私には悪魔が憑いてしまったのだ。と叫ばれたのです」

なんか恐ろしい話になってきた。一刻も早くこの村をでたい。

「その翌日、タブリア様はお部屋から出てこられませんでした。私がお部屋の扉をノックしてもお返事がありません。ご病気になられたかもと思い、ドアを開けたのですがそこにはタブリア様のお姿はありませんでした」

やめてくれ。

怪談苦手なんだよ。

目の前で揺れる二つの双丘がなかったらとっくに逃げ出してるよ。

「後日、村人と共にお部屋を調べましたら、指輪が一つ出てきました」

「タブリア師のですか?」

「いえ、いなくなった未亡人のモノでした」

「…未亡人から喜捨きしゃされたとか?」

「いえ。指輪にはちぎれた指がついていました」

頼む! 俺を抱きしめてくれ! 

怖いんだ。

震えが止まらないんだ。

「…タブリア師が犯人ですか?」

「それはわかりません。いなくなってしまわれましたから。でも、こうして祓魔師ふつましのレドブル様がいらっしゃいましたので安心ですね」

なるほど、それでレドブルさんは派遣されたわけだ。

やばいな。

このままの流れでは魔物だか悪魔だかの退治をさせられそうな気がする。

「失踪事件があったこの神殿に、一人で住んでいるのはとても不安だったんです。今日からはレドブル様と一緒ですから安心ですわ」

一つ屋根の下…二人っきり? 

…。

……。

いかん! 

いかんだろ。

俺にはパティーがいるのだ。

そもそも神殿でイチャラブな生活もないだろう。

だが、俺の脳裏に一つの単語が浮かぶ。

「ラッキースケベ」 

共に生活することによって広がる夢の可能性に思い至った時、俺は今晩中に逃げ出すことをやめた。

かつていた地球と比べ、エロ未開のこの地において「ラッキースケベ」の魅力は抗うことのできない誘惑だった。

2,3日様子を見てから逃げ出そう。

翻意するまでの速さマッハ3。

見た目は神官、中身はスケベ、その名はポーター・イッペイなのだ。

 昼食が終わり俺は部屋に戻った。

シスターが言った『夕べの祈り』とは、村人を集めて経典のお話をしたり、そこから説教をする礼拝みたいなものらしい。

時間が来るまでに経典から短そうなところをピックアップしておく必要がある。

俺は盛大なため息をついて経典を開いた。



 ネピアのハイドンパークの東屋にジャンとメグの姿があった。

時刻は午前10時をまわったばかりだ。

腕利きの冒険者なら休養日でもない限りこの時間は迷宮にいるのが普通だ。

ベンチに並んで座り、ぼんやりと行き交う人々を眺める二人の顔に覇気はない。

「今日は潜らないの?」

突然後ろから声をかけられて二人は驚いて振り向く。

そこには顔なじみのパティー・チェリコークが立っていた。

「戻ってきたんだよ。ボニーさんが帰れってさ。そんな状態で迷宮に潜ってても死ぬだけだってよ」

ジャンが不貞腐れたように吐き捨てる。

「ええ。ボニーに聞いてきたの。二人はここにいるって」

「パティーさんこそ潜らないんですか? 随分元気そうだし」

メグの言葉にはどこか棘があった。

自分の悲しみを不条理にパティーにぶつけているという自覚はあったが自制することは出来なかった。

「パティーさんもひどいですよね。パティーさんはもう悲しくないんですか。そんなにすぐにイッペイさんのことを忘れられるものなんですか?!」

メグの詰問きつもんにパティーは静かに頷きながら、ポケットから1体のゴーレムを取り出して見せた。

「今朝、この子が窓辺にいたの」

ジャンが思わず立ち上がり、メグは口に手を当てた。メグの瞳から大粒の涙がぽろりぽろりと零れる。

「そいつはおっさんの…」

ジャンの呟きにパティーは力強く頷いて見せた。

「私、パトリシア・チェリコークが『不死鳥の団』を雇うわ。イッペイ・ミヤタの消息を探して頂戴」

言いようのない情動じょうどうが二人の体内を駆け巡る。

久しく忘れていた魂の喜びだった。

「その依頼、不死鳥の団・切り込み隊長のジャンが引き受けたぁ!」

ジャンが飛び上がり叫ぶ。

「長丁場になりそうですね。必要経費の算出が大変そうです。会計の腕がなりますね!」

メグが泣きながら笑った。

「行きましょう。まずはコンブウォール鉱山よ!」

パティーの表情にはかつてイッペイが惚れた野性味と妖艶さが同居した笑みが戻っていた。

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