5-21『最後まで、気づくことができなかった。4』
いやあ……いや疲れた。
そこら中を駆けずり回る羽目になってしまった。
「……なん、で……だよ……っ」
屋上に辿り着いた俺を迎えたのは、泣き出しそうな表情で顔を歪める叶の姿だ。
それを目の当たりにした瞬間、自分の中に黒い感情が浮かび上がった気がした。
「――なんでも何もねえよ。そりゃこっちの台詞だ。なんで返事しねえんだよ」
「返事、って……」
「みんなお前のこと探してくれてんだからな。こんなとこで何してんのか知らねえけど、さっさと戻るぞ。あの……あれだ、ほら。用事的な、……アレだよ」
連れ出す理由をさっぱり考えていなかったため、だいぶ適当になってしまう。
だがまあ、別に構うまい。というか知ったことではない。
こんな顔をしている叶を、ここに放置するほうがあり得なかった。
――そんな叶は見たくないんだ。
「ちょっ……何いきなり来て勝手なことを!」
ただ、それを見逃すはずもない奴がそこにはいて。
声をかけられて初めて、俺は意図的に逸らしていた視線をそいつへと向けた。
「なんだよ」
「な、何って……アンタのほうこそ何を――」
「お前、うるせえ。ちょっと黙れ」
強く、俺はそう言った。
「いきなり来て勝手してんのはお前のほうだろうが。誰だか知らねえけど用件は後回しにしてくれ」
「わ、わたしは――っ」
「叶のこと追い詰めておいて、正論吐けると思うなよ。何話してたか知らねえが、悪意で来てる奴にこっちが遣う気なんざ、ねえぞ」
「……っ!」
気圧されたかのように、そいつは一歩後ずさった。
実は見慣れた反応だが、やはり威圧して脅すのは気分が悪いし、性に合わない。
けれどこのときばかりは自分の外見が、それなりに威圧的らしいことに感謝した。
昔はクラスの女子にビビられるの嫌だったんだけど……まあ久し振りだしな、いいってことにしておこう。俺が嫌われる分には。
などと考えていたのだが、生憎と今回の相手はその程度で引き下がる奴ではなかった。
「ふ……ふざけんな! あんたには関係ないでしょ!?」
「……あ?」
「何も知らないくせして、勝手なこと言うなって言ってんの! こ、これは私と叶の問題なんだから、部外者が口を挟むことじゃ――」
「――だったら今から説明しろよ。聞いてやるから」
「な、」
俺の放言に、今度こそそいつは絶句した。
いや。思えば叶も完全に呆気に取られている気がする。さっきから何も言わない。
混乱した様子のそいつは、それでも気を取り直して再び叫ぶように。
「だ……だからあんたには関係が」
「だから今から関係するって言ってんだろ」
「はあっ!?」
「第一、お前と関係ないだけで、俺は叶とは関係があんだよ、当たり前だろ、友達なんだから。さっきからお前のほうこそ何言ってんだ」
「――っ」
「こっちは迷惑してんだよ。いや、つかそうでなくてもお前は何、俺の友達を追い詰めてくれてんだよ。どんな事情だろうと知るかよ! それこそ関係ねえだろうが!!」
叫んでしまってから、
――ああ、俺もしかして怒ってるのか?
なんて遅い自覚をする俺。自分でもちょっとびっくりしてしまう。間抜けだ。
でも、そんなことは当然だろう。
事情なんて知らない。ほんの少しだけ、何かがあったと叶に聞いただけだ。だけど俺にとって、そんなことはそれこそ関係ないし知ったことではない。
結局のところ、重要なのは知りもしねえ誰かが俺の友達を傷つけているという一点。
「お前がどんな恨みを叶に持ってるのかなんて、それこそ俺の知ったことかよ! つーかそれ以前、どんな理由があろうとお前が今ここで叶を追い詰めていいわけがねえだろ!! 俺はこいつの友達だから、そんなとこ見かけりゃ止めて連れ出すに決まってんだよ、俺がお前より俺の友達優先して何が悪いんだ当たり前だろうが、文句あっか!?」
開き直るように俺は言った。
まあいい。訊いたって答えないんだからそうなる。正当性は担保されている。知らない誰かより、俺は当然に叶の肩を持つ。これは、それだけの話だ。
結局のところ、俺は叶の表情を見た瞬間から、冷静ではいられなかったのだと思う。
「……っ」
かつて叶の友人だったという少女は、一瞬だけその視線を叶に向けた。
泣き出しそうな――まるで助けを求めているかのような表情が向けられて、それに叶が息を呑む気配がする。だが、それはお門違いの大間違いというもの。
叶が、視線を逸らしたのが見えていた。
それを見て、名前も知らない少女が小さく呟く。
「そうなんだ……結局、叶はそうなんだね」
「――――」
「叶は、いいよね。――いつだって、誰かに庇ってもらえるんだからさ」
そんな捨て台詞を言うなり、彼女は叶を、俺を抜き去って、逃げるように屋上から走り出す。俺も叶も、もうそちらに視線を向けるということはしなかった。
数秒の静寂が屋上に満ちていく。
それは遠巻きからここまで届いてくる文化祭の喧騒を認識することで破られた。どんなところに閉じ籠ろうとも、外での騒ぎは聞こえてくるという風に。
「あー……」
と、俺は叶に向けて言う。
「なんだ。まあ、災難だったな?」
答えは返ってこなかった。ちょっと外したかもしれない。
しかし、何を言えばいいのかと問われても、正解がわからないのだ。大枠は聞いていても、彼女たちの間で具体的に何があったのかなんて俺は知らないのだから。
かつてのことも、さきほどまでのことも。
「いやまあ……なんだ。そんなに気にすることじゃねえよ。な? よく知らねえけど、逆恨みみたいなもんなんだろ? 天下の脇役哲学者サマが気に病むことじゃねえって」
「……………………」
「……えーと。ほら、あれだ。なんなら話くらいは聞くぞ? うん。無関係な人間に話すことで、楽になることもあるんじゃないかと思うんだよ。それくらいは俺にだって――」
「――未那」
言葉を重ねていた俺に、かけられた声。
ただ名前を呼ぶだけのそれが、静止であることに気づかないほど鈍感にはなれない。
叶は言った。
「なんで……来ちゃったの?」
「や、なんでって……」
「未那には、関係のないことじゃん。用事も、あったんじゃないの……?」
「それは……まあ、そうだけど。でもあの、さっきの奴、明らかに様子がおかしかったし、お前になんかちょっかい出しそうだったからさ。……いやほら、叶、前にそれで実家まで帰ったことあったろ? だからまあ、なんか……念のためにというかなんというか」
「……違うよ」
小さく、零すように叶は言った。
上げられた顔が、その視線がこちらへと向く。
その表情は――さきほどまでとなんら変わりがなかった。……おかしい。
「叶……お前、あいつに何された?」
自然とそう訊いていた俺に、叶は首を横に振って。
「違うって」
「何が違うんだよ。無理して隠すことじゃ、」
「だから違うんだってば!」
まっすぐに下ろした左の腕。その肘を右手で抱くようにする叶。
まるで、身体の震えを押さえているかのように。何かを我慢しているかのように。
「わたしは、莉子に言われたことなんて、何も気にしてないんだよ。本当に」
「……だけど」
「そりゃ前のときはね。あそこまで恨まれるなんて思ってなかったし、わたしも悪かったような気になって落ち込んだけど……いやでも結局、それも自分の中のことだったかな」
自分で言って、叶は自嘲するように笑う。
だが俺にはどう見たって、叶が笑っているようには見えない。
「ほら。生活水準を一度上げちゃうと、もう戻せなくなるとか言うじゃん?」
「……いきなりなんの話だよ」
「人の欲には際限がない、って話、なのかな? や、それだと主語がおっきすぎか。単にわたしがそういう人間だってだけでさ。そりゃ恨まれても当然じゃない?」
なぜ叶がそんな話をし始めたかがわからない。
あるいは、彼女本人でさえ、理解していないのだろうか。
「別に、それは悪いことじゃねえだろ。誰しもそんなもんだ。つか、仮にお前が恨まれるようなことしてたとしても、こんなとこまで来て空気壊してく真似が正当化されるかよ」
「されないね。いや、別に莉子を……あの子を庇ってるつもりはないよ。まったくない。本当に、どうだっていいんだよ。興味がない。わたしは――あの子の友達じゃない」
底冷えのするような声音だった。
きっと本心だ。
元より友利叶はそんなことを気にする人間じゃない。
だが。ならばなぜ彼女は、今だってこんなにも泣きそうな顔をしているのか。
それがわからない。
「未那はさ……いい奴だよね」
叶はそんなことを言う。俺は目を細めて。
「なんなんだよ、さっきからお前は。脈絡がなさすぎて意味がわからねえよ」
「そんなことないよ。もし未那がわたしの立場だったらきっと、あの子のこともどうにかしちゃうんだろうなって思うだけ。わたしにはそんなことできないもん」
「……はあ?」
「わたしはそういう人間なんだよ――今のでわかった。だって、わたしだったらここまで未那を探しに来ない。だから平気で、いつか平気で、未那だって裏切ってしまえる」
「…………」
「ねえ。どう思う、未那? 未那はわたしに約束してくれた。あのとき、ずっとわたしといっしょにいるって誓ってくれた。だけどわたしは――たぶん、未那を裏切るよ。いつかほかに、もっと欲しいものができて……それまで大事だったものが、わからなくなる」
ようやく、俺にも叶の悩んでいたことが理解できた。
きっと彼女は本当に、もう何も思わなくなっていたのだろう。
かつて親友とまで呼んでいた相手が自分に強い感情を向けていても、それを自分のものとして受け取れない。
いちばん欲しいものが今、別のものになってしまったから。
その気持ちは俺にもよくわかった。俺と叶は、いわば正反対から正反対を選んだ同士と言えるからだ。
――けれどそんなものは、誰だって多かれ少なかれあることだろう。
俺だからこそ言える。
「……俺がいい奴に見えるなら、それはお前がいい奴だからだよ。たぶんな」
叶はこちらをまっすぐに見据えた。
そして問う。
「どうしてそう思うの?」
「そんなことでいちいち悩むこと自体が優しい奴だって証拠じゃねえの? 前にも言った気がするけど、お前って毎度毎度、何か言い訳しないと自分のために動けないよな」
「……、」
「脇役哲学もそうだろ。自分はこういう風にしているからー、ってエクスキューズがないと、お前はそれができないってだけじゃん。そんな面倒なこと普通は気にしねえって」
「……、……そっか」
「そうだよ。いいからもう戻ろうぜ。いつまでもこんなとこにいたって――」
「――やっぱりそうなんだね」
叶は短く告げた。
何かを納得したような、あるいは何かを諦めたかのような声音だった。
この期に及んで俺はまだ勘違いしていたのだ。何もわかってなどいなかった。いいこと言った風の空気で流そうとしただけ。
見当違いの戯言は一切、叶に響いていないのだ。
「やっぱり未那は、そうやって……わたしを嫌ってもくれないんだ」
「……お、おい……叶?」
「もう、ダメだよ……こんなの耐えられないよ。無理だよ、わたしには……っ」
「――っ」
息を呑んだ。
叶が。あの友利叶が。
涙を流して、消え入りそうな笑みで笑っていたから。
「こ……これでも、がんばったんだよ……? わたしはどうしようもない奴で、そんなの最初からわかってたことで……だけど、それでも、未那が言ってくれたこと、ひっ……裏切りたくなかった、から……っ!」
それは慟哭ではなく告解だった。
赦しを乞うための行い。
自らの罪を懺悔し、罰を与えてほしいのだと祈るような。
わからない。
俺にはまるでわからなかった。
何が叶をここまで追い詰めてしまったのかが理解できない。
――俺は叶のことを何も理解してあげられていない。
「だけど……来るんだもん。なんでっ、だよ……来るなよ、ここにはさ。それ、は、ダメじゃん……だって、来ちゃったら、わたし――嬉しくなっちゃうじゃん?」
「な、……え」
「なんかいろいろあってもさ。ダメだって、わかってても、さ……それだけで、未那が、来てくれただけで、なんか……いっかなって。そういうこと思っちゃうじゃん。何言ったって、きっと未那は、許してくれちゃうの、知ってる、からっ……喜んじゃうじゃん」
その悲痛な泣き笑いの裏側に叶が抱えているものがわからない。
ただ、なぜだろう。
唐突に、俺は叶と初めて会ったときのことを思い出してしまっていた。
「だっ……だから、そうならないように、して……最後に、昨日で最後にしようって……思ってっ。ぅ――努力したんだよ。そうだよ。どうでもいいんだよ、あんな奴。わたしにとってどうでもよくないことなんて、ひとつしかなかったんだから……っ!」
あのときとは違う。似ても似つかない光景だ。
だけど。もし俺がそれでも思い出したとするのなら、それは。
――きっとあのときと同じように。
愚かにも俺が、彼女に美しさを見出してしまっているからだった――。
「……か、なえ――」
何かをしなければならない。
そう思って、一歩を前に踏み出した瞬間、叶が鋭く叫んだ。
「こっち来ないでっ!!」
「――――っ」
「来たら、だって――頼っちゃうじゃん。嬉しくなっちゃうじゃん。だけどそれじゃダメなんだよ……っ! わたしは、もう……未那に寄りかかってちゃダメなんだよ……っ!!」
俺は。
それでも足を踏み出して、怯える叶に近づいた。
「……や、やぁ……っ」
もはや幼い子どものように、叶は首を振って俺を拒んだ。
俺はそんな叶の肩に軽く手を寄せる。
「お前、疲れてんだよ、たぶん。ちょっと落ち着け。いったい何があったんだ?」
「嫌……いやぁ……」
「だから、何がだっての。俺、なんかしたか? ……ああいや、そうだよな。思えばここ最近、文化祭のほう忙しくてお前と話してなかったしな。まあ落ち着け。大丈夫だから」
俺は静かに、叶の背中にそっと腕を回した。
細く、弱々しく、華奢な身体を。せめて支えてあげられればいいと思ったから。
それが彼女との――あの公園で交わした誓いのひとつだと思ったからだ。叶にとっては違うのだとしても、俺にとってはそうだと思う。
幼子のように小さな体。胸板を何度殴られても、きっと離してはいけないと思う。
「なんっ、で……だよ。やめ、ろよぅ……っ」
「――ああ、悪いな。でも俺は勝手にやりたいことやるよ。そういう話だろ」
「違う……違う! わたしたちがした約束はそんなことじゃ……っ!」
「そういうことだよ。いいだろ、迷惑かけたって、どんなだって。それがお前の話なら、俺は全部聞くって言った。――俺は、お前との約束だけは、絶対に裏切らないから」
「――――――――ッ!!」
そうするべきだと――そう告げるべきだと、俺は思っていたのだ。
きっと不安だったのだと、そう思っていたから。だって叶は、それが信じられないから脇役を志したのだ。どれほど欲しいと願っていても、手に入らないという諦めが彼女にはずっとつきまとっていた。
たとえ、それを目指すと俺と約束したとしても。
無理かもしれない、届かないかもしれない――そういう不安がどこかにあった。
それを、きっと俺への負い目として溜め込んでしまったのだと思う。
誰に理解されずともいい。
たったふたり、それを求める同志がいれば、それだけで全て報われる。
届かずとも手を伸ばし、至れずとも足を動かすことに意味を求めた。
そう思っていた。
思っていたのだ。
どこまでも愚かな我喜屋未那という人間は。
何も――わかっていないから。
「は、はは……あはは。これだもん」
腕の中の叶が震えていた。
笑いながら。自らを笑い俺を笑いその全てに涙しながら。
「……もう無理だよ」
「そんなこと――」
「あるよ。だってわたしは、もう――とっくに未那を裏切ってる」
「そんなことねえって」
「あるんだよ!」
叶が俺を殴った。
驚くほどに弱々しい打撃が心を打った。
「なん、で……なんで何ひとつ気づかないんだよっ!! そうだよこれだって逆恨みだよ、わかってるよ!! だからがんばったじゃん! 近づかないようにしたじゃん! いつかきっと忘れられるって、諦められるって思ったから……っ! なのに――なんでだよ!」
「なん、で――って」
「ねえ……もう終わりだよ。もう放っておいてよ。これ以上、未那といっしょにはいたくないよ、わたし。だってつらいんだよ。優しくしないでよ。離してよ。諦めてよ。だってそうしなきゃ――未那を、嫌いになんて……なれないよ。嫌ってよ。わかんないよ……」
俺には何も、何ひとつ言えない。
本当にわからなかったのだ。そんなこと一瞬だって想像していなかった。
だけど。
「……ごめんね。ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい。未那、ごめん……ごめんね」
赦してほしいと。
赦してほしいと。
赦してほしいと叶が叫ぶ。
俺に。
ほかでもなく彼女は俺に言っている。
その理由は。
彼女をこれほどまでに追い詰めた人間の正体が。
「――わたし、未那を……好きに、なっちゃったんだよ……っ」
ほかでもない、我喜屋未那であったからだ。
何も。俺には何も考えられなかった。
そんなことを。
友利叶が、我喜屋未那に言うはずがないと――決めつけていたから。
似ているがゆえの思い込みで思考を放棄していた。
同じものをみているという確信が、いつか広がっていく視界を狭めてしまった。
「だ、から……ごめんね。ごめん……っ」
「か……なえ」
「――好きになって、ごめんね、未那ぁ……!」
「――――っ!!」
こんなにも哀しい告白が、この世にあっていいのかと思った。
何も――誰も、悪くないはずだったのに。
彼女が謝るべきことなど何もないのに。
だとするなら、きっと責められるべきは俺でなければおかしいというのに。
どうして。
どこで間違ったのだろう。
俺はいったい何を失敗したんだろうか。
何が悪い。
どうすればよかった。
俺が望んでいたものがこんなものであるはずがないのに。どうして。
――初めから、間違っていたとでもいうのだろうか。
俺たちは初めからふたりになるべきではなかったとでもいうのか。出会ったことすら間違いだというのなら、では今日まで重ねてきた全てを否定しろというのか。
そんなことはないはずだ。
俺たちは、確かに望みを持ち、そのために必要な正解を選んできたはずなのに。
楽しかったと、そう――思っていたのに。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめん」
「……な、や――」
「裏切って、ごめん。わたしは最低だった。未那が言ってくれたこと、本当に――本当に嬉しかったはずなんだけどね。わたし……やっぱり、ダメだった。だから、――行くね」
小さな体が、俺から離れていく。
けれど、もはやそれを留めることなんて俺にはできなかった。
屋上から走り去る叶。
俺は棒立ちのままそこに留まり続ける以外、なかった。
わからない。
何が悪かったのかがわからない。
そうだ。俺はこれまでを否定することなんてできない。
だけど確かに、俺はこんなことを――こんなにも悲痛な言葉を叶に言わせたいだなんて思ったことはなかった。
何を失敗してしまったのかがわからない。
けれど。初めから、そういう呪いがかけられていたとでも言うように――俺は。
失敗した。
間違えた。
失敗も間違いもしてこなかったことこそが、見えていない別解を覆い隠してしまった。
そうだ。上手くいっていた。この日常は俺の望みのはずだった。
――なのに。
少しずつ変化していく日常が楽しかった。
それが、俺がいつか望んだ奇跡だったと知っていた。
けれどそのせいで、失ってしまったものがあるのだとしたら。
俺はその価値に、最後の最後まで気づくことができていなかったのだ。
だからこれは、その報い。
この日、このとき、この屋上で。
俺は、大切なものを、――その手の中から失った。
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