1-02『夢の独り暮らしの破綻まで2』

 私立雲雀ひばり高校は、この辺りではそこそこ程度に名の通った進学校だ。その割に部活動も盛んで、俺が受験した理由もその辺りが理由だった。勉学と青春を、バランスよく楽しむことができると考えたわけである。

 まあ、部活に入る予定は今のところなかったが。


 自宅であるかんな荘から歩いて十分。小さな坂の上にその学校は位置している。

 校庭を彩る桜色に春を感じながら、まだあまりひと気の少ない学校に俺は入っていく。

 昇降口の先には、新入生用のクラス名簿が貼り出されている。持参した上靴に履き替えて、名簿から《我喜屋未那》の文字列を探す。

 それは、一年一組の欄に見つかった。

 名簿の隣には、各クラスまでの地図も掲示されている。といっても昇降口を出てすぐの場所――一階のいちばん手前が一年一組の教室らしい。近くて結構だ。

 昇降口から廊下に出る。まだ下駄箱は使えないため外履きはビニールに仕舞って、俺は廊下を歩いた。さすがに早く来すぎたせいだろう、まだ同級生たちの姿は見られない。


 朝の静寂に包まれた廊下は、どこか神聖な雰囲気すら感じさせる。こと学校の校舎というと、イメージとしては明るく騒がしいものが強いとは思う。だが俺は朝や放課後の静かな校舎の雰囲気が好きだった。それは、一種の異界の様相すら感じさせる。

 世界に人間が自分だけみたいな錯覚の中を、俺は教室を目指してゆっくり歩いた。この場所から、今日この日から、俺の青春が幕を開けるのだ。

 不安以上に大きな期待が、俺の背中を押してくる。それに、あえて逆らってみせるようなつもりでゆっくり歩いても、教室にはすぐさま到着してしまった。

 もう、誰か来ていれば嬉しいのだが。

 そんな風に願いながら、あえて窓からは中を見ず、俺はスライドドアを横に引いた。


「――――」


 そして、思わず息を呑んでしまう。

 教室の中。静寂の帳の奥に、ひとりの女子生徒の姿を見つけたからだ。

 いや、違う。それだけじゃない。


 ――俺が息を呑んだのは、その姿があまりに絵になっていたからだと思う。

 教室のいちばん後ろ。開け放した窓枠に腰を下ろし、憂うような表情で校舎の外を眺めている少女の姿に――その雰囲気に。俺は、見惚れてしまったのだ。

 まるで、白い光が教室を包んでいるみたいだった。

 かわいらしい女子だ。だけど見惚れたのはそれが理由じゃない。

 誰もいない教室の雰囲気や、窓の外に見える桜色、あるいはその物憂げな表情や、椅子ではなく窓枠に座っていることとか。そんな、どこか物語じみた空気に俺は呑まれた。

 窓から流れ込む風が、少女の茶色い髪をわずかに揺らした。一本に纏められたそれが、風の動きに合わせて踊る。そして、その流れに押されるような形で。


「…………」


 少女が、扉を開けた俺に視線を向けた。

 ――何か言わなければ。

 硬直していた俺は、再起動と同時に咄嗟に考える。気を呑まれていたのがよくなかったのだろう。今の俺ではまだ、こういった事態に対処できるだけの経験値が足りない。

 そのせいだろう。咄嗟に出た言葉は、さきほど聞いた印象的な事実に引きずられて。


「――あの、間違ってたらごめん。もしかして、友利さん?」

 違ってたらどうするつもりだ、という疑問は言ってしまってから浮かんだ。

 茶髪の少女は、俺の問いに露骨に表情を歪めた。やっぱり違っていたのかもしれない。先に登校していると聞いていたから、もしかしてという期待が俺を急かしてしまった。

 慌てて俺は言う。

「あ、えと……ごめん。違ったなら――」

「――ああ。いや、合ってるけど」

 合っていた。俺はほっと息をつく。

 そんな俺に少女――友利叶は続けて言った。

「なんで、わたしの名前、知ってんの?」

「…………」

 間違っていたらどうしよう、ではない。

 合っていたら、それはそれで不審がられると気づくべきだったのだ、俺は。

「あ、ごめん。瑠璃さ――えっと、かんな荘の管理人さんに名前を聞いてたから」


 笑顔を取り繕い、敵意がないと示すように手を広げる。

 落ち着きさえ取り戻せばこちらのものだ。別に特別なことをする必要はない。ただ普通に、同級生であり、同じアパートに住んでいる友人候補に挨拶すればいいだけの話だ。

 友利は、やはり怪訝そうに目を細めて言う。


「かんな荘の……?」

「そう」俺は笑顔のままで。「初めまして、かな。俺、かんな荘の一〇二号室の住人です。友利さんとは、隣同士ってことになると思うんだけど」

「ああ……え? じゃあ、隣に越してきたのって、まさか――」

「初めまして。我喜屋未那です」

「……あー」友利はしばらく視線を彷徨わせてから、やがて言った。「初めまして。友利叶です。一〇三です……というか、一の一です、というか」

「まさか同じクラスとは思ってなかったよ。なんて言うか、よろしく!」

「……こちらこそよろしく」


 そこでようやく、俺は教室の中へと足を踏み入れた。友利の警戒を解くことに成功したと、そう判断したからだ。

 瑠璃さんは気難しい相手だというようなことを言っていた気がするが、この分ならそう悪い関係にはならないだろう。思っていたよりずっと普通だったし、どころか思っていたよりずっとかわいらしい女子だった。多少、浮かれてしまったことは否定できない。


 なぜなら俺は弱運だ。

 だから、自分の人生にこんな幸運があるとは思っていなかったのである。

 お隣さんがクラスメイトだった――言葉にすれば、これはそれだけのことでしかない。

 だが男なら、いや、青春を志す者であるのなら、この一大イベントに興奮しないはずがない。なんというか、これは、それほどに《劇的》な事件だと言えた。

 あるいは物語的と言うべきか。

 青春の始まりを期待させるのに充分すぎるシチュエーションだと言える。


 もちろんこれは、ただもたらされただけの幸運ではない。俺が自力で勝ち取った状況だと言えるはずだ。

 独り暮らしをしなければ当然、こんなことも起こらなかったのだから。

 青春的と言うかラブコメ的というか。別に友利と付き合いたいとか、そんなことまで今から考えているわけじゃない。ただ、こういう繋がりは、これから活きるはずだった。


 少なくとも、いい友達にはなれるはずだ。

 そんな風に――俺は思っていた。

 言い換えよう。

 どうしようもない阿呆だったということだ。

 自分の運の弱さというものを、俺はもう少し強く自覚しておくべきだったのだ。


「あーと。にしても、来るの早いんだね。何か用事でもあったの?」

 教室の中へと入りながら俺は言う。

 自分を、印象よく見せる方法については学んできたつもりだ。笑顔を作り、言葉を柔らかく、雰囲気でイメージを醸し出す。それを、ただ自然に行えばいい。

 入学式当日。教室で、これからともに三年間を過ごすクラスメイトに会ったのだ。その相手は、しかも同じアパートに住む住人で、おまけに結構かわいいときた。

 主役理論第一条――《機会を待つな、自らの手と足で奪い取れ》。このチャンスを逃す間抜けでは、主人公になどなれるわけがない。

「……そういうそっちは」


 果たして。

 少女――友利叶は、少しあってから俺に言った。


「なんで、こんなに早く来たの?」

「目が冴えちゃってさ」俺は笑顔で答える。「早く起きちゃったんだよ。まあ、この学校で友達がちゃんと作れるか不安だったし――早く行っておくのもいいかと思って」

「……友達を作りに来たってこと?」

 会話は続いた。相手側から疑問文を引き出せるなら悪くない展開だ。それは互いに興味を持っていることを示す儀式のひとつだから。僕は頷く。

「あそこで暮らしてるからわかるとは思うけど、引っ越してきたところだからね。こっちにはまだほとんど知り合いがいないんだ」

「なるほど。それで早めに来て、粉をかけておこうとしたわけだ。ま、確かに入学の朝に早くから来るような生徒は、が多いか……ちょい誤算だな」

「そういうことかな」と俺は答えたが、なんだろう、なんか言い回しが引っかかる。「できれば友達は多いほうがいいだろ? そういう意味ではちょっと安心したよ」

「……安心、ってのはなんで?」

 きょとんと首を傾げる友利。茶色のポニーテールがわずかに揺れる。


 ずいぶんと眠たそうに見える少女だった。あるいはに見える、と言ってもいいかもしれない。会話自体は続いているのだが、なぜだろう、興味を持たれている気がまるでしない。まるで人工知能と対話しているかのような気分になってくる。

 その印象を強めるのが彼女の瞳だ。半開きで気力がない。少し釣り上がった口角と合わせると、なんだか苦笑――いや、冷笑されているような気分になってくる。友利にそういうつもりがあるとは思わなかったが、とにかく無気力的な印象が強い。

 無論、そんなことを考えている事実はおくびにも出さない。


「そりゃ同じアパートの住人が同じクラスだったんだから。これから、いろいろ会うことも多くなるだろ? まあ、そういう感じで、できれば仲よくしてほしいなって下心」

 友利は苦笑した。

「下心って自分で言うんだ?」

「あ、別に変な意味じゃなくってさ。俺、独り暮らしとか初めてだから。いろいろ苦労することもあるだろうし、お互い協力できればいいなっていう話。気を悪くしたらごめん」

「こんなことで気を悪くしたりしないよ。実際、本当――驚きの偶然だよね」

「それは同感。まさか、隣室の住人が同じクラスだとは思わなかった。運がよかったよ」

「なるほどね」と、友利は呟いた。「なるほど。――君は、か」

「え……?」


 俺は、思わず口籠る。

 別に友利の口調が変わったわけじゃない。彼女はまったく変わっていない。だから、言うなればこれは虫の知らせ、あるいは勘から来る予知じみた印象のようなものだ。

 人間、悪い勘は得てして当たるもので。

 友利は言う。これまでとまったく変わらない口調で、当たり前のことを告げるように。


「ごめんね。えーと、我喜屋だっけ。これ、言うつもりなかったんだ、本当は。ただこれまでの会話から読み取れる君の性格と、あとは隣室にして同クラスっていう、あり得ない偶然から、仕方なく言うことなんだけど……本当、神様ってのは性格が悪いよね」

「……友利、さん?」


「――わたし、君とは関わりたくない」


 一瞬。言われたことの意味が、俺は理解できなかった。

 ショックだったとか、そういうことじゃない。もはやそれ以前の問題だ。

 だが硬直する俺を尻目に友利は続ける。


「ごめん。別に我喜屋のことが嫌いだとか、そういうことじゃない。ただ合わなそうっていうだけの話ね? お互い、関わらないほうがいいと思うんだ。まあ何言ってんだこいつムカつくと思われてるだろうけど、そう思ってもらったほうがいっそ都合いいよね」

「何、を……」

「単純な生き方の話。変な女にいきなり噛まれたと思って諦めてほしい――いや、本当にそこは申し訳ないんだけど。これはわたしが悪いから。でも、ごめん。ちょっと我慢できそうになかった。君とわたしの生き方は合わない」

「生き方が……合わない?」

「そう。――


 友利叶は、そんなことを俺に言ってのけた。


「いやマジでごめん。急に変なこと言い出して本当に申し訳ないって思ってる。ただ君はこれから学校で友達をたくさん作って、いい青春を送ろうとしてるんでしょう?」

「……、……」

「それはわたしとは合わない。本当――本当にごめん。これで部屋が隣とかじゃなければ、わたしだってこんなことを言うつもりなかったんだけど。でも、言っとかないとたぶんこれはダメだったっぽいから。お互い、無駄に消費していい時間なんてないでしょ?」

「……、……」

「――そういうこと。ごめんね、入学式の朝に早々、気分悪くするようなこと言って。わたしはちょっと出かけてくるからさ、君はこのまま教室にいてよ、申し訳ないし。そろそろみんな登校してくるだろうから、そしたらたくさん友達作って、それでわたしのことは忘れてほしい。……なんか、すっごい長い話したよね。いや本当にごめん。おかしいな。こんなこと、本当に言うつもりなかったんだけど……」


 そんなことを言うなり、友利叶はつかつかと歩き始めた。

 これで話は終わりだとばかりに。巻き込んだことを申し訳なく思うかのように。

 隣人は、俺の計画を頭から完全に叩き壊した。


「――待てよ」


 だから。

 気づけば俺は、教室を出て行こうとする友利に声をかけていた。


 友利は立ち止まってこちらを振り返る。

 そこには、本当に失敗したと恥じるような、悔いるような表情が浮かんでいる。


「……うん。まあ、そうなるよね。一方的に勝手なことばっか言ったし。わかった。文句はちゃんと聞く――罵倒してくれても受け入れる。それだけはわたしの責任だ」

「いや」俺は静かに首を振る。「ただ、ひとつ質問があるだけだ」

「――へ?」

 そこで初めて、友利は驚いたように目を丸くした。半開きだった瞳が全開になる。


 なぜか、俺はその表情を友利に作らせたことに妙な達成感を覚えていた。

 少なくとも、さきほどまでの眠たげな表情よりは、友利の中心に近いところへ接近できたからか。

 わずかに友利は、狼狽えたようにこう言った。


「思ったより、と言うか思った以上に変わってるね、我喜屋。てっきり、何いきなり喧嘩売ってんだコラ、って怒鳴られるかと思ってたよ。質問って」

 驚かせることに成功すると。

 もっと驚かせてみたくなるのが俺だった。

「いや。それがお前の生き方なら、別に俺が怒ることじゃないだろ。安心しろよ、今のを言い触らしたりもしない。別に怒ってもいない。お前が言ったことは間違ってない」

「……バカなの?」

「その反応には怒ってもいいかもな?」

 俺は苦笑。それに、友利はまた面喰ったようだった。


 実際、別に怒っていたわけではない。単にそこまで辿り着かなかっただけかもしれないが、自分の中に沸き立つ感情をいくら掘り返しても、そこに怒りは見当たらなかった。何か言い返してやろうと呼び止めたわけだが、何を言うか考えていたわけでもない。

 ただまあ、申し訳なさそうに、そしてその後は驚きを露わにした友利の姿に、どうやら気勢を削がれたことも事実ではあっただろう。だから訊ねようと思ったのだ。


「――友利。お前の言った、脇役哲学ってのはなんだ?」

「訊きたいことってのは、それでいいのかな」予想していたように友利は頷く。「もちろん答えるよ。いきなり失礼なこと言ったわたしの責任として、それはね」

「含みがあるな」

「話が早くて助かるよ、我喜屋。まるで鏡の中の自分と話してるみたい」

 そんな、どう受け取っていいのか判断に困ることを言う友利。

 ただ否定はできない。理由はわからない――けれど似たようなことは俺も考えていた。

 相手がこれから言うことを、聞く前から知っているかのような。そんな錯覚。

 友利は言った。

「――、のかな……まあともかく。それを答えるからには、わたしがやらかした失礼については流してほしいってこと。これで手打ちにしてほしいっていうお願い」

「質問に答える代わりに?」

「そうだね。これもわたしから言い出すことじゃないだろうけど。でも、我喜屋になら通じるんじゃないかって今、なんとなくだけど思った。だから言った。怒る?」

「怒らない。オーケー、その約束は守る。俺とお前の間に、これで貸し借りはなし。それでいいな?」

「いいよ。願ってもない。これは失敗した関係を清算する、その手切れ金」


 奇妙な会話だった、と思う。傍から聞いている人間は、きっと意味がわかるまい。

 だが、奇妙には思わなかった。そのことが何より奇妙だった。

 俺には友利の考えが何もわからない。にもかかわらず、――たとえるならそんな感じ。奇しくも友利の言った、鏡の向こうを見るのに似た。

 どこか似通っていて、けれどその相似が差異の証明で。同じところから歩き出したのに、まったく正反対の道を選んだかのような。全てが反転した鏡の世界を覗く気分。

 果たして、友利は言った。


「――世界をひとつの物語だとするのなら、わたしはその脇役として生きたいんだよ」

「主役じゃなく?」

「脇役」友利は笑った。「それが、最も素晴らしい生き方だと信じている」

 思えば友利の笑顔を、俺はこのとき初めて目にした。

 決して表情が変わらないわけではない。むしろ、ローテンションに保たれているだけで、わかりやすい奴ですらあっただろう。だが笑顔だけは、これまで友利は見せなかった。

 あるいは俺も、彼女に笑顔を見せていなかったのかもしれない。

 ツールとして繕った笑顔ではない――安い表現をするならば、本物の笑顔というヤツを。

「『意味がわからない、説明になってない』」と、友利は言う。「って、そんな風に言ってくれていいんだよ? わたしも別に、通じると思っては言ってないから」

「そうだな。確かにわからねえ」と、俺は答えた。「なんでそんなことを言うのか、俺にはちっとも理解できない。なんだそれ? そんな人生が楽しいとは思えないな」

「……それは」

 友利がわずかに眉根を寄せる。答える代わりに俺は言った。

「――世界をひとつの物語だとするのなら、俺はその主役として生きたい」

「……………………」

「それが、俺が高校に入学するに当たって作った主役理論だ。独り暮らしを始めたのもそのためだし、まあ、ほかにもいろいろ。色鮮やかな青春を過ごすための理論を、整えてから俺はここに来た――だから、お前の言っていることには一ミリも共感できない」

「……それ、共感はできなくても、理解はしたってことだよね」


 頭を抱える友利だった。

 だが、その気分は俺もまったく同じ。こんな偶然、あっていいものだろうか。


「本当――あり得ない。こんな偶然、最悪すぎるんですけど。なんで言いたくなったのかわかった。我喜屋が、わたしにとって正反対の人間だって直感したからだ」

 そして同じ感想を友利が言葉に変える。

 なんてことだろう。電話で奴が言っていたのはこのことなのか――そんなまさか。


 だが、現実はこうして目の前に歴然と存在した。どこまでも相容れないことがわかった相手と、お互いの間でしか絶対に通じないであろう会話を交わす、そんな矛盾。

 初対面の相手と、こんな会話をすることになるなんて誰が思うだろう。俺の計画が始める前から狂ってしまっている。こうまで正反対の相手と、いちばん最初に出会うなんて。

 弱運ならざる、それは強運の境遇で。

 けれど、結果的にもたらされるものが俺にとって邪魔にしかなっていない。

 俺は友利と顔を見合わせた。笑ってしまいそうになったが、けれど笑いなど出てこない。


 ――ていうかまったく笑えない。

 最初に友達にしようと選んだ同級生にして隣人が、まさかのこの世にふたりといないであろう、天敵とも言っていい正反対の人間で、しかもそのことをお互いが初対面の段階で暴露し合うだなんて――劇的は劇的でも、これは喜劇でなく悲劇だろう。

 ラブコメディには程遠い。


「いや、うん。……まさかこんな感じになるとは思わなかったんだけど。いやマジで」

 なんだかものすごく気まずそうに友利が言った。

 だが確かに。考えてもみれば、この状況は酷く気まずい。変人扱いされることを覚悟の上で振る舞った友利を、いわば俺は完全に理解しきった上で結論を違えたようなものだ。

 わかってしまったがゆえに耐え難い。そんな、奇妙な空気が流れていた。

 俺は言う。

「俺だって予想外だっつーの。ラブコメの波動が消え去ったようなもんじゃねえか」

「あらら。それは、何? わたしとの運命的な出会いに、何かしら浮かれていた的な?」

 友利は答えた。それを肯定することが、なぜだろう、こいつ相手だと恥ずかしくない。

「いや、そりゃそうだろ、お前。こちとら高校生活を最高のものにするために、いろいろ準備してきたんだ。それで隣人がクラスメイトで、しかも女子だぞ? この状況で、期待しないような男子高校生がこの世に実在するわけがない」

「わたしでなんかごめん、とは言いたくないな。こっちだって、脇役として楽しい青春を送るために一念発起して独り暮らしを始めたってのに、隣の部屋に同級生が越してきたとか聞かされてさ。だから、なるべく関わらないように距離を取ってたってのに……」

「やっぱ避けてたのか、俺のこと」

「いや、そりゃそうでしょ。通学がいっしょにならないように早く出てきたの。いっしょに登校しようとか誘われたら断れないじゃん。適切な距離感をというものを取りたいの」

「断らないのか? 友利なら断りそうなもんだが」

「わたしのことただの性格悪い女と思ってない? 今回はレアケース。わたしは平穏に、ごく普通に、盛り上がりなく自分ひとりで自分の人生を愉しんでいきたいだけ。わざわざ敵を作るような真似はしません。だから脇役なんじゃん」

「うわ、つまんなそ」

「いや、うっさいわ」

「しかもそれで結果的に失敗したわけだろ?」

「ブーメラン。――マジで本当に最悪だよ。なんで? ねえ、なんでこうなるわけ?」

「んなこと俺が知るか。そもそもこっちの台詞だっつの。いや本当マジなんだこれ……」


 しかし、嘆いたところで現実は変わらない。

 劇的で刺激的で衝撃的で――にもかかわらず望んでいたものとは違う出会い。

 脇役哲学者、友利叶との邂逅。


 しかし、ここまでならまだ、これはそれだけの話でしかない。

 彼女の言う通り、お互い適切な距離感さえ保つことができるのなら、お互いの目的が相反することはなかった。 

 よってこの顛末にオチをつけるならばひとつ。


「――まあ、そういうことだから」


 友利が言って、俺が答える。


「ああ。そういうことだから――」




 ――これから三年間、どうぞよろしくしませんように。

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