第12話
母親の話は、そう長くはなかった。
「……過去形、か」
およそ、それで話がつくことであった。
アリスはデイズの言葉で再び黙りこくり、数分後、炎が弾けるころに、またポツポツと話し始めたのだ。
「……ここから西にある港街に、私たちは住んでいました」
「ミオナ」
「―――――西の状況、私が言ってもいいの?」
声を澱ませる少女に、狼男は嫌な予感を覚え、尖った耳を垂らすと、深いため息ともに立ち上がった。
そうして、椅子に深く腰掛け足を組むとうつむく少女を見つめる。
「言いたいことのみを、語るといい」
「……」
「ここに強制はない。すべてがお前の自由だ、息を吸う権利も息を止める権利も、お前にはある」
なんとも残酷な言葉だ、自分で語りながら、狼はその毒気に苦い表情を滲ませていた。
パチリと炎が薪の中で爆ぜる。
火の粉が仄暗い小屋の中を掠める。
どれだけの時間が経ったろう。
少女は深く息を吐いた。
「……西の港町は、滅びました」
嘆きに声も出なかった。
彼女の言葉の裏に、狼は『景色』を見た。
「みんな……死んでしまいました」
燃えていく街並み。
地に臥せる人々。
流れ落ちる血。
聞こえるのは人の嘲笑と、弾丸が爆ぜる音。
瓦礫が広がり、建物は崩れ、血と硝煙と肉の焦げる匂いが広がるのを感じ、狼は忌々しげに鼻筋にしわを寄せた。
「――――そうか」
「アリエスト。最近壊滅したって聞いたけど」
戸惑うミオナを横目に、デイズはアリスの語りに尖った耳をひくつかせる。
「……たくさんの人がやってきて、町中に旗を立てて、みんなを殺していきました」
「どんな旗だ?」
「蛇と杖の旗です」
「再生と知識の象徴か。……ミオナ、認識の共有だ」
「こっちは一応名家の旅商人よ、聞くまでもないわ、隣の大陸を侵略中のメイガテス公国のものね」
「どさくさに紛れて、アルドシア王国を攻めてきたか」
暖炉の上に置いていた細い葉巻を手に取ると、狼男は苦い面持ちはそのままに、炎に葉巻を近づけた。
やがて先端に燻りが灯り、狼は口に葉巻を咥えた。
「ふぅ。いやな気分だ」
「デイズッ。葉巻やめたんじゃなかったの?」
「……昔を思い出してな」
苦笑いを滲ませつつ、膨れるミオナを横目に、狼は一息煙を吸い込むと、葉巻を炎の中に投げ捨てた。
そうして再び椅子に座り、アリスに向き合う。
「……おふくろさんは?」
「……」
「そっか」
「私は、お母さんに会いたい」
「―――――俺の話は誰から聞いた?」
彼女は顔を僅かに上げた。
「……お母さんを殺した、兵士から」
その目は、紅くにじんでいた。
その目は、黒く澱んでいた。
その目は―――――痛みで満ちていた。
狼は何も言わずため息をつくと、ミオナへと振り返り、苦虫を噛み潰したような表情を滲ませた。
「ミオナ」
「難民を受け入れるつもりはないわ。それにこの子の目的は、アルス・アインの賢者を殺すことでしょ?
私が何か、提案を出したところでこの子は確実にそれを拒否するでしょう」
「ひどく冷たい」
「それにもう、選択肢は与えたんじゃない、あんたのことだから」
狼は肩をすくめると、俯く少女の顔を覗き込むと、積む宅濡れた頬を温めるように撫でた。
「さて、選択肢はそう多くない。アリス、お前もわかるだろう」
「……」
「母親はどうあれもういない。お前が望むのは、俺の死か、それとも母親を殺した奴らの死か」
「……私は」
「それとも、母親との幸福か」
柔らかな頬をさする毛深い指が、涙で濡れていく。
狼は苦笑いを口の端に滲ませると、俯くアリスから手を放し、そっと彼女の髪を撫でて囁いた。
「泣くなよ。俺を誰だと思っているんだ?」
「……」
「人理や秩序なんて興味はないんだ。人は人が望むままに世界を変えていき、世界は人が望むままにその形を変える。
お前はお前のままに世界を望むといい。俺はその背中を押そう」
「デイズ……さん」
「いい子だ。俺の名前、憶えてくれたんだな」
牙を覗かせ、満面の笑みを浮かべる狼に、赤らめた眼を見開き、アリスはその瞳を見開いた。
その目には、銀毛の狼男が楽しそうに笑っているのが見えた。
そして、その一瞬―――――悲しげに双眸を細めるのが見えた。
狼男、デイズ・オークスはやがて立ち上がり、その手首をさすりつつ、長い尻尾を翻し踵を返す。
そうして、パチンと指を鳴らし、ため息を吐きつつこうささやいた。
「森の奥へ行こう、アリス」
「え……?」
刹那、暖炉の火が一瞬で消える。
薄暗い闇の中、紅い瞳が闇の中で尾を引いた。
ニィと牙を剥き嗤う銀毛の狼男の横顔が見えた。
「―――――アルス・アインを起動する」
「アルス・アイン……」
「アリス。目に見るがいい。今こそ世界を改変する時だ」
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