第10話

「―――――シオナ、か」

 古い、遠き夢の狭間から目を覚まし、気が付けば、どれくらいかの時間が経っていた。

 デイズは、小さく息を吐き、体を起こし薄暗い天井を見上げ、双眸を細めた。

 懐かしい景色だった。

 何もかもが色あせていたと思っていた。


 ――――思い出を大切にな。そうでなくても信じたやつはもういないんだから。


 ああ。

 長い刻を経てようやくわかる、自らへの鋭い言葉。

 尖った耳を垂らし、狼男は力なく笑みをこぼすと、椅子から立ち上がろうとした。


 


「さて……それで俺を殺せるかな?」

 立ち上がろうとした足が止まり、狼はゆっくりと椅子に座る。

 背中に刺さる気配。

 迫る鋭い刃が止まり、殺していた吐息が、ようやく吐き出され、その膝が震え始める。

 銀の槍を持つ手が冷たく震え、少女の唇がカチカチと震える。

 狼はその赤い双眸を細めると、いまだ作業部屋のベッドで眠るミオナを横目に、作業台に置かれた道具に手を伸ばした。

「まぁ、何を望んでここに来たのか、多くの者はこう語るよ。俺の死か、神獣の狩りを望む、とな。

 そこで他愛なく眠るミオナもそうだった。何かに駆られ人は刃を俺に向ける」

「……」

「殺す決意はあるのかな?」

 少女の手が震える。

「あ……」

「ん?」

「あなたが……死んだら、母さんが、助かる」

「―――――子どもが抱くにしては、壮絶すぎる」

 深いため息とともに、狼は彼女に一瞥もせず、地価の作業部屋、薄暗い部屋の中を歩き、一つの棚の中に手を伸ばした。

 そうして、取り出すたるは二つの小瓶。

 壁に掛けられた松明に照らされ、映し出されるのは透明な容器に入れられた透明な液体だった。

 狼は腰を落とし、銀の槍を両手に抱え込む金髪の少女の顔を覗き込んだ。

 ニィと屈託なく笑う口の端。

 スリスリと地面を撫でる長い尻尾。

 他意なく、優しく微笑みながら、両手につまんだ二つの小瓶を突き出す狼男に、少女は後ずさる。

「な、なに……」

「まだ君の名前を聞いていなかったかな?」

「……アリス……グリーンフィール」

「アリス。いい名前だ。きっと将来、見目麗しい女性になることだろうよ」

「……」

「選択を与えよう。賢者から君に与えるものは二つだ」

 その言葉だけで、その小瓶は松明に揺れ、茜色に色づく。

「一つは紅い薬。飲めば全ての病、全ての怪我を癒し、魂の傷を癒す、原初の霊薬である。別名、賢者の霊薬エリクシールだ。

 一つは黒い薬。掛ければ全ての命を奪い、魂を汚し、大地を抉る、根源を司る劇薬だ。別名、愚者の麻薬エリクシールだ」

「……」

「選べ。二つのうち一つが、お前の未来となる」

「わ、私は……」

「問おう。お前の決意を。お前は何を求めて、ここに来た?」

 少女の手が震える。

 カランと銀の槍が足元に転がり、少女はその震えた手を伸ばした。その先には狼男の手に握られた霊薬があった。

「アリス。人生はいつだって取捨選択だ。取るべきものを取り、捨てるべきものを捨てる。いつだって人生の後ろには自分の望んだものしか残らない。

 選択するのは、君の決意だ。それは死して自らの魂を選定されるまで決して変わらないものだ。

 選ぶといい。悔いのないすべてを選ぶといい」

「……」


 ―――――狼はにやりと嗤った。


「だがな、幸か不幸か―――――人間には、その手が『二つ』あったんだよ」

 少女は手を伸ばした。

「やはりヒトの『創り』方を間違えたな、神様よ」






「んんん……」

 眠気が晴れていく。

 眠っていたのだろうか、筋肉痛で全身がきしむような感覚が走り、ミオナはあくびを凝らしながらベッドから上体を起こした。

 そうして目をこすりながらあたりを見渡せば、そこは薄暗い魔術工房。

 どれくらい時間が経ったのかわからず、ぼんやりとあたりを見渡していると、低い声が聞こえてきた。

 それは聴くだけで胸が爆発しそうな声だった。

「そう、それでいい」

「あ、デイズ―――――」

 そう言って目を輝かせ振り返れば、そこには、年端もいかな金髪の少女がうつむきがちに立っていた。

 そしてその頬を赤らめる少女に胸に手を伸ばそうとしている、銀毛の狼男がいた。

 狼は爽やかにほほ笑んでいた。

 少女は恥ずかしそうに俯いていた。



 ――――であれば、有罪であろう。



「お、ミオナ。起きた―――――あぶなぁい!」

 驚く狼男の目元を掠め、壁に突き刺さる槍。

 ミスった。

 ミオナは軽く舌打ちをすると、ベットからを飛び起きながら、虚空に手をかざして、獣のごとく双眸を細めて囁いた。

 ソレは、代々ハークウェル当主にみ伝えられる、対災厄兵装の一つ。

「来なさい『ガウェイン』!」

「待て待て待て待てそれを出すようなシチュエーションじゃないでしょ!」

 威力は、目の前で戸惑う狼男が最も知っているはず。

 ミオナは、虚空から錬成されるその三連装リボルバーカートリッジ式ハンドキャノンを握りしめると、壁に張り付く狼男の口に、長いバレルを咥えさえた。

「ごぼぉ!」

「理由は聞いてあげる」

「あ……お、おっぱお……意外と、大き……」

「選びなさい、死ぬか殺されるか」

「かはっ。一緒だと思うのだからやめて!」

「じゃあ選ぶ余地もなさそうね」


 口に咥えていたバレルをはがすと、狼は壁に押し付けられながら苦し紛れなことをのたまっていて、ミオナは一笑に臥したのちに、そのバレルを今度は眉間に突き立てた。

 いよいよ以て、最後通牒である。

「言い逃れする?」

「いやいやいやするだろう」

「ふうぅん」

「うん、オッパイの大きい幼女だぞ!触るだろ、男はみんなケダモノだぞぉ!?

 ムニムニするでしょFは下らんぞ、君のお父さんとかお母さんのオッパイ触りまくりよ!?それでミオナ・ハークウェルが生まれたんだつまりオッパイは生命の心理だぞ!」

「ああ、偉大なるアルス・アインの賢者の墓にはそう書くわ」

「待て待て待て待て嘘だろさすがに死ぬに死に切れんわ! トリガー動かすな、シリンダー回るだろう!」

 ガコン

 重たい、まるで巨大な門の錠を開けるような音とともに、トライポッドシリンダーが回転する。

 其れとともに、バレルが上下に展開し、その顎に光が収束していく。

 トリガーが強く引き絞られ、少女はまるで冷たい、養豚場の豚を見るような眼で囁く。

「……死になさい」

「待てってぇええええええええ!」


 光が薄暗い闇を走り、壁に掛けられた松明の炎が揺れた。

 呆けて見つめる少女アリスの目には、その銃口が、まるで閃光を放つ白き竜のごとく瞳に映った。

 その胸元には二つの便が抱かれていた。

 少女は、その銀毛の狼男の、決して揺るがぬ意志を持つ瞳を見つめていた。

「デイズ……オークス」

 少女のか細い声が、弾丸の閃光の中に消えた。

 

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