第9話

「――――シオナ、いい名前だ」

 手に持った巨大な拳銃を腰のホルスターに納めると、銀の狼男はうつむきがちにニィと牙を覗かせ嗤って見せた。

 その体躯は大きかった。

 見上げるほどで、獣特有の長い尻尾は、まるで竜のようであった。

 

 ―――――おかしい。

 

 こんな生き物は、この世にいないはずだ。

 獣の、しかも狼の身体をした、人間。

 人面犬よりも気味が悪く、だがそこには、空想でしか存在しないはずの狼男が飛び散った血しぶきをぬぐいつつ立っていた。

 腰には先ほどの巨大な二丁の拳銃と、道具入れようのポシェットがいくつか。

 灰色に掠れたマフラーを首に巻き、擦れたシャツを着込んだその大男は、確かに人間のようだった。

 だが、その体を覆うのは銀の体毛。

 長い爪に、長い尻尾。口腔は突き出て獣のようで、耳は尖ってさらに獣のようだった。

 瞳は血のように赤く、突き出た牙はまるで猛獣のよう。

 それはまさしく狼のよう。

 いない。

 こんな生き物、この世にいないはずだ。

 不信感に、体が震え、痛む足を引きずり後ずさりながら、少女はその狼の頭をした男をにらみつけた。

「……何者なの?」

「お前と同じ人間だよ。そう邪険に扱うなよ」

「……」

「俺はお前を助けてやったんだぜ」

「頼んでいない」

「頼まれてやる人助けなんて中々ないものだ」

「そこまで恩を着せる輩も相当珍しいわね」

「そうでもないさ。銭の一つぐらい、せびってやってもいいさ」

「何が目的……?」

 狼男はニィと深く嗤った。

「嬢ちゃん、ここで人と待ち合わせでもしたのかい? ずいぶんと急いでいたみたいだが」

「……」

「誰に追われているんだい?」

「――――アルドシア」

 アルドシア帝国。

 アンティオキアの世界において、その七つある大陸のほぼ半分以上を支配する巨大な大国。

 そして同時に、従わぬものすべてを蹂躙する圧政の国であった。

 それは、国の内外を問わずすべてを飲み込もうと、侵略しようと、全てを屈服させようと、蠢いていた。

 それは、悪の象徴。

 ソレは倒すべき敵。

 少女の目は、蒼く空をにらみつけていた。

 もはや地も海も空すらも、彼らに征服された世界を見上げ、それでも空を睨んでいた。

 その険しい表情を見つめる狼男は、ポケットから細い葉巻を取り出し、口に咥えて肩をすぼめて見せた。

「その細い腕で何を掴むのかな?」

「……私は、伝えないといけない」

「何を?」

「……」

「ったく」

 シュボッと指先から吹き上がる火花。

 炎がかざした指先から漏れ出し、狼男はスゥと息を吸い込むと、紫煙を燻らせ、彼女を見つめた。

「やめておきな。その先は地獄だ」

「知っている」

「大きな敵だ、一人の女の子が敵う相手じゃない」

「散々きいたセリフよ、散々抑えてきた言葉よ。今更、見知らぬあなたに言われる言葉じゃないッ」

「年長の言葉は聞くものだ」

「私には、覚悟がある、この命投げうってでも、奴らに報いるしかないの!」

「……」

「でないと……みんなが!」

「―――――バカだなアンタ」

 紫煙を吐き出し、小さく一言を漏らし、狼男は踵を返した。

 そうして、長い尻尾を荒野の砂風になびかせ、小さく手を振りながら、翼竜の骸を蹴り飛ばしながらその場を後にした。

 そうして、砂嵐の向こうへと消えていく人影を見つめながら、少女は血を流しながら、返り血を流しながらよろよろと立ち上がった。

 構わない。

 二本の足が動くのなら、歩かないといけない。

 かつて裏切ってしまった皆のために。

 生き延びてしまった自分の罪のために。

 彼女は前のめりに、体を引きずりながら歩き出した。


 ―――――ああ、それでも血を流しすぎた。

 

 ドサリと土煙上げて、その場に崩れ落ちる肢体。

 息を切らし、前に体を進めようとも、決して意志に脚は従わず、幼い少女は肩で呼吸をしながら、苦し気に項垂れた。

 眠気がやってくる。

 意識がもうろうとし始める。

「―――――だめ」

 記憶が何度もリフレインする。

「だめ……!」

 遠い昔の思い出が何度も目の前をよぎっていく。

「いや……!」

 視界を霞ませながら、記憶と現実が混濁しながら、地面がゆっくりと目の前に近づいていく。

「いや……!いや……!」

 意識が地の底へ吸い込まれる。

 もう、タスカラナイ――――――

 



 ――――――まだ、死にたくない。









「ったく、変わらず頑固だ」

 次に聞こえたのは、低く、それでも優しげな声だった。

 粗っぽい風の中、機械の駆動音と金属の軋む音が聞こえる中、それでも優しく笑う声が聞こえた。

「聞こえるか。次の街の宿まで送ってやるよ」

 目を開けば、そこには雲間に見える青い空が見えた。

 動く景色が視界の端を捉えた。

 何かに乗せられ、揺られる自分がいた。

 光が差し込み、影が少女の体を覆った。

 それは大きな狼男の影だった。

「自分で自分の信じた道歩くなんて、無茶はこれで最後にしておきな。先達からのアドバイスだ、人と人は支え合って生きていくものだ。

 少なくとも、お前の信じた連中は最後までそう思って生きていたと思うぜ」

「……うるさい」

「思い出を大切にな。そうでなくても、お前の信じた連中はもういないんだからよ」

「うるさい……!」

 ガタガタと、荒野を土煙を上げ走るバギーに揺られながら、後部座席で体を横たえる少女は、小さな毒を吐いた。

 その声を聴き、狼男は口にはに結わえていた葉巻を捨てた。

 紫煙が尾を引き、土煙の向こうへと消えていく―――――

「アニキッ。来たよッ」

 刹那、尾を引き巻き上がっていた土煙が、一瞬で晴れる。

 後ろから来る、無数の気配、圧力に風が後ろから吹き荒れ、荒野を走るバギーが一瞬持ち上がったのだ。

 勢いよく踏みつけられるブレーキ。

 タイヤが急停止し、車体を僅かに持ち上げ、滑りながらバギーは停止する。

 その荒っぽい運転に、少女はよろめきながら、頭を押さえ上体を起こすと、止まった景色を見渡した。

「な、なに……?」

「お前が求めたものだよ」

 そう言ってバギーから降りると、狼男は両の手に巻き付けていた麻布をほどき始めた。

 絵美を滲ませ見つめる視線の先、そこには土煙を上げ迫る何かがあった。

 それは、無数の人の影。

「アレは……!」

「アルドシアの地上部隊だな。一個大隊をよこすなんざ、太っ腹もいいところじゃないか」

 文字通り、雪崩のごとく押しつぶそうと、地平線一杯に広がる人影に、狼男は手首をさすりながら、ほくそ笑んだ。

 そして手から解け、虚空に揺れる包帯を強く握りしめ、囁く。

「ミシェルッ、観測しろ!」

「約529人。全員魔獣兵装に乗っているよ」

「上々だ。そうでなければ使う価値がない」

 そう言って、土煙を上げ泊まるバギーから飛び降りる狼男の背中を、少女はよろめきながら見上げる。

 その背中は大きく、その横顔は不敵な笑みを浮かべていた。

 ピンと指ではじかれ、宙を舞う葉巻。

 火の粉を眼尻に掠め、狼はスゥと紅い瞳を細め、近づいてくる無数の気配を視界にとらえる。

 ニィと牙を剥きだし、全身の体毛を逆立て、背中を僅かに丸めていきり立たせ、唸り声を鳴らして

「行くぜ……!」

 狼は―――――唱えた。

「シオナ・ハークウェル」

「……」

「見せてやる。荒野を一人で歩むものの、これが孤独への誓いと覚悟だ」

 

 ―――――大地が、うなりを上げた。


「目に見よ、これぞ偉大なる石術の祖たるナヒの神髄。

 敵が千とするなら、我は千の剣を以てこれに応じよう、万象一切虚空を裂き、決意を以て世界に道を切り開く。

 さぁ見せよ、星の息吹よ。これぞ千に連なる『神の一振り』である!」

 狼が唱えた次の瞬間だった。

「―――――これが星に仇名す全てを絶つ、石の剣である」


 大地から剣が亀裂を以て這い出す。

 白き石英の剣身。

 差し込む光を反射し、いくつも重なり合い、荒野が鈍い光を放った。

 立ち上る粉塵。

 地平を覆うように、荒野一体に突き刺さる無数の剣。

 それは石の剣。

 それはたった一人の担い手のためだけに生まれた、無数の剣の群れだった。荒野を覆うソレは、まさしく千を超える剣の野であった。

 狼はニィと嗤い、手元から伸びる一本に手を掛ける。

「では、相手になろう、有象無象はここで果てる。一切の希望なく、地獄に落ちな阿呆ども」

 その目は紅く、光り輝いていた。

 それはまさしく、後世に語り継がれる『アルス・アインの賢者』の御業であった。


 

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