第4話
白い森の奥深く、蒼き鱗の竜は泉に顔を近づけ、その水面を波立たせていた。
長い首が伸びて水を吸い上げる様は、音すら聞こえぬほどの静寂で、銀の狼男、デイズはその後ろ姿を見つめつつ、銀の槍を地面に突き刺した。
そして、胡坐をかき粉雪を僅かに巻き上げると、水を飲み終え、長い首をもたげる竜を見上げて相貌を細めた。
「半年振りか。竜王は元気かい?マグナ=フォートよ」
「老は変わらずだよ。今際にはお前に会いたいと、何度も俺に話すよ」
「逆に俺が聞きたいよ。あの爺さんいつになったら死ぬんだよ。百年前に半殺しにして、これでようやく天寿を迎えるだろう思って、こっちは百年待っているんだぜ」
「老の恋人に合うと言っただけで、何時も愚痴と説教を垂れられた俺に身になってくれ」
「元カレだよ。ぞっとするぜ」
「殺し合いは今までで何回目だ?」
「4回だよ。俺も一応昔勇者やっていたしな」
「それだけ逢引もすれば運命とやらも感じてしまうんだろうな」
「来世で合わないことだけは願っておくよ」
「アルス・アインに書いておけよ。俺は興味ないがな」
「見合う筆がないさ。そもそもアレは願望機じゃない」
「くはは。さすが察しがいいな。さすがは原初の賢者だけはある」
「―――――誘導尋問だろうが」
笑みをこぼす巨竜マグナの物言いに、狼男デイズは深いため息を漏らし、尖った耳は困った様子でペタリと垂らし、同時に項垂れた。
そうして、地面に横たえていた尻尾を丸めると、デイズは恨めしげに双眸を細めて巨竜の顔を覗き込む。
「で、なんだよ」
「半月前、老の星読みがあった」
「爺さんの占星術は古いからな。何か伝えたいことでもあったのかな?」
「『筆』の位置が指示されていた」
「あっそ……」
心底深いため息をこぼすデイズに、巨竜はわずかに首をかしげて、その狼男の顔を首を伸ばして覗き込んだ。
「どうした、嬉しくないのか?」
狼男は頬杖をついて、かぶりを振った。
「最後の起動からもう400年。アレが眠ってから人の繁栄はようやく軌道に乗り始めた。人間はわずかながらの平和と穏やかな生活を手に入れたのだ。
若造、神代の与太話は、もうこのアンティオキアには必要ないものだ」
「ソレは、我ら神造生物である竜族も同様であると?」
「俺も含めて全てアレと一緒に過去に眠るべきだよ。一人の生き物が世界をめちゃくちゃに変える、というのは、あまりにナンセンスだ」
「……」
「寂しがるなよ、そうなったらお前たちと一緒に眠ってやるよ坊主」
狼男は肩をすぼめて優しく竜の鼻筋を撫でると、青く澄んだ空を見つめ、ため息をこぼした。
「緩やかな滅びを望むよ。それとも竜王は夜に浮かぶ星の並びの中に、自分たちの最期を見たのかね」
「かもしれんな」
「それがわかっているから、腰抜けのエルフどもはこの世界を去っていった。今頃別の次元でオラついているんだろうよ」
「だが、その奴らも直に戻ってくるだろう」
「―――――だろうな」
深いため息とともに、デイズは立ち上がりざまに、槍を抜き取り肩に担ぐと、苦々しい面持ちで竜を見上げた。
「爺の予言は必ず当たる。占術と未来予知において、俺が未だ敵わない相手だ。だからこそ、『筆』はやってくるだろう」
「それに釣られて、かつてこの世界にいた、魔法を極めし森の一族も、か」
「連中は是が非にでもアルス・アイン、そして残り二つの魔術書を奪取したいと考えているだろうな。
上等だ。火傷したいっていうのなら、底抜けの痛みを与えてやるさ」
「了解だ。私はお前の答えを老に伝えてくる」
大きく広がる蒼穹の翼。
粉雪が大きく舞い上がり、風が渦を描いて巻き上がるたび、周囲の木々が見送りをするように、枝葉を大きく揺らした。
その風はまるでもう二枚の翼のように、竜の身体を覆っていき、その巨躯はゆっくりと空へと昇っていく。
「近々、老から召喚の要請が来るだろう。無下に断ってくれるなよ」
「そしたら茶菓子ぐらい出せよこのスカタンって伝えておけ。後お前の孫娘を二度と俺に近づけるなってな」
「なぜだ、お嬢は小さく愛らしくてお前にお似合いだが?」
「会うたびに炎で焼かれる俺の身になれ。後いつもそうだが、竜の相手は疲れて身が持たん」
「了解だ。じゃあな古き友人よ」
大きく巻き上がる白き雪風。
風を纏い、竜は空へと昇り、やがて雲の向こうへと消えていく。
風のごとき古き友を見届けながら、狼男は小さくため息をついて、槍を肩に踵を返そうとした。
―――――見つめる視線が一つ。
「ったく……」
深いため息をこぼしつつ、狼は木々の向こう、森の小屋へと足取りを進めた。
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