第199話 データ世界

 完全に失っていた戦意を取り戻し、立ち上がり深く息を吸う。

 もう一度、確かめるように隣を見れば、そこには不敵な笑みを浮かべる友の姿。見間違いでもなんでもない。

 温度のある息を、俺は吐き出した。


「お早い、お目覚めで。フェニクス君」

「全く、お前は……勝てそうにないなら最初から戦うなよ。仕事は終わったんだろ? なんで逃げないんだ」


 誰かの仇を討つ。そんなタイプでもないだろうに。やれやれ、と溜息を吐くフェニクスに、俺は何も言い返せない。


「いざとなったら逃げる。お前の口癖だが、それはいつだ? 悪いくせが出てんぞ」

「悪い。もう、見誤らない。失敗は、これっきりだ」


 俺の言いたいことは、伝わっただろうか。大丈夫だよな、お前なら。

 互いに笑いあった俺たちは、前を向く。


 俺たちを包んでいた炎――それはおそらくフェニクスの魔法――が消え、マッドが一歩前に踏み出してくる。

 何かを考え込むような素振りを見せるマッドは、いきなり襲い掛かってくるということはなく、フェニクスに問いかける。


「鳥くんは、なぜ生きているんだい?」

「伝説の生き物って言われるやつらはな、最初からそう呼ばれていたわけではない。伝説を作ったからこそ、伝説の生き物なんだ」

「言っとくけどお前、不死鳥先輩の話ともろ被ってるから」


 キングマジック、あの日の俺様をもう一度。正確には、勇者魔法リザレクション。怪訝な顔をするマッドに、フェニクスはそう言った。

 生涯でたった一度だけの、だがどんな魔法よりも強力な、勇者らしい魔法。


「エンジ。俺様はな、お前の魔力から生まれてきたんだよ」

「へぇ。ところで、キングマジックって何?」


 その魔法は本来、勇者としてこの世界にきた俺が持っていたもの。俺の魔力を一部切り取り、生まれたこいつが、その魔法も奪ってしまったこと。

 譲り受けていたのは気づいていた。でも言い出せなかった。俺の質問には無視を決め、そうフェニクスは説明する。


「すまねえな。本当は、お前が死んだ時にでもって思ってたんだがよ」


 使ってしまったと、柄にもなく後悔している様子のフェニクス。

 俺は一度鼻で笑うと、首を横に振った。


「そんな魔法、持たなくてよかった」


 心の底から、そう思う。

 辛いことや苦労したこともあったが、俺は今の自分をそこそこ気に入っている。そんな魔法を覚えていたとしたら、今の俺はここにいないだろう。

 それにな――


「結果的に、あいつを倒せる」


 魔力量も多く、今よりも少しだけ強い俺。

 今の俺はここにはいないと言ったばかりだが、仮に全く同じ条件で、現在のような状況になったとすると、マッドを倒せなかっただろう。


「ふひ、僕を倒すだって? よく考えてみてよ。なぜ、僕が逃げていないと思う?」


 お前の考えくらい、分かっているさ。

 傷が治っているとはいえ魔力がほとんどないフェニクスと、魔力を残しているとはいえ体中傷だらけの俺。加えて、マッドの再生能力。

 絶望的な、状況だ。


「そういやこいつ、俺様がいない間に随分と変わったな。強いのか?」

「まあ、俺は負けたぞ」

「自信満々に言うことか? やべえじゃん」


 どうすんの? と、アホ面を見せるフェニクス。反撃の時間だ、とか自信満々に言っていたくせに、こいつは……。


「ふひひひ! 気付くのが遅いよね。だから――」

「でも、勝てるよな? エンジ」

「もちろんだ」


 マッドの言葉を遮り、フェニクスは俺に問う。それは長年の付き合いからくる信頼か、それとも。

 フェニクスは俺を頼っている。そして俺も、そんなお前を頼らせてもらおう。

 一人で戦うのは、もう終わりだ。


「デジタルワールド、RUN」


 一度は失敗した魔法。それを俺は、再び展開する。


「これ、か……だがこの魔法は」

「お前は、何もわかっていない」


 俺の小さな魔力から生まれたフェニクスが、成長した。フェニクスが成長したことで、本来の勇者の力を上回った。

 一人より二人。俺たちは、揃ってやっと一人前。しかしそれは、一人では到底たどり着かない領域。


「頼んだぜ、フェニクス」

「任せろ」


 現れたデジタル空間。先ほどと異なるのは、俺の側にフェニクスが立っていること。


「進め、フェニクス。あの野郎を、粉々にしてやれ」

「ああ」


 俺の魔法を信頼し、俺の言葉を信頼し、前に進むフェニクス。その顔には、自信というものが張り付いていた。


「ふひ、ふひひひ。ああ、そういうこと……」


 互いに一歩、二歩。マッドが、乾いた笑い声を上げる。

 空間内にいる全員、魔法は使えない。ならばあとは、近づいて殴り合うだけだが、俺は一歩も動かない。


「戦うのは俺ではない。魔物の王、フェニクスだ」

「どうも、ご紹介に預かりましたフェニクスです。木っ端微塵にしてやるから、楽しみにしとけや」


 並列処理は必要ない。俺は魔法を維持することだけを、考えればいい。

 魔物の王であるフェニクスに、武器や魔法の絡まない戦いで敵はいない。例えそれが、魔族であろうとも。


「本当に、面白い魔法だ。見ることができてよかったと思う。……僕、ここで死んじゃうのかな?」

「何だ、急に」


 抗うことを諦めた様子のマッドは、俺に問いかける。


「でも、僕だよ? 僕のような男が、こんなところで死んでいいはずないじゃないか」


 うろたえ始めたマッドは、続けて言う。


「僕が、動かした! 僕が、知恵を与えた! 現在の、王国での人と魔族の戦いだって僕が! そうなるように仕向けたんだ。あいつらは、世界は、僕の手の中で廻っている。それなのに、なんで!」


 お前の目的は……いや、質問を変えよう。


「お前は、神にでもなりたかったのか」

「ああ、そうさ。正確には、それに近いもの。僕はすでに、片足を踏み入れていた」


 この男は、狂人だ。しかし、マッドの言うことに関して、俺は何も言えない。

 どこかで、自分と似たような部分があったかもしれない、と考えていたからだ。

 自分が神だなんて言うつもりはない。俺は神なんてものを信じてはいないし、なりたいとも思っていない。


「こんな、こんな魔法あり得ないよ! 魔法の使用禁止? 僕たちはオブジェクトの一つ? 分からない。なにもかもふざけてる!」


 その通り。自身、そして他者を容赦なく引きずり込み、データ化する。この魔法こそ、世界への侵食、そして反逆ともいえる魔法だ。

 マジックマクロや身体強化の魔法、その他俺が使ってきたありとあらゆる魔法の延長線上。思いついたきっかけは些細なものだが、考えすぎると深みにはまっていく。


 この空間では、この魔法を作った俺がゲームマスターだ。つまり、この世界では俺が神となる。それを前提にこの枠組の外、世界から見た俺たちも、ただのオブジェクトの一つ。

 いや、世界でさえも、データの一つに過ぎないのではないのだろうかと。


「神なんて、なろうと思えばなれるのに」

「うん?」

「自分が神と思えばな、そいつはもう神なんだよ」


 全てを自分基準で考える。世界の中心は自分だ。

 良いことも、悪いことも、全ては自分にしか起こっていない。自分のためだけに起こっている。

 周りで苦しむ人々も、幸せを掴み取ったように見える人々も、全ては自分にそういった思いを抱かせるだけの存在。本当は、そこに独立した意思なんてものも、ないのかもしれない。


 全知全能でないのも、思った通りにいかないのも、全ては演出。もしくは、遊び。

 何を考えてもいい。どんな生き方をしてもいい。自分による、自分だけの人生という名のゲーム。


「はは。エンジ君は、面白いことを言うね」


 しかし俺は、語った全てを否定する。


「別に、面白くなんてない。俺の世界では皆、そういうことを一度は考えるもんなんだ。多くはガキの頃なんかにな」


 俺の考えは、少しだけ変わったんだ。変えてくれたやつがいる。

 フェニクスの後ろ姿を見て、少し微笑む。


「君の、世界?」

「皆、多分暇なんだろうな。人にとって、考える時間がありすぎるというのは、毒なのかもしれない」

「何が、言いたいんだ?」


 自分がその世界の主人公、もしくは神。人生という名のゲーム。それらは、もはや使い古された言い回しであり、かつ大抵の大人も一度は通ってきた道なのだ。

 身近なところでいうと、読書をしたとき。作者の伝えたいことが自分だけには分かっている。そんな思い込みをするやつが多くいるのだ。幼い頃の俺だってそうだった。

 でも実際は、そんなことない。一人ひとりで細かな受け取り方は違うかもしれないが、そんなはずはないんだ。皆が皆、同じようなことを思っている。


「お前だけが、特別じゃないってことだ。ガキなんだよ、お前は」

「じゃあお前もガキだろ、エンジ」

「……そうだ」


 フェニクスの厳しい合いの手が、俺にも刺さる。

 自分だけが特別なんかじゃない。これだって、何かを悟ったような他人がよくいう台詞で、なんの具体性もない答えなのだと、俺は思っている。

 自分なりに、答えを見つけていくしかない。俺だって、その答えを保留にしたまま成長してしまった、恥ずかしい大人の一人だ。


 ただ一つ、少し変わった俺から言えることがあるとするならば、ゲームは決められたルールの上で遊ぶから必死にもなるし、面白い。

 世界だって同じ、この世界がどんな風に出来ているのかは知らないが、それを認めた上で、俺は戦おう。

 ぐだぐだと考えるのも、くだらない高説を垂れ流すのも、もう終わりにしようと、俺は決めたのだ。


「マッド。お前の考え、お前の意思。そんなもの、俺は知らない」


 想像はできるが、理解しようとは思わない。


「だが、俺がお前を敵と定めた以上、お前はここで消える」

「勝手なことを」


 俺は、ニヤリと笑う。


「自分勝手な者同士が戦い、片方が消える。世界が少しだけ平和になったな」


 デジタル空間、端のマス。どこにも逃げ場のないマッドの前で、フェニクスは最後の一歩を踏み出した。


「僕は恨むよ。君を、世界を。化けて出てやる」

「好きにしろ。俺は、神も幽霊も信じていない。……やれ、フェニクス」


 膝をつき、うなだれるマッド。

 フェニクスの強力な一撃に、マッドの頭は吹き飛んだ――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る