第198話 反撃の炎

 肺が痛い、背中も痛い、体中がきしんでくる。

 マッドとの戦闘は長引いていた。


「うはぁ。特に興味はなかったんだけど、力を手に入れるというのも、そう悪くはないね」


 俺が先程まで立っていた地面に小さなクレーターを作りつつ、マッドは言う。


「そういうことは、俺に一度でも当ててから言え」

「ふひひひ。当たったら、そこで終了じゃないかな。どうあがいても、エンジ君は人なのだから」


 マッドの放った魔法を避けつつ、俺は薄く笑う。

 そうだな。その通りだよ。魔法は言わずもがな、科学者を名乗っているとはいえ、マッドは魔族だ。

 元々身体能力の高い魔族が、さらに強靭な肉体を手に入れたのだ。一度でも攻撃を受ければ、体が粉々になってしまうだろう。


「当ててみろ」


 俺の放った魔法が、マッドに直撃する。とは言え、これで何度目だろうか。


「いずれ当たるさ、いずれね。ふひ」


 砂煙の中から、傷一つない体で現れたマッドは笑う。

 効いていないわけではない。今のだって、最初に片腕で防がれたときとは、比べ物にならないほどの魔力を込めていた。

 油断しているようなので、もう一発。


「うわ! しかし……はは! はい、元通り」


 片腕を吹き飛ばしたはずのマッドから、新しい手が生えてくる。これが変質したマッドの持つ、新しい力。

 この力に、俺は苦しめられている。厄介極まりない、陰湿な男らしい能力だ。


「くそ、外した」

「そう何度も、黙って受けるわけないよね。結構痛いんだからさ!」

「痛覚があったのか。なら、お前が嫌と言うまでぶち込んでやる」

「そんな余裕、今のエンジ君にあるのかな?」


 次に放った魔法は避けられ、マッドが俺に迫る。が、なんとか躱し距離を取った。オーバークロックを展開している俺に、マッドは追いつけない。

 一方的に殴るような展開ではあるが、こいつの言う通り、余裕がないのは俺の方なのだ。


 マッドは無敵ではない。頭を吹き飛ばせばさすがに終わりだろうし、体を修復させる度に魔力が減っているのも分かる。

 しかし、その頭部だけはがっちりと守られている上、そもそも今のマッド本人がかなり凶悪。

 中途半端な威力の魔法は効果なし。あいつの強靭な肉体を削ることのできる魔力を込め続けなければいけないのだが、このまま戦いが長引けば、魔力が尽きるのは俺の方が先だ。


 こいつも、それが分かっているのだろう。薄ら笑いを浮かべるマッドに、俺は舌打ちをする。


「エンジ君! 私も一緒に!」

「馬鹿、来るな! 俺のことはいいから、お前らは早く逃げろ!」

「でも……あ」


 どうする、と深く思考していた俺は少し反応が遅れる。聞こえてきたのはアストレアの声。

 声を上げたアストレアに気付き、マッドが地面を蹴るのが見え、急いで俺も走り出す。

 マッドとアストレアの間に割り込んだ俺は、幾重にも魔法の盾をはった。


「おやぁ? これは、いいねぇ」


 マッドの伸ばした腕は、安々と盾を破壊していく。

 それでも威力を殺すことはでき、俺たちに届くことはなかったが、その時点で間に割り込んだ俺とマッドの距離はほとんどなく、至近距離でマッドが嫌らしい表情を浮かべるのが見えた。

 すぐさま背後に跳んだ俺だが、マッドが再び伸ばした腕、その爪先が俺の太股を貫く。


「つぅ、RUN」


 痛みを堪えつつも魔法を飛ばすと、マッドは俺から距離を取るように離れていった。


「エンジ君……」

「ちくしょう」

「ごめん。ごめんね、エンジ君。でも私」

「いや、いい」


 涙目で謝るアストレアの言葉を、俺は遮る。

 何も言わずに戦いを始めた俺も悪い。それに――


「おかげっていうのも変だけど、覚悟が決まった。あいつは俺に任せて、お前は早くここから離れろ」

「覚悟? その足で、その体で、エンジ君はどうするつもりなの?」


 俺は何も言わない。ただ一度、アストレアに微笑む。

 アストレアの顔はこわばる。


「駄目だよ! もしかしてエンジ君……死ぬつもりじゃないでしょうね?」

「そんなつもりはない」

「だ、だったら! 私が近くで見ていてもいいはずだよね? だって、エンジ君は勝つのだから」


 うるさくも、正論のようなことを言うアストレアに俺は言う。


「俺には、とっておきの魔法がある。ただ、お前が近くにいると使えないんだ」


 死ぬつもりなんてないが、そうなる可能性はある。加えて、こいつが近くにいると使えない魔法があるのも本当だ。

 正確には、使えないではなく、処理が重くなる、だが。


「頼むから。な?」


 頭の上に手を置いた俺を、アストレアは上目遣いで見つめる。

 頬を膨らませ、ぽろぽろと涙を流し始めたアストレア。――お前は本当、すぐに泣くよな。

 俺は小さく笑う。


「ブサイクな顔」

「エンジ君のせい。私がそんな顔をするのは、いつもエンジ君のせい」


 俺の腕から手を離し、両手で目を擦るアストレア。


「エンジ君、死なないでね」

「ああ」


 約束はできないが、相槌はうつ。


「これが終わったら、キスしてね。ブサイクな私を、笑顔にさせる魔法――」

「早く行け」


 口を尖らせたアストレアは、俺の背中に顔を埋めたあと走っていった。

 足音だけが遠ざかる。俺の視線は、正面から歩いてくるマッド。

 にやにやと俺たちの様子を見ていたらしいマッドは、口を開く。


「くく、僕が彼女たちを追うことはない。安心していいよ」

「優しいじゃねえか」


 前にも言ったかもしれないけどね、と前置きを挟んだマッドは言う。


「僕の邪魔さえしなければ、彼女たちなんてどうでもいいんだ。例えその時がきても、どうとでもなるしね。……僕が危機感を抱いているのは君なんだよ、エンジ君。君だけは、この機会に退場してもらいたいと思ってね」

「お前にそこまで褒められるなんて光栄だな。放っとけよ、俺みたいなもんは」


 最初は、逃げてもいいだなんて言っていたくせによ。俺に一撃を与えたことで、逃がす気はなくなったらしい。


 ふと、頭に浮かんだのはあいつの顔。

 なあ、フェニクス。お前なら、逃げろって言うのかな? 俺だって、そのことはずっと頭の片隅に置きつつ戦っていたんだ。

 本当に危なくなったら、いつでも逃げ出してやると。


 でもさ、逃げたくはないんだ。どうしてしまったんだろうと、自分でも思う。

 お前は生きろって言ったけどな。なぜか、なにかが、俺の足をこの場に留めるんだ。――これはお前の呪いか何かか? やめろよ。


 そして、心の中で言い訳をする。

 それにほら、足に怪我をしてしまったから……。逃げることは難しい。なら、生きるためにはこいつを倒すしかないだろ。

 覚悟はもう、決まった。


「マッド。この先どうなるかなんて、俺にも分からない。でも次に使う魔法が、俺の最後の魔法となるだろう」

「ふひひ、怖いねえ。やめようよ。もっとじっくりさぁ」


 俺の言葉に、立ち止まるマッド。

 すでに距離は十分。しかし、あの魔法を使うには、おそらく今のままでは厳しい。

 まずは第一段階。RUN。


 準備段階として使用したのは、キャパシティインクリーズTLC。今までにも散々お世話になった魔法だが、異なるのはMLCではなくTLCだということ。

 トリプルレベルセル。通常時と比較すると、三倍ほどの効率で残りの魔力を使用できるはずだ。


 ただ、一度触れはしたが欠点もある。アクセス時間の増加と、身体への負担。

 アクセス時間の増加は、マジックマクロの特性上今は気にはならない範囲だが、身体への負担は憂慮しなければいけない。

 これが第二段階。俺は軽い魔法を、試しにいくつか放ってみる。


「あ、ファイアボールだ」

「最初は皆、ここから始まったんだ。まあ落ち着けよ。今から見せてやる」


 体に違和を感じたが、魔法自体は使用可能。なら、あとはやってみるしかない。

 俺は軽く息を吸うと、展開した。


「デジタルワールド。RUN」


 俺とマッド。二人を包み込み、世界は変わる。

 先程までと同様、場所は変わらず平原だ。ただ、周囲の風景は色あせ、青い空も灰色だった。

 きょろきょろと周りを見渡していたマッドが、壁にぶつかる。


「何だい、これ? ここに、壁のようなものがあるね」


 殴っても、魔法をぶつけても、びくともしない壁。上下左右、十メートル四方の箱の中に、俺たちはいるのだ。


「諦めろ。文字通り、次元が違う」

「君が何をするのか興味はあったけど、面白いね。君が言っている言葉の意味も、この区切られた空間も、何もかも理解はできないが」

「サービスは終了。じゃあ、始めるぞ」


 分かるやつなんて、この世界にはいない。俺は不敵に笑い、ゲームの始まりを告げる。

 エンジニアの端くれとして、いろいろと説明したくなる気持ちが出てきてしまうが、今の俺にそこまでの余裕はない。


「これは……体が、動かない?」

「俺も、お前も、すでにオブジェクトの一つだ。ああ、これだけは教えてやる。ゲーム内容はローグライクの一部を切り取ったようなもの。所謂ダンジョンゲームと言われるものの縮小版だ。地面にマス目があるだろ?」

「さっぱりだ。戦いなんてやめにして、僕は君と語り合いたいよ」


 そう言いつつも、マッドは地面に視線を向ける。そこには、一メートル四方のマス目が青白く浮かび上がっていた。


「要はあれだ。そのマス目に沿って移動するか、相手へ攻撃するかを、お互い順番に選択していく。ま、やってみようじゃないか」


 俺はその場から動かず、マッドに軽い魔法をぶつける。

 動作確認よし。だが、頭が少し……許容範囲内だ。


「いたた。なるほど、そういうことか。体が動く。ふひひ……君から行動を始めるのはずるい気もしたが、今の一撃で決めなかったのは悪手じゃないか?」


 マッドはその場から、俺と同じように魔法を放つ素振りを見せた。


「君のもろい体なら、これで! って、あれ? 魔法、撃てないけど?」

「お前は魔法を使えない。ターンを重ねて俺の側まで近寄り、直接殴ってくれや」

「は? ずるいじゃないか!」

「俺はゲームマスターだ。俺から行動するのも、俺だけが魔法を使えるのも、仕方のないこと」


 戦い始めてから一度も焦る様子のなかったマッドが、そこで初めて焦りだす。だが、もう遅い。

 お前はもう、俺の魔法の中だ。


「早く進めや」

「ふひ、ふひひひひ! いいだろう。分かった。僕はきっと、君の攻撃を耐えてみせる。八つ裂きにしてあげるから、楽しみにしててね」


 血と汗が滴り、頭痛がする。そんなに長く戦う余裕、俺にはねえよ……。

 しかし一回。この一回に、全力をぶつける。

 頼むから、持ちこたえてくれ。この一回だけで、いいんだ。


「エンジ君。それはいくらなんでも、張り切りすぎだろう。ちょっと、ちょっと待てぇ!」

「これで、ゲームセットだ くらえ――」

「ふひ、ふひははは! ……あ?」


 あーあ、と俺は内心溜息を吐く。

 やはり、耐えられなかったか。


 ふっ、と消え去るデジタル空間。血反吐を吐いて、地面に倒れる俺。

 複雑な魔法を多重展開しつつ、強力な一打を放とうとしたのには無理があった。

 魔力が尽きるというよりも、並列的な処理に俺の頭が追いつかなかったのだ。


「形は、できてたんだけどなぁ」


 立ち上がることも億劫な俺に、高笑いをする嫌な野郎の足音が近づいてくる。

 悪い。しくじった。皆との約束だって、もう守れそうにない。俺は心の中で謝り、生を諦める。


「本当はね? エンジ君の話は興味深いし、できることなら捕らえようとも思っていたんだ。でも」


 何も言えない俺に対して、高揚した様子のマッドは続ける。


「ひひ! 殺す。殺しておこう! やはり君は、僕の予想どおりの男だった! いや、予想なんて遥かに上回っていたよ! 君を野放しにしておくのは、僕としてはあり得ない!」


 そうかよ。だったら、とっておきの魔法なんて隠しておけばよかった。

 何を言っても後の祭り。死人に口なし。出来れば、一息にやってくれると助かる。


 俺は目を閉じ、最後の瞬間を待った。

 そして、マッドが俺に、とどめを刺そうとしたその時。


 起きろよ、エンジ――


 ここにはいないはずの、あいつの声が聞こえた。


「何やってんだよ。俺様は勝ったっていうのに、お前は負けるのか?」


 幻聴だ。死ぬ直前に思い出すという、あれに近いもの。

 目は開けず、俺はそのままの体勢でその声を聞く。


「お膳立てはしてやっただろうが、全く。……はぁん。やはりお前には、俺様がついていてやらないと駄目だな」


 死ぬ間際になってまで、うるさいやつ。

 でも、そうだな。お前さえいてくれれば、なんとかなっただろう。お前が……。

 柄にもなく、しみじみとあいつの顔を思い出し、俺は薄っすらと笑った。


「何笑ってんだ。おい、ちょっと、まじ、そろそろ起きろや」

「いてっ」


 格好をつけていた声が、突然焦った様子の声に変わる。

 俺がその声に、あれ? と思うと同時に、脇腹に何かが当たるこつんとした感触。

 目を開け、痛みも忘れ、俺は起きあがる。


「あん……?」

「やっと起きたか。敵を目の前にして、寝ぼけてんじゃねえよ」


 周囲には、めらめらと炎が燃えていた。

 俺を守るように、円形状に燃え盛る炎に手を伸ばすマッドが、手を引っ込め指を撫でる。

 マッドの手を燃やした炎は、不思議と俺に熱さを感じさせなかった。


「フェニクス? なんでお前」


 俺の側には、死んだはずのフェニクスが立っていた。幻聴でもなく、妄想でもない。正真正銘、生きたフェニクス。

 ニヤリと俺に対して笑ったフェニクスは、マッドに視線を移す。


「さあ、エンジ。反撃の時間といこうや」


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