第197話 フェニクス

 時は少し戻る。

 俺様は王。自他共に認める、魔物の王だ。そして、自分でもそう名乗った以上、負けることは許されない。


「ガァ!」

「ぐっぎぎ……俺様と力比べをして、押し返せないやつは初めてだ。誇れ」


 なぜかって? そんなの決まっている。それは、王だからだ。

 王が負けるなんて格好悪いだろ? 俺様が目指すのは、最強で最良の王。……いや? 目指すというのは少し違うか。王とは、何もしなくとも自然に生まれてくるものなのだ。俺様のように。


「このボケ! キングマジック――」


 名はフェニクス。うだつの上がらない駄目男が名付け親だが、名前自体は、そこそこ気に入っていると言っておこう。

 伝説の鳥が由来だなんて、あいつにしては洒落ている。よくやった。


 そんなお洒落で、かつ王である俺様は今、強力な魔物のいい部分を凝縮して、それをさらに煮詰めたような奴と戦っていた。シェフは、狂科学者マッド君。


「はあ、はあ。くそ! 体力オバケとはお前のことだ!」

「勝負が見えてきたねぇ……そろそろやめないか? 鳥くん」

「うるせえ! 気が散る!」

「ふひひひ。ま、いいけどね」


 長きに渡る戦い。毛色の違う相手との、連戦に次ぐ連戦。体力も、魔力もほとんど尽きかけていたところに、こいつだ。

 あれほどの啖呵を切ったあとで言うのもなんだが、劣勢だ。正直、追い込まれている。


「エンジ君も、薄情だよね。君だけを残して行っちゃうなんてさ」

「てめえに、あいつの何が分かる」


 戦いの切れ間、ほとんど戦闘の最中と言っていい状況で、マッドは俺様に語りかける。

 無視をしようかとも思ったが、看過はできない。お前の言うことは、何もかも間違っているからだ。

 あいつは、俺様を切り捨てたんじゃない。任せたのだ。俺様であれば問題ない、そう信じて。


「はは! またちょっと、元気になったね。……君の、その力と自信は、一体どこからやってくるのかなぁ」


 マンティコアの牙を、一本へし折る。しかしながら、相手の振った腕に当たってしまい、相打ちのような形で互いに吹き飛び距離を取る。――ちくしょう。今の一撃で、互角なのかよ。


「僕、少し考えていたんだ。君を支えるものは何かな? ってね」

「あん?」


 口から血が滴り、唸るマンティコアを見ていた俺様の耳に、マッドの声が入ってくる。


「何となく、分かった気がする。そうだね……鳥くんが、絶対の信頼を置くエンジ君。彼が死ねば、君も少しは揺らぐのかな」

「そんなもん関係あるか。あいつは失敗ばかりで、信頼なんてものとは無縁の男だぞ? 大体な、お前ごときがエンジをどうにかできると思っているのか?」

「さあね。でも、試す価値はある。ちょうど……うん。そろそろのはずだ」


 試す? そろそろ? 何を……。マッドがニヤリと笑った瞬間、それは起きた。

 遺跡の方から、重い音。嫌な予感に振り返ると、建物が崩れ始めているのが見えた。


「てめえ!」


 俺様は、振り返る。


「ふひひ、よそ見注意だよ。鳥くん――」


 マッドの声が、聞こえるか聞こえないかのタイミング。振り返った俺様の正面には、マンティコアの頭があった。

 凄まじい速度からの、体当たり。回避も防御も間に合わず、俺様は勢い良く弾き飛ばされる。


「ふひはは! ほらね? 言った通りじゃないか」


 数度地面にバウンドし、岩にぶつかり俺様は止まる。ぐぐっと体を起こそうとするも、立ち上がることはできず、岩に背を預け座り込んでしまう。――やっべえ。

 息も絶え絶えの状態で顔を上げると、マッドとマンティコアが歩いてくるのが見えた。


「さすがに、もう諦めがついたかな。さあ、僕と一緒に行こう。そうすれば――」

「誰が行くかよ……」

「何でだい? エンジ君はもう、死んじゃったよ?」

「はっ! あいつは死んでねえよ」


 何となくだが、それは分かる。

 分かるんだよ。あいつが、死んでいないこと。あいつが、あれくらいで死ぬような奴じゃないってことは。


「まあ彼、臆病だからね。本当は、とっくに逃げ出しているのかも」

「黙れや」


 小さな炎弾をマッドに向けて飛ばすも、顔を傾け躱される。

 マッドのニヤケ顔が崩れ、俺様は逆に笑う。足に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。


 そうだとも、あいつは臆病だ。だが、お前の言うような臆病ではない。危険なところにもためらわず、足を突っ込んでいってしまうような奴なんだ。


 誰かが見ておいてやらなきゃ、駄目なんだよ。それは、勇者の嬢ちゃんでも、ベルの飼い主でも、花嫁姿の変態でも、誰でもいい。

 あいつを気にかけてくれるようなやつなら、そしてエンジが認め、心を許せるようなやつなら、誰だっていいんだ。


 今の危なっかしいあいつには、頼れる相手が必要なんだよ。それが見つかるまでは、俺様が。まず一番に、俺様が。

 追いつき、いずれ追い抜き、頼られる存在に。


 俺様はな、エンジ。本当は嬉しかったんだ――


 俺様よりもひどい怪我をしていた。疲れた様子だった。

 しかし、お前が姿を見せた瞬間、何かが変わった。なんというか、安心感のようなものを感じたんだ。

 でも、すぐに思い直した。それでは駄目だと。結局また、俺様はエンジを頼っている。そして、それはきっと俺様だけではない。なぜか皆期待してしまうんだよ。お前がいるとさ。

 エンジは勇者でも魔王でもない。あいつだって、一人の普通の人間なのだ。


 だから、嬉しかった。俺様を信じて、俺様に任せて、俺様を頼ったお前の一言が。

 やっとだ。狼の爺さんに鍛えられ、魔物の王とまで呼ばれるようになった。それらが必要かと言われればそうではないが、重要な要素の一つだ。

 強さも、存在感も、お前の隣に立つに相応しいものを手に入れてきた。やっと俺様は、俺様が思うお前に追いついたんだ。


「くく、ちょっと褒め過ぎだな。俺様らしくない。頭でも打ったかな?」


 笑ってしまう。あいつは、そこまでの男ではない。

 ひどく追い込まれたこの状況で、俺様の弱い心が生んだ妄想の類だろう。だが、これだけは間違いない。今までも、今も、思い続けていることがある。


「ん? 今、なにか言ったかい?」

「いや、何も」


 俺様はな、エンジ。お前と、対等でありたいんだ――




 ……。




「あ、生まれるよ!」


 エンジがこの世界に来て数日が経った頃、俺様は生まれた。


「そうか。変なやつだったら、焼鳥にしような」

「駄目だよ!」


 生まれる前から、試される俺様。

 すでに意識のあった俺様は、殻の中で思う。なんという厳しい世界、なんという理不尽。

 しかし、問題はない。俺様は、格好いいのだから。

 自信満々に、殻から出る。


「ぴよ、ぴよ」

「きゃ~! 可愛い!」


 生を受けた俺様が初めて目にしたものは、どでかい女の顔だった。――可愛いとはなんだ。格好いいと言え。


「ねえ、エンジ? 鳥って一番最初に見たものを、親だと認識するのよね?」

「ああ。刷り込みっていうらしいぞ。よかったなメルト」

「ママだよ~? おいで、おいで~」


 じっと女の顔を見る。――違う、こいつじゃない。

 俺様は、伸ばしてきた女の手に蹴りを入れ、もう一つの声が聞こえた方に走っていく。


「え、なんで? ちょっと、どこに行くの!」


 殻を腹に巻きつけたまま、走る。短い足、それはとんでもなく長い時間に感じられ、生まれたばかりの俺様は不安に押しつぶされそうだった。


「ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ」

「待ってったら。エンジ、そっちに行ったよ~」

「んあ? ちょ、来るな。帰れお前。しっし」


 また、声が聞こえた。間違いない。こいつが、俺様の……。嬉しい気持ちが溢れ出し、寝転がっていた男の周囲、体の上を走り回る。

 体を掴まれ、ぽいっと遠くに投げられるも、俺様はまたその男の方へ向かって走っていく。何度でも、何度でも。


「お前、頭に何つけてんだ? 変なの」

「ぴよ、ぴよ」

「これが可愛いんじゃないの」

「可愛いか? まあ、将来モヒカンみたいになったら、それはそれで格好いいかもな。……変だけど」


 やはり、この男は分かっている。そう、俺様は可愛いではなく、格好いいのだ。


「――私がママなら、エンジはパパってことになるのかな? ね~? パパ」

「やめろや」

「パパったら照れちゃって~。これからはエンジのこと、あなたって呼ぶね」

「やめろや」


 男の頭上に乗っていた俺様は、二人の会話を聞く。体が大きくなる前は、そこが俺様の定位置だった。


「エンジは、子供ってどう思う? 好き?」

「お前にそんな意図がないことは分かっているが、その質問……」

「ん? 何?」

「いや、いい。正直鬱陶しいし、早くどこかへ行けよと思っている」

「子供がいたのエンジ!? いつ? どこで? 誰の?」

「鳥の話だよな!?」


 二人の会話に混ざりたい。ひとまず、男の方だけでもいいのだ。いつになったら俺様は、喋ることができるようになるのだろうか。


「た、旅が終わるまでは駄目だからね!」

「駄目って何だよ。そもそも、何でこの世界に来て数日の俺に、すでに子供がいるんだよ」

「あ……うん。もちろん、鳥さんの話だよ?」


 うおお! もう我慢ならん! 溢れ出せ、俺様の中の何か!


「ぴよ、ぴ。ぱぴ、ぱよ……ぱぱ。パパ!」


 俺様は、ついに言葉を話す。初めは簡単なところから。男は確か、そう呼ばれていた。


「パパ、ぱぱ、PAPA、パパ!」

「鳥さんが喋ったよ! しかも、パパだって!」

「何もかもおかしいだろ」


 男と意思疎通をとれるようになったことへの喜び。俺様は、頭の上でぴょんぴょんと跳ねる。


「はい、はい! 次ね。私はメルト。あなたのママよ、ママ。はい、言ってみて?」


 自分を指差す女の顔をじっと見つめる。

 男の肩まで歩いた俺様は、女を眺める男の顔も見つめる。――違う、こいつじゃない。

 てくてくと女の側まで近寄った俺様は、伸ばしてきた手に蹴りを入れる。


「何でそうなるのよ!」

「はは。こいつに、ちょっと興味がわいた。変だけど」


 女の恐ろしい形相に慌てた俺様は、男の背に隠れた。


 ……。


「メルメル、あまりパッパに迷惑をかけるなよ」

「なに突然! どういうこと!? というか今更だけど、なんでエンジはパパで、私はママじゃないの?」


 そういえば、あいつのことを最初はパパと呼んでいた。葬り去りたい、恥ずかしい過去。

 でも、一目見た瞬間から分かっていたんだ。この男が俺様の主人だって。


「知らない。生まれた頃の俺様に聞いてくれ。……ああ、母性が足りなかったんじゃねえか? 人の中じゃ胸も小せえみたいだし」

「おかしいなぁ。なんでこんなに、生意気に育っちゃったのかしら。あと、最後の一言は誰が言っていたの?」

「知らない」

「エンジ~!?」

「ん? なんだ突然! やめろぉ!」


 なんせ俺様は、お前の魔力から生まれたのだから。


「この男は何なの? 達者なのは口だけじゃない!」

「エンジはその、一応勇者候補だから。将来性に期待して……」

「そんな奴らごまんといるわよ! 私たちに必要なのは、今現在役に立つ者でしょう?」

「おい、胸の薄い嬢ちゃん。この男はこれでも俺様の飼い主だぞ? 口を慎め」

「あ、私は大きくなったから、私のことじゃないわね」

「ちょっとメル……まあいいわ。ていうか、鳥! これでもって何? あなたも同じくらい使えないから! あと、胸が薄いっていうのはあなたが個人的に言い出したこと? それとも――」

「知らない」


 勇者として召喚されたエンジに力がないのは、おそらく俺様のせいなんだ。でも、言えなかった。楽しかったんだ。お前と一緒に、バカをやるのが。


「こら、エンジ!」

「俺は何も言ってねえ!」


 俺様は、エンジと一緒に生きていきたかった。捨てられたくなかった。

 そんな理由で責めるような奴ではないことは分かっていた。だが、俺様が強くなろうと思った。

 誰にも、エンジの文句を言われないように。誰にも、エンジを馬鹿にさせたりはしない。


「完成だ、フェニクス。ちょっと見てみろ? RUN」

「うお!」


 難しかった。俺様が追いつきかけたと思ったら、こいつはさらにその先をいく。

 常に前を走るエンジを、俺様は追いかける。絶対に、置いていかれないように。


「ルーツに感謝しておかないとな」

「はいはい、よかったな」

「反応うす。結構、いけると思うんだがな?」


 悔しかったし、嫉妬もした。馬鹿にしたりもしたが、それは俺様が焦っていたからだ。

 本当は、誇らしかった。魔法の目を手に入れたのは偶然だが、こいつは結局自身の力だけで、そこまで上り詰めたのだ。


 俺様を生み出した男は、やはり只者ではなかった。

 お前はな、俺様が認め、俺様が唯一尊敬している男なんだよ、エンジ。

 だから――



 ……。



「お前が簡単に、くたばるわけねえよな」


 俺様が遺跡へと視線を移すと、まずは魔力の塊が壁を突き破り、外へと出てきた。

 続いて、焼け焦げたマンティコアらしきものの死体が落ちていき、最後にはあいつの姿が。――そうだよな。そりゃあ、そうだよ。

 俺様はニヤリと笑う。


 残った全ての魔力を翼へ集める。防御に回す余裕なんてない。

 上空へと飛び上がった俺様は、そこで一度大きく翼を広げる。遺跡の方を見ていたマッドとマンティコアが、空中にいる俺様に気付く。


「あ、待て! 逃げる気かい?」


 逃げる? 馬鹿を言うな。あいつは勝ったんだ。なら、俺様も勝たないと駄目だろうが。

 急降下。そして、地面すれすれを飛んでいく。


 一直線に、向かう。背後では、砂埃と刈り取られた雑草が舞う。

 到底、躱すことのできない速度。回避不可と判断したか、マンティコアが大きく口を開けた。


 ああ、これはまずいよな……ふと、そんなことを思ったが、俺様に止まる気はなかった。

 口が閉じられ、俺様の体は真っ二つに噛み砕かれそうになる。しかし。――お前ごときに、止められるかよ!


 俺様の体は、マンティコアの体内を削り取り、外に出た。





 =====





「なんだか、待たせたみたいで悪いな」

「いいよ、別に。僕もやりたいことがあったし。……ああ、あったあった。ふひ」


 俺が振り返ると、マッドは息絶えた人面ライオンの体内を漁っているところだった。

 両手を血まみれにし、恍惚とした表情を浮かべる気持ちの悪い男が、鈍く光る小さな玉を手で転がす。


「鳥くんは、死体も残さなかったか。残念だよ」


 俺の背後、灰になったフェニクスを見て、マッドは呟く。


「お前なんかには、死んでも触れられたくないってよ」


 俺は振り返らなかった。

 一つ深呼吸をしたあと、前に向かって歩きだす。


「ふひひ。鳥くんを殺されて、怒っているのかい?」


 マッドは続けて言う。


「怖いねえ。君は負傷しているようだけど、それでも負けるのは僕だろうね」

「どちらが強いかなんてものに、興味はない。俺はな、お前をここで消し去ると決めている」


 怖い、怖い。そう言って笑うマッドは、血に濡れた玉を飲み込んだ。そして、変質する肉体。急激に上昇していく魔力。


「RUN」


 何をしたのかよくは分からない。だが、待ってやる道理はない。

 俺が飛ばした炎弾に、マッドの肩口は吹き飛ぶ。


「RUN」


 続けて、もう一発。しかしその一撃は、片腕で防がれていた。――変身完了ってか? 早いな、おい。


「でもこれで、僕の力が上回ったかな? ひひはは! どうする? 僕も戦いは嫌いなんだ。逃げてもいいよ?」


 逃げるだって?

 俺はそこで立ち止まり、オーバークロックの魔法を展開した。


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