第196話 対等の翼

 ほとんど同時に放った三つの炎弾、一匹のマンティコアが炎に包まれうめき声を上げる。残りの二匹には避けられていた。

 舞い上がった砂埃の中から飛び上がってくる一匹。伸ばされた鋭い前足を、地上から少し飛び上がった俺様は片足で受け止める。


 だだだっと横から足音。炎弾を避けたもう一匹が、俺様に迫る。

 翼をばたつかせ、その反動で足に力を入れる。力比べをしている状態から、俺様が押し込むようにして前に出る。


「らぁ!」


 バキン、という音。マンティコアの爪が割れ、そのまま頭を踏んで飛び越える。

 地面に着地した瞬間、俺様は横に転がった。尾から発射されていた数本の毒針が、着地地点を通り過ぎていく。

 息を吐く暇もないまま体を起こし、すぐに上空へエスケープ。爪を割られていない方のマンティコア、その大きく開いた口が、俺様のすねを少し食い破った。


「キングマジック、シャープロックゾーンフェニクス」

「ぎっ!」


 先の尖った岩が広範囲に隆起し、空へ逃げた俺様に対して、わうわうとバカみたいに吠えるバカが串刺しになる。

 隆起した一つの岩の上に俺様が降り立った時、爪の剥がれた最後の一匹が、マッドの側に駆け寄るところだった。


「これは、これは……。正直、予想を遥かに上回る強さだねぇ」

「はぁん、今更気付いたのか?」


 マンティコアの頭を撫でつつ、俺様に話しかけるマッド。

 自慢の三体のうち、すでに二体を葬られたというのにこの余裕はなんだ?


「お~よしよし。痛かったねえ。でも、よく戻ってきてくれた。お食べ」

「あん? 何だそれ?」


 マッドが取り出したのは、鈍く光る丸い玉。見た目からして明らかに食べ物ではない。

 玉を差し出されたマンティコアは、何のためらいもなく口を開け、飲み込んだ。


「最後の晩餐にしては、味気なさそう……って、おいおい」


 目の前で、変質していくマンティコア。筋肉は膨れ、体のあちこちから骨のようなものが飛び出してくる。体毛が全て抜け落ちる代わりに、皮膚は蛇の鱗のようなもので覆われていった。

 俺様がその光景に顔を引き攣らせる中、マッドは自慢げに語り始める。


「これはね、僕の研究の集大成とも言えるべきもの。その完成品だ」


 ――ここまで何年かかったと思う?

 ――様々な知識と技術が必要だった。

 ――血の滲むような努力をしてきた。


 苦労話を聞かせてくれているみたいだが、俺様の耳には入ってこない。ただ唖然と変質していくマンティコアを眺める。

 舌打ちをし、血が混じった唾を吐く。先程までと比べ、威圧感は遥かに上。いや、見た目だけじゃねえな。体の強靭さ、内蔵魔力量、どれをとってもさっきまでとは比較にならないだろう。

 でも、そんなことより――


「可哀想に」


 俺様は、そう呟いていた。


「可哀想? これほど強力な肉体に生まれ変わることができて、こいつも僕に感謝しているだろうさ」


 こいつには、きっと、何を言おうが伝わらない。俺様は、首を横に振る。


「それ、まだ持ってんのか? 俺様にもくれよ」

「ふひひ! やはり、鳥くんも興味があるんだね。今でさえその強さの君が、どういったモノに変化するのか。非常に気にはなるのだが……ないんだ。ごめんね」


 もう一つ、試作品があったのだけど、それはある男に渡しちゃった。マッドはそう言った。


「そうか。良かった」

「ふひ! ん? 良かった?」


 俺様は安堵の息を吐く。試作品というのは気になるが、それはこの際仕方ない。この男をここで仕留めれば、何の問題もない。全てが終わるのだ。

 あんなものを世界中にばらまかれるのはごめんだ。人も、魔物も、俺様にとってはそう大差ない。どちらも等しく、生あるものなのだ。他者が好き勝手に弄っていいものではない。

 一言も発さず、目も虚ろなマンティコアを見る。自分がもう、何と戦っているのかも分かってはいないのだろうか。命令されるがまま、俺様を敵とみなし襲いかかるだけ。


「そろそろやるか」


 一歩踏み出した相手に合わせ、俺様も岩の上から降りたあと間合いを詰める。

 さて、この体と残りの魔力でどこまで……って、馬鹿か。何を弱気になってやがる。勝つんだよ、俺様は。


「鳥くん、死にそうになったら投降してくれると助かる。出来れば、死体よりも生きた君が欲しいんだ」

「くたばれ、マッドサイエンティスト。俺様が、負けるはずねえだろうが」


 咆哮を上げ、走り出したマンティコア。俺様は立ち止まり、ニヤリと笑い構える。


「作られた強さではない、本物の強さってやつを教えてやろう」

「グォォ!」

「俺様の名は、フェニクス……魔物の王だ!」





 =====





 俺は、焦燥感のようなものに駆られていた。


「うぇ、ひぐ、怖かった。怖かったのエンジ」

「大丈夫、大丈夫。ブサイクなライオンはもういないから」


 それが何かは分からない。が、それは自身の一部が失われていくような、喪失感に似ていた。


「スズー! ご無事でしたか! ああ、本当に良かった」

「むう。仕方ないから、今だけはエンジ君を貸してあげる」


 俺がクレイトと合流した時、すでにクレイトは魔導兵器を停止させた後だった。

 何だ、来る必要なかったじゃん。そう思っていた俺に、血相を変えたクレイトが詰め寄り、簡潔に状況の説明をした。


「兵器は止めました! スズを助けてあげてください! ……む? 彼女は確か、エクレトの」

「よくやった! ネコが危ないのか!? こいつはあれだ、盗んできた!」


 俺も簡潔に伝える。

 頭の良い、というよりぶっ飛んでるクレイトは、それだけで全てを理解し納得してくれた。話が早いのは助かる。


「そういうこともありますよね! スズは今、魔物に追われています!」

「分かった。おい、アストレア」

「は~い! エンジ君の道標、アストレアちゃんだよ!」

「うるせえ! 早くしろ!」

「うう、何よ……。ここから、少し北に進んだ所。大丈夫、多分まだ走り回ってる!」

「よし! 壁を破壊しながら真っ直ぐに行く。案内しろぉ!」


 こうして、なんとかネコが食べられる前に、救うことができた俺たち。

 しかし、ネコの救出に焦っていたのも確かだが、俺が焦りを感じていたのはその件ではない。

 心にのしかかる嫌な気持ちは、ネコを助けたあとも続いていた。


「同じネコ科なのに、いじめるなんてひどいよな」


 どれほどの恐怖を感じていたのか、柄にもなく、わんわんと泣くネコの頭を撫でる。


「うえ~ん! ……私、ネコだけど猫じゃない。え~ん!」


 不安感を紛らわすため、ちょっとした冗談を言うも、それは消えてくれなかった。


「わわっ! 何?」

「建物が、崩れかけている? おそらくこれは、エンジがいろいろと壊したせいで……」


 大きな音がした。続いて、壁や天井がきしむ音。

 ネコを救出する際、そしてライオン二匹との戦闘で、確かに俺はほんの少し暴れた。でも、仕方ないだろう?

 しれっと、全ての責任を俺に転嫁したクレイトを睨んでいると、間もなく建物は崩れ始めた。――これはこれで一大事だが、俺の感じていたのは、そういうのじゃないんだ。


「全てはブサイクなライオンのせいだ。俺じゃない」

「私の見解では、建物を支える重要な柱、あれらを全て壊したのはエン――」

「そんなしょうもない分析はいいから! 早く走れ!」


 俺は壁に向かって魔法を放つ。放った魔法は壁を貫通していき、外の光を室内に届けた。


「あ、また壊しましたね。この遺跡は、確か王国にとって……」

「全部全部、ライオンのせいだ! 分かったな!?」


 さっさと行け、とクレイトの尻を蹴飛ばすと、俺はネコを脇に抱え直し、走り出す。

 しかし、先を走るアストレアとクレイトが足を止めた。

 二人の前には出口の穴、その少し手前に、全身黒く焼け爛れた人面ライオンが、よろよろと立ち上がろうとしていたのだ。


「しつこいんだよ! RUN」


 立ち上がるだけで精一杯だったライオンが、俺の放った魔法で外へ吹き飛ばされていく。


「きゃん! エ、エンジく~ん! 拾って、拾って!」

「このままでは……。エンジ、私も連れていってください!」


 その後、出口直前で自分の着ていたドレスに躓いたアストレアを、ネコを抱える方とは逆の腕で拾い上げ、さらには走って抜かした俺の背中に、クレイトが飛びつく。

 重い、痛い、重心が後ろに引っ張られる。が、なんとかオーバークロックを展開し踏ん張った俺は、そのまま外の光が差し込む穴から、飛び出した。


 ……。


「ふぅ、助かりました。ありがとうございます」

「そうだ! 怪我、怪我は大丈夫? エンジ君! ……エンジ君?」


 背後で建物の崩れる音、周囲でうるさく騒ぐ声。それらは聞こえていたはずだが、俺の頭には入ってこなかった。

 前だけを見ている俺。アストレアとネコを地面に降ろし、何も言わずゆっくりと歩き始める。


「エンジ? あ、え?」


 遺跡から出たところは、小さな坂になっていた。坂の向こう側は見えない。小走りで坂を登る。

 どくんどくんと、心臓の鼓動が大きくなる。俺は多分、瞬きすることを忘れていた。


「これ……羽?」


 ネコの小さな声が、背中の方から聞こえた。それらの羽は、俺たちが遺跡から脱出したあとから、ずっと見えていたものだ。

 小さな坂の向こう、辺り一面に舞い散る、赤茶色の羽。


 坂を登りきる。……綺麗だな。初めに出てきたのは、そんなばかみたいな感想。

 羽の一枚一枚が光を反射し、きらきらゆらゆらと降り注ぐ。


 落ちてきた一枚の羽を手に取り、握りしめる。

 体の中心に大穴を空けられ、横たわる大きな魔物。少し離れた所には、フェニクス。

 フェニクスは勝った。それは、間違いない。あいつが、負けるはずないからな。


 俺は駆け出す。

 よくやった。長い間、お疲れさん。ここからは俺も一緒に、いや、俺が一人でやるからさ。

 だから、だから、だから――


「いつまで寝転がってんだよ、おい……」


 フェニクスは、動かない。ただ、羽だけが風に乗りふわりと舞う。

 その景色の中で、ゆっくりと動き出したものを俺の目は捉える。


「そいつに、近づくな」


 動き出したのは、フェニクスではなかった。

 ニヤニヤと薄汚い笑みを携えたマッドが、フェニクスに手を伸ばしていた。

 俺の放った魔法に気付いたマッドが、寸前で手を引っ込め、魔法を避けつつ後退していく。

 両手を上げているマッドに掌を向けたまま、歩いていき、フェニクスをそっと持ち上げる。


「おい、起きろよフェニクス。お前の飼い主様が来てやったぞ」


 フェニクスは口を開かない。


「死んじゃったのかな? 僕だって、残念に思っているよ。生きたままの鳥くんを、僕は――」

「黙っとけ」


 小さく溜息を吐き、首を左右に振るマッド。

 俺はその様子を一瞥したあと、もう一度話しかける。


「お前、今回は頑張ったみたいだしな。あいつを跡形もなく消した後は、まずノートの屋敷へ行こうか。あ? 魔法都市の方がいいんだっけ? お前の嫁だか恋人を、そろそろ俺に紹介しろよ」


 フェニクスは、動かない。軽く揺すってみても、目の開く気配がなかった。


「俺としたことが、忘れてた。先にメシを食わねえとな。面倒くせえが、お前の好きだって言ってたオムライスも作ってやるぞ。……ああ、言おう言おうと思っていたんだが、実はオムライスって卵を使ってるんだよ。あの時使った卵、鳥の卵だったらごめんな」


 嘘だろ? そう言って、飛び起きるのを待つ。

 反応はない。無理やり作った俺の笑みも虚しく、徐々に口角が下がっていく。


「無駄だよ、エンジ君。死んでるよ? それ」

「起きろ。起きろよ、フェニクス」


 マッドの言葉には無視をして、俺は語り続けた。


「エン、ジ……?」

「フェニクス!」


 フェニクスが、俺の名を呼んだ。勘違いではない、確かにそれはフェニクスの声だった。


「楽しかったぜぇ。シャバの空気はよ」


 意味もよく理解していないまま、俺の教えた言葉をいい加減に使うフェニクス。


「エンジ? 両方だ。何事も、バランスが大事なんだよ」

「そうだな。この仕事が終われば、しばらくゆっくりしよう。たらふく美味いものを食って、可愛い雌鳥でも探しにな。手伝ってやる。俺もさ、なんだかちょっと疲れたよ」


 違う、違うと言って、口の端を上げるフェニクス。


「翼はさ、同じ形、同じ大きさであることが大切なんだ。異なる形や大きさでは、空は飛べない」


 何が言いたいんだよ、お前――

 何も言えない俺に対して、フェニクスが言った。


「俺様はな、お前と対等でありたかったんだ」


 俺は少し笑ったあと、唇を結ぶ。――何でだよ、お前のその言い方は、まるで。

 ゴボッとフェニクスの口から血が流れてきたのを見て、俺は慌てて治癒の魔法をかけ始める。


「いいって、下手くそ。……エンジお前、ちゃんと生きろよ」


 何を。


「お前さ、自分はいつ死んでもいいとか思ってるだろ? 俺様に隠し事は通用しないぜ。俺様はな、そんなお前が嫌いだった」


 フェニクスは、俺の背後に一度視線を向ける。


「あいつらだってそうさ。お前以外は、お前にそんなこと望んじゃいねえ。だから、死のうとするな」


 別に俺は……。

 死のうだなんて考えていないし、簡単にくたばる気もない。いざとなったら逃げ出す。それが俺の――

 否定しかけた言葉を飲み込み、俺はフェニクスと約束を交わす。


「分かった、約束する」


 だからさ――


「ああ、サンキュな」


 礼を言われる筋合いはない。礼なんて、必要ないんだよフェニクス。

 その言葉を最後に、フェニクスが口を開くことはなかった。


「サンキュな、フェニクス」


 ゆっくりとフェニクスを地面に降ろすと、フェニクスの体は燃え上がり、そこには灰の山だけが残されていた。


「お前らしいといえば、お前らしいよ」


 俺は、握りしめていた羽を、灰の上に置き立ち上がる。――でもさ。


「体くらい、残していけよな」


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