第195話 人面ライオン

 俺様ともあろうものが、情けない――


 長時間の戦闘からくる疲労に、数多の傷。致命的なものは何一つないとはいえ、俺様の戦意はしぼみつつあった。


「慣れねえことしやがって。傷、全然治ってねえじゃねえか」


 そう、思っておきたい。決して俺様は、別れ際のエンジが怪我を隠していたことを心配していたわけではない。

 もしかしたら、エンジはあの街で……なんてことも考えてはいない。


「鳥くん、なんだか元気になってない?」

「なってない。気のせいだろ」


 雑魚どもを蹴散らしつつ、俺様はマッドの言葉を否定する。

 心の中で、自問自答する。そうだ、そんなはずはない。まさかこの俺様が、エンジが姿を見せたことで、安心しているなど。

 いや、何もそこまで否定することはない。無事なら無事でよかったじゃねえか。ただ、もっと早く合流しろよ。この忙しい時に、何が花嫁を拐ってきただ。馬鹿か。

 俺様は薄く笑う。


「やはり、あいつには俺様がついていてやんねえとな……オラぁ!」


 仕方ねえが、認めてやるよ。お前がきたことで、俺様は確かに……。

 だが、調子に乗るんじゃねえ。それは飼い主の義務だ。ペットの粗相は全て飼い主の責任。――ま、俺様は粗相もしねえし、ペットでもないがな。


 尋常でない鍛え方をされた、至高の我が足から繰り出されるキックに、飛びかかってきた魔物は一撃で絶命する。

 とりあえず、見えている魔物は今ので最後だ。俺様はふん、と鼻から息を吹き出すと、狂った科学者に向かって歩いて行く。


「おーう、ニヤニヤ顔の旦那。もうしまいか? 全然食い足りねえんだが?」

「ふひひ、やぁるねえ。もう少し弱らせておかないと、僕ではまだ捕らえられないかなぁ」

「弱らせる? 捕らえる? はっ! 悠長に何言ってやがる。そろそろ、自分の生死について考えるべきだろ」


 マッドは笑みを崩さない。俺様が、お前よりも強いことは一目瞭然だというのに。――まだ、何か隠してやがるな。


「ここからが、メインディッシュさぁ。……マンティコアって知っているかい? 伝説の生物ってやつなんだけどさぁ」

「あん?」


 マンドラゴラ? そいつが俺様に敵うはずもねえが、一応思い出せ。あの、無駄知識にまみれた男の言葉を。

 確か……植物。そう、植物だ。毒があるんだったか? まあ、どちらにせよ。


「毒殺、とは考えが浅いな。いくら腹が減っているとはいえ、高貴な俺様はそんなもの食べない」

「お腹、減ってたんだ? それにしても、よく知っているね。尾には毒針があるんだ。でも、毒よりも食い殺されることを心配した方がいいかな」


 尾に? 根じゃなくて?


「そういえば、君の好きな食べ物は?」

「オムライス」

「……知らないなぁ」


 無知な奴め。互いにとって、何の益にもならないどうでもよい会話を終わらせ、かかってこいよと翼を動かす。人でいう、手招きをするあれだ。

 マッドに襲いかかるのは、まだ早い。一息で勝負を決められるのであればいいのだが、粘られた場合、魔物とマッドの両方を相手取らないといけないかもしれないからだ。

 今はまだ、観戦しているだけで手は出してこない。こいつが、焦り始めてからが勝負だ。まずは、手持ちのカードを全て潰してやる。


「僕の自信作さ、おいで」


 俺様と奴との間、地面に浮かぶ魔法陣。マッドの言葉と共に出てきたのは、気持ちの悪い人面ライオン。俺様は、眉を寄せる。

 何だこいつ。どこが植物。エンジの野郎、また嘘を教えやがったな。


「はぁん、ブサイク」

「でも、強いよ? 今頃は、負傷しているエンジ君もこいつと戦っているところかなぁ。いや、もう食い殺されてたりして。ふひ、ふひひひ」


 あいつの怪我に気づいていたのか。ぎこちない走り方していたもんな……。

 というか、あっちにもこいつがいるのか。だが――


「何が伝説の生物。二匹も三匹もいるやつが、おこがましい。伝説ってのはな、オンリーワンなんだよ」

「それは、確かにね。でも……ふひはは。二匹や三匹? 僕が用意したのは、全部で五匹だ!」


 左右に新たな魔法陣が出現し、俺様を囲むようにして、もう二体が現れる。

 しかし、配分がおかしいな。なんでこっちに三体なんだよ。これは、エンジよりも俺様のほうが脅威だと思われているってことか? いや、当然なんだがよ。

 いろいろと思うところはあるが、まあ。


「数なんて関係ない。俺様は当たり前として、こんなツギハギにあいつが負けるわけないだろうが」





 =====





「これは、参りましたねぇ」

「気持ち悪い顔……あいつ、多分強い」


 遺跡中心部。魔導兵器を前にして、クレイトとネコは立ち尽くしていた。

 兵器の前にいるのは、二匹の人面ライオン。一匹は、よだれをどろどろと床に垂れ流し、腕を枕にして寝ている。もう一匹は今、大きなあくびをしたところだった。


「博士、あれ倒せそう?」

「それを私に聞くんだ。君こそ、どうなんだい?」


 例の一族なら、多少は戦えるのだろう? と、クレイトは続ける。

 ネコはじっと二匹を見たあと、首を横に振った。


「私は無理。姉様でも、ちょっと。母様なら」

「ん~。今ここにいない者の話をしてもしょうがないね」

「鳥なら……」


 会話が途切れたところに、地響き。遺跡外での戦闘音が聞こえてくる。その音は、二人が遺跡に入った後もずっと聞こえていたものだ。

 クレイトとネコは、無表情な顔で互いを見る。


「フェニクスは忙しそうだね。一つ、案があるにはあるのですが……」


 そう呟いたクレイトは、ネコをちらりと見たあと言葉を引っ込める。


「やはり、やめておきましょうかね。確実とは言えませんし」

「私が二匹の注意を引く。囮、なる」


 クレイトは片眉を垂れ下げる。それはまさに、クレイトの考えていたことと同じものだったからだ。


「言い出しづらかった? でも、ちゃんと言え。バカ、タコ」

「バカでもタコでもないですが、そうですね。すみません。よろしくお願いします」

「ん。私も頑張る。私の頑張り、あとでそれとなくエンジに伝える」

「分かりました。きっと」


 ネコが魔力を練り始めると、地響きの立つ中でも起きなかった二体が、体を起こす。

 ネコは、魔力を込めたナイフを二本、投合した。


「がっ?」

「ぐるる」


 二匹の顔面を捉えたナイフは、硬いものに当たった音のしたあと地面に落ちる。


「硬い……わ! にゃうう!」


 やはり、自分では厳しそうだ。刺さる様子のないナイフに驚き、体を少し硬直させてしまったが、それでも二匹の注目を集めることには成功し、走り出す。

 予想を遥かに上回る足の速さに悲鳴を上げつつも、ネコはその場から逃げ出した。


「頼みます。どうかご無事で」


 物陰から飛び出したクレイトは、魔導兵器に向かって走った。


 ……。


 大きな音を立てて、遺跡の壁が崩れる。逃げるだけなら自信はあったのに。


「ひやぁ!」


 普段は出さないような大声が咄嗟に出る。遺跡内部の通路を直角に曲がると、人面ライオンは壁に頭をぶつけていた。


「グルァ!」


 全く、痛みなんて感じていなさそうだ。咆哮を一度上げ、またネコを追い始める。

 力も、速度も、並大抵の魔物とは一線を画す。出来る限り狭い通路を走り、体の大きな人面ライオンを撒こうとするネコだったが、それも中々うまくはいかない。


 怖い、怖い怖い怖い。

 強力な魔物に追われるというだけで恐怖だというのに、人の顔をしていることが、さらに拍車をかける。

 ネコがちらりと背後を見ると、そいつはニヤリと笑ったように見え、肩を震わせたあと、すぐに前を向いた。


 あ、あれ……? 怖がるあまり、すぐに視線を逸してしまったネコだが、そこで異変を感じ取る。


「一匹?」


 追いかけてきていたのは、確かに二匹だったはず。

 ネコは走りつつも、耳を済ませる。依然として、大きな足音や遺跡の壁を破壊する音が聞こえた。しかし。


「やっぱり、一匹」


 まずい。まさか、まさか、まさか。ネコは最悪の想像をする。初めに考えたのは、自分を追跡する以外のもう一匹が、クレイトの方へ向かったということ。

 彼は、アンチェインの中では珍しく、全く戦闘のできない者の一人だ。もし襲われようものなら、逃げるどころの話ではない。


「博士……にゃっ!」


 一度足を止めたいが、その余裕はない。人面ライオンの一撃を避け、髪の端が少し切れる。

 転ぶどころか、何かに躓いただけで生が終わる。ネコは、足を止めるわけにはいかなかった。


「ぎぃ~た? ぎた?」


 訳の分からない声を出しつつ、ネコを追いかける人面ライオン。理解する気もないが、そもそも壁の崩れる音などで、よくは聞こえない。


「ぎた。きたぎたきた」


 ネコの耳がぴくりと反応する。それほど遠い距離ではない。自分を追うそいつとは、また違う声が聞こえた。

 クレイトのいるところからは離れた場所。ネコは、心の中で安堵の息を吐く。


 しかし、すぐに気付く。その声は、自分の走る方向から聞こえてきたのだ。周囲を見渡す。一本道。血の気が一気に引く。――どうか、お願い。

 外の光が届かない暗い通路の先から、またおぞましい声が聞こえてくる。


「げあ? き~た。きた」


 その声は、反響し合うように背中からも聞こえてきた。


「きた、きたきたきた、ぎた」


 ネコは、ついに足をとめた。暗い通路の先からは、ぼうっと顔だけが浮かび上がる。少しして、全身が。

 首をふらふらと振りながら、ネコの方へ歩いてくる。


「あ……ああ」


 ひたひたと足音。背後の人面ライオンは、走ることをやめ静かに歩いていた。

 ネコは気付いた。この二匹は、おそらく意思疎通を図ることができた。今自分が立つこの通路に追い込まれていたのだ。


「ぎ~、ぎた? きた。北?」

「来たぎたきた」


 北か、来た、か。事ここに至って、そんなことはどうでもいい。追ってくる一匹が出していた大きな声や物音は、もう一匹が回り込むのを隠すため。

 ネコの体からは力が抜け、ぺたりと床に座り込む。――人の頭を持っている時点で、考慮すべきだったのかもしれない。無理か。私は逃げるだけで精一杯だったのだから。


 二体の人面ライオンが、顔をにやにやとさせ、ネコの元へ近づいていく。

 ネコの座る床には、小さな水たまりができていた。


「た、助け……」

「たす? たす、すけ」

「けてげてけてけて」


 ネコの声を真似するように、人面ライオンは不気味な声を出す。


「とりぃ……はかせぇ……」

「と、とせ、はかぜ」

「とりどりとり、りはかせ」


 ネコと二匹の距離は、すでに数メートルほどに迫っていた。ネコの体はぶるぶると震え、それを見た二匹は顔を揺らす。


「エンジ……」


 もうダメだ。そう思い、最後に呟いたネコの声。

 人面ライオンがその声に反応する前に、ネコが背を預ける壁が崩壊した。


 崩壊した壁の先に、勢い良く引っ張られるネコの体。力の抜けていたネコは、抗うことなく身を任せた。

 気づけば腰には腕が回され、ぷらんと宙に浮くネコの小さな体。


「うお! なんだこいつら! ……ブサイク」


 光を失ったネコの目に、生気が宿る。ゆっくりと首を回したネコの目の前にあったのは、見知った顔だった。

 涙ぐんだネコは、体を反転させ、自身の腰に腕を回すその人物の胸に抱きついた。


「ぶさ? ぶさ、うさいく」

「ふさいくブサイク、ぶさい」


 空いた壁の中を確かめるように、二匹は穴の中に入っていく。


「サイク、ブサイク」

「ブサ? ブサ、ブサウサイク」

「よく頑張ったな、ネコ。って、さっきから失礼な奴らだな! 俺のどこがブサイクだ! あん!?」


 男は怒り口調でそう言ったあと、ネコの体を持った方とは逆の手を、二匹の人面ライオンに向ける。

 男は、不敵な表情を浮かべた。


「くたばれや。RUN」


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