第189話 捨てられないお姫様

 明らかに、走りづらそうな服と靴。かと言って、素足で走らせるのはさすがにな。そう思った俺は、結局アストレアを抱え走っていた。


「はーあ。俺だって怪我人なのにな」

「へへ」


 聞こえるように愚痴をこぼした俺に対して、嬉しそうな気配を漂わせるアストレア。

 何が面白い? 何を嬉しそうにしてやがる。体と心、どちらも俺より余裕がありそうなこいつに、小さく舌打ちをする。


「ああ、なんだか全然違うね」


 何が? 俺は黙って続きを待つ。


「エンジ君が優しい気がする」

「あん?」


 ふふっと笑い、俺の体に顔を擦り付け甘えてくる。

 もう一度舌打ちをした俺は、抱えている手を離し、アストレアをぶん投げようとした。

 やめた。俺はそのまま走り続ける。随分と調子に乗っているようだが、仕方ない。こいつの力は、この先必要だ。あの狂った科学者が相手だということもあるし、俺の傷も治療してもらわなければいけないのだ。


「ほらぁ、やっぱり~。今までだったら、もう道端に捨てられてたよぉ」


 この女……。


「そんなひどいこと、俺がするわけないだろう。今まで何を見てきたんだ? それに、お前がお姫様だって知ってしまったからな。こんなん当然だろ」

「ふうん」


 何がふうん、だ。俺の頬は引きつる。

 やっぱり、捨てていこうかな。傷の治りは遅くなるが、その分早くフェニクスたちに合流できるかもしれないし。

 うん。よく考えたら、すでに姫じゃないかもしれないしな。今やこいつは、結婚もしないのにウエディングドレスを着ているただのばかだ。


「達者でな」

「エンジ君はさ、私がお姫様だから優しくなったの?」


 別れの挨拶を済ませ、放り投げようとした瞬間、問われる。迷った俺は、もう少しだけこのまま走ってやろうと思い直し、返答した。


「そうだ。俺はな、世界中のお姫様をおとすのが夢なんだ」

「なにそれ」

「世界征服だ。当たり前だろ。男に生まれたからには、一度は考えるもの。どんな男も、世界征服を目指すものなんだ」


 しかも、俺のは一味違う。間接的に国を支配していく、暴力に頼らない世界征服だ。そう続けて言うと、アストレアは含むような笑みをみせる。


「ふふ。もう、エンジ君は。そういうことに、しておいてあげる」


 加えて、嫌らしい笑い。目を細め、苛々とし始めた俺に気づいてはいるだろうが、気にした様子のないアストレアは、続けて言う。


「果てしない夢だけど、頑張ってね。応援してる。……良かったね? まずは一人、ここにエンジ君に落とされた美姫がいるよ」


 俺は、アストレアを落とした。地面に。


「え、そんな! ああああああ」


 悲鳴を上げ、ころころと転がっていくアストレア。見慣れたその光景に、俺は強く胸を打たれる。なんというか、しっくりきた。――やっぱり、こいつはこうでないとな。

 起き上がったアストレアは、俺の顔を見た後、唇を結んでいた。


「ひどいよ! 本当に落としちゃうなんて! 見てよこれ、綺麗だったドレスが汚れちゃったよ!」

「馬子にも衣装だな」


 俺が満面の笑みでそう言うと、アストレアは首を横に傾ける。


「どういう意味? それって褒めてるの? 私のこと、可愛いって言ってる?」


 こいつは、あの一言からそんな風に解釈するのか。面白い頭だな。会話の流れを考えろよ。例え今、俺がそう言っていたとして、お前は嬉しいのか?


「もちろんだとも」


 もちろん、俺は肯定する。仏のような、優しい顔で。


「ああ……エンジ君が笑顔だよ。エンジ君の即答だよ。もう絶対違う意味だよ」


 落胆し、口を尖らせるアストレア。こいつは、俺をなんだと思っているのか。一度、認識を変えさせる必要があるな。


「もうもうもう! エンジ君のばか!」


 お前の方が、ばか。

 いつものように、うるさく騒ぎだしたアストレア。そんなこいつを見て、俺の口元は、いつの間にか緩んでいた。


 ……。


 次は、絶対に離さないで。離したとしても、しがみついてやるから。理解に苦しむ、あべこべな言葉を言い放ったアストレアは、先程よりもピッタリと俺に密着していた。

 少し苦しいのは我慢して、俺はまた目的地を目指す。


「こっちの方向でいいのか?」

「うん。近いよ。もう少しだと思う」


 アストレアは、面白い魔法を持っていた。それは、特定の誰かがいる場所を見つけ出すというもの。どこにいても届く煩わしい魔力文書と、大勢の人で溢れかえっていたはずの帝都で、俺がこいつに見つかってしまった謎が解ける。

 その件について少し思うところはあったが、今回は助けられた形だ。魔導兵器のある場所をいい加減にしか知らなかった俺は、途中でこいつを捨てなくてよかった、と気持ちを改めつつ、フェニクスを追ってもらっていた。


 そして一日か二日が過ぎた頃、ついにその後ろ姿を捉える。距離はまだ離れていたが、あの頭、あの大きさ、何よりも鳥のくせに地面を走り回るその姿は、紛れもなくフェニクスだ。

 フェニクスは、遺跡のような建物の入り口を守るように、多数の魔物と交戦中だった。――あの遺跡に、兵器が?


「エンジ君、本当に行くんだね」


 前方を睨み、走り出そうとした俺の耳元で、背負っていたアストレアが呟く。


「ああ。とめるか?」


 似たようなことを、前にも聞いたな。と思いつつ、俺はアストレアに聞き返す。


「とめない。傷は完治していないし、今の私の言葉なら、エンジ君はとまってくれるかもしれない。でも、とめないよ」

「は、自意識過剰な奴」


 俺は口元を綻ばせる。


「エンジ君、一つ聞いてもいい?」


 耳元から聞こえた声に、短く返事をする。


「私は、エンジ君に気付かされた。ちゃんと伝えた。でも、エンジ君は私のこと、どう思っているの?」


 俺の両手が塞がっていることをいいことに、つんつんと頬を突付かれる。ふざけた態度に文句を言おうとしたが、口を紡んだ。アストレアの声色は、どこか真剣味を帯びているような気がしたからだ。


「嘘をついている私が、エンジ君は嫌いだって言った」


 言ったっけ?


「じゃあじゃあ、もしかしてエンジ君……今の私のことは」

「何でそうなる」


 確かに、俺はお前に対していい感情を持ってはいなかった。その部分が邪魔をして、俺の目を曇らせていたからだ。だが、今は違う。真実を知った。

 俺は、フェニクスの奮闘を眺めつつも、考え、小さく吹きだしたあと、走り出す。


「あー、後にしてくれ。このままあの鳥に死なれでもすれば、寝覚めが悪い。ひどく呪われてしまいそうだ」


 なんで笑うの、と頬を膨らませたアストレアは、走り出した俺の肩をぽかぽかと叩く。

 笑ったのは別の理由。フェニクスが必死な形相で戦っている前で、なぜ今、なぜこんなところで、俺たちはゆっくりと話をしているのか。ふと、馬鹿らしくなったんだ。


「もうもうもう! この前聞いたエンジ君の夢は多分叶わないけど、一応言っておくね! 私が一人目だってことは忘れちゃだめだよ! 一人目は特別だからね! すっごく大事にしないとだめなんだからね!」

「なにそれ」


 俺の夢ってなんだ? 疑問と呆れが入り混じった表情で、俺は言う。


「忘れたの? エンジ君、世界中のお姫様をおとしてやるって言ってたじゃない! あ、私はもうおちてるよ! アストレア城陥落だよ! 門を開きま~す!」

「何言ってんの? 何のアピールだ、それ?」


 それに、なんだその夢。言ったやつは、ばかだな。現実と妄想の区別がついていない。

 例え俺が言っていたとしても、そんなの冗談に決まっているだろ。特に興味もないし。というかな……。


「お前は、もうお姫様ではないかもしれないし、そもそも一人目でもない。二人目だ」

「うええ!? 嘘つかないでよ!」

「嘘ではない。ま、お前と同じく、嘘であってほしい変態だったがな」

「ちょ、ちょっとちょっと! 止まってエンジ君! 一旦止まって! 誰よそれ? どこのお姫様? どこでそんな! 私という恋人がいるのに? ありえないよ! まさかだけど、あの三人の誰かと仲直りしたって言うんじゃ……」

「どうだかな」


 面倒になって、はぐらかす。こいつの言っていることは理解できない部分が多いが、俺も正直分からない。怪我をして、お前に助けられて、なぜか突然結婚しそうになったお前を逃して、好きだと言われて。

 いろいろなことが立て続けに起こって、今は目の前でフェニクスが戦っている。分からないんだよ。本当に。自分が思っているよりもさ。


「うう……うぇ~ん。エンジ君好き! エンジ君は? エンジ君は?」


 しつこいアストレアに、俺は溜息を吐く。

 そうだな。ただ一つ、今の俺に言えることは。


「嫌いじゃない。なくなった」


 前ほどに、アストレアの騒がしさを、騒がしいと感じなくなっていた。そんなこと、口が裂けてもこいつに言う気はないが、不思議とそうなっていた。


「え、それって好きってことだよ? やったぁ」

「その、ゼロかイチかみたいな考えをやめろ」


 お前は二進数か。


「あ~ん! エンジ君好き好き! ちゅ!」

「おい!」


 やはり、何から何まで騒がしいのは変わらない。どうやら、さっきのは気の迷いだったようだ。


「むう……ん? あ! ちょっと顔赤くしてる! 何で、何で!? 言ってみてエンジ君! 口に出して言ってみてよ!」

「知るか。それより、このまま突っ込むぞ。もう目と鼻の先だ」


 その後は何も言わず、背中で騒ぐアストレアは無視し、俺はフェニクスを囲む魔物の群れに突っ込んだ。


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