第188話 追憶と誓い
私は、控室のイスに座り、ただその時を待っていた。
一人ぼっち。部屋の中には公爵の使用人がいるが、私のことなんて見ていない。そこに祝福の言葉もなければ、想いすらない。事務的に、黙々と私を飾り立てるだけ。
「失礼します、アストレア様」
目の周りがじんわりと暖かくなる。治癒魔法だ。先程まで泣いていた、私の赤く腫れるまぶたが気になったのだろう。
そのままで、良かったのに。いくら着飾ろうと、いくら綺麗になろうと、見せたい相手はここにはいない。また涙が滲み始めていた私は、慌てて目を瞑りこらえた。
目を覆っていた使用人の手が離れ、改めて目の前にある鏡を見る。綺麗。私じゃないみたい。何の表情もなく見返してくる、私のブサイクな顔以外は。
そのままじっと見ていると、ほんの少しだけ私は笑う。良い事を思いついた。今度、こんな衣装を着て、突拍子もなく彼に会いに行ってみよう。周囲にいる人は、多ければ多いほどいい。彼を好きな女の子でもいれば、最高のタイミングだ。どんな表情をするのだろう。どんな言葉をかけてくれるのだろう。
きっと驚く。いえ、心底面倒くさそうな表情をするに違いない。もしくは、笑顔でおめでとうとでも言うのかな。まるで、他人事のようによかったなって。それなら私は、いつものようにこう返そう。相手は君だよ、とぼけちゃ嫌、と。私は、彼の新鮮な反応を見るのが好きだ。
今度なんて、ない。
「アストレア様、ご準備を」
控室を出て、荘厳な扉の前まで歩く。扉が開かれると、中は教会のようになっていた。
私に視線が集まるのを感じる。ちらりと、近くにいる人だけでも確認してみるが、知った顔なんて見当たらなかった。
「失礼します」
花嫁最後の身支度である、ウェディングベールをおろされる。私の知らない、私のことも知らない、真面目な顔をした使用人の手によって。
ベールダウンと呼ばれるそれは、邪悪なものから花嫁を守るためと言われているけど、この場合はなんだろう。突き刺すような視線に、私は乾いた笑顔をみせた。
私の夢見ていた、いえ、女の子なら誰しもが一度は考える舞台。幸せだったはず。もっと、満たされるものだったはずだ。それなのに、今の私は空っぽ。事ここに至っては、涙さえも出てこない。――もう充分、泣いたからね。
ヴァージンロードを歩く。足取りは重い。重量のあるドレスを着ているからではない。
下を向いて歩く。床を引きずるほど長いドレスに、躓くことを恐れたわけではない。見たくなかった。目を合わせたくなかった。そこには、私の望んだ人はいないから。
短いはずのその道で、私は思い出していた。頭の中に浮かんだのは、彼のこと。周囲の視線を感じられなくなり、音さえも消える。
「普通あり得ないでしょ? 倒れている人を無視していくなんて」
「死体だと思ったんだ」
「私と目、合ったよね?」
「勘違いかと、思ったんだ」
今にして思うと、初めて出会った時から彼は変だった。ぼけぼけ、とぼけまくりのエンジ君。
「えへへ。可愛い子猫ちゃん……。朝の、キスの時間だよ」
「ちょっ! 何勝手に人の部屋に入ってきてるの! 出ていって!」
薄っすらとだけど、確かこんな感じだったはず。出会ったばかりだというのに、部屋に強引に押し入られ、唇まで奪われかけた。こんな男にくれてやるくらいなら、あの時やっておけばよかった。
「ちょ、ちょっと! 君はどっちの味方なの!?」
「お前かこいつなら、こいつだな」
「恋人は私なのに?」
「お前は恋人じゃない。ぎり、知り合いってとこだ」
意外と、恥ずかしがり屋な一面があるエンジ君。このあと、エンジスタッフはおいしくストレちゃんをいただきました。
「神の奇跡の正体。それは、シンクホールだ」
「シンクホール?」
エンジ君は、この世界とは違う世界から来たのだと、兄様に教えてもらった。少しはその影響があるのかもしれない。でも、関係ないと思う。彼は、私の届かなかったところにまで、その手を届かせることのできる人だった。
「う~ん。やっぱりいい。君、すごくいいよ!」
届かせるだけじゃない。彼は目的のため、全てを壊した。私は、彼に期待した。高揚感でいっぱいだった。それが何かは分からない。でも、彼の持つ何かに、私の胸は高鳴っていた。
「エンジ君! 久しぶりだね! 会いたかったよ~」
帝都。久しぶりの再会。会いたいと思っていたのは、本当。でも、当初は抱きつくつもりなんてなかった。彼を見たとたん、自然と体が動いていた。受け流された。
確かめるつもりでいたんだ。彼が本当に、私の求める人なのかどうか。ちなみに、エンジ君をからかっていたのは趣味の部分が大きい。
「カッコ良かったよ! エンジくーん!」
「RUN」
この時、すでに当初の目的を見失っていた。彼と一緒に過ごす時間は、嫌なことを忘れられる。ただ純粋に、楽しかったの。
水に溺れた。知らないとはいえ、王女である私になんてことを。確信する。期待以上だ。彼はおそらく、私が王女でも変わらずに同じことをする。してくれる。水流をこの身に受けつつも、私の顔は笑顔になっていた。
「あー。ギリだな」
「エンジ君!」
その後は、純粋に彼との時間を楽しんだ。今までも、そうといえばそうだったんだけどね。
私と、ついでに司会者を守るために駆けつけてくれた彼の横顔を見て、私の心臓が脈を打つ。
「へるーぷ! カイルにキリル! ルーカス君! 誰でもいいから来てくれ! へるーぷ! みー!」
時に情けないエンジ君。
「ん! これはぁ? バッサリ切られたと思われる、好き好き大好きストレちゃんは俺の天使ちゃん(愛の大魔術師)選手から出ているのは、血ではない! あれは、女性の下着だ! あれは……ストレちゃんの、なのか!?」
「うん。きっとそうだよ。もう、エンジ君ったら、私に隠れてそんな……」
エッチなエンジ君。
「ねえ、何で!? 何でなのエンジ君! 脱ぎたてがいいの? だったらもう一回履くから! 履いて渡すから! こっちを向いてよ! エンジ君!」
私には興味を示さないのが、少し悲しかった。
「うえぇ、エンジ君! 怖かったよ~」
「あーよしよし。無事に逃げ切れたんだろ? じゃあ、いいじゃねえか」
エンジ君は気づいていたんだ。それでも、私に優しくしてくれた。
「なる! なるよ! 私があなたの、とうきょうどうむ! なるから!」
「ホームラン!」
「やん! もう、どこ触ってるの! エンジ君!」
楽しかった。彼に触れられるのは、恥ずかしさよりも喜びが勝った。嫌悪感なんてなかった。
「エンジさんには威力より速さかな? これならどうだい!」
「聞いちゃいねえ! こいつ! 美人でドスケベな看護師をよべぇ!」
ストレちゃんが、アップを始めました。控室で着替え、いつでも飛び出せるように準備をした。彼が喜ぶ顔を見たい。彼のためなら、なんだってできそうな気がした。
「多重起動! RUN」
彼から目を離すことができなくなっていた。
次々と思い出が溢れてくる。良い思い出も、悪い思い出も全部。
私は、ヴェールの下で鼻をすする。床に落ちた涙は、引きずるドレスが吸い取った。
「――その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。誓います」
気づけば、胡散臭い牧師による誓いの言葉が、新郎に向けられていた。
「――その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
当然、次は私の番だ。私が返答をしなければ、次に進まないことは分かっている。これがどんな種類の式なのかは知らない。でも、大筋は大体同じだ。
「……っ」
口は動かしたつもりだった。しかし、声が出ていなかった。代わりにでていたのは、小さな嗚咽。
「おい、アストレア」
小さく、私を呼ぶ声が隣から聞こえた。にわかに、背中の方でもざわつく声が聞こえ始める。
「静粛に!」
牧師の声が、室内に響く。私はその声に驚き、牧師を見上げる。涙はすでに、隠しきれないほど頬を伝っていた。
「アストレアさん、落ち着いて」
返事の代わりに、私はまた鼻をすする。牧師は一つ頷くと、顔を上げた。
「お集まりの皆様、今日の良き日を迎えることができたのは、皆様のご尽力あってのことだと思います」
牧師が、怪しくなってきた場をつなげるためなのか、語りだす。
「苦労もされたでしょう。ご両人に深く関わりを持つ方は、喜びもひとしおでしょう」
牧師は満面の笑みで、参列者を見渡す。暖かい空気が室内を伝播し始め、牧師もうんうんと頷いていた。
「しかしながら、新郎の新婦に対する愛情、さらには心を繋ぎ止める努力は足らず、ついには新婦を泣かせてしまった次第であります」
私は、ほとんど閉じていた目を、少しだけ開きます。
「彼女は、新郎と共に生き、歩み進むことを誓えなかったのです」
牧師の畳み掛けるような言葉に、誰も何も言えない。静寂の支配するその場所で、私の心臓だけが、どくんと跳ねた気がした。
「それならば――」
私の目の前に立つ牧師は、黒くて長い服を脱ぎ捨てると、目元に手を当て、装着していた何かを剥ぎ取った。
「盗賊に攫われちまっても、文句はねえよなぁ」
「あ――」
声を上げようとしたその瞬間、フワリと体は宙に浮き、二本の暖かい腕に抱え上げられていました。
=====
堅苦しい衣装を脱ぎ捨て、ストレが愛用していたアイマスクを外す。涙でぐしゃぐしゃの間抜け面を晒していたストレを見て、改めて認識阻害の効果を実感する。
色々な案を考えてはいた。式がもっと落ち着いたときを狙えば良かっただろうし、万全を期すなら、ストレも身動きが取りやすいような格好をしているときの方が、効率的に事が運べただろう。だが。
「こんな顔をしている花嫁があるかよ」
「えう……」
まともに声が出せない、動けそうにもないストレを抱え上げ、俺は少しだけ笑い、本人に向かって言う。
過去、友人の結婚式に参加した経験はあった。嬉しさのあまり泣いてしまう花嫁なら見たことはあるが、ここまでマイナスの感情を表に出し、泣いている花嫁は見たことがない。
これ以上、式を続けるのは無理だと思った。それ以上は無視できなかった。ベールの下に隠されたストレの表情、俺はストレが歩いてくる間、じっと眺めていた。いくらベールの下とはいえ、彼女の様子に誰一人気づかない式に辟易した。怒りや悲しみすら湧いてきた。
彼女は主役のはずだ。誰も彼女を見ていない。見ていたのは俺だけだ。いつの間にか、当初の予定なんて捨てて強引な手段を取っていた。
「牧師? いや! お前は!」
静まり返っていた室内ではじめに声をあげたのは、俺のすぐ近くにいる公爵だった。――よお、また会ったな。元気そうでなにより。
「盗賊、エンジ・ニア。……ま、そういうことなんで、悪いな。公爵様は、新しい嫁でも探してくれ」
「は? おい!」
俺は軽い口調でそう言うと、床を蹴った。窓もない部屋。外に繋がる出入り口は一か所だ。左右に座ったままの参列者がぽかんと口を開ける中、正面に見える重厚な扉に向かって、まっすぐに走りだす。
「貴様ぁ!」
扉の数歩手前、最後尾あたりの席から老年の男が飛び出し、俺の前に立ちふさがる。頭髪は白く染まっている。が、軽い身のこなしや、ぎらぎらと威圧感のある目を見て、少し逡巡したあと、すぐに気を引き締めた。――甘くない。この男。
「RUN」
一瞬の攻防。そして、決着。
男を包囲するように、いくつかの小さな火の玉が出現した。外側から順に、玉が弾けていく。
火の玉が出現し、ほんの僅かな間だけ男は体を硬直させた。だが、火の玉の性質を見たあと瞬時に持ち直し、流れるような体捌きで、身の回りにあるそれらを拳圧で消していった。
ふっ、と全ての火の玉は消え、また正面を向いていた男は不敵な笑みを見せていた。同時に、俺も笑う。
足はとめず、体を半身にし、俺の背後を男にも意図的に見えるようにした。背後にいたのは尻もちをついた公爵。その公爵の前には、大きな火の玉が浮いていた。
「な……こんの、ガキィ!」
一度ずつ、俺と公爵に目を配った男は、声を荒げつつも走り出した。口元に笑みを携えた俺の目と、憎しみのこもった目が交差する。
俺が扉をぶち破り、室外へ出るのと同じタイミングで、公爵の盾になっていた男、その目の前にある火の玉は消えた。
ちらりと、後目でその瞬間を見届けた俺は、最後に小さく舌を見せ、その場から姿を消す。山ボーイズの叫び声を背中に、俺たちは屋敷から脱出した。
……。
休憩を入れつつも、屋敷、そしてその近くにあった街からは、かなり離れたところまで、俺は走っていた。
何も言わず、ただ俺の背中にしがみついていたストレは、小さな湖の近くまで来たところで、やっと口を開いた。
「エンジ君、もう平気。ごめんね。気を使わせちゃって」
「一つ言っておく。俺は、お前なんかを気遣ってはいない。でも、腕がそろそろ限界だ。ここからは、自分の力で歩け」
地面におろしたストレは、小さく笑った。
ドレスが地面をこすっているが、気にはしていないようだ。ゆっくりと歩き、湖の水面に手をつけたあと、立ち上がり、俺がいる方へ振り返る。
「なんでなの?」
目は笑っておらず、口元だけを綻ばせたストレが言った。俺は答える。
「全部、自分を守るためにしたことだ」
何かを言いかけ、結局口を噤んだストレに、今度は俺から問いかける。
「お前はさ、俺に何を期待していたんだ」
本気でなかったことは分かっている。なぜ、気のあるような素振りを。なぜ、俺だったんだ。
「そう。私はエンジ君に期待していた。最初は、王国の王女たちと、なぜか縁のあったエンジ君」
ストレは話す。始まりから。
「バルムクーヘンの力は強かった。当時のライトフェザーからしたら、さらにね」
ストレの婚約は、どうにもすることができなかった。強国との関係強化に、周囲はむしろ喜んでいたくらいだった。
王国、それも公爵ともなれば、その力は絶大だ。しかし、その強い力に匹敵する者達がいた。状況次第では、より上の力を持つ者達が俺の側にはいたのだ。
俺は勇者候補だったんだよ、あんなでも。そう言うと、ストレは知っていると答えた。後で兄様に教えてもらったと。
「あいつは、さすがだな。でもその兄に言えば、何とでもなりそうだけどな」
「そうだね。兄様は、あれでとっても優秀。私が真剣に頼めば、父様や母様、その周囲にいる者もねじ伏せて、私を救ってくれたと思う」
おそらく現在、裏で国を掌握しているのは兄様だけどね、とストレは苦笑いで続ける。
俺はその件には触れず、思ったことを言う。
「救うとは、また大げさだな。嫁にいくだけだろ」
そうなんだよ。そう、ストレは認めた上で、口に出した。
「兄様が動けば大事になる。たくさんの人が不幸になると思った。でもね、嫌だったんだ。私は、あんなやつとは結ばれたくなかった。ちょっと恥ずかしいけど、身も心もお姫様だったみたい」
だからこいつは、逃げる、ことを決めた。いつか向き合わなくてはならない。でも、今は。
「似合わないぞ」
要所要所は省かれているが、言いたいことは伝わってきた。そして、はっきりと嫌だと言ったストレらしい正直な気持ちを聞いて、俺はなぜだか、微笑んでいた。
「私はエンジ君に期待していた。会ってみようと思った。目的のために、そして一人の少女のために、街一つを沈めたのには笑ったよ」
「いや、あれは俺がやらなくてもそのうち……。それにあいつは――」
「予想以上だった。格好良かったよ」
否定していても仕方ない。今はストレの話を聞こう。俺は黙り、先を促す。
「もう一度、確かめてみようって思ったんだ。あの時の、胸の高鳴りに期待して」
ストレは話を続けた。帝都で再会してからの想い。ずっと胸に抱えていた想い。一つ一つ、思い出を噛み締めながら。
「相手が誰であろうと、態度の変わらないエンジ君」
ストレの言葉に、相づちだけを返す。
「エンジ君を支える何かは分からない。でも、エンジ君なら全てを壊してくれる気がした」
ストレの話を聞きながら、俺は考え始めていた。
「言葉にのせては言えなかった。でも、私はきっと、そんなエンジ君に惹かれていた」
おかしい。それは矛盾だ。
「エンジ君と話すのは楽しい。嫌なことを、全部全部忘れられる。エンジ君に触れられるのは嬉しい。触れられた部分から、体がぞくりと反応する。体温が上がって、ぽかぽかする」
矛盾、していないのか。そうだ。矛盾なんてしていなかったのかもしれない。
「エンジ君が血を流して倒れているのを見つけた時、頭がおかしくなりそうだった」
こいつは確かにそう言ったし、自分の感覚を疑るわけではない。でも、そんなのは一部だった。作り上げられた大きなデータ、その中に潜む小さなバグだ。
俺は、そのバグのせいで勘違いをしていた。そのバグこそが、彼女だと思っていた。目に見えていた確かなものを、見ないようにしていた。本質を、見誤っていた。
「エンジ君が死ぬ。そう思ったら、体の内側を冷たい血が流れた。全身が震えた。私はね! 本当に怖かったの!」
「ストレ?」
「今思い出しても体が震えるよ? エンジ君が――」
「ストレ!」
聞きたいことがあった。俺は、目に涙を浮かべていたストレの話をとめる。
「あ、ごめん。何?」
何ってお前、まだ気づいていないのか。俺は呆れるとともに、小さく溜息を吐く。その溜息は、自身に対しての溜息でもあった。
「情けないことに、今気付いた。先に気づいた俺が、気づいていないお前に教えてやろう」
くてんと首を傾けるストレに、俺は言ってやる。
「何だよ。お前、俺のこと好きじゃん」
「え……」
目を見開き、口を半開きにするストレ。
え、じゃねえよ。何驚いてんだ。こっ恥ずかしいことばかり聞かせやがって。聞いてる俺のほうが恥ずかしいわ。
「今までの、俺が見てきたお前。あれが、全部嘘なわけないよな。よく考えたらさ」
そうだ。嘘なわけない。否定すればするほど、おかしなことに気付く。好きでもないやつに、あんな態度とれるか? 期待しているからって、いくらなんでもあの距離感はおかしいだろ。
できない。少なくとも、俺には。
「あは。私が、好き? エンジ君を? 私が好きだって言うの? エンジ君を」
混乱し始めたストレは、しばらく自問自答を繰り返していた。
「私が、好き。エンジ君のこと。うん。そうだよ。そうかもしれない。そうだよね」
なんだか……そうやってぶつぶつと呟かれると、俺がそういう方向に仕向けたというか、洗脳したみたいだからやめてくれない。
葛藤する様子をぼんやりと眺めていた俺に、ストレは正面から向き合った。しばらくは何も言わず、じっと俺の顔を見つめていたストレは、お尻の後ろで手を組むと、体を少し前に傾け、上目遣いで言う。
「へへ。私、エンジ君が好き」
優しい笑みを浮かべたストレ。今までに、何度聞いただろう。もう聞き飽きたよ。俺は苦笑する。
「私、エンジ君が好き」
苦笑していた俺は、鼻で笑おうとした。
できなかった。それは、今までとは少し異なる響き。同じはずなのに、異なる言葉。自然と、俺の二本の指は、ストレの視線を遮るように額をこする。
「やっぱり、すごいね。今のが分かったんだ?」
何を……。嫌な予感がして、俺はそっぽを向く。
「今度は、私が教えてあげる」
訝しがる俺に、ストレは笑顔で近づいてくる。立ち尽くしていた俺の耳元に、ストレは唇を近づけると、小さく言った。
「エンジ君は分かったんだよね? 私が……本気で言ったってこと」
くすりと笑った雰囲気をみせたストレは、視線だけを横に動かしていた俺の頬に、軽く唇を押し当てた。
ちゅっと、挨拶のようなキス。ストレは、人一人分ほど距離を取ると、いたずらな笑みを見せていた。
「エンジ君」
ストレは、一度下を向く。顔を上げると、笑みは消えていた。何の前触れもなく、ストレの頬には、涙が伝い落ちた。
「好きだよ、エンジ君。ううん。ちゃんと伝えるね? エンジ君のこと、ずっと好きだった。今は、昨日までの好きより、好き」
言い切ると、涙を流したまま口角を上げたストレ。……ああああ! もういい。分かったから。それ以上、好き好き言うな。
柄にもなく、防戦一方になりつつあった俺は、話を逸らしてみる。
「ああ、うん。ストレ。いや、アストレア姫。お前は、もう自由なんだ」
「アストレアでいいよ。姫はいらない。でもね、エンジ君」
俺も流れで言っただけで、それはこの際どうでもいいが……でもね? まさかこいつ、この期に及んでまだ。
一瞬、悪い想像をしたが、違った。
「私、アストレア・ライトフェザーは、盗賊エンジ・ニアに盗まれてしまいました」
まるで、お姫様のような口調。それほど違和感もなく、俺は受け入れる。そういうお前もいるんだな。そんな風に感じていた。
「自由なんてない。いらない。私はね、エンジ君のものなの」
そして一呼吸置き、続けて言った。
「もう、嘘はつかないって誓う。正真正銘、私はエンジ君に恋しています」
いつの間に夜が終わっていたのだろう。きらきらと、朝焼けが湖に反射する。
最後にそう言ったストレの笑顔は、少し眩しかった。
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