第187話 理由のない

 ついに、言っちゃったな。と、私は心のなかで溜息を吐く。エンジ君は、気づいていた。多分、ずっと前から。もしかしたら、初めて出会ったあの日から。彼は、意外と人をよく見ている。勘もいい。

 何で私だけ、と思っていた。それでも楽しかったのは確かだし、それなりに彼も優しくしてくれた。でも、どこか他の女の子たちに対する扱いとは、違っていた。一時は期待もしたけど、それも違った。決して、良い意味で特別扱いされているわけではなかった。

 それは、そうだよね。私みたいな嘘つきに、彼がいい顔するはずない。気づいていたならなおさらだし、彼は、そういうタイプを一番嫌っていそうだもの。


「アストレア、ここがお前の部屋だ。好きに使え」

「はい」


 丸顔の男に、部屋に案内される。バルムクーヘン王国の公爵であり、関係の薄いライトフェザーとの友好のため、両親が勝手に決めた私の婚約者。

 一人用には見えない大きなベッドを見て、私の頬は引きつった。


「心配しなくていい。じゃじゃ馬とはいえ、さすがに一国の姫様相手に婚前はまずいからな」


 全く格好をつけられていないが、格好をつけたような表情で、男は言う。

 誰がじゃじゃ馬。誰もそんなこと聞いていない。私が気にしているのは、あなたが相手だということ。率直に言うと、嫌なの。


「ということで、簡易的な式を今夜挙げる。僕の身内だけになってしまうが、許してくれ」

「え?」


 何を言っているのだろう、この男は。許すわけないでしょう。許されるわけないでしょう。身内だけという部分はいいとして、私の親族すらいないのはだめでしょう。少しくらい待てないの? ということでって、何? 死ね。

 そもそも、今のバルムクーヘンがどういう状況にあるのか、この男は分かっているの?


「君の言いたいことは分かっている。だが、君のところも含めて、王国総出で事の鎮圧に当たっているのだ」


 あなたは戦わないの? その爵位は飾りかな。


「勝つだろ、どうせ」


 男は、あっけからんとそう言った。私は怒りに震える。

 それは、そうだよ。私だって、勝利を信じている。でもあなたは、そのために頑張っているエンジ君を、捕らえようとしたんだよ。あんなにひどい怪我をして、それでも先へ進もうとする、エンジ君を。のんびりと山登りなんかをしていたあなたには、簡単に言ってほしくない。


「詳しい状況の分からない民は、不安でいっぱいなのだ。明るい話が必要なのだよ」


 その件と、今夜すぐに結婚式をあげる理由がいまいちしっくりこない。知った風な口を利く男に、いらいらする。

 勝ちが決まってからの方がいいんじゃない? 逆に聞いてあげるけど、戦いの最中に何をしているんだって、後で怒られない? もう、遠回りな言い方なんてやめて、簡潔に言えばいいよ。僕は今夜にでも君を、ってね。


「山越えは疲れただろう。夜まではゆっくりと体を休めるといい。じゃあ、また後で」


 ばちっとウインクをして、男は去っていく。

 その顔も、嫌い。おぞましい、寒気がする。口ばかり達者なところも嫌い。いらいらする。何もかも、大嫌い。

 私は、部屋の隅でうずくまった。


「エンジ君」


 私は、小さく彼の名を呼びます。彼の言ったことは真実。私は今まで、好き、を彼にぶつけたことがなかった。


「エンジ君」


 それでも、私の心に浮かんだのは彼でした。つい先程まで、一緒に行動していたからかな。私は、彼に何を期待していたの。


「エンジ君」


 私は君を……。彼は来ないよ。あなたが否定したんじゃない。あなたが認めたの。他ならぬ、あなた自身が。


 燃える夕日が沈む中、赤く染まった室内で、私は嗚咽をもらした。





 =====





 男の後ろを歩いて行くストレを、俺は眺めていた。


「やっぱり、そうだったか」


 兵士たちも引き上げ、誰もいなくなったところで独りごちる。

 そうだね。と、ストレは言った。聞かずとも分かってはいたが、どうしても聞いておきたかった。あいつの口から、直接聞いておきたかった。

 そうでなければ、俺は先に進めない。いつまでも、ぐるぐると迷ったままだ。


「全くよ……お、これは塗り薬か」


 もう必要ないからと言って、ストレが俺に預けた荷物を漁る。治療薬や、包帯、その他旅に必要そうなものが、ぞろぞろと顔を出した。


「これは、まだ必要じゃないか? え、いらないの?」


 奥にあったそれらを引っ張り上げる。綺麗に折りたたまれた、ストレの換えの下着と思しきものが、俺の手には握られていた。


「あいつ、お姫様だったんだよな」


 王女の下着として売り出せば、高い値段がつきそうだ。少し、考えを巡らせていた俺は、その下着も懐にしまう。


「くそ、一人じゃ塗りにくいっての」


 両手を必死に伸ばし、傷口に薬を塗る。自慢ではないが、俺の体は硬い。折り紙付きだ。

 薬を塗り終えた俺は、歩きだした。


 最初から分かっていた。好意があるように振る舞ってはいたが、それが本気ではないということ。

 気づいてはいたんだよ。でも言い出せなかった。やめられなかった。もしかすると俺は、楽しんでいたのかもしれない。偽りの時間、その曖昧な関係を。それはストレ、お前も同じだろ?


「くだらない」


 くだらない。なんて、くだらないことを考えているんだ。俺の手からはすでに離れた。もう終わった話だ。


「くだらない」


 くだらない。本当にくだらない。女々しいったらありゃしない。でも、自分に興味があるって言った女がいたとすれば、好みでなくとも気にするようにはなるだろ? それと似たようなものだ。

 違うか。結局あいつ、そうは言ってなかったんだよな。


「さて、行くか」


 準備を整えた俺は、出発する。

 余計なことばかり考えてしまった。俺には、関係のないことだ。何を悩んでいたんだか。

 一度、自身を客観視すると、悩んでいたのはどうでもいいことだったことに気付いた。頭にかかっていたモヤが消え、すっきりとした気分で俺は目的地へ向かう。


「関係ない、関係ない」


 そうだ、関係ない。俺が何を思おうと、あいつが何を思おうと関係はない。

他人がどう思うかを気にするなんて、俺らしくなかった。自分自身を見失いかけていた。

 俺は臆病なんだ。それだって、本当のこと。だが、臆病だからこそ、俺は後悔のない選択をする。本当に怖いのは、自分が自分を否定することだからだ。


「臆病で、馬鹿だな」


 そうだね。と、ストレは言った。俺の目をしっかりと見据え、口に出した。お前も、自分で言ったことくらい分かるだろ。

 でもな、その言葉を聞いたのは俺たち二人だが、言葉を放ったお前の表情が見えていたのは、俺だけだ。


「馬鹿だな~。本当に、馬鹿。私の馬鹿、馬鹿!」


 なんで、今俺は、こんなところにいるんだろうな……。


 太陽が八割型沈み、空が暗くなってきた頃、到着する。溜息を吐いた俺の目の前には、公爵の屋敷があった。


「む? そこのあなた、今馬鹿って言いました?」

「いえ、私事です。今度のバカンスが楽しみでして」


 門を守るのは、二人の兵士らしき格好をした者たち。俺は笑顔で挨拶をする。


「あなたは……」

「結婚式会場は、こちらで間違いありませんか? こんな時間に、しかもお屋敷でなんて、変わってますね」

「はい。こちらで間違いありません」

「あのお方もこんな時に、何を考えていらっしゃるんだか」


 王国に追われる? そんなの、今更だ。ストレ、ひいてはライトフェザーの立場が危うくなるかもしれない? 知るか。俺は、俺のやりたいようにやらせてもらう。


「まあ、おめでたいことには変わりないでしょう。祝福しますよ、私は」

「だよなぁ……あ! すみません。どうぞ、お入りください」


 そうだ。俺には関係ないのだ。誰がどう思うとか、何か問題が起きるかもしれないとか、何もかも全く関係ない。意味のない葛藤だった。それは、渦中の人物であるストレに対してもだ。

 あいつは、嫌だって言った。言ったっけ? 仕方ないとは言った。それは覚えている。助けてほしいと思っているあいつがいて、その近くには、偶然にも助けることのできる俺がいた。理由付けなんて、それで十分だ。


 実際は、理由なんてものも必要ない。俺がそうしようと思ったから。ただそれだけ。でも、なにか行動を起こすためには、理由はあった方が良いのだ。


「どうも」


 俺は、一つ礼を言うと、屋敷の門をくぐった。


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