第186話 彼女の嘘
再び出発した時には、ストレの様子はいつも通りに戻っていた。今もまた、性懲りもなく目の前で元気に騒いでいる。
「エンジ君! この橋はね! 二人一緒に渡りきると――」
「RUN」
「って、だめぇぇぇ! よく見てエンジ君。橋だよ、橋! これから私達も渡るんだから!」
おっと、危ない。これまで、こいつがふざけ続けていたせいで、説明口調になった瞬間、魔法をぶつける癖がついてしまっていた。
放った魔法が、山の奥へ消えていく。――あの場所には、誰もいませんように。
「え、何? もう一回言って。橋がなんだって?」
「だからね。見るからに古くて、狭い橋でしょう」
「うん」
「この橋を二人で一緒に渡りきったカップルは、末永く結ばれるんだって!」
まともな説明かと思いきや、またそんな。聞かなくてよかった。要は、こじつけの度胸試しみたいなもの。
逆に、なんで今まで落ちていないんだよ。ここを通ったカップルは全員、末永く結ばれたとでもいうのか。そいつはすげえや。
「そうか。確かに、いつ落ちてもおかしくないような橋だな」
「でしょ、でしょ!」
「それに狭い。二人で渡る場合は、密着しておくくらいでないと危ないな」
「そうなんだよ! そこに気付くとは、さすがエンジ君!」
意思統一の確認を終えた俺たちは、互いに頷きあった。
「よし。ストレ、まずはお前が行く。お前が渡りきったことを確認したあと、俺も渡る」
「うん、分かった! よーし、いくぞぉ!」
それほど長くはない橋。飛び出したストレは、半分ほどまで行ったところで立ち止まり、振り向いた。
「何で? 何で私は、一人で渡っているの? おーい、エンジく~ん!」
自問自答し、手を上げぴょこぴょこと跳ねるストレに、いい調子だぞと俺も手を上げ、笑みを向ける。
「そうじゃないよ、エンジ君! 早く来て、来て! 一緒に渡ろ?」
「嫌だよ。落ちるじゃん」
「落ちないよ!?」
エンジ君が来るまでここにいるから! と言って、橋の中央に座り込んでしまったストレ。たまにデパートなんかで見かける、親に物を買ってとせがむ子供のようだ。
いや、お前の言ったことが本当なら、落ちるだろ。だって、俺たちは恋人同士でもなんでもないのだから。俺は案外、迷信を信じるタイプなのだ。
しかし、いつまでもこうしてはいられないと思った俺は、一つ溜息を吐くと、橋に足を踏み入れようとした。その時。
「おや? そこにいるのは……」
橋を渡りきった先、向かい側から男の声。小太りで丸顔の男と、その隣にもう一人、がっしりとした体つきの、老年の男。身なりからするに、どこかの貴族だろうか。貴族仕様の山ボーイズ。
初めて見る顔。ストレの知り合いか? と、俺が考えていると。
「おお! なんという偶然。雰囲気が違うので分からなかったが、あなたはまさしく姫! アストレア姫ではないか!」
小太りの方がそう言った。やはり、知り合い。
ストレは対岸の男から顔をそむけると、しょっぱい顔をしていた。今まで見てきた中でも、一番のしょっぱさ。よほど出会いたくなかった相手であることが伺える。
もしくは、男の言った名前の方。アストレア姫。名を偽っていたのか、という思いよりもまず、姫? お前が? どこの? 似合わなすぎだろ。俺は小さく吹き出した。
しかし姫か。なるほど。闘技大会での推薦枠は、こいつが姫だったからか。どこのお姫様かは知らないが納得だ。
それにしても、姫か。姫だったのか。お姫様……。頭では納得していたが、心は追いついていなかった。
「このような場所で出会うなんて、まさに運命としか言いようがない! 僕たちは、結ばれ合う運命だったんだよ!」
「ひっ」
興奮している男に対して、小さく悲鳴を上げるストレ。助けを求めるように俺の方を見てくるが、いまいち状況がつかめない。
「そんな所で座り込んで、どうしたんだい? 早くこっちにおいで!」
状況ははっきりしてこないが、一つだけ、俺にも分かることがあった。揺れる吊橋。男の呼び声。そして、ストレの表情。
「もしかして怖いのかい? 待ってて、今そっちに行くよ!」
それが正解かどうかなんて分からない。そうすることで、この先どうなるのかも。それでも俺は、口に出して言っていた。
「戻れ、ストレ!」
「アストレア姫!」
叫んだのは、同時だった。ストレは、小太りの男と俺の顔を順番に見た後、立ち上がり、走った。
「坊ちゃま!」
何となく、予感はしていた。しかし、本当に起こるとは思っていなかった。
老朽化の進んでいた、橋を支えるロープが切れる。切れたのは橋の中心あたり。何が起こったのかも分からず、唖然とするストレ。俺には、その表情が見えていた。
走り出してすぐ、老年の男に両脇を抱えられ、引き返す小太りの男。その一方で、俺は前に走り、跳んだ。
「あ……」
「ちくっしょ!」
ストレの足が何かを踏もうとするが、そこにはもう何もない。ばらばらと、橋の踏み板が谷底へ落ちていく。
少しして、下に落ちた踏み板が砕ける音が小さく聞こえた。聞こえたのは、その音だけだ。
「うう、エンジ君」
「ばか。これだから、駄々っ子は」
俺の片手はストレを抱え、もう片方の手は、ちぎれたロープの先を掴んでいた。腕の筋肉が、裂けてたまるかと悲鳴をあげる。
ロープがピンと伸び切り、振動が腕を伝わる。
「さすがに、死んじゃうかも」
苦笑いを浮かべる。ストレを引き寄せ、胸の中にしまった。その瞬間、後ろへと引っ張られる、俺たちの体。
「ぐう!」
ロープが切れなかったのは、助かった。が、俺たちの体はブランコのように揺られ、今は橋がなくなり、ただの崖となった壁面に背中がぶつけられていた。
「痛い……」
痛いどころではなかったが、なんとかロープは離さずに済んだ。体にしがみついていたストレに、早く上がれと俺は言う。
俺の顔と背中を、泣きそうな表情で繰り返し見ていたストレは、ごつごつとしていた壁面に飛び移ると、難なく登っていき、俺に声をかける。
「エンジ君も! 早く、早く!」
「その動き、やっぱりお前はお姫様なんかじゃないな。あと、急かすな」
痛みを堪え、ロープを離し壁面へ飛び移った俺は、ゆっくりと登っていく。最後に、ストレの伸ばす腕をつかんだ俺は、引き上げられ、その場に大の字になって倒れた。
「エンジ君。背中! 背中見せて! 早く!」
傷が開いているのは分かっていた。打撲によるずきずきとした痛みと、鋭い痛み、加えてじんわりとした熱さ。ストレに治療してもらうため、ごろんと転がり、俺はうつ伏せの状態になった。
「つう。なんか、いろいろな痛みで、逆に楽な気がする。どうだ?」
「うん……」
うんってなんだよ。
「背中の傷は、剣士の恥だってのによぉ」
「うん……」
だから、うんって何だよ。
何の反応もせず、治療を施し始めたストレ。助かったという思い、助けられたという小さな達成感。何も言わずただそうしていると、耳障りな声が聞こえてきた。
俺たちが登りきるのを待っていたのか、それともタイミングが重なっただけなのか、対岸にいる小太りの男が叫んでいた。
「う、裏切ったな!」
裏切った?
「橋が落ちる直前、僕は確かに見た! 君が僕ではなく、その男を選んだことを! 君は、僕の婚約者だったはずだ。そうだろう? アストレア・ライトフェザー!」
うるせえな。こっちは、それどころじゃないってのに。……あ? 今、ライトフェザーって言った? ということは。
少しだけ、背景がみえてくる。視線を横に向けると、聞いているのか聞いていないのか、一心不乱に治療の魔法を使っているストレ。俺は、対岸の男に視線を戻す。
「分かっているのか! これは、外交問題だぞ! アストレア、この件は父に報告するからな!」
婚約者。そして、外交問題。大げさな言葉が飛び出したが、これはあれ。おそらく政略結婚的なやつ。俺は、もう一度ストレを見る。
「お姫様、外交問題だってよ」
「うん……」
何だよ。突然、悲劇のお姫様要素出しやがって。こいつの中には、平穏という言葉がないのだろうか。
お前といると退屈しなくていいよな。ありがてぇ。
「どこの誰だか知らんが、そこの男! お前も覚えておけ!」
ま、そうなるよな。納得いかない。むしろ俺は、こいつの命を助けた恩人だろうに。
痛みもあり、特に何も言い返せなかった俺は、山ボーイズがその場を去るのをじっと眺めていた。
「ひぐ。ごめんなさい、エンジ君」
ストレが謝る。それは、この怪我の、隠していたことの、巻き込んだことへの、それとも……。
「あの兄にして、この妹ありだよな。ん? 姉じゃなくて、妹だよな?」
「エンジ君は、怒っていないの?」
俺の質問は、流されていた。
しばらく目を瞑り、沈黙していた俺は、ストレが泣くのを堪える声を聞いた後、口を開いた。
「どうしようかな」
俺は、口をへの字に曲げていたストレの目を見つめる。
「三人の重さにも耐えられないなんてな。まずは、橋を作った奴に文句を言わないと」
ストレは何も言わない。俺はまた正面を向く。
「気にしてない。元々、敵は多いしな」
「嘘つき」
やっと口を開いたストレ。俺は、口を綻ばせると、ストレの方に顔を向けた。
「あの時はエンジ君、まだ橋に入っていなかった」
泣き笑いの表情をしていたストレ。体を起こした俺は、ズボンの砂を払う。そして、ストレに背を向けたあと、言った。
「何にこだわっているんだか」
……。
橋を通るのは諦め、遠回りはしたが、俺たちは山越えを果たしていた。
当初の予定では、先行するフェニクスたちに追いつくことを想定していたが、追いつけたのは、おそらく半日分ほど。
追いつけただけ十分とも思えるが、俺の傷は完治するどころか悪化してしまっている。追いついたとしても、このままではよくない。非常によくない状況だ。
そしてさらに、よくない事態が俺たちを待ち構えていた。
「そこの二人、とまれ」
山を降りた俺たちを待っていたのは、兵士だった。数十の兵士に取り囲まれ、逃げ場をなくす。
少しくらいなら、やれる。そう思い、強引な突破を試みようとするが、諦める。ストレが、俺の前に立っていた。
「戦っちゃだめ。ここで、お別れだね。エンジ君」
兵士たちを連れてきたのは、山で会った小太りの男だった。嘘か本当か、ストレの婚約者。
ストレは俺の自由を取引に、自らの身を投げ出したのだ。
「怪我、早く治してね」
「お前が治せ」
傷が治るまで一緒にいる。そう言ったのはこいつだ。
「あんな奴のところに行って、この後何をされるか分かっているのか?」
「何となく。でも、仕方ないよね。お姫様って、割りとそういうものだから」
俺には馴染みの薄い分野だ。想像はできるし、そういった話は聞いたこともある。だが、関係ない。
「達観してるな。お前らしくない」
「そうでもないよ。私ほど抵抗した人は、いないんじゃないかな」
そうだろうな。分かるよ。
「ずっと、逃げてきたんじゃなかったのか? 嫌だったんだろ? アンチェインに入っていたことだってそうだ。お前の兄はあんな奴だけど、きっとお前の味方だぞ」
「これ以上、わがまま言えないや。ごめん」
今更だ。そんなこと。お前はそれでいいんだよ。それがお前だろ。それなら、あんな顔するなよ。橋の上にいたときだって、今までだって、何度も何度も俺は見た。
「アストレア! 早くこっちにこんか!」
お前は、誰かに助けてほしかったんじゃないのかよ。いつだってそうだ。最初からそうだった。お前は隠しているつもりだろうが、隠せていないんだよ。下手くそ。
「一つ聞いていいか?」
「なに」
うるさい男は無視し、背中を向けたストレに問いかける。
「お前は事あるごとに言っていたがな」
「うん」
俺は気づいていた。ずっと、それが引っかかっていた。それのせいで、強く当たっていた。もちろん、そうでないときもあった。だがそれも、余計に俺を苛立たせた。
「俺のこと、本気で好きって言ったことなんて、なかっただろ?」
しばらく固まっていたストレは、くるりと振り向くと、言った。
「そうだね」
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