第185話 傷
苦しい。暑い。服が汗で濡れているのが分かる。こんなにも寝苦しいのは、重傷を負ってしまったからだろうか。
初めての経験。実際は二度目だが、あの時は目覚めると傷が全て癒えていた。死んでもおかしくないほどの傷を負って、完治していない状態で目覚めたのが初めてという意味だ。
こんなにも、体が動かせなくなるものなのか。驚きだ。驚くと言うより、少し焦る。頭は目覚めているのに、体が動かせないというもどかしさ。金縛りにかかったときに似ている。
怖い。もしかしたら、俺の首より下はもう。最悪の想像をする。そうであるならば、死んでしまった方が楽だった。個人的には、そう思う。
匂いがした。お日様の匂いのような、どこか心落ち着く匂い。その匂いの元を辿ると、ふんわりと軽くウェーブのかかった髪。状況を理解し安堵すると、心の中で溜息を吐いた。
「んん……」
「ストレ、起きろ。出て行け」
ストレがいた。頭のネジが外れた自称美少女、ストレだ。役に立つかは置いておき、合流するはずだったアンチェインメンバーはこいつだったのだ。
そのストレは今、俺の中で寝ていた。上ではない、中だ。同じ布団というわけでもない。服の中だ。
暑いはずだ。苦しいはずだ。俺が着ている服は一人用だぞ。二人で入るものではない。ルール違反だ。この服を作った誰かも、そんな用途は想定していない。
「あ……エンジ君が起きた」
今起きたのはお前だろ。
「うう。本当に、良かったよ~」
「あ、おい!」
ビリッという音がした。さすがに耐えきれなかったのだろう。ストレは出ていくどころか、俺が首を通している穴と同じ穴に、自分の頭を通してきた。
「うえ、苦し……」
「エンジく~ん!」
ヤドカリも真っ青な巣の強奪。いや、強引な服の共有。俺の顔も青くなっていく。
「ばか、やろう。無茶すんな!」
「エンジく~ん!」
……。
首周りと裾がだるんだるんに伸び切ったシャツ。まるで、てるてる坊主のようになっていた俺は、ストレに問いかける。
「ここは?」
「ウェルとかいう悪い女の家」
このシャツは誰が仕立てた? 良い仕事っぷりだよ。言ってみろ、なあ。こういうことするストレちゃんは、悪い娘じゃないんですか? と、本当はもっと責めたかったが、命を救ってくれたこと、そして朧気ながらも、本気で怒り、悲しみに暮れるストレの姿が頭に浮かび、強くは出られないでいた。
「ウェルは? い、つう」
「ご飯作ってくるとか……って、あ! まだ立ち上がっちゃだめだよ!」
ベッドから立ち上がろうとしたが、痛みを感じ、また座る。思っていたよりも厳しい。少年漫画なんかでは、もっとひどい傷でも動き回っていなかったか?
しかし、そうは言っても先に行かせたあいつらが心配だ。フェニクスがいれば、大抵のことはなんとかなるだろうが、相手はあの得体の知れないマッド。力任せじゃ押しきれないかもしれないし、いまいち底が見えない。
ここは自ら向かうよりも、ストレに援軍でも呼びに行ってもらったほうが確実だろうか。俺がそう話すと。
「やだ! 傷が治るまでは一緒にいる! それにエンジ君だけだと、あのおっぱいの餌食になっちゃうよ!」
「望むところだ」
「だめ!」
意思は固そうだ。
何度も言っている気はするが、大きいのが好きというわけではない。ただ、あそこまで大きければ興味は湧く。それだけなのに。
「へ、くしゅ! ……さむ」
「あ。エンジさん、お目覚めですか?」
俺がくしゃみをしていると、ウェルが入ってきた。もう一度くしゃみをしようとして、不発に終わる。一度目は噂、二度目は悪口ってよく言うだろ? 不発に終わったのはおそらく、誰かが俺に強い恨みをぶつけているのだ。今、考えた。
「わあ、すごい汗。洗濯しますので脱いでください。代わりの服を持ってきます」
「洗濯はいい。こんなクラゲみたいな服、もう捨てておいてくれ」
素早く濡れた服を脱ぎ、上半身裸だった俺に、ウェルは神妙な顔を向けていた。
「エンジさん。この度は、本当に申し訳ございませんでした。いくら謝っても許されることではありません。でも、謝らせてください」
「気にしていない……っていうのも、納得しないか。ウェル?」
「はい」
「この後、ありったけの魔力を使って、少しでも俺の傷を治せ」
「はい。あ、え? それだけですか? そんなの、言われなくても! 私――」
「あと、朝飯と服。それで許してやる」
俺は、眉をハの字にしていたウェルに笑いかける。悪いのは、全部あいつだってことは分かっているんだ。ウェルや街の住人が、従うしかなかったってことも。
本音を言えば、俺のことをもっと信用してほしかったが、一日やそこらで信頼関係なんて築けるわけがない。偶然出会ったならまだしも、ウェルはそれを前提に、俺たちに近づいてきたのだから。
「私は許さないよ! 絶対に許さないから!」
「ほら。ここに絶対許さないと言っている奴もいる。二人合わせて割ったら、ちょうどいいくらいだろ。反省はしろ。でも、もう気にすんな」
「もう一度だけ、言わせてください。ごめんなさい。そして、ありがとう」
「おう」
「……私、エンジさんのためなら、なんでもしますからね」
少し格好をつけてみた俺。こうやって、男の渋みは増していくのだ。――ん? なんでも?
「なんでもします。できます。やりたいです。させてください」
全くよ、と俺は目を閉じ、首を横に振る。そして、優しい笑顔を見せた。
「エンジさん……あ」
ずっしりとした重量感。
「エンジ君。なんか格好つけているみたいだけど、自分の手見て。手! 手!」
俺は、下から持ち上げていた。持ち上げていた手をおろしてみると、それは少し、弾力性のある跳ね方をした。――ま、ママァ! すごいよ、これ! 僕にも買って買って!
「ふん。約束、したからな……」
「エンジ君。もう、そのキャラやめたら?」
ウェルが部屋から出ていった後、いじけて唸るストレをからかって、俺は遊んでいた。
「お前も少しはあるようだが、あれに比べたらないようなものだよな」
「あるもん。ちょっと、ある!」
「それ、最近も聞いたな。やっぱり、似たような奴は皆同じ反応なんだな」
「なによ。私だって……」
下を向き、何かをぶつぶつ言っていたストレに、俺は言う。
「ストレ、ありがとな」
「エンジ君?」
聞こえなかったか? 唐突だったことは認める。少し悩んだ俺だが、どうであれ、こういうことはちゃんと言っておかないとな。
俺は一度俯いた後、顔を少し上げ、もう一度お礼の言葉を口にした。
「助かった。ありがとう」
「エンジ君……うん!」
俺は、再び床に視線を向けると、痒くもない頭を掻いた。
……。
近道、ねえ。
最後の魔導兵器がある、バルムクーヘン領へ行くには、大きな山を迂回する必要がある。一日程――たった一日で良かったともいえるが――フェニクスたちから遅れて、先の街を出発した俺たちは、山を登っていた。
理由は、山道を抜けた方が近道になると、ストレが言ったから。確かに直線で行ける分、早いかもしれないし、追い付こうと思えば、そういった機転が必要なのかもしれない。
だが、山道だぞ。素人が、あまり山を舐めるんじゃない。俺がそう言うと。
「だいじょーぶ! あの山を登る人は、そこそこいるからね! ちゃんとした道ができてるよ!」
ストレは、そう言った。加えて、案内もできるよ、と。そこまで自信満々に言われると、行くしかない。急いでいるのは本当だったしな。
結果から言えば、道に迷うなんてことや、強大な魔物が出現したわけでもなかった。実に順調すぎる道程。ただ一点、その行路にはストレの用意した罠があったのだ。
「エンジ君。このハート型の岩には伝説があってね。昔、身分の釣り合わない恋人同士が――」
「RUN」
粉々にする。
「エンジ君。あそこに、まるで恋人同士が寄り添うように支え合っている、二本の木が生えているでしょ? あれはね――」
「RUN」
なぎ倒した。
「エンジ君! エンジ君! あれと、それと、これは――」
「RUN RUN RUN」
何もかもを、焼き尽くした。
「そんなぁ! ひどいよ!」
「うるせえ。急いでいるって言ってんだろうが!」
どうやらこの山は、恋愛成就や縁結びの名スポットらしい。アホなストレに付き合わされ、俺は名所巡りをさせられていたのだ。
「うう。全部壊しちゃうなんて……まだ痛む?」
「ぼちぼち。誰かさんが山登りなんてさせるから、悪化したんじゃねーかな」
それでも何とか、山の頂上へたどり着いた俺たち。俺は、ストレに治療の魔法をかけてもらっている間に、一体何を考えているんだ、と問い詰めた。
「分かってるよぉ。それに、この山を越えた方が早いのも本当。でも」
「でも?」
口を尖らせていたストレは、俺の目を見ると、意を決したように言った。
「せっかく二人きりなのに、楽しくなーい!」
「おいい! そんなのが理由かよ!? 時と場合を考えろ!」
ストレを羽交い締めにしていると、それにね? と、小さく呟いていた。
「何だよ」
「出発した時は気楽に構えていたんだけど、思っていたより傷の治りが遅い。私は、そんな状態のエンジ君に行って欲しくない」
腕の中でむすっとした表情をするストレ。俺は腕の力を緩めると、側にあった切り株の上に座った。
「それを先に言えよ」
「自分でも、分かっているくせに」
ストレに背を向け、小さく舌打ちをする。分かっているさ、誰よりもそんなこと。自分の体なんだ。当たり前だろう。
それでも、行かないとだめなんだ。少し違う。行けるんだ、俺は。強がりや、はったりではない。正義感や義務感でもない。ただ、行けるなら行くだろう。それが一番近い。
言っていることが、矛盾しているのは分かっている。でも、今行かずに後悔をしたくないと思っているのも本当だし、今までだってそうやって生きてきた。
面倒臭がりな性分は変わらないが、俺の根底にあるのも変えられない。こればかりは、どうしようもない。だって、それを肯定しているのは、俺自身なのだから。
「エンジ君。行かないで。行っちゃだめ」
ストレが、俺の首に腕を回していた。表情は見えない。
「少し休憩したら、行くぞ。もう回り道はなしだ」
ストレの吐息が、耳元で聞こえた。
「エンジ君はさ、多分気づいているんだよね」
「そうだな」
「なら、今の私に止められるわけないよね」
今の私……か。どちらにせよ確証はないが、今のお前には、とめられないよ。それは自信をもって言える。
「そっかぁ」
俺から体を離した後、両手をお尻の後ろで組み、俯いていたストレ。前髪で目は隠れ、その表情は分からなかったが。
もう一度背を向けた俺の後ろで、鼻をすする音。そして、涙が地面に当たったような音を、聞いた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます