第183話 代表戦2

 時刻は、深夜二時を過ぎた頃。

 バルムクーヘン大教会のある一室、円柱型の大きな柱が立ち並ぶ大広間で、何かが蠢いた。


「おっとぉ、よく防いだな。だが、姿を晒すのはこれが最後だぜ」


 固いもの同士がぶつかる音。ナイフが魔族の爪を弾いた後、すぐに相手は飛び上がり、そのまま姿を消した。

 周囲は暗く、天井も高い。視認は困難。それに加えて、音もなく気配は希薄だ。どうする? と、考える。


 音もなく、とまではさすがに言えないが、ほとんど気配を殺しつつ、素早く動いてみた。わざと物音を立てるようなフェイクも入れつつ、柱の裏側に隠れる。


 瞬間、空気の震える音。隠れていた柱の一部が削り取られ、元々自分が立っていた地面にも小さな穴が空いた。

 やはり、位置は把握されている。ちょっとした身を守る盾としては使えるが、隠れても無駄だな。俺はそう判断し、高速で動き回ることを選択した。


「こっちは、急いでいるってのによ……」


 仕方ない。早く決めてしまいたかったが、相手はそこまで甘くないようだ。考えを改めると、腰にぶら下げていた数本のナイフ、その柄を指で順々に触れていった。


 勝負を早く決めようと思っていたのには、理由があった。

 新魔王軍との代表戦二日目、場所はこの教会付近とだけ聞かされているが、参加人数は二人。つまり、俺の他にもう一人参加者がいる。

 選ばれたのは、常に体調の悪そうだった女マスク。本人は、今日だけは嫌ですと叫んでいたがエクレトが強引に決めてしまった。初日に比べて、えらく体調の悪そうなマスクを見て、薄ら笑いを浮かべていたエクレト。


「カイル君、彼女のお守りは頼んだよ」


 最初は、二対二という側面を活かし、体調の悪そうな彼女の分まで戦えという意味だと思ったが、エクレトの続いた言葉に俺は嫌な予感を覚えた。


「彼女は、面白いからねぇ……ふふ」


 何が面白いのか、問い詰めようとするも、実に嫌な笑みを残してエクレトは去っていった。


 そして現状、警戒はしていたが、まだ何も起きてはいない。

 フードを大きく被り、バルムクーヘンの門前に現れたマスク。ゲホゴホと辛そうな表情で、今にも倒れてしまいそうな彼女と共に、戦いの場までやってきた。

 しかし、教会の近くに到着したところで、彼女はその場にうずくまってしまったのだ。私はいいから先へ行ってくださいと言うマスクを、念のため近くの民家に隠した俺は、一体二で戦う覚悟を決め、教会の中に足を踏み入れた。


「考え過ぎだったか?」


 やはり、俺が彼女の分まで頑張れという意味だったのだろうか。その疑問に答えは出ないが、どちらにせよ急いだ方がいい。置いてきたマスクのことも心配だが、一体二となった場合を考えて、今のうちにこいつを倒してしまいたい。姿の見えないもう一人の魔族が、出てくる前に。


 ガララ、と柱が削られ瓦礫が下に落ちてきた。俺は、敵の攻撃を避けたあと、飛び去った方向にナイフを投合する。当たらない。

 地面が抉れ、壁にも穴が空く。俺は反撃するかのように、ナイフを投合する。当たらない。


「くく。なるほど。早いねえ……」


 暗闇から声。俺のナイフはかすりもしないが、敵も俺の速度には対応できていない。


「その速さを、どこまで維持できるかな?」


 敵の襲ってきたときだけにしか、反撃できない状況。スタミナが切れれば終わり。……とでも、思っているんだろうな。

 俺は薄く笑うと、今度は、壁や地面に刺さっている、先程から投合していたナイフを拾いに走った。

 あいつがこの場にいれば、わざわざこんな面倒なことをしなくて済んだんだがな。頭の中に思い浮かんだ顔を思い出し、もう一度笑った。



 ……。



「ケホ」


 まずいなぁ。まずいまずいまずい。非常にまずいですよ、これは。そこそこ大きな一軒家の室内で、私は焦っていました。

 私をこの家まで運んでくれたあの人は強そうですけど、一人で戦わせているのが申し訳ない。でも……ずず。ああ、咳と鼻水が止まらない。今日は多分、あの日だ。


 王国にとって、いえ、人類にとっての一大事である今回の戦い。私だって、そこそこやれる自信はある。実は、体調だって悪くない。私の『これ』は、予兆なのだ。その日が近付いてくると、徐々に徐々に、咳と鼻水が止まらなくなる。


「どうしよう」


 だから、昨日戦わせてくれればよかったのに。私は、参謀と言っていたライトフェザー王を思い出します。――あの表情は、知っている? まさかね。


 教会の方から、時折聞こえる戦闘音。カイルさん、ごめんなさい。と、心の中で謝りつつ、私はまだ考えていた。覚悟して飛び出すべきか、それとも。


「匂い。匂いがする。はは、ここが臭いなぁ」


 静まり返っていた街に聞こえた、ねっとりとした声。匂い? 私? そんな、さっきもお風呂に入ったばかりなのに。

 くんくんと自分の匂いを嗅いでいると、その声の主が天井を破って現れました。――魔族! いえ、それよりも!


「……おいこら。女性に対して臭いってのは、失礼じゃない?」


 私の咳と鼻水は、止まっていました。



 ……。


 

「体力あるねえ。そろそろ休んだらどうだい?」


 しばらくの攻防のあと、また暗闇から声。状況に変わりはない。俺は、大広間の中央で足を止めた。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「疲れたか? それとも死ぬ覚悟でも決まったか?」


 そろそろ、ね。まだ動き回る体力はあった。しかし、俺は足を止めた。準備が整ったからだ。――死ぬのはお前だよ。


 暗闇から殺気。正面? 背後? いや、どこだっていいか。

 俺は手に持っていたナイフを、高い天井めがけて投合した。


「どこを狙っている? はは! くたばれ! ……ぬ!?」


 ぴゅいんぴゅいんと音を立て、柱を起点にして張り巡らされていく細い糸。その糸の先は、天井に刺さったナイフの柄だ。

 たるんでいた無数の糸がピンと張り詰め、そこに魔族が突っ込んでいく。ネットのようになったそれは、魔族を絡め取り宙に浮かせる形となった。


「俺も一度、やられたことがあってな。結構きついだろ?」

「これは! い――」


 強靭な糸というわけではないが、束になればそこそこ。それでも、魔族の力ならすぐに抜け出すことができるだろうが、一瞬でも足が止まれば、俺にとってはそれで十分。

 魔族の男が糸を認識した瞬間、俺のナイフは、魔族の首を落としていた。


 首のない、きいきいと宙でゆれる魔族の体を背中に、俺は教会の扉を開け、外に出る。――ふう。少々手こずったが、まずは一人。

 生暖かい夜の空気が俺を包み、溜息を一つ吐き出していた時だった。


「よお、カイル! 終わったのか?」

「ん?」


 目の前から、魔族の首根っこを片手でつかみ、引きずってくる女がいた。

 知らない女だ。心当たりはあるが、こんな奴ではなかった。あいつは、もっとおとなしくて、俺のこともさん付けで呼んでいたはずだ。


「こんばんは。どなたか存じ上げませんが、ここは危険なので早く帰った方が良いでしょう。俺も、もう帰る。今すぐ帰る」

「ええ、待ってよ~。暗いから分からなかったのかな? 私だよ。マスクだよ」


 暗いせいじゃない。俺は知らないぞ、こんなマスク。


「カイルお前、無傷じゃねえか! やるなぁ……ということで、ちょっくら私と戦おうぜ!」

「は?」


 嫌な予感が的中した瞬間だった。


「改めて自己紹介しよう。私にとっては初めてだけどね! 私は、ウェアウルフのマスク! 今日は、いい月が出てるよな!」

「獣人、いや、狼人間ってやつか……」


 聞いたことがあるような、ないような。満月の夜にだけ、その姿を現すってやつだったか? こういうのは、本ばかり読んでいるエンジに聞くのが早いのだが、今この場にはいない。あの表情だと、エクレトが知っていたようだし、後であいつを問い詰めよう。

 それよりも俺は、その変わってしまった性格が気になる。無意味な戦いを避けたかったこともあり、話を続けようと試みる。


「二重人格ってやつだな。だがまあ、互いに記憶は共有してるし、何も問題はない! さあ、戦おうよ!」


 試みは失敗した。それに、問題ありまくりだから。おとなしい方のマスクだったら、こんな場所で俺に戦いを挑んできやしない。二言目には戦おうって、完全に戦闘狂じゃねえか。

 こんな、すんなりと敵魔族を倒してきたような女と、絶対に戦いたくはない。俺は味方だぞ!


「そうか。あと、戦いたいなら他の奴らとやってくれ。俺は、絶対に嫌だ」

「さあ、行くよ!」


 絶対に嫌だって言ったけど!?


「私を倒せたら、私を嫁にくれてやる! これがいないんだ! なかなか!」

「いらん! 俺は帰るからな!」


 息絶えた魔族をぽいっと放り投げ、マスクは襲い掛かってきた。――ああああ!


「おっほ! 予想通り。強いなカイルぅ。この戦いに参加すれば、お前みたいなやつらがいっぱい見つかると思っていたんだよ!」

「婚活もよそでやってくれ! それに、もう一人のお前は納得しているのか!?」

「あいつは、おとなしいからさぁ。大丈夫、大丈夫。あいつも、お前の顔は結構気に入ってたからさ!」

「ちくしょう! ハンサムに生まれすぎた!」


 ……。


 マスクは思っていたより、強かった。加えて、殺し合う気まではなかった。最後の方は、互いにへとへとで勝負を決めきれなかった。理由は様々だが、俺達の戦いは、夜が明けるまで続いたのである。


「まじかよ。私が、負けちゃった……」


 正直、過去に戦った奴らの中でも五指に入るくらいの強敵だったが、長い戦いを制したのは俺だった。

 俺は激しい息を吐きつつ、地面に寝転んでいたマスクを見る。


「約束だ。私を嫁にもらってくれ」

「そんな約束知らん! 他を探せ! 俺には、十人と妻と三十人の娘がいる!」

「嘘つけ。大体、子供が全員娘ってどんな確率だよ! 変な妄想してんじゃねえよ! あ……限界。私はもう寝るから。あとはあいつと話を詰めてね。カイル」

「おやすみ」


 唐突に眠った、激しい性格のマスク。助かった。もう一人のマスクなら、あんな無茶は言わないはずだ。

 俺は一息ついたあと、動かないマスクを抱え、ひとまずはバルムクーヘン市街を出ることにした。ここは今や、敵地。こんなところで、ゆっくりと話している方がおかしいのだ。


「そうだろ? バカ女?」


 門を出たところで、俺はマスクを地面に降ろし、自分も座る。ずっと待っていたのか、少し離れた所には、代表戦のメンバーを始めとする、たくさんの人がいた。中には、解放されたあと一人で街から抜け出したのだろう、俺達が連れて帰る予定の人質になっていた王まで。――すみません。全てはこのバカのせいなんです。

 申し訳ない気持ちを感じながらも、俺が終わったぞと手を上げると、皆が走り寄ってくるのが見えた。俺は、眩しい朝日を遮るように、目を閉じた。


「カイルさん……」


 いつの間に起きていたのか、それとも最初から眠ってはいなかったのか、目を閉じていた俺に、がばっと抱きついてきたマスクは、俺にキスをしていた。


「カイルさぁん! んちゅううう」


 吸われた。触れるような軽いものではなく、俺の唇は吸われていた。性格は変わっても、マスクはマスクだったのだ。

 等と、言っている場合ではない。


「てめえ! 離せ!」

「やん!」


 まずいなぁ。まずいまずいまずい。非常にまずいぞ、これは。二人きりだったならともかく、大勢の人に見られてしまった。とりあえず、最悪の展開は逃れたようだが、この後によっては……。

 理由は口に出して言えないが、とにかく俺は焦っていた。


「カイル君、お疲れ様。ふふ。見ちゃったよ~僕は。でも、大丈夫。心配しないで。あれは、僕と君だけの秘密だからさぁ……君がこれからも従順なら、ね? ふふふ」


 憎たらしい笑みを浮かべるエクレトを殴ろうかと思ったが、疲れていた俺は動けず、その場に大の字に倒れた。


「カイルさ~ん。すりすり」


 再度、胸に抱きついてきたマスクをどかす気力もなく、俺は空を見上げた。こいつが嫌いなわけではない。好き嫌いはともかく、好意を寄せられるのは、嬉しいものだ。だがな……


「俺達の勝利だー!」

「勝利、ね」


 王国兵士たちの歓喜に叫ぶ声。俺だけは、素直に喜ぶことができなかった。俺を襲う悲劇は、まだもう少し先のことである。


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