第182話 雨の中の小夜曲

 ぼんやりと、意識に火が灯る。周囲は真っ暗だ。何も見えない。


 頭の中に声が響いた。最初に聞こえてきたのは、あいつの声。早く起きろよ、いい加減にしろと、俺の膝あたりをその短い足で蹴ってくる。いい加減にするのは、お前だ。


 次に聞こえてきたのは、耳障りな笑い声。三日月型に口を開け、ふひひと気持ちの悪い笑顔をみせる男。俺は一つ舌打ちをし、男の影を振り払った。


 最後に聞こえてきた声は、どこか人懐こい声。――エンジ君、エンジ君。

 うるさいものとばかり思っていたはずなのに、今だけはもう少し、このまま聞いておこう。なぜかそう思った。


 不意に、音が消えた。いや、消えたのではない。少しして、消え入るような、か細い音。俺を呼ぶ声は、いつの間にか泣き声に変わっていた。


 泣くなよ。お前は、いつもみたいにさ……ああ、ちょっと待っていろ。いつまでも泣き止まない声に、俺は首を振ると立ち上がった。

 その泣き声が聴こえる方向に歩いて行く。暗いはずの空間で、その方向だけは少し明るい気がした。


 ……。


 唸り声。始めに飛びかかってきた四足歩行の魔物が数体、火に包まれる。火に包まれた魔物は、そのままの状態でもがいた後、少ししてピクリとも動かなくなった。

 俺はそれを確かめると、小さく短い息を吐く。――よし、大丈夫。いけるいける。


「ん~?」


 次に襲い掛かってきたのは、羽の生えた魔物。正面と背後、そして左右に一体ずつ。ばさばさと飛んでいたそいつらのうち、一体の羽の音が消える。

 消えたのは……後ろか? 背後に振り向きつつ炎弾を放った。俺に向かって突っ込んでこようとしていた魔物は、勢いを失い、火だるまになって落ちていく。

 そいつが地面に落ちるのを確かめる暇もなく、風切音。同時に三体。正面の一体を、先ほどと同じように撃ち落とし、その場に球体状の玉を残して、俺は後ろに跳ぶ。左右から挟みこむように仕掛けてきた二体は、俺の残した玉に突っ込むと、玉は爆発し粉々になった。

 顔を上げた俺の周囲には、羽だけが舞っていた。――大丈夫。まだまだ、いける。


「やるねぇ。もしかして、あさかったのかな?」


 マッドのいらいらとさせられる声が聞こえてくるが、俺は無視をして、小さな悲鳴が聞こえた方へ走った。逃げることは諦め、生きようとすることさえも諦めていたような表情をしていた彼女に、鋭い牙を持つ魔物が飛びかかっていた。

 何とか、魔法の盾が間に合う。前足と顔を盾にぶつけていた魔物がずるずると落ち、地面に落ちる前に脇腹を炎の槍に刺し貫かれ、そのまま横にあった木に張りつけとなる。

 その光景を見た他の魔物が怯んだすきに、俺はウェルを抱きかかえ、魔物共と距離を取った。――つぅ……。今のは少し、まあいい。まだ、大丈夫だ。いけるいける。


「う~ん。やはり、普通に動いているみたいだねぇ。これは僕も、急がないとだめかな。……お?」


 魔物共と距離をとった後すぐに、何かを思案する顔でぶつぶつ呟くマッドに向けて、俺は特大の炎弾を放っていた。

 マッドの座っていた根が削られ、丸く大きな穴が空いたが、別の根に乗り移り、薄く笑みを浮かべていたマッドを見て、舌打ちをする。


「ふひひ。危ない、危ない。油断も隙もないねぇ。エンジ君、もしかして君……刺されていないね?」

「え……」


 血も出ていないようだしさぁ、と続けるマッド。

 地面に降ろしていたウェルは、マッドの言葉を聞き、どこか期待を込めた目をして俺を見上げていた。

 俺は、額の汗を拭うと、不敵に笑った。


「はっ。やっと気づいたか。俺が、こんな鈍臭い女に刺されるとでも思ったのか?」

「やっぱりね。じゃあ、僕の用意したスパイスは……」

「そういうことだ。随分と、味気なかったぜ?」


 大きなため息と共に、項垂れるマッド。俺は、地面を蹴った。



 ……。



「エンジさん。どうして、私なんかを助けたのですか? 私は、あなたを……」

「結果的に、何もなかった。それに、安全は保証するって言っただろ」


 俺はウェルを背中に乗せ、街へと走っていた。マッドの言葉通りなら、街にも魔物が現れるはずだからだ。いや、もしかしたら、もうすでに……。


「でも、エンジさんなら、私を放ってさえおけば、あの男を」

「うるせえな。助けてもらっておいて、ぐちぐち言うんじゃねえよ」

「あ、ごめ、ごめんなさい」

「いいから、お前は黙っておっぱいでも当ててろ」

「……エンジさん、ありがとう。ごめんなさい」


 そう言って、本当に俺の背中へ胸を当ててくるウェル。

 エンジ君の魔力が、少し回復した。なんて、言っている場合ではない。俺は、しっかりとウェルが掴まっていることを確認し、走る速度を上げた。


 俺は結局、大樹の根でマッドを倒すことができなかった。ウェルをかばいつつというのもあったが、どういう改造をされてしまっていたのか、魔物共は死を恐れていなかった。死に物狂いで、俺の行く手を塞いできたのだ。

 それでも、ようやく俺が全ての魔物を倒した時には、すでにマッドは二羽の大きな怪鳥の一羽に乗り、空へと飛び上がっていた。

 俺が歯を噛みしめ、見上げていると、マッドの乗った方は、根のさらに先へ。もう一羽は、街の方向へと飛びさっていった。


 どちらを追うか迷った俺は、街へと向かうことにした。理由は、三つある。

 一つは、なんとそのタイミングでフェニクスが合流してくれた。


「あん? なんだてめえ、生意気な面しやがって! 俺様に喧嘩でも売ってんのか? おん!? 道、開けろや。俺様の、栄光ロォォォォド!」


 怪鳥に難癖をつけ迂回させた後、俺を見つけ降りてきたフェニクス。今までどこに行っていたのか、来るのがもう少し早ければ、そのまま怪鳥を倒してくれていれば。

 言いたいことは山ほどあったが、焦っていた俺は、簡単に事情だけを説明し、おそらく魔導兵器の方へと向かったであろう、マッドを追ってもらった。

 空を飛べるこいつであれば、追いつけるかもしれないと期待を込めて。


 二つ目は、クレイトとネコが魔導兵器へ向かってから、そこそこの時間が稼げているということ。別行動で先に行かせたあいつらは、すでに魔導兵器を止めていてもおかしくはないのだ。


 そして最後、これが一番の理由なのかもしれない。

 マッドはここで倒しておきたい。もちろん、そう思っている。今回逃せば、あいつはまた何か、厄介な事件を起こすに違いない。たくさんの人を、不幸にするだろう。


 だが――


「この辺りで隠れていろ。街に入るのは危険だ」

「エンジさん? ……あれは! わ、私も!」


 俺達が街の近くについた頃、それは見えた。


「足手まといだって言ってんだよ。全部片付けたら、また呼びに来るから」

「……分かり、ました。ありがとうございます。その、私なんかがお願いできる立場ではないのですが、街を、皆を、よろしくお願いします」

「ああ」


 俺達が入ろうとしていた街の入り口、その反対側。山の斜面を下ってくる、数え切れない魔物。


「あれ? え? エンジ、さん?」


 俺は、ウェルの声に振り返る。話している余裕なんてなかったが、ウェルの声は震えていたからだ。


「あ、そ、その、それ……。血……背中」

「魔物の、返り血だな。もしくは、お前のおっぱいに興奮した、かな」

「私、私が……」

「違う、違う。俺は興奮すると、鼻血ではなく背中から血を流すんだ。恥ずかしいから、誰にも言うなよ」


 あり得ない程、下手な言い訳。ははっと笑うと、俺は走り出す。


「そんな! 待って! 待って、エンジさん! あなたは、やっぱり嘘を!?」


 傷口の上に小さな魔法の盾をはり、止血と隠蔽をしていただけ。しかし、そんなものを常時張り続けるだけの魔力も、余裕も、すでに俺にはなかった。マッドの手前、ああは言ったし、気付かれないように振る舞ってはいたが……。


 本当は、刺されていた。


「絶対にそこから動くなよ~! あと、全部終わったらその胸、揉ませてくれよな~」

「待って。だめ。待って、待って! 分かりましたから! お願い! 待って!」

「お? 言ったな? 約束だぞ! 絶対だぞ!」

「エンジさん! だめ! 死んじゃいます! 待って……待ってよ」


 俺は、ウェルの叫びを背に街へと走った。――大丈夫、大丈夫。まだ、大丈夫。あと、少しくらいなら。


 一際大きな魔物の、威嚇するような大声。逃げ惑う住人とは逆の方向へ、俺は駆けていった。


 まだ、まだやれる。魔力だって残っている。


 今のは、危なかったな。だが、問題ない。いけるいける。


 いて。外壁? 街の? いつの間にか、もうこんな所まで押し込まれていたのか。ちょっとぐらい壊れてもいいよな?


 はあ、はあ。でかいのがきたか。良い方に考えれば、終わりが近いってことだな。もうちょっと。あと少し、頑張ろう。


 ぐぅ。痛い痛い。やべえってこれ。運動会の途中で、腹を壊すくらいやばい。赤組さん、最後の選手に今、バトンが渡りました。青組さ~ん、あともう少しです。頑張って~。――頭も体も、色々とやばい。


 いける、いける。


 いける。



 ……。



「おおエンジ、なんてことだ!」


 俺は、崩れた街の外壁、その一部に背を預け、へへっと笑った。どうだ? 中々やるだろ? と。


「これを、全てエンジが? 素晴らしい活躍ですね! 街の皆さんも、ほら。嬉しそうですよ。普段は、悪事ばかり働いている私たちですが、たまにはこういうのもいいですね」

「エンジ、頑張ったの」


 目の前には、難なく仕事を終わらせてきたらしいクレイトとネコ。俺達は、マッドやウェル、そして自分達の成果について、互いに報告をしていた。


「――と、いう訳だ。お前らが、兵器を壊した後に見たっていう魔族が、全ての元凶。おそらく、向かったのはバルムクーヘン。あいつが何かを画策する前に、お前らは早く、次の魔導兵器へ向かってくれ」


 俺の話を聞いて、こくりと頷いたクレイトとネコ。その後で、あれ? と、いった表情をして、振り返った。


「その言い方だと、エンジは来ないのですか?」

「さすがに、ちょっと疲れちまったんだ。少し休んだら、すぐに追いかけるから」

「鳥と博士の三人だけ? やだ。エンジも来る」

「ああ……実を言うとな、ウェルにおっぱいを揉ませてもらう約束をしている。それが終わるまでは、俺はこの街から出る気はない。悪いな!」


 真実と嘘。俺は、嫌らしい笑みを浮かべ、言った。


「エンジ、最低」

「お前の胸もあれくらいあれば、未練も残さず出発できたんだがな……つまり、お前のせいだ」

「嫌い」


 俺は、しっしと二人に先を急かす。するとそこで、俺をじと~っと睨んでいたネコの目が開き、ゆっくりと口を開けた。


「エンジ? また……嘘ついて、ない?」


 俺は、ネコの言葉を聞いて笑みを浮かべた。いや、笑えていたのだろうか。


「おい! 猫の嬢ちゃん! ……ん? 猫なの? まあいい。こんな欲に目が眩んだ男は放って、さっさと行くぞ!」


 俺がどう言おうかと迷っていると、ずっと無口だったフェニクスが大声をだしていた。


「でも……あ! 押すな! 触るな! 鳥!」

「誰が鳥やねん! お前だって猫なんだろうが! ……ん? 猫なの?」

「あ! つつくな! 寄るな! 分かった! 分かったの!」


 お前は、気づいているんだろうな。だが、事態は一刻を争う。俺の傷の治りを待っている時間はない。そもそも……まあ、それはいいや。

 俺は最後に、フェニクスと視線を合わせた。


「エンジ、お前よぉ」

「任せたぞ、魔物の王とやら。あの野郎を見つけたら、灰にしてやれ」

「はぁん。そんなことは、いとも容易い。卵を作るより簡単だ。だがなエンジ、一つ言っておく。それだけは、許さんからな」


 俺は、頷く。


「あとで追いついてこい。さあ! さっさと行くぞ! ボンクラ共ぉ!」

「鳥のくせに命令するな!」

「鳥のくせにとはなんだ! 人類、皆平等。俺様もエンジも大して変わらないだろうが!」

「違う! それに人類じゃない!」


 サンキュ。フェニクス――





 =====





 雨が、振り始めた。


 街に着いた時には、全てが終わっていた。私は、嫌な予感を感じつつも、その方向へ歩いて行く。


 嫌な予感の理由は、分からない。ただ、何となく。あえてもう一つを挙げるとするなら、私の探しているその人の魔力が、その場から動いていないから。

 私の特別な魔法。それは、髪の毛や、血、唾液、何でもいいけど、その人の一部から、現在地を特定するというもの。すぐにどこかに姿を消しちゃうメンバーばかりを抱えるうちの組織にとって、実に有用な魔法だといえる。


 到着が遅れたことを後悔する。街は無事。人々も、誰一人死んでいない。見れば、分かるもの。街は、外壁が少し崩されているだけで、全ての魔物の死体は街の外側にあった。


 頑張ったんだね。怪我はない? ずっと会うのを楽しみにしていた。言いたいことが、たくさん頭の中に浮かんでくる。幸せな気持ちと、押しつぶされそうな暗い気持ちが混ざり、落ち着かなくなった私は、足を早めた。


 走り出し、その人を見つけ、笑顔になる。そして、いつの間にか私は歩いていた。立ち止まる。

 言葉を、失った。うるさい程に聞こえてくるのは、雨が地面に落ちる音だけ。


 ……。


「とまって、とまってよぉ」


 久々に会ったというのに、挨拶なんてなかった。次に会った時は何を話そうかな。そんなことばかりを、毎夜、毎夜考え、幸せな気分に浸っていた。

 肩に触れても、ピクリとも動かなかった。いつもはすぐに弾いてくるのに、今は好きなだけ触らせてくれる。嬉しくない。ちっとも、嬉しくなんてない。


 肩を揺すると、彼は動いた。反射的に、あ! と声が出る。一瞬の喜びと声は、雨に溶けていった。

 彼は何の抵抗をすることなく、横に倒れただけだった。


「お願い、とまってよ」


 すぐに、治療の魔法をかけ始めた。血は止まらない。彼の胸に耳を押し当てる。息はあった。かろうじて。

 そのまま、抱きつくようにして魔法を唱え続けた。冷たい雨で、全身ずぶ濡れだった。目の周りを伝う雨だけが、少し暖かい。


「わ、私も手伝います!」

「さわるな」

「……え?」

「あなたなんかが、エンジ君にさわらないで!」


 途中、この女がやってきた。目を見開き、涙を流し、治療を続ける私に謝ってきた。聞いてもいないのに説明をしてきた。

 私は女を睨むと、声を荒げ拒んでいた。――こいつが、この女が、こいつさえいなければ、こんなやつに。


「私は、魔法が得意とは言えません。それでも、二人でやった方が……いえ、やります。やらせてください!」


 女から視線を逸し、またエンジ君に抱きついた。

 どうすればいいの、エンジ君。二人で治療をした方がいい。そんなの分かっている。頭では理解している。でも、こんな……エンジ君を信じきれなかった、こんなやつに。


 その時、私の肩に何かが触れた感触。


 さわらないで! そう言おうとして、女がまだ近くに寄っていないことに、気付く。


 もう一度、感触。今度は頭。私の知っている、大きくて固い手が、頭を二度ぽんぽんと撫でた。

 私は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた顔を上げる。


「ぐす。うう……」

「お前が、うるさいから、気持ちよく眠れなかったじゃねえか」


 エンジ君。


「ありがとな。もう泣くな」


 私は、思いきり泣いた。


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