第181話 雨が降る前2
順調だった。順調すぎたのかもしれない。
ミルフェール領にある魔導兵器をとめるため、俺達は最寄りの街を出発していた。向かうは、大樹。予定していた日時よりも、一日程早い出発だ。
本来であれば、あとから来るはずの、アンチェインの仲間を待つくらいの余裕はあったのだが、俺達は急ぐことにした。
理由は、二つ。
一つは、この先、予定の狂う何かが起こるかもしれないし、早ければ早いほど良いだろうということ。最初は不安に思っていたが、いざ始まってみると、三人だけでも十分だった。兵器を設計した本人がいるのだ。当たり前といえば、当たり前。
もう一つは、俺のすぐ後ろを歩いているおっぱいちゃん、ウェルの件。正確には、ウェルというより、そのウェルと話していたという魔族の男が気になるのだが、一体、何を企んでいるのか。それは今のところ不明だが、とにかく急いだ方がいいと、俺達は判断した。
マッド、ねぇ。同姓同名ってことも考えられるが、おそらく、俺が魔法都市で出会った、あいつなんだろうな。俺は、溜息を吐く。
「さてと、ここらへんでいいかな」
立ち止まり、振り返る。そして視線を上げ、ウェルを正面から見つめた。俺の視線が下がっていた理由は、ウェルが立ち止まった際に、ぼよん、よんよん……と、弾んでいたからだ。これは、どうでもいい。
「ウェル。ごめん、俺は嘘をついた。他の二人は街に残ったんじゃない。もうとっくに、大樹へと向かっているんだ」
「え……」
俺がそう言うと、ウェルは目を見開いた。そう、ここには俺とウェルの二人しかいない。マッドの悪巧みから逃れるため、クレイトとネコの二人には念のため、先に出発してもらっていたのだ。
「あの、その……そう、でしたか。でもそれが、どういう――」
「ここには誰もいない。おっと、乱暴するとかそういうことでもない。話してくれないか?」
俺が周囲を見渡し、誰もいないことを伝えると、ウェルが自分の体を抱きしめつつ、後ずさったので、そんなつもりでないことも伝える。
俺は、固まってしまったウェルに対して、続けて言った。
「俺達は、もう知っている。魔族と会って、何をしていた? いや、何をするつもりだ?」
「そ、それは」
「頼む。口外はしない。お前の安全だって保証する。だから、教えてくれ。あいつは、マッドは……本当に危険なやつなんだ」
俺は、真摯に頼み込んだ。強引に聞き出すことも可能だったが、ネコは、ウェルが脅されているように見えた、と言っていた。
おそらく、それは正しい。ウェルからは、特に悪意というようなものは感じないし、見えている魔力も微弱だ。脅されているか、騙されているか、そのどちらかだろう。だから、出来れば自分から話してほしい。俺はそう思っていた。でないと……。
「魔物を……突然現れたあの男は、魔物を街にけしかける、と言ったのです」
ウェルは、話してくれた。俺は一安心し、続きを促す。
「魔物を?」
「はい。それが――」
突如、数多くの魔物を引き連れ、あの街に現れたマッドは言った。僕と一緒に、遊んでくれないか? と。
困惑した住人たちだったが、見たこともないような魔物に、魔族の男。あからさまな外敵の襲来に、最初は戦おうとした。
だが、その魔物たちは強力で、街にいた冒険者や、腕っ節の強い者達が早々に殺されてしまった段階で、降伏した。
「何の目的があって、こんなことを」
相手は魔族、ただ自分達を蹂躙しにやってきただけかもしれない。そう思いつつも、住人の一人が呟いた一言に、マッドは笑顔を浮かべつつ、言った。
「ふひひ。誰が来るかまでは分からないけどね、もうすぐ、あの大樹に向かおうって者達が現れるはずなんだ。ああ、それを止めようって話ではない。僕は、そいつらと遊びたくてね。でも、僕だって暇じゃない。そこで、街の皆に協力してほしいのさ。ひひ」
話を聞き、唖然とする住人たちに、マッドは続けて言った。
「やることは簡単。それらしい奴らが街に来たら、僕に知らせること。僕がそれだと判断できたら、その者達についていき、僕に合図を送る。できることなら、少しでも仲良くなっておいてほしい。……ふひ。その方が、裏切りって雰囲気はでるからねぇ! ふひはは!」
そうして大樹を目指す者、つまりは俺達についていくよう選ばれたのが、街の有力者の娘であるウェルだった。美人で巨乳。それも、理由の一つかもしれない。
ウェルにとっては幸か不幸か、俺もそのおかげで、事前にマッドの企みに気づけたわけだが。
「裏切り、か……。ありがとうウェル、話してくれて」
そんなことのためだけに、街の住人を巻き込んだのか、と言いたいが、あいつの考えそうなことと言えば、それまで。
それよりも考えるべきは、俺たちが来ることを知っていたということ。今回、おそらく魔導兵器の破壊を邪魔しにくるのだろうが、そもそも、兵器の存在をどこで知り得たのか。考えられることは、いくつかあるが……。
「エンジさん」
思考が行き詰ったところで、俯いていたウェルが顔を上げ、ちょうど俺に話しかけていた。
「あなた達に、何の目的があって、大樹へと向かわれるかは、存じ上げません。ですが、その……」
「ああ、分かっている。お前は、俺についてこい。あいつに言われたことを、やっておきたいんだろ?」
俺がそう言うと、申し訳なさそうな表情をしつつも、ウェルは頷いた。
「でも、いいのでしょうか?」
「大丈夫。さっき言ったことは守るし、マッドの野郎にだって、これ以上好きにはさせない」
「エンジさん……」
「会ったばかりのお前に、無理を言っているのは分かっている。それでも、俺を信用してくれないか?」
「はい。ごめんなさい。ありがとうございます」
まあ、少々厄介なことにはなるかもしれないが、合図を送るくらいなら大丈夫だろう。それに、ウェルや街の人達のことを考えると、存分に裏切ってくれて構わない。だが……。
一抹の不安を抱えつつも、俺は、ひとまず先に進むことを決めた。この不安が、思いもよらない形で的中することになるとは、この時の俺には、知りようもなかったのだ。
……。
ウェルから話を聞いた後、俺達二人は大樹へと向かった。根の先辺りに到着した頃、この辺りでいいかと、ウェルは空に向かって輝く魔力の塊を打ち出した。
ウェルが到着の合図を出すことを知らなければ、何をやっているのかと疑問に思っていただろうが、事前にそのことを知り得た俺は、ウェルに向かって一つ頷くと、さらに先へ進んだ。
大きな根の上を歩いたり、下をくぐったり、しばらく進んでいると、予想通りマッドが現れた。どこに隠れていたのか、周囲からは魔物が現れ、取り囲まれる俺とウェル。
そして、状況は整ったとばかりに、マッドが俺に向かって口を開いた。
「ふひひ。久々だねぇ、エンジ君」
入り組んだ大樹の根、湾曲し地面から高く突き出た上の部分に座っていたマッドが、ウェルが協力者だったことを俺に伝えた。
ああ、知っていたさ。俺は、笑みを返す。
「どうだい? 裏切りの味は? ……でも何だか、僕が思っていたより動揺はしていないようだねぇ。ま、一日二日じゃこんなものか。ひひ」
「素晴らしい、おっぱいだった。並の野郎では、今頃骨抜き。驚いた拍子に、心臓が飛び出ていてもおかしくないな。だが、俺にそんなものが通用するとでも?」
「そんなもの……」
違うんだ、ウェル。ただ俺は、あいつより上に立ちたかっただけだ。本当は、素晴らしいものだと思っている。気を落とさないでくれ。
「通用、しそうだけどねぇ……魔法都市での君を、見る限り」
「人は成長する」
通用していたさ。大満足だったさ。今でも思っている。――つついてみたい、揺らしたい、と。
「ふ~ん。いいけどね。僕だって今回の件は、ちょ~っとスパイスが足りないと思っていたんだ。ふふひひ」
「下ごしらえから全部変えろ。もっと俺好みのやつで頼む」
「ふふ。次は、頑張るねぇ」
「次はない」
俺の即答に、マッドは一度目を細め、また笑った。
「まさか、君がここに来るなんてね……正直に言うと、僕は君のことを評価している。魔法都市での一件、解決したのは君だろ? 僕の思い通りにいかなかったのは不愉快だけど、あれは中々見事だったね」
お前に褒められても、ちっとも嬉しくない。俺が肩をすくませていると、マッドは少し声を低くし、言った。
「でもだからこそ、今日ここに君が来てくれて嬉しいよ。予感がするんだ。君はこの先、僕にとってきっと邪魔な存在になる」
「先はねえって言ってんだろ? お前は、ここで終わりだ」
俺が臨戦態勢を取ると、マッドは手のひらを俺に向けた。
「そう、慌てないでくれ。僕は、しっかりと完成したものを、君に味わってほしいと思っている。スパイスが足りないって言ったばかりじゃないか」
「……あん?」
後になって思えば、俺はこの時、すぐにでも仕掛ければ良かったのだ。
警戒は怠らなかった。油断もしていなかった。慎重に、冷静に、マッドをここで葬ろうとした。だがそれゆえに、失敗した。
マッドが、先程までよりも大きく、口を歪めていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
痛みを感じるよりも先に、謝る声が聞こえた。声が聞こえたのは、マッドがいる方向ではない。あいつはまだ、根の上に座ったままだ。
それは背後。俺の予期していなかった方向からの声。俺はその声に反応し、振り向いた。
「ウェル」
声の主は、俺と一緒に魔物に囲まれていたはずの、ウェルだった。その手には、鈍く輝く一本のナイフ。
俺から一歩後ずさった、ウェルの持っていたナイフには、赤い液体がこびりついていた。――それは、俺……の?
「う、ごめんなさい。こうするしか、なかったの。街が、皆が、私の愛する人達が」
「そうか……」
ウェルは泣いていた。俺はそのウェルから視線を逸し、マッドの方を向く。
「ひひはは! 完成! 完成だ! 僕のとっておきのスパイスの味はどうかなぁ? 僕はね、君を街で見た瞬間に確信したんだ! あの三人の中では、君が一番厄介だと。君さえいなければ、あとは簡単だってね! さあゆけ! 魔物共! そこにいる女ともども、その男を喰らえ!」
「マッド、様?」
ウェルはナイフを地面に落とし、膝をついた。
そうだよな。お前が、ウェルを生かしておく理由なんてないよな。
「ひゃはは! 女ぁ、聞こえているか分からないけど、言っておくね。君は、死んでも寂しくなんてない。だって、僕はこのあと、あの街にも魔物を送る予定だからねぇ! ふひはは!」
口からは何も発せず、ただ涙を流し続けるウェルの隣、しばらく目を瞑っていた俺は、ゆっくりと、目を開いた。
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