第八章 王国奪還

第175話 憧れの王子様

 今日も私は、生活に使う水を汲むため、近くの川へ出かける。家を出て、小さな林を抜ければ、川はすぐそこだ。しかし、近くとは言っても、それは何も持たずに歩いていった場合の話で、水でいっぱいになった重い桶を両手に抱えて往復するのは、かなりの重労働だといえる。


 ふんふふん~。自然と、鼻歌が溢れた。意地悪な姉に、押し付けられるようにして始めた仕事。重労働で鍛え上げられたこの腕で、いつか張っ倒してやろう……なんてことは、思っていない。最初は、嫌で嫌で仕方なかったこの仕事だけど、今は、毎日の楽しみとなっていた。その理由は。


「おはよう。いつもえらいね」


 あ……。


「おはようございます。必要な事ですし、それにこれくらいしか、私にできることがなくて」


 車椅子に座り、穏やかな流れの川を見ていた男が、私に話しかける。落ち着いた、優しい声。低くも高くもないその音色が、小さく聞こえる川のせせらぎと相まって、心地の良い音楽を聞いているかのよう。


「必要なことだとしても、それを嫌な顔もせず毎日続けられるのは、凄いよ。褒められるべきことだと、僕は思うけどな」

「そんな。でも、へへ。ありがとうございます」


 そして、最高級のパーツがバランスよく配置された、整った顔立ち。この芸術品とも言えるべき顔を、崩したくはない。崩れたところも、見たくはない。そう思っていた。


「うん」


 違った。本物は、多少その形状を変えたとしても、その輝きが失われることはないのだ。私の言葉に、目を細め微笑んだ男を、しばらくの間眺めてしまう。嫌味のない笑顔。ただ、それを眺めているだけで、引き込まれる。飲み込まれてしまいそうになる。


 私の頬はぽっと赤くなり、たちまち、全身の体温が上がるのを感じた。これ以上は、視線を合わせられない。合わせていたいけど、こんな私なんかが見てもいいの? と、変な気を回してしまう。私は落ち着かなくなり、前髪をいじり始めた。――嫌な顔もしないで続けられるのは、あなたがいるから。


 本日も、素敵な朝の到来。全世界の恋する皆さん、おはようございます! 私は、今日も幸せな気分で、一日を過ごすことができそうです! ありがとう! 幸福感でいっぱいの私は、男の横顔を盗み見しつつ、水を汲み始めた。



 るんるるん~。


「……え」


 ある日、いつものように男に会いに行くと……間違えた。水を汲みに出かけると、男の側には、女性が一人立っていた。すっと背筋を伸ばし、目鼻立ちがはっきりとしたその女性は、同じ女から見ても、驚くほど綺麗。――まさか。こい、びと?


 完全に、負けを認める。どこからどう見てもお似合いの、美男美女カップル。恋人がいても、おかしくないよね。ううん、いないほうがおかしいもの。まず、私みたいなものが、勝負の舞台に立つことすら、おこがましいのだけど、それでも落ち込んでしまう。目の前が真っ白になっていく感覚を覚えた。


「む? 誰かそこにいるのか?」


 女性の声が聞こえ、倒れかけていた体を元に戻し、二人の前に出ていく。邪魔をしてすみません。水だけ汲めば、帰りますので。私は、悪いことは何もしていないはずなのに、許しを請うていた。


「君か。おはよう。今日もいい朝だね」


 いつもは私に多幸感を与えてくれる、男の声。でも、それも今日まで。私にとっては、ちっともいい朝なんかじゃない。唯一の生き甲斐を失った。これからは、ただただ苦痛の日々が続くのみ。――あ、駄目だ。死のう。


「主。彼女は?」

「うん? そうだね……まず、君が思っているような悪人なんかではないよ。こんな僕なんかと、毎日お話してくれる大事な友達さ」


 虚ろな目をしていた私は、聞こえていた声に顔を上げる。主? 恋人ではないの? よくよく見ると、女性は私服とは言え、腰に剣を収めていた。


「いえ。私が案じているのは、彼女の身の危険です」

「え?」


 男の驚く声と、女性の辛辣な言葉に、冷たい目。私の心は、弾み始めます。女性が、男の恋人ではなさそうだということ。友達とは言われたものの、大事な、と付け加えてくれたこと。それと、もう一つ。


「君は、僕を守るのが仕事だよね?」

「はい。自分で言うのもなんですが、申し分のない働きかと」

「傷ついたよ? 僕の心」

「業務範囲外です」


 高揚していた私は、話の内容が耳に入ってきませんでしたが、どうやら、この女性は男を守るのが仕事の様子。女性の持つ、あの剣に掘られた紋様。あれは、確かこの国の……。


 私の頭の中に浮かんだ、一つの答え。期待が高まっていく。男は、もしかすると、公の場に全く姿を現さない王子様!? そんな。嘘。そんな事ってある? 今は、挨拶をして、少し話をするだけの関係だけど、いずれは? ……王子様との恋が始まっちゃうのかしら? ううん。王子様ではないにしろ、どこかの有力なお家の人であることは間違いなさそう。――やったぁ!


 絶望から、希望へ。組み上がったシンデレラストーリー。やっぱり本日も、素敵な朝でした。早とちりしてすみません。全世界の恋する皆さん、おはようございます! 私、幸せになります! ありがとう! 私は、喜びのあまり、川へ飛び込んだ。


「え? ちょっと!?」

「主……見損ないました。彼女に、何の魔法をかけたのですか?」



 へんへへん~。はんははん~。


「あなた、何だか最近、調子がよさそうね? そんなに元気が有り余ってるなら、もっとたくさんの水汲みをお願いしちゃおうかしら?」

「はい! お姉ちゃん! この時間であれば、何周だって行ってきます!」

「あ、うん。じゃあ……お願い」


 今日もまた、朝の日課に出かける私。愉快、愉快。姉の嫌味なんて、私にはもう通じない。体が軽い。まるで、羽が生えたよう。私の腕が太くなってきたのとは、別の理由があってのことだと思いたい。


「好きだって、伝えちゃおうかなぁ!」


 少し、怖い気持ちもあるけど、向こうだって私のことを、悪くは思っていないはず。身の程知らずなことは分かっている。でも、相手は王子様。私は、一番でなくてもいいのだ。妾でもなんでもいいから、側において欲しい。それだって、私みたいな者にとっては、大出世だと言えるかもしれないけど、優しい人だもの。きっと、突き放すような真似はしないわ。


「あぁ~。好き好き好き~。私の王子様~」


 スキップをしつつ、林に入った私。この小さな林を抜ければ、あの人が待っている。私は、いつの間にか、ぶんぶんと水汲み用の桶を振り回していました。――あれ? やっぱり……力、強くなってない?


「あっ」

「ギシャアアア」


 桶を振り回す自分の腕に注意が逸れた途端、持っていた桶がすっぽ抜け、側を通りかかった魔物の頭に当たってしまった。普段であれば、特に害もなく、人を見かければ、自分から逃げていくような気性の穏やかな魔物だったのだけど、さすがに、ぽかんと桶を当てられれば、痛かったのだろう。私は敵と認識され、唸り声をあげられていた。


「ひえぇ! 来ないで~!」


 私は駆ける。力がついてきたような気はするとは言え、魔法の一つも使えないような、か弱い姫だからだ。――あ、姫とか言っちゃった。気が早いぞ? 私。


「た、助けて~! 誰かぁん! ……きゃ!」

「おはよう。もう大丈夫だよ。怪我はない?」


 パチっという音が聞こえたかと思えば、私は王子様の腕の中にいた。後ろには、気絶させられ、大の字でうつ伏せに倒れた魔物の姿。心臓が高鳴り過ぎて、体の内側でバウンドする。どくんどくんと、うるさいほどの鼓動音と共に、私の体温は急上昇した。も、もう駄目。


「王子様! 好……」


 地面に下ろされ、思いの丈を伝えようとした私。好きです! そう言おうとしたのだけど、途中でやめてしまった。


「あれ? 僕が王子って、知っていたのかい」


 頭上から、独り言のような声が聞こえてくる。しかし、私は顔を上げず、ある一点を凝視していた。地面に座り込んだ私の顔と、ほぼ同じくらいの高さ。あまりにも堂々としているので、最初は気づかなかった。妄想が生んだ、幻覚かとも思った。認めたくなかった。


「ん? やっぱり、どこかに怪我を?」

「きゃあああ! ぎゃあああ! ああああ!」


 車椅子に座っていた王子様は、足が悪いわけではなかった。下半身を覆うようにかけられていたひざ掛けは、このためだったのだ。私の目の前には、下半身丸出しの王子様が立っており、しかも、王子様の王子様は、なぜか元気いっぱいに、そそり立っていたのだ――





 ……。





 モンブラット王国にある、盗賊団アンチェイン秘密基地の一つ。アンチェインズ・キッチン。悪の組織らしく、やはり地下に作られていたそれは、飲食店だった。ちなみに、地上へ上がる階段を登った先は、一般市民も訪れるような飲食店となっている。飲食店の下に飲食店を作る、大暴挙。いや、調理の際に出る匂い等のことを考えると、これはこれで正解なのかもしれない。そもそも、秘密基地を飲食店にする必要はないのだが、それはこの際どうでもいい。


 飲食店、飲食店と言いすぎて、少し混乱してきたが、飲食店アンチェインズ・キッチンの奥の扉を開けると、そこには広い空間が広がっていた。天井もそこそこ高く、見た目は修練場といった具合。多分、正解だ。秘密基地なら、こっちだけでいいだろ? とも思ったが、まあ、それもこの際どうでもいい。


 バルムクーヘン王国自体を、魔族共から盗み返すといった途方もない依頼を受け、この場所を訪れた俺とカイル。見知った顔を除けば、今のところ知らないやつは、車椅子に座った男と、その横に立つ色白メガネ野郎だけ。メガネの方は、何となく既視感を覚えるが、誰だっただろうか? とにかく、先に待っているというネコの言葉を信じるなら、こいつらのどちらかが、アンチェインのボスだということだ。――ま、細かいことはどうでもいい。今までの鬱憤を晴らすため、まずは殴っておきたい。


「お? エンジく~ん! 久々だね。君の敬愛するボス。そして、命の恩人である、エクレトだよ」


 こいつが、俺の。いや待て、落ち着け。心を乱すな。色々と言いたいことはあるが、まずは聞いておこう。そうでなければ、俺は先へ進めない。


「あー。その節は、どうも」

「いいって、いいって。僕が、あの場を通りかかったのは偶然だったけど、君の魔法は面白い。いい拾い物だった、と今は思っているよ」

「それはどうも。だが待て、話を始める前に、聞いておきたいことがある」


 張り詰める空気。男は、口元だけを歪め一度笑うと、何だい? と、挑発するかのように、問い返してきた。俺は答える。


「……何で、下半身丸出しなんだ?」

「ほう」


 張り詰めていた空気が、雲散した。俺に話しかけてきたのは、車椅子に座っていた男。同じ男から見ても、整った顔立ちだと言えるその男は、車椅子から立ち上がり、両手を広げて歓迎の意思を示してくれたのだが、こんなことなら、立ち上がってほしくはなかった。――ほう、じゃねえよ。


「もう一つ。お前のそれ、何で、完全状態?」

「はは。参るよね」


 車椅子とひざ掛けは囮。俺達を欺いた男は、もう一つ、秘密を隠し持っていた。丸出しであることに加え、ボスのボスは、準備万端の完全状態。その矛先は、天を突いていた。会ったら一発は殴らないと、という俺の意思はすでに挫け、全身から力が抜け始めていた。――参っているのはこっちだ、馬鹿野郎。


「普段は隠されているからこそ、皆、特別視する。そういう風に考えてしまう。

よく考えてみろ? これだって、体の一部だろ? 腕や、足と同じように」


 下着と、水着の違いのようなものだろうか。あれだって、生地以外は同じようなもののはずなのに、ありがたみが全然違うしな。そういう話か? 俺が、思考を巡らていくのと同時に、ボスは続ける。


「汚いから? それとも、大切な所だから? そういう意見もあるだろう。でも、例えば、口だって同じように体液を吐き出すし、人間にとって大事な部位に変わりはないだろう? じゃあ、口も隠さないとおかしいよね、と僕は言いたい訳だ」


 なるほど。一理……ある。服を着るのは、温度調整等も関係してくるのだろうが、今の話に、そこを突くのは藪ってものだ。――ん? なにこれ? 何の話これ? 俺が聞いたのって、そういう話だったっけ? というかこいつ、何で俺に意見をぶつけてくるんだ?


「エクレト。それはもしかすると、人が潜在的に、いえ、本能的にともいいましょうか? そういった部位に、欲求を感じてしまう側面なんかが、あったのかもしれませんね」

「ふむ。エンジ君は、どう思う?」


 色白メガネの男が、自身の考えを語っていた。そして求められる、俺の意見。目を閉じ、一つ頷くと、真剣な表情で、俺は口を開いた。


「もう、帰っていいですか? いや、この組織、抜けていいですか?」


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