第170話 南と西の戦い

「あいたっ!」


 両脇を持ち上げられ、宙にぷらぷらと浮く私。すぐに殺されはしなかったけど、このまま捕まっていても何も良い方には転がらない。そう思った私は、魔法の呪文を唱え始めました。その瞬間、ぷすりと肩に刺さる、魔族さんの人差し指の爪。ちょっと静かにしていろよ、程度の攻撃に、私の魔法は不発に終わりました。だって、痛かったんだもん。


「ん~。どうしよっか?」

「殺しておいて、損はないのでは?」


 クラブと呼ばれた女魔族に、屈強な見た目の魔族さん達が指示を仰ぎます。当然のような気もしますが、やっぱり殺しちゃうの!? 損しちゃうって! 多分、きっと、いつか、巡り巡って、損しちゃうんだから!


「それか……」


 それか?


「持ち帰って、奴隷にするのもいいですね」


 ひええ!


「人間とやってみたいって奴もいるだろうしな?」


 やる? 何を!? ヤダヤダヤダ! 絶対に、やだ! 私は足をジタバタと動かしますが、びくともしません。力、つよ!


「じゃあ、あなた達一旦引く? 開いてあげるよ?」

「お願いします」

「後方待機組は暇してるだろうしな。いい土産になりそうだ」


 もがきつつも、今聞こえてきた会話に意識が持っていかれます。開く? いや、それよりも、後方待機組? それって、まずいんじゃ……。誰かに伝えないと。最悪、私が連れ去られようとも、それだけは。いや、それも本当に嫌なんだけど、このままじゃ、もっとたくさんの犠牲者が出てしまう。こんななりでも、私だって学園の教師なのだ!


「や~め~ろ~! んあ! ちょっと聞いて! 耳寄りな情報があるの!」

「情報?」


 よしよし。食いついてきたな? でも、実はそんな情報なんて何もない。考えてもいない。――どうしよう!


「えう……」

「おい、早く言え」


 魔族さんが爪を強調してきます。ひええ、痛そう! 何でもいいのだ、何でも。こうなったら、仕方ない!


「私! もうすぐ三十歳なの!」


 無表情で固まる魔族さん達。焦った私は、とにかく続きを言う。


「でもね? まだ一度だって、男の人とお付き合いしたことないの! びっくりだよね!?」


 恥ずかしい。でも仕方ないじゃん。周りの皆は、私のことを女としてみてくれない人ばかりだったんだから。


「やっぱりあれかな!? この身長や容姿のせいかな? それとも、皆がやめろっていう、この口調のせいかな!?」


 痛いかな? 私? と、畳み掛けるように言う。へへ、作戦成功。どうやら、足止めには成功しているみたい。そうなの。今言っていることは作戦の一部。全部全部、嘘だからね! 誰に言っているのか、私は心の中で、言い繕う。


「魔族さんも素敵な肉体みたいだけどぉ? 私の好みとは、ちょっと違うかな? 最近だとそう、カイル先生みたいな人が好きかなぁ。まだ若いしね!」

「早く連れて行け」

「うむ」

「あ! 待って待って! えっとぉ。うんとぉ。あ! 駄目だったら、もう! カイル先生好きー! 助けてー! 私の初めてを奪ってぇ!」


 私の言う事には耳を貸さず、持ち運んでいく魔族さん。もう駄目だぁ! 


「この際、エンジ先生でもいいからぁ! エッチな目は隠しきれていないけれど、今思うと、素敵だったかもしれません! エッチな事なーんでもしてあげるよ? だから早く来てぇ!」


 沸騰した頭で、思いつく限りのことを話す私。何を言っているのかも、分からなくなってきた。頭の方も、もう駄目だぁ!


「そこまでよ!」


 そんな声が聞こえてきたのは、私が、カイル先生とエンジ先生、二人がかりで強引にもみくちゃにされているのを、妄想している時だった。


「な、ぐわああ!」


 両隣にいた魔族さんが火に包まれ、私の体が自由になります。助けに来てくれたのは、カイル先生でもなく、エンジ先生でもない、一人の女生徒でした。


「ノービスちゃん!? ああ。ノービスちゃん好き好き~! もう女でもいい! 愛してる!」

「途中から聞いていましたが、何て恥ずかしいことを言わせているのですか! そういう魔法ですか!? 許しません!」

「うん? 私?」


 颯爽と現れたノービスちゃんは、都合のいいように、勝手に解釈してくれていました。よくよく考えると、とんでもない事ばかり口走っていたような気がする。後には退けない。これはもう、そういうことにしてしまおう! 色々と、助かったの!


「ここからは、怪しげな術をかけられた先生に代わり、私が相手しましょう」

「ううん。その人、自分から言って……」

「うえ~ん! 何か、頭がふらふらするよ~! 何か!」

「心を、操る魔法? なんて卑怯な真似を! いきます!」


 教師としては失格だけど、私は何らかの魔法に苦しむ振りをし、頭がお花畑のノービスちゃんを、応援することにした。頑張れ~! ノービスちゃん! 危なくなったら助けるからね!





 ===============





 恐れていたこと。誰かの助けが来る前に、遂に、僕達を守っていた魔法の盾が消えた。立っていられないのか、膝をつく少女。その少女が見ている先、伸ばした腕の先には……あれは! エンジ先生? そういうことなら!


「うおああ!」


 僕は立ち上がり、少女の前に出る。僕が死んでしまっても、この健気な少女だけは死なせない。しかし、相手さんもかなりの強敵。助けにきてはくれたものの、特別講師であるエンジ先生は、一体どの程度戦えるのだろうか。その辺りのことは、他の教師も知らないだろうし、僕自身、彼とは一言も話したことはない。けど、今は彼に賭けるしかない。


「……エンジ。私」

「クリア!」


 僕の事も、ちょっとは気にかけてくれると嬉しいな。ま、それは死んだ後でもいい。一人の生徒を守ろうとして、死んだ男がいた。その程度でいいからさ。エンジ先生、後はよろしく。君も、さっき言ってた望みが叶うと良いね。あの世から応援してるよ。……さようなら。


 魔族の放った魔法が迫る。盾が消えたのを見て、一気に決めようとしたのだろうか? 特大の炎弾。チリチリと、地面に生える雑草を燃やしながら、通り道に焦げ跡を残していく。ものの数秒も経たないうちに、僕もあの焦げ跡の一つになるのだろう。でも、いい。それくらいで済むなら、ありがたい限りだ。後ろにいる少女さえ、守りきれれば。


 お、案外余裕だったな。だったら、ついでだ――


 着弾の際、そんな声が背中から聞こえたかと思うと、体が勢い良く引っ張られる感覚がした。全てを諦め、安らかな顔をしていた僕は、顔を引き攣らせる。多分この時、目は半分飛び出ていた。


「エンジ。来てくれると、思ってた」

「おう」


 エンジ先生の首に腕を回し、片腕で抱きかかえられている少女と、襟を掴まれ、引きずられていた僕。扱いが違いすぎる気がするが、助けられたのは事実。ついでだとか聞こえた気もするが、あの状況では少女が優先。それは僕も同じ気持ちだったので、何も文句はない。ケホケホとむせた後、僕は礼を言う。


「助かったよ。もう、駄目かと思った」

「最初は、こいつだけでも、と思ったんだがな。ま、ついでだ」


 やっぱり、ついでだったか。いや、文句はないよ? 本当に。


「スピンです。召喚魔法の講義を取り扱っています」

「召喚魔法? ああ、あれか。じゃあ、お前も鬼とか出せるんだ?」


 鬼? 魔物の一種だろうか? 聞いたことがない。そんなのを、出せる奴がいるのか? 好奇心がうずく。正直、もっとエンジ先生の話を聞いてみたいが。


「いや……それより、その娘を連れて、ここから逃げてくれ。あいつは、強い」

「ま、それもいいんだがな。俺も、今は教師の端くれ。たまには、教師らしいこともしないとな?」


 エンジ先生は一つ笑うと、自分の首元に顔を埋めていた少女を下ろし、魔族の元へ歩いていく。大丈夫なのか? 自信があるのか? でも、万が一ってこともある。僕は、地面に下ろされた少女に、逃げなさいと言おうと、口を開きかけた。


 言えなかった。少女のその表情を見て、口を噤んだ。それは、エンジ先生を信頼しきっている顔。嬉しそうな顔。幸せそうな顔。いや、ちょっと違うか。この表情は……彼女が言っていた相手というのは、まさか? 僕は、少女の表情を見て、何となくだけど、そう思った。 


「おや? 新手ですか。今のをよく避けましたね?」

「案外、余裕だったわ。おまけで、もう一人助けられるくらいな」


 おまけか。はは。気にしちゃいないけどさ。そう何度も言われると、僕もちょっと……。


「クリア」


 エンジ先生が、少女の名前を呼ぶ。


「いい、盾だったな? でも、守るだけじゃ勝てないぞ。よく見ていろ」

「うん」


 エンジ先生が走り出すと、魔族共が構えた。まさか、正面からいくのか!?


「RUN」


 魔族数名が、魔法を放つ。それを、エンジ先生は足を止めることなく、自身の前方に魔法の盾を貼り、難なく防いだ。そのまま、突っ込むのかと思いきや、斜め前方に逸れていく。


 エンジ先生は、新たな魔法の盾を貼り続ける。魔法を防ぐためでもなく、自身の真横にずらずらと。その盾が重なっていく様は、紙の束を床に落とした時に似ている。手品師が、机の上にズラリとトランプを並べるような、と言った方が分かりやすいだろうか。目的は分からない。僕からすれば、ただ、いたずらに魔力を消耗しているだけに見えるのだが。


「うご!」

「ぎゃあ!」


 強魔族らしき男以外が、突然悲鳴を上げ、エンジ先生の魔法に呑まれた。……なるほど。後ろから見ていた僕達は、エンジ先生が何をしたのか分かった。エンジ先生は、進行方向に盾を貼り続けることで、そこに自分が走っていると思い込ませていたのだ。実際、途中まではその通り。エンジ先生は盾の後ろで、姿を隠しつつ走っていた。その後は、盾だけが次々と作られ続ける中、逆走し、後ろには誰もいない盾の方を追いかけていた魔族の、背後を取った。


「まず、陽動。魔法の盾は、姿が見えなくなるほど濃く貼れば、こんなことも出来る」


 少女の方を向き、解説するエンジ先生。まるで、講義のようだ。でも先生、今のを、真似しろってのは厳しいですよ? 自分の走る速度に合わせて、魔法の盾を展開し続けるって。まずは、無詠唱で使えるようにならないと。


「ほう。やるねえ。でも、僕の体は、そんなしょっぱい魔法じゃ傷一つつかないよ?」

「ああ、今ので確信した。硬そうだな、お前」


 そう。僕もあの頑丈さに歯が立たなかった。僕の使役する魔物の中には、火を吹いたりするような奴もいたのだが、それが全く効いていないように見えた。どうするんだ? エンジ先生。


「潔く降参でもするかい? 僕は、何時間だって戦う自信があるよ?」

「んな、長いことやってられるか。心配すんな。最初から、手は考えてある。俺は予習を欠かさない、勤勉な教師だからな」

「楽しみだね!」


 魔族の攻撃を掻い潜りつつ、軽口を叩くエンジ先生。そうだったっけ? 噂では、いい加減な講義ばかり開いているって聞いた気も……。


「僕の名前はダイア! 多分、魔族一頑丈な体を持つ男さ!」

「どうせ自称だろ? あのおっさんより頑丈そうには見えねえな?」

「おっさんって誰だい?」


 さあな、とエンジ先生は笑うと、僕と少女の前に帰ってきた。そして。


「クリア。ここからは、一息にいくからな?」


 迫る魔族。エンジ先生は動かない。


「RUN。これが、拘束」


 数mの距離にまで近付いていた魔族を、高さのある魔法の盾で四方を塞ぎ、捕らえた。……確かに、そういう使い方もあるね。でも、それもエンジ先生くらい早く魔法を展開出来ないと駄目なんじゃ。


「RUN。最後に、攻撃。おまけに、芸術」


 四方には壁。唯一空いている上からは、いくつかの火の玉と、見たこともない塔が落ちてきた。あの塔も、魔法の盾で作ったものなのか? 芸術ってあれのこと? 何か意味が? そもそも、魔法の盾に重量ってあったっけ?


「何ですか、あれ?」

「ミニ東京タワー。自分で言うのも何だが、改心の出来だ」


 とうきょうたわ~? いや、名称は聞いていない。しかも、本人は満足気な顔をしているが、言われても分からない。気になっていた重量のことなんかについても聞くと、少し書き換えた、と一言だけ。結局、何も分からない。


「ぐ、ぐぐ。こんなもので、僕を!」

「やっぱ自称か。魔王のおっさんなら、そんな塔破壊しちまうぞ? と言うか、それくらいの強度の盾じゃ、おそらく拘束すら出来ないな」

「魔王!? ……あれ?」


 浮いていた火の玉が消え、ドスンという音と共に、僕達の目の前で、遂に魔族は押しつぶされた。最後、突然あいつの力が抜けたように見えたけど……あれは? 気になった僕は、エンジ先生に問いかける。


「東京タワーは囮。ただの蓋。俺は元々、あの空間の酸素を奪うのが目的だったんだ」


 ん?


「火は酸素を使って燃える。俺の世界の常識だ」


 どこの世界!? 僕、教師なんてやってるけど、知らないよ!? 


「講義終了。どうだ? 魔法の盾だって色々な使い方があるだろ?」

「うん」


 少女はエンジ先生を見て微笑み、頭をぐりぐりと押し付けていた。やはり、彼女の言っていた相手は……。ま、あんなのは相当努力しないと出来るようにならないけどね。それより、僕はまだ、何も分かっていないよ? 納得していないよ!?


「参考になったか?」

「……なった」

「ならないよ!」


 思わず口を挟んでいた。いい加減な講義と言われていたのは、もしかして、エンジ先生の講義が難しすぎるだけだったのでは? 深読みしてしまう、僕だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る