第169話 北と東の戦い
魔族の男が飛び上がり、腕を後ろに引く。振りかぶったあの腕を、ぶつけるつもりなのだろう。私は、それをゆったりと見つめていた。男の動きが遅く感じる。でも、それよりも私の体の方が遅い。立ち上がり、避けようとしているはずなのに、ほんの少しずつしか体が動いていない。というより、ほとんど止まっている。私は、ぺたんと地面に座り込んだままだった。
死んじゃうかな? 死んじゃうよね。あんなの。痛みすら感じることなく粉々になりそう。仮に避けたとしても、その余波だけで死んじゃいそう。男の腕は燃えているようにも見えるが、あれ何? 身体強化系の魔法かしら? 専門分野じゃないから、よく分からないわね。
どうでもいいか。そんな事。だって死んじゃうし。そもそも、興味もないし。私が興味を持っているのは、草木や花のこと。ああ……もっと色々な研究をしてみたかったな。これからだった。これからだったのに。少ない研究費だったけど、形になりつつあったのだ。私の思っていたような発表の仕方じゃなかったけど、今回の件で、素晴らしい研究と認められること間違いなしだったのに。
――生徒達は、無事に逃げられたかな? 講義以外で生徒との関わりを持たなかった私が、最後に生徒を守って死ぬなんて。昨日までの私は、想像もしていなかった。ふふ。向いていないと思っていたけど、案外、私は教師に向いていたのかしら? ……まだ、死にたくなかったなぁ。
「焼かれろ」
「あ……」
ゴっ、というもの凄い衝撃音。私の周りの地面は抉れ、抉れた部分が燃え上がる。うわ、凄い威力。これが確認されていたという強魔族の一人の力。まさか、私が相手にするとは思わなかったけど、こんなの、教頭以外誰が戦っても結果は同じじゃないかしら? ……あれ? 何で私は、まだ生きているの? まだ、思考できているの? 何で周囲の地面は抉れているのに、私の所は何ともないの? 熱さだってさ、感じない?
「は、はあ!?」
魔族の男の驚く声。私も驚いているけど、男の方がもっと驚いている。あの威力だもの。自信があったのも頷けるわ。
「何が! どうなってる! 誰なんだよ!? お前は!」
今、私の目の前にいるのは、外套を着た何者か。フードを頭からすっぽりと被り、顔は見えないが、下に履いているズボンはこの学園の制服のような気がする。その何者かは、男の拳を片手で止め、もう一方の手で、私に魔法の盾を貼っていた。多分、味方だよね?
明らかに異常事態。先程までの余裕はどこへやら。男は動揺している。でも、それも当然よね。今の一回の攻防で分かる、自分と相手との力量差。どれくらい力を込めていたかは知らないけど、片手で受け止められちゃ、勝負は見えている。
「誰だって聞いてるだろうが!」
「君は、魔王軍ではなさそうだね。なら、エンジさんの言ってた奴らか」
外套の何者かは、質問に答えない。ぼそりと言ったのは、相手への言葉というより、自分への確認のよう。そして、エンジさんという単語。エンジ先生? ……と、するなら、やはりこの人は私の味方で間違いなさそう。
「クリムという魔族、聞き覚えは?」
「お、俺の姉だなぁ、そりゃ。何だ? 姉ちゃんに会ったことあんのか? もしかして、姉ちゃんと戦って負けたのか?」
いつの間にか、質問する方が逆になっていた。
「ったく、びびらせやがってよ! 俺は姉ちゃんを尊敬してはいるが、今の実力は、とんとんだ! となれば、お前は俺に勝てない。分かるよなぁ? あ!」
口数が多いし、何の目的があって、そんな。気づいているのだろうか? それとも、気づいていてなお、止められないのだろうか。今、魔族の男は、必死に自分の方が強者だと思い込もうとしている。そうあってほしいと言葉に紡ぎ出している。側で見ている私にとっては、少し滑稽だ。
「新興魔族か。ま、どちらにせよ、僕は戦うつもりだったんだけどね……」
「今ならまだ! この俺、スペード様の家来として働くというなら許してやるぜ? どうだ?」
ちょっとの間、離れるね。おそらくは、私に言ったであろうその呟きを聞いた後、私がうんともはいとも言う前に、外套の何者かは、強魔族スペードを撃破していた。
……。
老い、とは恐ろしいものよ。まさか私ともあろう者が、不意を突かれてしまうとは。自分の肩から飛び出すそれを見て、ぐぐっと歯を噛みしめる。
「我慢しちゃって~。動かしちゃおうっと!」
「ぬぐ!」
それとも、老いなんてものは関係なく、私は敗れたのだろうか。目で追うことすら出来なかった。この女魔族は強い。それは確か。だが……。
「せ、先生!」
「今のうちに、早く逃げたまえ!」
何とか、声を絞り出す。悔しい。これでも、自分の戦闘の腕前には自信があった。学園最強と言われる教頭とも、若い時は何度だって戦った。良きライバルとして、共に切磋琢磨し、腕を磨いてきた。あいつだったら、この魔族に勝てたのだろうか。
「逃げようとすれば殺す。動いた奴から殺す」
脅迫の言葉に、背後にいる生徒が息を飲むのが分かる。悔しい。年を取ってからは、互いに干渉もしなくなったが、それでも……私は。悔しい。本当に悔しい。あいつが学園最強だと言われていることじゃない。無意味に年を取ったことでもない。
「うがぁ!」
勢い良く、体を前に突き出し、刺さっていた爪を抜く。
「こいつは、どうせ君達を殺すつもりだ! 私が足止めをする! 行けぇ!」
本当に悔しいのは、こんな私なんかを頼る、若い芽を守れないことだ!
「わお。元気なおじ様ね! そういうことなら、先に生徒を殺しちゃおうっと!」
「させるかぁ!」
今度は、追いついた。部屋の出口へと走る生徒に迫る、この外敵の姿を捉えた。
「いった~い! 何なの!? このおじ様は! ハートちゃんの顔に傷がついていたら、どう責任をとるつもりだったの!?」
女魔族と生徒の間に入り、魔法を放つ。無詠唱で撃った魔法のため、威力がそこまでなかったが、妨害には成功した。しかし、私に出来たのは、そこまでだった。
「ああ! 先生!」
女魔族の、早く、それでいて鋭い爪が、私の体めがけて伸びていた。
「選手こ~うたい。っと!」
室内に、風が吹いた。ガキン、という音がして、その後でやっと、目の前に人が立っていることに気づく。私はその人物を認識すると、壁に背を預けるようにして、座り込んだ。
「カイル君。いいタイミングだぞ。……やれそうか?」
私の命を救ったのは、特別講師のカイル君だった。ハートとかいう女魔族の速さには、目が追いつき始めていたが、今の一撃を止めたカイル君は、正直、全く見えなかった。私は年甲斐もなく、後ろから来たから見えなかったんだよな? と、言い訳のようなものを自分に言い聞かせ、この若い教師を認めなかった。
「ま、こんなブサイクの相手は任して下さいよ!」
「はは。若いな……」
悪い意味で、言った訳じゃない。
「ブサイクぅ? あなた今、ブサイクって言った?」
「言ったぞ。だってブサイクじゃん、お前」
「殺すわ。苦しめて、殺す!」
女魔族の殺意が膨れ上がり、その場から姿を消す。だが、まだ目で追える。
「右だ! カイルく……」
言わずとも、良かったか……。女魔族が、部屋の壁に足を着地させた時、すでに不敵な笑みを浮かべたカイル君が、女魔族の背後をとっていた。逆手に握ったナイフが振られる。
「ぎゃん!」
壁を蹴って、飛びかかるつもりだった女魔族は、背中を切られ、ぽてりと落ちる。すぐさま、うつぶせの状態から後ろに爪を振るが、そこにもう、カイル君はいない。
「こっちだ」
爪を振った勢いで上半身を起こした女魔族は、そのまた背後から聞こえて来た声に反応した。振り向いた時には、眼前に迫るナイフ。投合されたのか、持ち主はいない。目を見開き、寸前で体を後ろに倒す。
「うそぉ……」
膝を曲げ、座りこんだ体勢から、体を後ろに倒した女魔族。女魔族がそこで見たものは、天井付近に何十本ものナイフが浮き、下を向いているところ。そして、それは息をつく暇もなく、雨のように振ってきた。逃げられない。その体勢ゆえ、すぐに立ち上がることも出来ない。
ナイフの雨は、床に女魔族を貼り付けにした。
「ふう。一丁上がりだ」
ドサドサと、室内で起きた風により舞い上がっていた備品が、カイル君の出現の後、落ちてきた。
「いてて。ガラスで切っちまったかな?」
ふと、見上げると、カイル君が現れるまでは一つしか割れていなかった窓。その反対側の窓が、もう一つ割れていた。……分かった、分かった。認めるさ。こんちきしょう! この騒動が終わったら、また鍛え直しだな。私は、ニヘラ、と笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます