第160話 カイルを慕う女

「カイル様! いらっしゃってたのですね!」


 カイルの胸の中に飛び込んだ一人の女生徒は、カイルの顔を見上げると、花のような笑顔を浮かべ、そう言った。何が何だか分からない。カイルが良い奴だという事は知っている。加えて、面も性格も男前だ。もっと言えば、それが俺の知らない女なら納得も出来た。しかし、カイルの事を様付けで呼ぶ、その女は。


「カイル様、アラウです。覚えていらっしゃいますか?」

「覚えては、いるが」


 詳細は省くが、闘技大会でカイルと戦い、下着を奪われ……いや、くれた女。傲慢黒パンツ先輩だった。俺の記憶では、カイルに対してあんな風に接する理由なんて、なかったように思うが……。


「あぁん。イケずぅ」


 何だ。カイルの反応を見る限り、旧交を温めていた訳でもなさそうだ。カイルは、一瞬戸惑い顔を見せた後、胸の中にいる黒パンツ先輩の肩に手を乗せ、引き剥がした。


「久しぶりだな。お前、先輩だとか言われてたし、もう卒業でもしたのかと」

「そんな。まだまだですよ。ルーカス君みたいな天才と比べないで下さい」

「しかしお前……」

「ああ、本物のカイル様だ。私、いつか会える日を楽しみにしていたんですよ?」


 引き剥がされた黒パンツ先輩は、また少しカイルに近づき、カイルの胸の辺りを、嬉しそうに指でなぞっていた。予想外の対応に、カイルの体は固まっているのが分かる。……はっ! その一瞬、カイルが視線で、俺に何かを訴えてきた。あれは、救援要請!? 救援要請を受けた俺は、窮地に立たされた友を救うべく、二人に近付いていく。今行くぞ! 待ってろ! カイル!


「黒パン……じゃなかった。アラウって言ったっけ? 俺の事も覚えているか?」

「ひっ!」


 あん? 俺が声をかけると、顔を引き攣らせ、ビクリと体を震わすアラウ。……何だ? 挫けそうな心に力を入れ、無言でもう少しだけ近付いてみると。


「こ、来ないで! 助けて! カイル様ぁ!」

「え? 何? って、主任! ええい! 離せ! 主任が! 主任が!」


 俺の脆い心は砕け散り、そのまま地面に倒れた。確かに、知り合いとすら呼べないような仲だけどさ、その反応は傷つくぞ? カイル先生の、俺を助けようとする必死な声に、行かせまいと抱きついているアラウ。俺がひんやりとした地面の冷たさを味わっていると、顔のすぐ横にしゃがんだクリアが、ポンポンと二度肩を叩いてきた。


「白か。お前らしいな」

「うん? それより……エンジ、大丈夫?」

「もう駄目かも。最後に、俺を殺めた奴の名前でも書いとくな」


 アラウっと。近くに落ちていた赤い液体で、床にダイイングメッセージを残す。誰にでも分かる、率直なメッセージだ。ああ、ついでにもう一つ。クリアは白っと。この白ってのは、クリアが無実って意味ではない。今日のパンツの色だ。……そういや、何だこの液体?


「エンジ。本当に大丈夫? たくさん、鼻血出てるよ?」

「お前のせいだろぉ!?」

「ひゃう!」


 床に落ちていた液体は、俺の血だった。アラウが俺を見て怖がっていたのも、鼻血を出したまま廊下を滑ったせいで、顔の下半分が血まみれだったからのようだ。俺はシャツの袖で、顔をゴシゴシと拭う。


「あ、元気そう。でも、無理しちゃ駄目だよ?」


 俺が勢い良く起き上がった際に、驚いて尻もちをついたクリアが、俺を心配していた。鼻血如きで無理も何もない。それに、他人事みたいに言ってるが、これはお前がやったんだ。真犯人である、お前がな。


 しかし……文句でも言ってやろうかと思ったが、あの約束がある以上、言うに言えない。油断していた所へ、背中からの強襲。勝利条件を考えると、正攻法とも言える正しい攻め方だ。クリアなら、そういった過激な手段でくる事はないと思っていたのだが。ま、多分本人は、そんなつもりではなかったんだろうがな。


 俺は、クリアにジトッとした視線を送った後、パンツ見えてるぞ、とささやかな反撃をし、もう一度、カイルとアラウの元へ向かう。


「失敬。怖がらせてしまったようだな。改めて自己紹介しよう。エンジだ」

「あ、エンジさんでしたか。闘技大会では、素晴らしい戦いを見せて頂き、ありがとうございます。正直、エンジさんの事も侮っていましたけど、ルーカス君をあそこまで追い詰めたあなたを、今は尊敬しています」


 ほう? 尊敬とな? ただまあ、真実を言うと、追い詰めたと言える程ではなかったのだが。


「サンキュ。ああ、そうそう。じゃあカイルの事……」

「慕っております!」

「お、おう」


 俺が言い切る前に、食い気味で答えてきた。何でまた? と続けて聞くと、アラウはカイルに完敗したあの日から、カイルに言われた言葉をずっと考えていたのだという。それから色々と悩み、試しもしたアラウが、最後に行き着いたのが、それを言った本人、自分が負けを認めたカイルだった。


 一度、思い浮かべてからは、日に日に忘れられなくなり、最初は尊敬や悔しさだったものが、次第に恋慕へと変わっていった。いつか、もう一度会いたい。会って話をしたい。そう思っていた所に、カイルという名前の臨時講師が、学園にいるという話。あとは、さっきまで俺が見ていた光景。見つけた瞬間、気持ちが抑えられなくなり、抱きついてしまったのだそうだ。


 ちなみに、ここまでの話。恥ずかしがりながらも、本人が全て話してくれた。カイルにちらちらと視線を送りつつ、どこか色っぽい表情で。う~む、何という猛攻だ。と、熱烈なアピールを受け、鼻の下を伸ばしているカイルの様子を伺っていると。


「え、うん。まあ、そうね! 俺も、君とまた話したいって、思っていたかな!」

「本当ですか!? 嬉しいです!」

「……ぱ~い」


 かなって何だ、かなって。それより……何だ? 今、何か聞こえたような。


「カイル様の講義、絶対受けに行きますね! ん~でも、それだけじゃなぁ。あ! そうだ! 今度のダンジョン攻略。私とパーティを組んで下さいよ!」

「あれか。その件は、エンジとも相談しておきたいが、多分、大丈夫だと思うぜ?」

「……ぱ~い。ぱ~い、ぱ~い!」


 ダンジョン攻略のパーティ編成は、学年問わず基本的に自由だ。さすがに生徒だけをダンジョン内に潜り込ませるのは危険だという理由から、どこか適当なパーティに、俺達も随伴する事になっている。先生らしく、数の足りない所にでも入ろうかと思っていたのだが……って、何だ!? やっぱり何か聞こえるな。おっぱい?


「薄暗いダンジョン。ものすご~く密着してしまう事もあるかもしれませんが、その時はごめんなさい」

「はは。それは仕方ないよ。仕方のない事。ちょっと皆からはぐれる事があっても、仕方のない事」

「カイル様……!」

「せんぱ~い! エンジせんぱ~い! カイルせんぱ~い!」


 先生と生徒の怪しいやり取り。空気の読める優しい俺が、いつキリルの話題を出してやろうかとそわそわしていると、煩い奴がどこからか走ってきた。その煩く迷惑な奴はノービスで、ノービスは俺達の前までやって来ると、俺とカイルを順番に見た後、少し悩み、口を開いた。


「カイル先輩! よろしくお願いします!」

「突然やってきたかと思えば、カイル様のお手を握るなんて! 誰なの! あなた!」

「むむ! もしかして、この学園の先輩ですか? ノービスと言います! このお二方の、一番弟子です!」

「いや、全く違うぞ?」


 俺とカイルは、同時に、同じ言葉で否定した。


「そんなぁ! せんぱ~い!」


 眉を八の形にして、俺とカイルに纏わり付くノービス。鬱陶しいので、じゃあもう、免許皆伝。これからは好きにしていいぞ、と言うと。


「私にはまだ! 先輩達のお力が必要です! 先輩いっぱい、おっぱいです!」


 と、頭の悪い事を言っていた。何だこいつ。一体何をしに来たんだ? 俺がそう思っていると。


「あ、そうだ! 先輩! パーティですよ! パーティ!」


 あ? パーティ? 勝手にやってろ。


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