第157話 地下帝国と学園のアイドル

 朝、か? 目が覚め暗い部屋に明かりを灯すと、ぼんやりと室内が明るくなった。日光も入らず、どこかすっきりとしない薄暗い部屋だが、場所が場所だけに仕方ない。


 ベッドから体を起こし、少し離れた位置にあるもう一つのベッドを見ると、ゆっくりと瞼を開ける男。どうやら、カイルも起きたようだ。二人して欠伸をしつつ、水を飲んだり、トイレに行ったり。そして、その後はもう一度ベッドへ。何もおかしな事などない。誰でも行うような、至って普通の朝の行動。ベッドに戻ったのを見るに、二度寝でも始めるのかな? と、言った所だ。


 全く。違う違う。いい大人の見本とも言うべき俺達が、二度寝なんて真似する訳ないだろう? 俺達は、そう。今日もお仕事頑張るぞ、と気を高めているのだ。この天井に広がる、満点の星空に勝るとも劣らない景色を眺めて。


「いい眺めだ……お? エンジ、あれ見てみろよ」

「ふぇ!? すげえな。今日も一日頑張ろう。ん?」


 こういうのもあるのか! 俺達には想像も出来なかったような、新しい流星を発見し、視線で追っていると、カツカツカツ、という階段を降りる音の後に、扉をノックする音。俺とカイルは顔を見合わせると、そういえば今日だったな、と同時に納得する。俺はベッドから体を起こし、扉の向こうの人物に対して、問いかけた。


「スカートの下」


 一呼吸置いて、その人物は答える。


「夏の大三角」


 よし、と俺は鍵を開け、扉の前で朗らかな表情をする老年の男を迎え入れた。挨拶もそこそこに、その老年の男は部屋に入り、天井を見上げると、口角を上げる。手入れの行き届いた口髭が、いびつに歪んだ。


「素晴らしい。君達は、天才だ」

「ゆっくりしていって下さい。今が旬の時間ですので」


 俺がそう言うと、老年の男はああ、とだけ呟き、口を半開きにして、天井を見上げていた。


 ……。


「ずっと、見ていたのですか?」

「ん? ああ、もうそんな時間か。じゃあ、そろそろ行くとしよう」


 気力も充実し、出勤の準備を終えた俺とカイルが寝室に入ると、老年の男はまだ天井を見ていた。そして、優しい笑顔を浮かべ、私はこの景色なら何時間でも見ていられそうだよ、と言う。俺達も、同じ気持ちです、と三人でもう一度天井を見上げると、カイルが何かに気づいた。


「エンジ。この星、見覚えないか?」

「本当だ。……何だ? 行ってみよう」


 俺達三人は、階段を登っていった。


 さて、階段を上がる間にでも、俺とカイルが寝泊まりしている、この場所の説明をしておこう。天才とまで言われた俺達が作った、素晴らしい空間。いや、魔導学園地下帝国のな。


 一見、何もおかしな所のない、ただの住居だ。寝室の他には、洗面所やトイレ、浴室。生活する上での基本的なものだけが揃った、住居。ただし、寝室の天井には、ある特殊な仕掛けが施してある。


 先程から、空だなんだと話しているが、ここは魔導学園の地下。つまり天井がある。しかし、なんとその天井は透けているのだ。ある特殊な魔法により、材質こそ全然違うものの、マジックミラーのようになっていると言えば、分かりやすいだろうか? 地上を歩く者からは、ただの地面に。地下にいる我々からは、透明な硝子のように。


 これで何が起きると思う? さすがにもう、お分かり頂けたのではないだろうか。あの寝室からは、通り掛かる女学生のスカートの中が、見えるという事だ! 何という画期的な発想。まだ寝室の一部分だけとは言え、生徒の安全を常に見守り、異常事態にも、この距離なら即対応可能。まだまだ世には出せない代物とは言え、あなた達は教師の鏡だ。そう言われる未来が、確かに見える。パンツも見える。


 ……男子学生? そんな鈍い輝きの星は、目に入ってこない。意識がいかない。星空を見ていると、つい明るくて大きな星や、星座ばかりを探してしまうだろ? それと同じだ。



 階段を登りきり、地上へと繋がる扉を静かに開ける。近くには誰の気配もしない。行くぞ? と、俺が後ろにいる二人に手で合図を出すと、俺達三人は、学園の二階へと続く階段の下の影からささっと飛び出した。本日も遅刻のない、完璧な出勤である。


「お? やっぱりノービスだったか」

「ああ。丁度真下からで顔が見えにくかったが、あの足、あの肉付き、あのパンツ。というか、何やってんだあいつ?」


 地下にいた時に、見覚えのある下半身が数人の男子学生に囲まれているのが見えたのだが、その下半身はやはりノービスだった。あいつだったら、ちょっかいをかけられても何とでも出来そうだが……と思いつつも、俺達は近付いていく。


「何だあれ?」

「さあ?」


 ノービスのいるその場所を中心に人垣が出来ており、俺達も一緒になってその光景を見る。そこでは、何かおかしな事が起こっていた。


「ノービス? 俺と一緒に素敵な学園生活。送らないか?」

「馬鹿お前! ノービスちゃんから離れろ!」

「女。黙って俺についてこい」

「君の輝き。僕の心にマジカルショット」

「え? そんな! 私!」


 いやんいやん、と頬に手を当て、体をくねらせるノービスに、そのノービスを取り囲み、言い寄っている男が四人。俺とカイルがアホ面を晒していると、俺達と一緒にいた老年の男が説明を始めた。


「あれは、マジカル・スマイルの四人だな」

「マジカル!」

「スマイル!?」


 現在の魔導学園において、アイドル的な人気を誇る男子生徒が五人いる。通称、マジカル・スマイル。金、顔、魔術の腕。少々の得手不得手があるとはいえ、彼らはそのどれもが高水準。将来を約束された、イケてるメンズ集団なのである。ん? メンズと集団って被ってるか?


「初めてなんだ! 俺がここまで心を動かされた相手は!」

「馬鹿! 俺の方が動かされてる! 胸の所にあった心が、今はふくらはぎの辺りにある!」

「お前は、俺を初めて無視した女」

「あの日の出会い、ハートブレイクショット」


 そいつらが何でノービスを? と思ったが、話をしばらく聞いていると、段々分かってきた。一昔前の、少女漫画のあれだ。確かに、ノービスは絶世の美女という訳でもない、元気で可愛い主人公タイプ。さらに、彼らに大した興味を示さなかった事が、マジカル・スマイルの面々の心を打ったようだ。それにしても、一日や二日でよくもまあ。そんな乙女主人公ノービスに、俺達がしてやれる事と言えば……。


「ぎゃはははは! あは、あははははっは!」

「マ、ジ、カ、ル! スマイルぅ! あははは!」


 俺達は、馬鹿笑いしていた。いや、こんなの笑うだろ。何だあの、あいつらの周りにあるキラキラオーラは。スキルか? 特殊なスキルだとでも言うのか!? さすがは、マジカル・スマイルだぜ! ……あれ? そういや。


「ぷくく。マジカル・スマイルって五人なんだよな? もう一人は?」


 ここまで来れば、残る一人もノービス狙いなんだろ? どこにいるんだ? それとも、これから出会うのか? ふと気になり、俺は老年の男に問いかけた。


「君達、笑いすぎだ。……うむ。最後の一人は、本人がそう言われるのを嫌っており、非公式扱いではあるのだが。いる事はいるよ。ああ、丁度来たようだね」


 そもそも、自分達がマジカル・スマイルと呼ばれる事を、あの四人は認めていたのか。老年の男が向いた方向を俺も見ると、その方向から、にわかに黄色い声が聞こえ始めた。お出ましのようだな。


「あ、ちょっと道を開けて。この騒ぎは一体?」


 どこかで聞き覚えのある声。面白いものを見つけたとばかりに、俺の足はすでに、そわそわと浮足立ち始めていた。そして、俺の近くにいた女生徒が、ぼそりと漏らす。


「あれ? もしかして、ルーカス君じゃない?」

「嘘! 普段は研究室に篭りきりで中々見られない、あのルーカス君!?」


 やはり……くっ、くく。駄目だ。我慢しろ。まだ早い。


「あれは、銀狼! ルーカス君! ああ、今日はなんて良い日なの! マジカル・スマイルの五人が一箇所に集まっている所を見られるなんて!」


 銀狼!? あ……もう、あかん。


「あは、あは、あはははは! あいつが最後の一人かよ!? しかも銀狼て!」

「うえ。ゲホ! ゲホ!」


 俺は笑いを堪えられなかった。カイルに至っては、むせてしまい苦しそうにしている。


「……エンジさん」

「あー! せんぱ……先生達! そこで何をしているんですか!」


 やべ。ルーツとノービスに見つかった。別に、悪い事はしていないが、どことなく居心地が悪い。というよりも、俺達に注目を向けられるのが嫌だ。


「では、また後で。例の件、お願いしますよ」

「今日はありがとう。また、伺う事にするよ。えっと、例の件というのはあれだね?」

「はい。最初に強く当たって……」

「後は、流れでお願いします」


 ニヤリとする老年の男と言葉を交わし、俺とカイルはその場から逃げ出した。ふふ、よろしくお願いしますよ。……学園長。





 ……。





「ノービス! もっと俺を見てくれ!」

「ノービスちゃん! 何でだ!?」

「ここまで、視界に入らないとはな」

「僕にもっと光を。シャインシャワー」

「……ノービス。説明しろ」


 俺とカイルの講義二日目。初日の、身内だけの落ち着いた雰囲気はなくなり、狭い講義室に、人が溢れかえっていた。昨日来た三人を除き、増えたのは、マジカル・スマイルとかいう、あの四人。


「皆さん! 何で追いかけてくるんですか! 私はあなた達に興味がないって言ってるでしょう!?」

「名前、まだ教えてなかったよな? 赤い翼、ノースって言うんだ。俺はやめない。君が振り向いてくれるまで!」

「青の荒波、イーストだ。追われるより、追う方が好きなんだ」

「闇影、サウス。黙って俺に抱かれろ」

「黄色い果実! ウエストだよ! 君の溢れ出る光、レインボウアーチ」

「ああ……もうやめて。先輩達に、嫌われる」


 俺とカイルは、こいつらを連れてきたと思われるノービスを睨んでいた。そして、私のせいじゃないんです……と、下を向いたノービスを見て、溜息を吐くと、俺は部屋にいる全員に向かって口を開いた。


「じゃあ、講義を始める。しかし、この部屋にこの人数は厳しいものがあるので、場所を移す事にする」


 当初考えていた講義はやめて、俺達は急遽、別の講義を行う事にした。場所は魔導学園が誇る修練場。室内だが、魔法を撃ったり、戦闘を行ったりしてもいい場所。来週はダンジョンにも潜るんだ。実践的な講義にしよう。そう、思ったのだ。決して、こいつら相手に真面目な講義をするのが面倒だと思った訳ではない。


「はーい。まずは皆の力を見てみようと思うので、模擬戦を。相手は誰でもいいから、順番に戦ってみてくれ」


 我ながら、いい案だと思う。これなら、俺達は見ているだけでいいし、適当なアドバイスをぱっぱと言っているだけで、時間を潰せる。


 そう、思っていたんだがな……。


「ちょっともう! 来ないで! 離れて、離れて!」

「ノービスは、そっけないな。他の女の子なら喜んでくれるのに」

「じゃあ、ノービスはどういう男なら振り向いてくれるの? こう言っちゃなんだけど、この学園に俺達より良い男なんていないぜ?」


 俺とカイルが気怠げに床に座った後、うるさい声のする方を見れば、ノービスが俺達の方をじっと見つめていた。そして。


「私より強い男です! ほらあの、先生達みたいな!」


 あ? おい……。俺とカイルがその言葉を聞き、ふいっと横に顔を逸らすが、つかつかと、こちらに向かって歩いてくる音が聞こえた。ノービスぅぅ!


「おい、先公。俺と勝負しろ」

「どこに行くんだ? あんたは俺と戦ってくれ」


 俺の目の前に、赤い翼。トイレトイレ~と、呟きながら立ったカイルの前に、青の荒波。俺とカイルがノービスの方を向くと、自分の頭をコツンとグーで叩き、てへり、と舌を出していた。ノービスぅぅ!


「やっだよ~ん! 馬鹿かお前。俺は講師だぞ? 戦う相手は俺じゃない」

「あ? 何だその態度? 俺の親がどういう立場にいるか分かっているのか? お前みたいな奴。すぐにこの学園から追い出す事も可能だぞ?」

「親の権力を持ち出すなんて、恥ずかしい奴だ。それに、お前こそ何も分かっていない。お前の親がどこの誰かは知らんが、俺に逆らうと、とんでもない奴らが出てくるぞ」


 これは、嘘ではない。


「お前……帰ったらパパに言いつけてやる。だが、その前に俺と戦え。戦わないなら、そうだなぁ。お前の後ろに隠れて座ってる、気の弱そうな女。俺の相手は、そいつにする」


 クリアか。俺はそれでも構わないし、元々そういう場ではあった。やりすぎても文句は言うなよ~とか、言っているが、やり過ぎる前に止める自信もある。しかし……俺はカイルと顔を見合わせ、一つ頷く。


「よし! じゃあこの俺、特別講師のエンジ君が相手してやる! 優しくしてくれよな!」

「痛いのは勘弁だ。程々に頼むぜ!」


 俺達は満面の笑みで、勝負を受けた。


「あ……君達。やめておいた方が」


 状況を見守っていたルーツが、初めて声をあげた。何かを感じ取ったのだろうか。だが、俺が何かを言うより早く、赤い翼がルーツに言う。


「銀狼。お前の強さは確かに認める。だが、今は黙ってろ。自分より弱い奴に何かを教わるなんて、俺の魂が許さねえ」

「おお。確かにその通りだ。俺もそう思う。魂が許さねえなんて、お前らくらいしか言えないぜ! という訳で、ルーカス君は横でおとなしく見ておいてくれよな」

「エ、エンジさん。あの」

「平気、平気」

「やり過ぎな……」

「平気、平気」


 何かを言いかけるルーツを遮り、俺は、赤い翼ノースと対峙する。俺達の安息を壊そうとする生意気なガキには、灸を据えてやらないと駄目だよなぁ? なあ、カイル? 俺と一瞬目が合ったカイルは、ぺろりと上唇を舌で舐めると、青の荒波の方へ向かって行った。


 特別講師二人と、マジカル・スマイル二人の戦いが、始まった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る