第155話 約束とおかしな言葉
「捕まえた……感動」
そう言って、俺の腹に頭をぐりぐりと押し付けてくるのは、何時ぞや出会った白い少女クリアだった。もう、出会う事はないかと思っていたのに、こんな所で再会してしまうとは。世界は広いのに、狭い。
「いや、捕まってないだろ」
再び会えた事自体は嬉しいが、俺はクリアを引き剥がし言う。
「捕まえた。……歓喜」
引き剥がされたクリアは無表情な顔で俺をじっと見つめると、捕まえたもん、と首を横に振った。これ、捕まえたって言えるか? こんなもん、自分の肩に偶然止まった小鳥に対して、これ私のペットなのって言うようなもんだぞ? まあ、何にせよ。
「今のは、認められないな」
「認めて? ……微笑」
言っても悪すぎる例えは頭の中だけに留めておき、俺は否定の言葉を口にする。久しぶりに会った者同士が挨拶もせずに、捕まえた、捕まえてない。認める、認められない。一体、何を言い合っているのか。それは。
「エンジ。捕まったら、何でも言う事聞くって言ったのに。あの約束は、嘘だったの? ……悲嘆」
この件である。俺が逃げ出したのも、この約束を思い出したからなんだが……やっぱり覚えてたのか。こいつだったら、そこまで無茶な要求はしてこないだろうが、何でも、という言葉には怖い響きがある。それに、俺を捕まえるという定義もはっきりとさせていないしな。と、卑怯な逃げ道を用意しつつ、俺は言う。
「嘘じゃない。でも、こんなのを捕まえたとは言わないだろ?」
「どうすれば、認める? ……困惑」
しかし、今回のこれはさすがに認められないが、このまま先の見えない追いかけっこを続けさせるのは、さすがに忍びない。俺も男だ。覚悟を決めよう。全裸で女生徒達の部屋に挨拶周りをしろと言われても、甘んじて受けよう。そう思い、具体的な案を示してやる事にした。
まず思いついたのは、約束を交わしたあの日の話の流れ。俺は悪人、牢にぶち込むなんてのはどうだ? と聞くと、それは私が嫌、と返された。それなら、と少し考え、俺は再び口を開いた。
「俺の身動きを取れなくする」
お遊びのようだが、平和的な解決が一番。それならどうだ? と問うと、クリアはこくりと頷いた。よしよし、やる気になっているようだが、俺がトロ臭いお前なんかに捕まる訳ないだろう? これで暫く安心だな。少なくとも、俺が学園を去る二週間くらいでは。悪いなクリア……と、俺が心の中で謝っていると。
「んしょ、んしょ。ふう。あ、エンジ。お外、晴れてるね」
どこから取り出したのか、俺の両手首に巻かれる細い紐。さっそく行動に移すのはいいと思う。だが、それで縛っているつもりか? ゆるゆるじゃねえか。俺の意識でも逸したかったのか? 下手くそすぎるだろ。
「……」
俺は無言で紐から手を抜き、その紐を素早くクリアの両手首に巻いていった。
「あ。駄目。……焦り」
そこまで強く縛ってないのに、全く解けそうにないクリア。さらに、もう一本余っていたので、それを足首に巻いておいた。ここには見当たらないが、後は口を塞ぐものでもあれば、完成だ。
「よし」
「エンジ、酷い。……悲しみ」
「酷くない。お前が俺にやろうとしていた事だ。というか、さっきからお前が言ってるそれ、何?」
「うん? ……困惑」
「それだよそれ。歓喜とか、困惑とか。誰かの変な影響でも受けたのか?」
「私、分かりづらいから」
話を聞くと、街が沈んでから暫くの間は、街の復興に協力していたらしい。家屋などは一から作るしかなかったが、あの商魂たくましい太った神父の働きで、湖が新たな観光地となり、すぐに軌道に乗った。その後で、魔法の勉強をするため、街を出てこの学園を目指したこいつは、道中、多くの人と話す機会があった。
クリアの事を知らない他人。一言二言、事務的な会話をするだけならまだいいが、少し打ち解け始めた人や、中にはぐいぐいと話しかけて来る奴もいた。喜んでいても、悲しんでいても、表情の変化が乏しかったこいつは、誤解される事が多く、それで相手を悲しませたり、怒らせたりする事もしばしばだったという。
それで始めたのが、先程から言っているこれだ。初対面の人間相手じゃ、言わない事も多いそうだが、自分の感情を相手に分かって欲しい時は、わざわざ言葉の尻につけているらしい。少し練習が必要だったようだが、今はもう自然に出て来るようになったと、本人は満足していた。……いや、不自然だからな?
「そんな練習するくらいなら、表情を動かす練習をしろよ」
「一人じゃ難しかった。エンジ、練習に付き合ってくれる? 私は、エンジと話している時が、一番心が動く」
「それはいいが……せっかく来たんだ。この学園の奴とも仲良くやれよ?」
うん。と、クリアは頷いた。いきなり教室から飛び出してしまったが、大丈夫なのか? ある意味で目立ちはしただろうが。
「エンジは、言わなくても分かる?」
「おう。何となくな」
「そっか。じゃあ、もうやめる」
俺がクリアの言ったその言葉に肯定すると、クリアは嬉しそうに微笑んだ。多分だけどな? お前の表情が分からなかった奴は、お前の事を分かろうとしなかった奴だ。旅先でのちょっとした会話で悩む必要なんてない。もっと、じっくりゆっくりと話せる相手を見つければいいんだ。ここは、その相手を見つけるには丁度いい場所だしな。
「最後に、もう一回だけ言ってみてくれ。変だとは思うが、お前もあれこれ悩んで出した答えだったんだろ? 聞納めだ」
俺が優しい顔でそう言うと、クリアは、んーっと頭を悩ませ始めた。突然何か話せって言われても難しいよな。そう言われれば、俺だって何を話すか悩む事もある。何でもいいんだ。何でも。
俺の顔を眺めていたクリアは、そうだ! と、何かを思いついた顔をした。
「エンジ、そのメガネ似合ってないね。……苦笑」
俺はニコリと笑うと、縛られたままのクリアを抱きかかえ、カイル先生がこれからの説明をしているはずの教室まで運び、転がした。何で縛られてるの!? 誘拐!? 体調不良は!? 僕も混ぜて欲しかった! そんな生徒達の声を背中に、俺は廊下に出る。
空いていた廊下の窓から、外にメガネを投げ捨て、この日俺は帰宅した。
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