第153話 パパパパ

 ゴクリと、息を飲む音。静かだった場内に、どよめきが生まれ始めた。今しがたの戦闘。全てをまともに目で追えた者は、観客の中にはいないだろう。何となくだけど、凄まじい戦い。概ね、そんな評価。それでも、静かな緊張と興奮が伝搬し、観客の視線は舞台に釘付けだった。


「し、勝者! 禿げた男! 挑戦する方はいらっしゃいます、か?」


 進行の声も尻すぼみになっていた。出てくるはずがない。でも、一応確認しておこう。そんな声色。歓声ではなく、どよめきが生まれているのは、ほとんどの観客が魔族の男に賭けていたからだ。いくら賭けていたか知らないけど、喜べるはずないよね。


 舞台の真ん中に男が戻ってくる。そして、誰も挑戦しそうにない雰囲気を感じ取ると、僕は歩き出した。僕にとっては、何の面白みもない、分かりきった結果だったけど、さすがに顔がニヤけるのを抑えられない。この後、どうするのかな? そっちは少し楽しみだ。





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「では! いらっしゃらないようですので……ん?」


 今回の競売を終わらせようとした進行の男に、少し焦った表情で駆け寄る者がいた。見る限り、主催者の一人のようだが。


「え? 嘘だろ? この男に?」


 正面を見つつも、横から聞こえてくる声に耳を傾ける。ぼそぼそと話しているようだが、この状態になった俺の耳は、普段よりはよく音を拾える。


「まずいな。じゃあ、あれをここで? だが、あの男の力も」

「それも含め、全てここで取り返すつもりのようだ。男が死ねば、あの魔族の女も返ってくる」


 汚い奴らだ。ま、そんな事もあるんじゃないかと予想はしてたがな……。


「お待たせしました! では、ここで! もはや恒例となりつつあります、特別試合を開始させて頂きます!」


 何度もここに来ている者達には、何が起きるか分かったのだろう。うるさい程に、歓声が起きる。


「禿げた男に挑戦者が現れた! その名も! ケルベロス君!」


 円形状の観客席の一部。観客の出入り口とは違う大きな扉があったのだが、その扉が開き始めた。ゴゴゴ、と地面をこする音を立てながら、開いた扉の先にいたのは、馬鹿でかい三つ首の犬。


「うおおっと! 元気満々のようだ! 今年は自信作! とある科学者を名乗る男から買い取りました! なんと、ケルベロス君。例年の怪物達を一噛みで食い殺しました。まさに、キング・オブ・モンスターと言えるでしょう!」


 普通、こういう賭け事では、胴元が絶対に儲かる仕組みになっている。控除や還元、確率。カジノであればVIPサービスも含め、緻密な計算がなされている。だが、ここではそのような緻密な計算はしていない。盛り上がる事が優先。次の試合がすぐに始まってしまう事などから、ある程度までしか計算が出来ないのだ。そこが魅力になり、大金を落としていく者も多いのだが……。


「誰か、俺に大金でも賭けた奴がいたのか?」


 鉄格子の向こうで、舌を出したケルベロス君を見ながら、考える。別におかしくはないが、先程の進行の青ざめた顔を見るに、予定になかった特別試合が急遽開かれる程、損をしたようだ。場内では、必死に主催者の人間達が、観客からの賭け金を聞き回っていた。ま、俺の溢れ出る物凄い何かに、一目惚れした奴がいたのだろう。俺は当然、そう結論づけた。


 分かる奴は、分かるもんだ。俺がうんうんと頷いていると、進行の男が側を横切った。そして。


「……くたばれ。あの女を取り返しにでも来たのだろう? お前が死ねば、解放を約束する」


 小さく、それだけを言うと、進行の男は去っていった。とことん予想通りの展開。俺は表情を変えず、男の背中を目で追った。ああ……なんて悪い奴。悪い奴らだな、マリア? お前らは、ただ黙って渡せば良かったんだ。そういう奴らだってのは分かってたし、こんな場所、好きでも何でもないけどよ?


 パパ! 卑怯な奴らは、やっつけなきゃね――。


「それが、トリガーだ」

「ん?」


 俺は、進行の男の背中に向けて、それだけを言った。


 ……。


「ケルベロス君! 入場! オッズは、なんと歴代最底の1.1! 特別試合での勝者は、確かに過去一人としていなかったが! これだと全然旨味はないぞ~!」


 鉄格子が開き、のそのそと舞台に向かって歩き始めた、三つ首の犬。ケルベロス君と言う名だが、おそらく、物語に登場するような伝説の怪物ではないだろう。よく見ると、強引に継ぎ接ぎされたような痕が、毛で覆われた首に残っている。科学者を名乗る男から、買い取ったと言っていたが。


「可哀想に」


 舞台の上に立っていた一人の男を見つけ、走り始めた怪物。ブルーウィは一言、そう言うと、同じように走り出した。


「さあ! 今夜のご飯は美味そうだ! 引き締まった肉体に、邪魔な髪の毛もなし! 骨までしゃぶってもいいんだぞ~!」


 今までは、静かに試合を見ていた進行の男が、なぜか実況していた。しかも、思い切り片方を優遇して。ブルーウィは、耳に入れながらも、怪物の迫りくる頭を避け、その頭を踏み台に、飛び上がる。


 ズガン。ズガンズガン。


 一つの頭が噛みつき、後の二つも少し遅れて同じ場所に噛み付く。男のいなくなっていたその地面は、一噛みで抉り取られていた。そのまま、ガリガリと噛み砕いた床を食べる怪物。


「こ、これはすごい! 骨をしゃぶるどころか、そのまま噛み砕いてしまうのではないでしょうか!? 皆さんも、その目に焼き付けて下さい! あ~んと口を開けたケルベロス君が、男を今か今かと待ち構える!」


 ブルーウィは、飛び上がったその先で、一度翼を広げる。そして、宙で数瞬静止した後に、急降下した。


「せめて一撃で眠れ。ドラゴンロアー」


 錐揉み回転をしながら降下する男。男の周囲には、火花のような魔力の残光がぱちぱちと音を立てる。


「どの首が男を捕まえるのか! 体は一つだが、咀嚼出来るのは三つの首の一つだけ! すまない! ケルベロス君!」


 轟音と衝撃。


「うおっとぉ! 派手だなぁ! おい! 私は、真ん中の首が食べたのだと思いま……あ、あれ? ケルベロス君?」


 床には大きなクレーター。ざあっと降り注ぐ赤い雨。その中心に立つのは一人の男。あれほど大きかった怪物は、もうどこにもいなかった。


「そんな! こんな事が!? まさかケルベロ……」

「ドラゴンブレス」


 クレーターの中心で俯いていた男が、すっと顔を上げたかと思うと、前のめりにパカっと開けた口の先に、魔力が集まる。そして、誰も理解が追いつかない状況のまま、男の顔前に出来た炎の玉は、撃ち出されていた。先程まで、進行の男がいた場所には、黒い焦げ痕だけが残っていた。


「は?」

「え? 何?」

「あれ? まさかあいつ」


 男は続けざまに、一人、二人と主催者の人間を灰にした。事態に気づき、逃げようとする観客には手を出さず、その豪腕と魔法で、次々に仕留めて回る男。それはまさに、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、といった光景だった。


「てめえ! よくもこんな真似を!」

「あの女がどうなってもいいのか!?」


 男は、その声を聞き、手を止める。ぞろぞろと、男を取り囲む主催者側の人間達。取り囲んだ者の一人が、ニヤリと口を開ける。


「くく、やはりあの女が狙いか。何を考えてるのか知らんが、暴れやがって。あの女はまだ、俺達の手中にあるんだぜ?」

「お前にも、あの女にも、死ぬまで働いてもらうからな」


 黙って話を聞いていたブルーウィは、男達から視線を逸らすと、ふんと鼻で笑った。


「そいつは出来ねえ相談だ。そこの暴れまわる禿げはともかく、この女には、マリアのママという大事な仕事があるのでね」

「その女は!?」


 ブルーウィが視線を逸した先にいたのは、魔族の女を抱きかかえたジェイサムだった。悪人どもの主催する、競売型デスマッチなんていう興行。一参加者への約束なんて、守られないかもしれない。マリアの母親を救出するために、二人は最初から表と裏。両方から攻めるつもりだったのだ。


「待ってたぜ。こっちは予想通りだったわ」

「これ、待ってたって言える状況か? 俺の方も、変なち○こを見ただけで、特に何も」

「変なち○こ?」

「ああ、先の方まで毛の生えたち○こだ。ストレスを与えると、いったん真っ白になってから、全部抜けたがな。随分と小さくなったよ」

「確かに変だ。あれは普通、ストレスを与えられると、大きくなるものだが……」


 取り囲んだ男達の前で、どうでもいい会話を交わす二人。マリアの母親は、恥ずかしげに顔を赤く染め、男達は怒りに顔を赤くしていた。


「んじゃ、先にママを連れて帰るな。手伝いはいらないだろう?」

「ちょっと待て。ママに会わせた時の、マリアの喜ぶ顔を見たい。お前が、こいつらをやっといてくれ」

「あ? てめえ、それじゃ俺が見れないだろうが!? 準備運動もバッチリなお前が、そのままやれや! ハゲドラゴン!」

「そこら中に血が落ちてんだろ? お前がやった方が早い。後な、前から言おうと思ってたんだが、お前はヴァンパイアなんて柄じゃないんだよ! 物語なんかじゃ、もっと美形でサラサラ髪の奴だっただろ! 何もかも反対じゃねえか! イメージ狂うんだよ!」

「クソトカゲが! 気にしている事を!」

「あ! 争わないで下さい! よく分かりませんが、皆で帰りましょう? マリアもその方がきっと喜びます!」


 マリアの母親が、そう言うと、睨み合っていたブルーウィとジェイサムは、表情を崩した。そうだな。確かにそうだ。二人は、先の事を思い浮かべ、笑い合うと、今にも襲い掛かろうとしていた男達の方へ向いた。


「邪魔をするな、ボケ共。邪魔をしなくても、お前らは死ぬんだがな」

「道を開けろ、クズ共。俺達は、マリアにとって、二人でパパなのだ」

「くう。お前ら、一体何者だ?」


 二人は顔を見合わせると、不敵に笑った。


「パパパパだ!」





 ===============





「くそ! 何だあいつらは! あんなの聞いてないぞ! 息子のマッシュも死んでいたし……一体、何が起こっているのだ!」


 街から出た所で、一人の男が悪態をついていた。場内はボロボロ、せっかく集めた手下も、おそらくは全員生きてはいない。男はひとしきり愚痴を吐き出すと、荷台に積んだものを見つめ、目を細める。


「まあ……いい。息子も手下も、また作ればいいだけの話だ」


 父性のようなものに目覚めたあの二人が聞けば、一瞬で死体にされそうな言葉。男は、自分の息子が死んだにも関わらず、そこまで落ち込んではいないようだった。


「これさえ、この金さえあれば、何とでも……誰だ!?」


 気配に気付き、男が振り向く。まさか? と、一瞬体が強張ったが、振り向いた先には一人の優男。男は安堵に、息を吐き出した。


「全く。あの二人は、詰めが甘いなぁ。壊すなら、外だけじゃなく内もでしょ。徹底的にやらないと、すぐにまた湧いてくるんだから」


 呑気な口調で近付いてくる優男。目的は知らないが、ここには自分の財産がある。男は、懐から刃物を取り出した。


「そのお金、僕のなんだけど?」

「はあ?」


 優男は、刃物には目もくれず、突拍子もない事を言いだした。沸々と、怒りが沸いてくるのが分かる。


「僕があの男に賭けたお金、まだ貰ってないんだけど? まあ、そんなものじゃ全然足りないけどね」


 おぼろげに、この優男が何を言っているのか分かってきた。この男は観客の一人。そして、あの禿げた男に金を賭けていた。さらに、優男の言葉を信用するなら、莫大な金を。この荷台にある分じゃ払えきれない? という事は、少しおかしな倍率になっていたのも、あの特別試合を行う必要が出てきたのも、全てこいつの……。


「お前ぇ! お前が! お前のせいで!」

「僕のせい? 僕は、真っ当な方法で、お前らを潰そうとしただけなんだけどなぁ。おっと。それ以上は、お金を落とすだけじゃ済まなくなるよ?」

「煩い! 死ねぇ!」


 向かってくるなら仕方ないよね。


「処刑ダイス」




 ……。




 無事、マリアの母親を助け出した後、二人の男とマリアの母親は、マリアがいる街に向かっていた。天災により滅んだ街。その街から、大きな砂時計のある街までは、そこまでの距離はない。ゆっくり雑談をしながら歩いていると、背中から馬車の音がした。


「乗ってく? もう、街の近くだしいいか」

「あん? あ! てめえ! 何でこんな所に! 何だその金!」

「マリアはどうした!? お前、あれほど目を離すなって言っただろうが!」


 喚き散らす二人。優男は、顔を背けつつ、二人を押し返す。そして、あれを見てみろよと、指を差した。


「パパだ! あ、でも……まあいいか! パパ~! ママ~!」


 指を差した先には、女神の声。二人の渋い男は、ニンマリと笑う。しかし。


「おお! よくやってくれた! やっぱり、あの男の組織は優秀だな! 頼んで良かったよ!」


 マリアの側には、本当のパパ、魔王が立っていた。


「ね? 僕が見てなくても安全でしょう?」


 優男が何か言っているが、二人の男達の耳には入らない。魔王が何でこっちの大陸に? だとか、そんな事もどうでもいい。その場に立ち止まってしまった二人は、合流し、嬉しそうに笑う家族をしばらく眺めると、来た道を引き返した。


「あ、あれ? パパ~! どこ行くの!?」


 後ろから、マリアの声が聞こえてくる。焦ったようなその声に、二人は立ち止まると、顔だけを後ろに向け、言った。


「俺達は、パパじゃない」

「そのおっさん一人じゃ危ない時は、俺達を呼べ。パパパパはいつでも、お前の味方だ……幸せにな」


 いつもの、渋い顔。優男シャッフルは、いつもよりさらに渋みを感じ、ブルーウィとジェイサムの背中を追う。


「おーい!」

「あ?」

「何だ?」


 そして、二人の間から、二人の肩に手を回し、言った。


「今日は、奢るよ!」


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