第144話 猫
私は影。アンチェインの裏方で働く者の一人。そもそも、アンチェイン自体が日陰者の集まりというか、日の当たる世界を、大手を振って歩けないような者達ばかりなのだが、その中でもさらに表に出る事のない存在。
仕事内容は、各地に散らばるメンバーへ、お館様からの魔力文書を届ける事と盗品の回収が主。この広い世界。ただでさえ、変わった物ばかりを盗んでくるよう依頼するお館様。何も、私一人でこの仕事を行っているわけではない。遥か昔から、親方様の家に仕えているというシノービ家。私も含め、その一族総出で事に当たっているのだ。
「来ちまったか……まあいいや。今回は捨てちまおう」
「今日は乗り気じゃないわね~。うん! 気付かなかった事にしようっと!」
「くんくん。んー、この依頼からは女の香りがしねえな、パスだ」
それでも、この仕事は本当に大変。親方様の嫌がらせのような文書から始まり、癖の強いメンバー。文書を読ませるだけでも一苦労だ。不在であろうと手紙を届ける、ただの郵便屋が羨ましい。私達の場合は、本部務めのある特殊なスキルを持つ者によって、すぐに行方をくらますメンバーの所在が分かるのだ。その分、文書を届けるだけでなく読ませるまでが仕事となっている。
「はぁ。またか」
私は、溜息をつき強引な手段を取る。
「おいい! 何て事しやがる! 物干し竿にぶら下がってるの、全部依頼文書じゃねえか! 俺の服はどこ行った!?」
「あら? 雨かしら? 違うわ! これは雨でも、紙の雨!? きゃああ! 埋もれるぅ~」
「ふぃ~。今日も快便、快便。ん? 何だか、紙がいつもより硬え気が……って、あほか! ケツが裂けるわ! こんなん!」
今日もまた、誰も見ていない、誰も褒めてくれない一仕事を終える。何だか虚しい。多くの人にとっては都市伝説のようなうちの組織。その組織のさらに影なんて。私は、この世界に存在しているのかな?
やめやめ。この仕事を続けていると、感傷的な気分になる時が、時たまある。幼い頃よりこの生き方しか知らない私だったけど、仕事を通じて世界を回る内、色々な種類の人間を見て回る内に、芽生えた感情。姉に相談してみると、そういう年頃なのよ、と知ったような口ぶりでピシャリ。
「おい、フェニクス。また体に何かついてんぞ? おしゃれのつもりだとしたら、センスがないな」
「んあ? 届かん。取ってくれ……あん? これ、あれじゃねえの? お前の仕事の」
「よし。それ以上言うな。俺は気付かなかった事にする。お前は普段のように颯爽と空に飛び立て。そのままどこかで落としてこい」
「アイサー。ま、俺様達は忙しいからな。すまんのう、親分とやら」
自分の存在。世界に認められるも、認められないも、自分の思い一つ。この件は、実はそこまで悩んでいるようなものでもない。私にとってはどっちでもいい事。
翼をばたつかせ、アホ面の鳥は勢い良く走り去っていった。鳥なのに、飛べと言われたのに、地面を走っている。それだって、私にとってはどっちでもいい。私は、地面にひらりと落ちたその紙を、拾い上げる。
こんな感情の起伏のない私だけど、そんな私にも、一つの大切な思いがある。こんな仕事についていなければ、まだ学園に通うような年齢の私。何となく分かるよね? そう、私には気になる人がいる。
「フェニクス君。周囲に敵影は?」
「対象サラ、見当たりません! 隊長! 今がチャンスです!」
「よし!」
厳しい仕事だけど、その合間を縫って、その人の元へ行く時だけは心が弾む。私は、半分灰になったその紙を、拾い上げる。中身くらい確認してよ。
「はーくしょいよいねんがらねんじゅう! ずず。おいエンジ、鼻かむもん何かないか?」
「今のくしゃみ? というか、お前って鼻とかかむんだ? ああ……そこに硬そうな紙があるだろ? それ使っていいぞ」
「ずず、ずずずず! ふん!」
今日こそはって思ってたのに、今日もまた、届ける事が出来なかったみたい。親方様からの依頼文書に重ねておいた、私の思いを綴った恋文。届いた所で、差出人なんて書いてないんだけどね。……それにしても、またあの鳥かぁ。何なのあいつ。本当に邪魔。男が出かけた後の部屋。私は、くしゃくしゃに丸められた紙を拾い上げ、いつかあの鳥を丸焼きにしてやろうと心に決める。あの位置は、あの男の隣は、私のものだ。透明な何かで、手がべたついた。
初めて見たのは、道を挟んだ向かいの屋根の上から。窓を開け、男は部屋で読書中だった。ここらでは余り見ない、でも何となく親近感のある顔つき。この世界で生きてきて、格好良いと言われる人達に対しても、今いちピンとこなかったが。長くも短くもない黒髪が、窓から入る風に揺られていた。
この人が、私が新しく担当する人。私は、なぜだか気になって、じっと見ていた。すると、黙々とページを捲っていた男が、笑った。ははっと、少年のような顔で。その瞬間、私の心臓が大きく脈を打った。
「来た」
「お前か。いつもご苦労さん。だが、もうちょっと愛想良くは出来ないのか」
「今回の依頼の品。早くよこす」
「……ほらよ」
「報酬は寝た後、枕元に」
「いや、なんでやねん」
いざ、男の目の前に立つと、ぶっきらぼうで、当たりが強くなってしまう私。こればかりは仕方ない。頭でどう思っても、口が上手く動かない。体は固い。
「今日も読んだ読んだ。そろそろ、窓閉めるか……ん? 何だ、また来たのか」
「にゃー」
私の一族が、この仕事を任されている一番の理由。私達は、特殊なスキルで一つの動物に変身する事が出来る。私の場合は猫。戦闘には向かないが、隠密行動にはうってつけなのだ。
「にゃ~ん」
「甘えん坊だな、お前は。よしよし」
この男が、すけべでうだつの上がらない男だという事はもう知っている。後から、嫌なところもたくさん見た。それでも、あの表情が忘れられない。意地悪に見えて、あ、本当に意地悪なんだけど、裏で色々と考えているのを見た。行動からは誤解されがちだが、優しい所もたくさん見た。
膝の上に乗り、読書をする男の顔を眺めるのが私の楽しみ。猫の私と遊んでくれる時は、普段は見せない優しい表情をする。それは私だけが知っている顔。この男に、こんな風に甘えられるのは、私だけの特権。
……。
「仕事。終わった?」
「うお! お前さ、いきなり近くに現れるのやめてくれない?」
「お疲れ様。早くこっちに渡す」
「へいへい。報酬は」
「枕元に」
数回の簡単な仕事を終えても、私と男の関係はそのまま。しかし、そんなある日。
だから何で? 今渡せばいいじゃん。男は小さく呟きつつも、私に盗品を渡す。私はそれを確認すると、男に背を向ける。
「そうだ。これやるよ。お前の登場の仕方は、毎度毎度心臓に悪い」
そう言って、男が投げてきたものは小さな鈴だった。本当はとっても嬉しかった。男は心臓に悪いと言ったが、私の心臓も、今はばくばくと危険な状態にある。
「可愛いから黙ってたんだけどさ。お前……俺が、魔力の見える魔法の目を持ってるって知ってるか?」
それでも、何とか無表情を取り繕い、鈴を大事に抱きしめると、何も言わずその場を離れた。男が最後に何を言ったのか。頭が熱くなり、何も理解出来なかった。……初めてのプレゼント。わーいわーい。
チリン。
「今日も来たのか。おっと! 何かお前、いつも以上に甘えん坊だな」
嬉しかった。本当に、嬉しかったの。
「お前って、オスとメスどっちなんだ? ちょっと見てもいいか?」
「にゃにゃ!?」
「嘘嘘。冗談だよ。……だって、お前それ。くく」
部屋の端までがむしゃらに逃げた私には、男の後に言った言葉は聞こえなかった。男は、なぜか私を見て笑う。私の体にどこかおかしな所でも?
「おーい、ネコ」
冗談だと言って、おいでおいでと手招きする男の懐へ、もう一度飛び込む。ネコって。そろそろ名前くらい付けてよ。私の名前を教えたい。私の名前を呼んで欲しい。でも、今は。
「俺は読みかけの奴があるから。暇になったら帰れよ」
私は、いつものように男の膝の上に乗り、体を丸めると、至福の時間を楽しむ。この時間だけは、嫌な事も全て忘れられる。私はページを捲り、柔らかく口を綻ばせた男の顔をじっと見る。
いつか、届くと良いな。
路地裏を駆ける、首に鈴をぶら下げた黒い猫。しゃんしゃんと、静かな夜に鈴の音が響いた。
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