第143話 もう一人の自分
夜の帳がおりた頃、暗闇に乗じて蠢く人影がちらほらと見え始めた。まるで巣から這い出てきた虫。大通りを避け、細く、狭く、出来る限り人目につかない道を好んで進んでいるのを見るに、何か後ろめたいものを抱えているのだろう。
それは、多くの者にとっての悪事。争いにおいて、どちらが正義なのか、どちらが悪なのか、あるいはどちらも正義で悪なのか。そう言った論争が繰り広げられる事があるが、その男にとって、そんな小難しい事は考える必要のない事だった。
「ワイを不快にさせたあいつらが、ワイにとっての悪。潰させてもらうで? ワイは……この街が好きなんや」
同じ顔をした男の、同じ言葉。両者の背景にある思いは違うが、向いている方向は同じだった。
「後手後手やんけ」
男は呟く。風の噂で、B家がA家に対して抗戦する構えを見せた事は聞いていたが、ちょっとゆっくりしすぎやな。いや、部下数人が返り討ちにあった翌日に、大規模な人数の投入。これはどちらかと言えば、A家の速さ、思い切りのよさを褒めるべきなんやろか? ……まあでも。
「感謝せえよ?」
ワイがこの街にいた事に。そして、ワイに顔が似とった事に。
ワイの仕事に『少し』の関係があるとは言え、関わらんでも完遂は容易やった。だが、自分にそっくりな男を見つけてしまった事で、気になった。興味を持った。首を突っ込む事にした。
しかし、今にして思えば、知っといて良かったとも思う。今、街を徘徊している奴らも、観光客にまで危害を加えるつもりはないようや。狙いはおそらく、B家とC家に関わる者、それを支える地元民。
「脅迫だけやのうて、ほんまに住民にも手出す気かいな」
綺麗なお姉ちゃんは好きや。のんびりとしたこの場所が好きや。そして、その街を形作っている暖かい人達が好きや。仕事が関わってなくても、こうなる事が分かっていれば、自分は関わっていただろう。
「さて……」
街の中心。この街で一番背の高い建物。それは住居ではなく、何かしらの塔なのだが、その頭の部分で街全体を見渡していた男が立ち上がる。
「血なまぐさいのは勘弁や。ま、骨折るくらいまでで頼むわ」
立ち上がった男は、人形に切り取られた紙を、ばらばらと宙に放り投げた。その紙は、男の一人言と一緒に風に乗り、街中に広がっていく。地面に落ちるか落ちないか、薄い魔力の光と共に、それは人の形を為していった。
「どこに行ってもそこにはお前。ライメア君、分身の夜」
本当は自分の姿を模したものだが、別にどっちでもいい。要はライメアだと認識される事が重要だ。街に放ったそいつらの中身は全て鬼なのだが、こういう形態を取ったのには理由がある。ちょっとしたお節介と、ちょっとした嫌がらせ。
「主様、悪い顔」
「くく。サービスやサービス」
男は嫌らしい笑みを浮かべると、塔から飛び降り、夜の街に姿を消す。男の首には、この世界では余り見ないような服を着た、小さな女の子がぶら下がっていた。
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「はあ、はあ」
俺は走っていた。だが、中々目的の場所に辿り着く事が出来ない。何故かと言うと……。
「ライメア! さっきは助かった!」
「うちの娘の危ない所を助けて頂き、ありがとうございます!」
「ライメア兄! あんなに強かったのかよ! もっと早く言っとけよな!」
やたらとお礼を言ってくる街の人達がいた。街に怪しい者達がうろついていると聞いた俺は、一にも二にもなく、リリーの家へと向かったのだが……一体何が起こっているんだ? 全く身に覚えがない。ここまで行く手を塞がれると、この人達も脅されているのではないかと疑ってしまうほどだ。
「ライメア君。その、ありがとう……あと、さっき言ってくれた事って本当?」
「ライメアさん。私、本当はあなたに憧れていたんです! でも、あなたにはリリー様がいたから……」
「ライメア? さっきの言葉、とっても嬉しかった。あなたから言ってくれたという事は、私はリリー様に遠慮しなくていいのよね?」
さらに、これだ。お礼とはまた違う理由で、女の子達に絡まれていた。……あれ? 君、俺の事好きだったんだ? 学園が一緒だったのは知ってるけど、全然気付かなかったよ。
って、今はそんな場合じゃない! 俺にはリリーが……俺の好きな奴はあいつなんだ。ごめん! 道を開けてくれー!
……。
何とかリリーの家に着くと、すでに見知った顔が何人か集まっていた。パン屋に、肉屋に、宿の受付のあいつ、雑貨屋のおじさん。その他、長い付き合いの皆が。
「来たか! ライメア!」
「水臭いぜ? 俺とお前の仲じゃねえか」
「ライメア? 言ったろ? 俺達にもっと頼れって」
「皆、何で」
話を聞くと、俺を脅迫しているあの男が、俺とリリーの仲を裂こうとしている事を、皆は薄々感づいていたらしい。ここ最近、頑張れだとか、迷惑をかけてもいいだとか、変に俺を心配する言葉をかけてくれていたのには、そういう背景があったのだ。
「ばーか。俺達はとっくに戦う覚悟は出来てたんだよ!」
「お前が耐えているうちは、お前を応援しておくつもりだったんだ」
今更、こんな事に気付くなんて。
「あの豚にリリーちゃんを取られるくらいなら、お前に渡した方がマシだぜ」
「俺は、諦めた訳じゃない。でもな? 俺は、結婚式で笑ってるリリーちゃんを見たいんだ」
こういう奴らもいる。が、何にせよ、ありがたい限りだ。
「悪い。迷惑かける……そんでもって、俺を、リリーを助けてくれ」
「やっと言ったか、こいつ」
「覚悟は出来てるさ」
俺は、礼を言った後、ちょっと泣いてしまった。それを、からかわれていると、ふと気になった事があった。それは、当初の目的。
「リリーは? あいつは家の中にいるのか?」
リリーの立場を考えると当然の事。相手がどんな手段を使ってくるかは知らないが、リリーを誘拐するという事も考えられる。怪しい者達の徘徊。それに加えて、先程の街での喧騒。もしかしたら、すでにあの男が何らかの動きを見せているかもしれないのだ。
「ライメア君。リリーと、一緒ではなかったのかい? 冗談はやめてくれ。本当は、近くにいるのだろう?」
俺の言葉に反応し、遠巻きに俺達を見ていたリリーの父親が、血の気の失せた顔で、俺に近付いてきた。……え?
「リリーは、君の姿を見たと言って追いかけていったのだが? 会って、ないのかい?」
嘘だろ? 俺の中に、冷たいものが落ちる。寒くもないのに、何かがゾワゾワと身を震わす。俺は、リリーの父親に向かって首を横に振ると、全力で走り出した。
「ライメア君!」
リリーの父親の言葉が背中に当たる。だが、俺は足を止める事はなく、何かに突き動かされるように、ただ足を動かした。頭が熱い。走る俺に、誰かが声をかけてくるが、もう何も聞こえなかった。
……。
「静かだな」
街はもっと混乱するはずだった。
「何で、誰も帰って来ない?」
あの男の屋敷の入口。俺は壁の反対側に潜み、二人の男の会話を聞いていた。何でここに来たのだろうか。リリーがここに来ているという保証もないのに。少しだけ冷えた頭で考える。でも……。
「きゃあ! 離して! 離してよ!」
俺はその男達の前に飛び出していた。俺はどうなってもいい。でも、もしリリーがここに連れ去られているのなら。そう思ったのだが、同じタイミングでリリーが一人の男に引きずられてきていた。
「へへっ! そこの茂みに隠れていたのを見つけたぜ? こいつだろ?」
「ん? お~。よくやっ……って、誰だお前は!」
「あれ? お前は」
状況が目まぐるしい。だが、ただ一つ分かるのは、俺はここに来て正解だったという事。
「あれ? ライメア? さっき屋敷の中に……あれれ?」
「リリーを離せぇ!」
突然現れた俺の、相手からしたら突然怒り狂った男の拳が、リリーを掴んでいた男の顔にめり込む。
「ふご!」
「リリー!」
頭が熱い。俺は男を殴り飛ばした後、リリーを力一杯抱きしめた。
「え、ライメア? あれ? ……へへ」
リリーが抱き返してくるのを感じると、俺の熱を帯びた頭は、幸せな気持ちで一杯になった。そして、後から考えると、とんでもない状況なのに、俺はそれを言った。
「リリー、好きだ!」
「へへ。ぐす。やっと、やっと言ってくれたね。私も、好き」
リリーが鼻を啜る音が聞こえる。互いに、抱きしめる力が強くなった気がした。体が溶けて混ざりそうだ。この世界には俺達しかいない。そんな多幸感に包まれていた。
「くぉらぁ! 目の前で何しとんじゃあ!」
俺達の世界を壊す無粋な声に、やっと俺達は体を解いた。今なら何でも出来る気がする。俺達を阻むものは、何であれぶち壊す。目の前にいる三人の男達を睨むと、俺は咆哮した。
「うおおおおぉぉぉ!」
がっ。
拳が人に当たる音。口の中を切ったのか、血が宙に舞った。何でも出来る。リリーのためなら何でも。今の俺にとって、怖いものなんて何もないのだ。
「痛い……」
「ライメア!」
俺は尻もちをついていた。怖いものなんて何もないが、殴られたのは俺だった。殴られた頬を擦りながら涙目になっている俺に、リリーが必死な顔をして駆け寄ってくる。
「もう! 無茶して!」
「だって」
「坊っちゃん育ちのあんたが、こんな奴らに勝てるわけないでしょう!? さ、早く逃げよう!」
格好悪いな。俺。でも、そんな俺でも、リリーは優しくしてくれる。それが伝わってくる。嬉しい気持ちの中、俺は冷静な部分も持っていた。……逃げるって言っても、どうやって?
「逃がすと思ってんのかよ!」
そうだよな。
「街に行った奴らは何してるか知らんが、こいつら二人を捕まえれば終わりなんだろ?」
やべえよ。
「リリー。俺が時間を稼ぐから……」
「駄目!」
すぐに拒否された。それくらいはやらせてくれよ。ここまで凄くみっともないんだからさ……。俺達が、どうしようどうしようと、互いに抱き合っていると、不思議な事が起こった。
「は~い。終了。解散」
「え」
俺が、屋敷の方から現れた。殴られて、頭のどこかがおかしくなったのだろうか。目の前にいる俺って、俺? リリーの方を伺うと、リリーも口をあんぐりと開けていた。俺の頭は、多分まだ大丈夫のようだ!
「誰だてめえ! ……ん? あれ?」
「悪い。俺、疲れてるみてえだ。ちょっと寝てくるから、後は任せていいか?」
「いや、お前よりも、俺の方がずっと疲れている自信がある」
男達も混乱していた。何やら大きな荷物を持った、もう一人の俺は、ニヤリと笑うと、口を開いた。
「解散や! 解散! ワイも、ここまでするつもりやなかってんけど、こいつの家の中で胸糞悪いもん一杯見つけてもうてな。潰す事にしたわ」
「は? 何言ってんだ? というか、何を?」
「家を。家ってか、名前? 家系? とにかく全部や。だから、もうこの男の下で働くのもやめた方がええで? というより、すでにもう給料出えへんで?」
「お前の横のでかい荷物。それは?」
「とりあえず、金になりそうな物から、あらゆる権利書の類。目についたもん全部や。あ、言っとくけど、これはワイのやで?」
「え? は? それよこせよ? よこせよぉぉぉ!」
眼前で繰り広げられる、もう一人の自分と、あの男の手下の会話。もう会話になっているのか怪しいそれを黙って見守っていると、男達はもう一人の俺に襲いかかった。話の流れを見るに、何となく、こうなるのも頷ける。……危ない! もう一人の俺ぇ!
主様に、汚い手で触れるな――。
鈴の鳴るような声が聞こえたかと思うと、男達は地面に突き刺さっていた。早く抜かないと息が出来なくなりそうだ。だが、まずはそれよりも。
「お前、誰だ?」
……。
「リリーに会いに来ました。今、あいつは部屋にいますか?」
「おお! ライメア君! 多分いると思うが、こんな真っ昼間から盛り上がるのはやめてくれよ? 来月の結婚式が終われば、私はもう何も言わん」
「はは。気をつけます。お義父さん」
男は、屋敷を悠々と歩いていく。悪徳貴族を潰し、見事に愛する女性を守りきった、今や、時の人。
「ライメア様、いらっしゃいませ」
男は廊下ですれ違った使用人に手を上げると、屋敷の奥に進んでいった。
「リリーに会いに来ました。今、あいつは部屋にいますか?」
「おお!? ライメア君? 多分いると思うが……って、あれ? 君さっきも来なかった?」
なぜか死人を見るような視線を、お義父さんから感じる。ん? さっきってのは昨日の事? お義父さん、昨日の事をさっきって言い始めるなんて、もう年なんだなぁ。
「ライメア! こんな所にいたのね! さっきは何で無視したのよ!」
「俺、今来たとこだけど?」
「もう! そうやってはぐらかして! どうせまた私以外の女の子に言い寄ってたんでしょう!? 結婚するのは私なのに!」
「違う違う。というか、それは誤解だって言ったじゃないか」
「街中の皆が、あれは絶対ライメアだって言ってたよ!」
「だからさ、あれはもう一人の俺が……」
何度説明すればいいのだろうか。こいつも一緒に見たはずなのに、もう一人の俺の存在を信じないでいる。あの、リリーを失った未来から来たとか言った、ものすごく強い俺を。
「もう! 私だけなんだからね!」
嫉妬するリリーは、それはそれで可愛い。だが、この状況を作り出した俺には、いや、もう一人の俺にはこの状況を何とかしてもらいたい。感謝はしてるんだけどね。
「た、たた! 大変です! 旦那様! 家宝がなくなっております!」
「なにぃ!?」
突然の悲報。口を開けて驚いていた俺とリリーは、目が合うと、口を揃えて言った。
「あ!」
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