第142話 そっくりな男
あなたは、私と結婚するのよ――。
殴られた頬を擦りながら、ベッドから身を起こす。ほとんど寝た気のしない頭で考えるのは、幼馴染の事。必死だけど、どこか頼りない表情で叫んでいたあいつ。昨日のリリーの言葉が、頭から離れない。
「しつこいんだよ……」
何度もそれは出来ないと言った。お前の事が嫌いだとも言った。荒い態度で接した。泣きそうな顔をするリリーに対して、追い打ちをかけるように口汚く罵った事もあった。それでもあいつは、俺から離れようとはしなかった。
何で? 何でなんだよ? こんな酷い男のどこがいいんだ。お前なら、他にもっと良い奴を見つけられるだろ? 実際、お前は知らないかもしれないけど、お前に憧れている男は結構いる。パン屋だって、肉屋だって、宿の受付をしているあいつだって。とにかく、俺が知っている限りでも、お前は引く手数多なんだ。だから。
「坊っちゃん? ライメア坊っちゃん?」
こんこんと、自室をノックする音が聞こえ、顔を上げる。
「何だ?」
「リリー様が、お見えになりました」
リリーが? あいつ、ここにはもう来るなって言ったのに……。俺はリリーに少し待ってもらうよう使用人に伝え、軽く準備を済ませた後、家を出た。
「おはよう! 傷は大丈夫?」
「こんなの、何でもない」
今度こそ、きつく言ってやろうとしたのに、会って早々心配そうな顔でペタペタと顔を触ってくるリリーを見ると、毒気がどこかに散っていた。昔からそうだ。喧嘩をした翌日も、こいつの笑顔を見ると怒っていた事が馬鹿らしくなった。不思議と許してしまう。彼女は、そんな不思議な魅力を持っている。
「でも、そうやって触られてると痛い」
「あ! そうだよね! ごめんね!」
へへっと笑うリリーを見ていると、俺の顔も自然と綻んでしまう。情けない男だよ。諦めるって決めたのにな。体全体を使って、楽しげに話す彼女を暫く眺めた後、俺は口を開いた。
「リリー。あのな」
駄目なんだよ。今回だけは。あいつらの嫌がらせも、すでに許容出来るものではなくなってきた。俺だけならまだいい。でも、このままじゃいずれお前にも。分かっているんだろう?
本当は、俺だってお前の事……。
「聞きたくない。聞かないから」
「あ、おい!」
俺の言いかけた言葉を遮り、リリーはててっと走っていく。雑貨屋のおじさんと話しているリリーに俺が追いつくと、おじさんが俺の顔を見るなり、ニヤリと笑った。
「二人で買い物かい? お熱いこって」
「それはそうよ! 私達、結婚するからね!」
俺ではなく、リリーが答えていた。
「それ、もう十年くらい聞いてる気がするな。本当にする気あんのか?」
「あるもん! ね? ライメア?」
俺は何も言えず、愛想笑いをする事しか出来なかった。その表情をどう捉えたのか、おじさんは茶化すように言った。
「リリーちゃん。もしかしたら、ライメアにはその気はないかもしれないぜ? だってこいつ、昨日綺麗なお姉ちゃん達に声をかけてたぞ? 飯でも一緒にどうだ? ってな。くく」
「え! ライメア!?」
驚いた表情で、リリーが俺を見る。だが、俺も驚いている。全く、身に覚えのない話だ。
「知らない。俺は何も知らないぞ?」
「むー! おじさん! そういう冗談はやめてよね!」
「あれ? でも確かにあれは……はは、悪い悪い。見間違いだったかな?」
リリーは俺を信じてくれているようで安心する。しかし、少し気になったのは、おじさんの態度からするに、作り話という訳でもなさそうだという事だ。長年付き合ってきたおじさんが、俺と誰かを見間違うなんて事があるのか?
「もう! おじさん嫌い! 行こう? ライメア」
「ああ」
未だ、訝しげな顔をするおじさんと別れると、俺はリリーと歩いて行く。気になる事は気になったのだが、俺は、今自分を悩ましてる件が頭の大半を占めていた事もあり、少し歩き出した頃にはもう忘れていた。
「お、デートか? いいね~。若いってのは」
「リリーちゃん。今更だけど、ライメアのどこが気に入ったんだい?」
「私達は、二人を応援しているからね~。負けるんじゃないよ!」
道行く人に、声をかけられる。この辺りは、俺達の事を昔から知っている人達ばかり。それももちろんあるのだが、リリーは特に皆から愛されている。愛想も良くて可愛い。それは当然だ。
「ライメア? リリーちゃんを泣かせるような事をしちゃ駄目だからね!」
「お前、本当頑張れよ? だが、挫けそうな時は、俺達を頼っていいんだからな?」
そして、こんな俺なんかにも優しく接してくれる。俺はそんなこの人達が、この街が、好きなんだ。
「ライメア?」
振り返ったリリーが、優しい笑顔を俺に向ける。俺はこの街を、目の前にあるこの笑顔を、壊したくないんだ。
……。
「父上? ライメアを連れてきました」
「来たか。入りなさい」
一体どこへ行くんだ? 俺が先を歩くリリーに尋ねると、リリーは私の家! と、笑顔で言った。父が呼んでる、とも。あの人苦手なんだよな~と思いつつも、行かない訳にもいかなかった。とりあえず、リリーに別れの言葉を言うのは後にして、リリーの家に向かった俺だったのだが。
「ライメア君。私は、君を幼い頃から知っている」
何を言うつもりなのだろうか。俺は黙って続きを待つ。
「もう私の子供みたいなものだ。信頼もしている。君なら、リリーの結婚相手として、私は認めているよ。リリーも喜んでくれるだろうしな」
「それは……」
先程、別れの挨拶をしようとしていました、とは言えなかった。
「私の所に届いたんだ。あの男、いや、あの豚からのリリーへの求婚の手紙が」
「え?」
豚……とはひどい言われようだが、おそらくそれは、リリーの父親の商売敵の事だろう。そして俺を脅迫している、あの男。
「あんな奴に渡すつもりなんて毛頭ない。君も、そう思ってくれているのだろう?」
あの男にリリーを……。それは絶対に許せる事ではない。だが、だがどうする? あれは随分と過激な男だと聞いている。実際に、俺への暴力もそうだし、リリーと別れないと、街の人へも危害を加えると脅してきた。
即答出来ない俺に対して、リリーの父親は朗らかに笑うと、こう言った。
「その傷……はは、聞かずとも君の気持ちは知っているさ。まさかここまで暴力的な手段を取ってくるとは思わなかったが、君はすでに襲ってきた者達を返り討ちにしたのだからね」
見直したよ。派手にやったようだが、もちろん罪には咎めない。向こうから、襲ってきたのだからね。君は何も悪くない。むしろよくやった。リリーの父親はそう言った。……え? 返り討ち?
「ちょ、ちょっと待っ」
「もう許さない。君を傷つけ、あまつさえ娘を渡せなどと……徹底抗戦だ!」
何が起こっているんだ!? 頭が追いつかない俺は、リリーの父親を止める事が出来ず、口をパクパクと動かすだけだった。
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ふぁ~あ。欠伸をして、ぐぐっと体を伸ばす。体に溜めた息を吐き出すと、ワイは昨日、囲んできた男共から聞き出した情報を整理していた。
「まさか、もう一人のワイが関わっとるとはな」
どんな街にも、権力を持った奴がいる。今回の場合は、勢力と言った方がええかもしれん。現在、この街の勢力を簡単に大きく三つに分けるとこうなる。街の四割ずつを、A家と、B家が。残り二割をC家が。
そして、特に目立った争いもなかったこの三家に、一つの火種。それは、B家とC家の子供が、結婚する。つまりは、B家とC家に繋がりが出来るって事や。そうなったからと言って、何も戦争しよう言うんやあらへんけど、A家は、それを面白う思ってないみたいやな。
「ふむ」
勢力争いなんて、観光に来たワイには関係のないことやけど、仕事の方ではこれが利用出来るかもしれへん。なんと、昨日見たワイのそっくりさんと、一緒にいた女は、まさにその火種そのものやったからや。
だが、ワイには政治の知識はない。なので、難しい事は考えず、この状況を分かりやすいものに置き換える事にした。あいつら、何やっけな……そうそう。ライメアとリリーは愛し合っている。男の態度はまだちょっと煮えきらんようやけど、これは聞き込んだ情報からも間違いない。そこに現れた、二人の恋を邪魔するA君。
「要は、三角関係って事やな」
愛し合ってるなら三角関係と言えるんか? まあいい。ライメアへの脅迫。それと、昨日襲われた事を考えるに、状況は二人にとって余りよくないようやしな。
「ちょっとやりすぎとちゃうか? A君」
A君の部下に行った、自分のやりすぎた行動は置いておき、男は先の予定を立てると、薄く笑った。
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