第135話 全てが終わったら

 嘘つき――。


 誰の言葉だっけ。ああ、思い……思い出せない。正確には、思い出せないと言うより、この言葉を俺に言った奴はたくさんいる。具体例を挙げられないだけだ。俺は、嘘をついているわけではないのに、嘘つきだと言われる。何でなんだろうな? 



 ちゅ、くちゅ、じゅると、湿った何かの音が聞こえた。それは俺の近く、近すぎる距離だ。


「これ、本当に合ってる? ガルル」

「絶対間違ってるの! グルル」


 ちゅく、はむ。ん。


 距離が近いというより、これは俺から発されてる音だな。間違いなく。さすがに、それくらいは分かる。理由は分からないが、俺は今。


「あ……」


 そいつの両肩を掴み、少し押しのけ、俺は言った。


「何してんの、お前?」


 目の前には、火照った頬にうるうるとした目。……俺は今、スピシーに濃厚なキスをされていたのだ。


「何してんの、お前?」


 俺は上半身を起こし、再度言う。それを聞いたスピシーが、俺に嬉しそうな、どこか褒めて欲しそうな顔をしながら、口を開いた。


「ジンコウコキュウ! ほらね? 皆! 言った通りだったでしょう?」


 人工呼吸? 人工呼吸って、あの人工呼吸? え……? 混乱する俺が、スピシーの表情を伺うと、その本人は、周りにいるファング達に、どう? すごいでしょう? と、自信満々な表情を見せていた。調子に乗っている所悪いが、ここは言わせてもらおう。


「スピシー。これ、人工呼吸とちゃう」

「え!」


 気道確保も何もあったもんじゃない。酸素を送られるどころか、塞がれていたぞ。全く、誰だよ? こんなアホみたいなやり方を、こいつに教えた馬鹿は。


「でも昔、エンジが」


 俺かぁ……。このおちゃめさんめぇ。もう忘れてしまったが、きっと俺以外の誰かに間違った人工呼吸をしているのを見て、笑うつもりだったんだろう。はは、許す。俺は俺を許した。


「やったー! エンジが生き返ったー! ガルル」


 おう。懐かしいな。だが、俺は多分一度も死んでいないぞ?


「こんなの絶対嘘! 私がエンジの血を舐めたから、エンジは助かったの! グルル」


 それはタイミングの問題だな。それより、お前そんな事したんだ? 前から狙ってたもんな? うまかったか?


「サンキュな」


 何はともあれ、こいつらが助けようとしてくれた事だけは分かる。キスも……まあ、それは茶目っ気が生んだ事故みたいなもんだし、人命救助だからな。ごちそうさん。それより、俺はあの後どうなったんだ? みっともない泣き顔をしていたナギに、俺は顔を向ける。


「えぐ。エンジィ。俺、やったよ。ぐす」


 そうか。無事に、水神は倒せたようだな。まあ、そうじゃなきゃ、俺は生きてはいないが。


「泣くなよ、英雄」


 簡単に、あの時の作戦を言うとこうだ。俺の魔法、マジックディスターブで、水神は魔力で出来た大蛇の頭を出せなくなった。一度だけならそれも可能だが、もう一つの魔法、ゆっくりと落ちるサンフォールが、新たに出現した大蛇の頭も粉々にする。そうすれば、後は剥き出しの本体だけだ。その本体を、ナギが仕留める。


 単純ではあるが、正直言うと賭けの要素も多かった。ナギが待てずに、飲み込まれた俺を助けようとしても駄目だし、水神の本体が倒せないような強さをもっているようなら、少々まずかった。ま、上手く言ったからいいのだが。


 それから、こんな広大で深い池に沈んだ俺を、どうやって救い出したかを聞くと、俺達を追いかける事にした獣人の皆さんが、一緒に探してくれたようだった。俺が周囲を見渡すと、びしょ濡れになった獣人達が、どこか照れ臭そうに笑っていた。ああいや、俺もめちゃくちゃ言ってすみませんでした。


 ナギは、引き上げられた俺が意識を失っているのを見ると、自分達では処置出来ないと判断し、スピシー達を呼びに行った。そして、今さっきまで、謎の救命措置が行われていたのである。俺の息が本当に止まっていたならば、今頃は死んでいただろう。もしかしたら、スピシーにとどめを刺されていたかもしれない。互いに悔やまれる死に方だな。



「いつでも、戻ってこいよ?」


 少しの休憩を挟み、俺達は村の入口にいた。今は、ナギとファング達が別れの挨拶を済ませていた。どちらでも構わないと俺は思っていたのだが、ファングとクロウは、村を出てアンチェインを続けるらしい。


「ここは、お前達の故郷なんだから」

「うん! またね! お姉ちゃん! ガルル」

「エンジの事は、私とファングに任せるの! グルル」

「おう。あいつの血を、この村に……頼んだぜ」


 何やら不穏な単語が出てきたな。俺は聞かなかった事にする。そっぽを向いていた俺に、そのナギが近付いてきた。


「エンジ、ありがとう」

「ああ」


 俺達は互いに笑い、握手だけをした。手を離すと、後ろを向いたナギの尻尾が俺に絡みついてくる。撫でるように、くすぐるように。これは何だ? 俺がそう聞くと。


「マーキング」


 ナギはそれだけ言った。それって、風呂に入っても取れないの? 変な事が気になる俺だった。


 そして、別れの時。俺達は、村を出て王国領に向かっていた。ここにいるのは四人だけ。水神を倒した事を伝えると、逃げ出していた獣人達も、村に帰っていった。やはり、住み慣れた所が一番らしい。


 それは、構わないのだが。


「エンジはね? その時、私に言ったの。メルトやレティが息をしていないなら、ジンコウコキュウを試せって。今にして思えば、あれは嘘だったのね」

「エンジ! 僕達がエンジと初めて会ったのはね! ガルル」

「エンジ……ちょっとだけ痛いかもしれないけど、頭叩くね? いい? グルル」


 道中。やたらと昔話を始める奴らがいた。別に、嘘じゃないぞ? ちょっとした誇張表現。正しいやり方を教えなかっただけだ。あと、頭を叩くのはやめろ。首と胴がお別れするかもしれないんだろ? いい訳ねえだろうが。


「ある日、エンジは言ったわ。私達勇者の下着を結んで、旗を作れって。それをテントの外に立てて、朝まで風に飛ばされていなければ、その三人はどんな逆風にも立ち向かえる。いい仲間になれる。俺の国のおまじないだ。なんて言ってね。今にして思えば、あれも嘘だったのね。だって私達、あの旗が失くなったって、いい仲間になれたもの」

「エンジ? お前は一生、俺の弟だ。そう言ったのを覚えてる? ガルル」

「疲れてない? また私の上、乗る? 気持ちよくしてあげるよ? グルル」


 ああ、それは嘘かもしれないな。それに違うんだ。あの時、旗は飛ばされたんじゃなくて俺が回収したんだ。悪いな。そして、ファング。話を捏造するのはやめろ。クロウは、もうちょっと言葉に気をつけような?


 どうやら、俺の記憶を取り戻そうとしているらしい。こいつらが、突然頑張りだした理由を、俺は知っている。それは先程、木陰で休憩していた時の話だ。


「エンジ……寝ているの?」

「きっと疲れていたんだよ! ガルル」

「エンジは頑張ったの! ゆっくり寝かせてあげるの! グルル」


 目を瞑り、俺はその会話を聞いていた。否定するのも面倒だし、実際にそこそこ疲れていたのは事実なので、俺はそのままでいる事にした。


「王国に帰ったらどうしましょう。ふふ、まずは報告ね。お父様、私、幸せになります」

「……何、言ってるの? グルル」


 スピシーの一言に、平和だった空気が歪む。


「あなたみたいな変態に、エンジがついていくはずないの! グルル」

「誰が変態よ! 将来の姉に向かって、それはいいすぎじゃない!?」

「あなたの妹になる予定なんてないの! グルル」


 そして、問答が始まった。関わりたくなかった俺は、寝たふりを続けていた。


「エンジの事を一番分かっているのは私! あなたとは、付き合ってきた長さが違うのよ!」

「今までずっと一緒にいた、みたいな言い方はやめるの! 基本的に、男の子は若い方が好きなの! 忘れられていたような女は、とっとと消えるの! グルル」


 眠ってなんていられない言い争い。女二人を黙らせたのは、側で見ていたファングだった。


「エンジの記憶を取り戻した人が一番! ガルル」


 という訳である。まあ、ファングが言う事も最もだな。理にかなっている。あの場面でよく言った。だが、聞こう。俺の意思は?


 それからも、魔族領を抜け、王国兵の詰めている砦が見えてきた辺りまで、その無駄な努力は続いた。俺は面倒なので、話半分に流す。どうすればいい? 俺はどうすればいいんだ。ああ、頼む。誰かこの状況を何とかしてくれ。


 ……何で無駄かって? だってそれは。


 俺の記憶、もう戻ってるしな。



 ……。



 私はそれを見て安心する。少し先には、王国兵達が詰めかける砦。全て終わった。今回は本当大変だった。死も覚悟した。それでも、私は帰ってこられたんだ。


 しかし、安心出来ない事もある。隣にいる男、エンジだ。私をここに帰してくれた人。愛する男。エンジをものにしない限りは、私の不安は収まらない。そのためには、まず記憶を……。


 でも、よく考えると、記憶を失ったままでも、王国には一緒に帰ってくれるだろう。お兄様への報告だってあるのだし、もしかしたら、行く宛も特にないかもしれない。そうなれば、何かと理由をつけて会いに来てもらえばいい。ううん。王城に住まわせてあげよう。それがいい。


 ふふ。クロウ? どうやら風は私に吹いているわ。


 私がその考えに至った時、少し強めの風が、私達を撫でた。背中から押されるように吹いたその風は、エンジの私物を運んでいく。


 焦ったように、追いかけるエンジ。しばらくすると、その風が止み、今度は逆風が、私達を襲った。襲ったと言っても、それほど強い風ではなかったが。


 エンジは、足元に落ちたそれを拾う。すると、砦の方向から、歩いて来た人がいるようだった。その人も、エンジと同じような姿勢をしていた。


「悪い! 拾ってくれてありがとう! それ、俺の大切なものなんだ!」

「お~。こちらこそ! 俺も、すっごく焦っちまったぜ!」


 互いに拾ったそれを掲げ、見せ合う。私は動揺してしまった。当然でしょう。だって、二人が手に持っていたもの、それは。……え? 何でそんなものを?


 あれは、女性の下着!?


「あれ? おいお前! エンジじゃねえか!」


 エンジのブラジャーを拾った男が、嬉しそうな表情を見せる。知り合い?


「お前は……」


 男のパンツを拾ったエンジが、怪訝な顔をする。エンジには記憶がない。相手は親しげだけど、あんな男が現れたくらいで……。


「カイル!? カイルじゃねえか! いや、助かった!」


 は? え? 分からない。認めたくない。……助かったって何? ああ、その下着の事? で? それ誰の? 驚き、何も言えないでいる私や、可愛い弟達の前で、エンジは続けざまに言いました。


「あ……全部、全部思い出したぁぁぁ!」

「何でよ!」

「ええ!?」

「ええ!?」



 ……。



「スピシー! あの男は誰だったの! 教えてよ!」

「ブルーベリーさんよ。詳しい事は、今の調べ物が終わったらね?」


 言ってはいけないと言われている訳ではないが、まだ時期ではない。それに、いくら親友とは言え、あまり教えたくはないなぁ。この娘は……おそらく私の敵。私、性格悪いの。知ってるでしょ? ごめんね、メルト。


「んん! RUN!」

「くぅ! やるわね! だったらこっちは! 式神! 鬼……プ、プレート隊長」

「何遊んでんだ、お前らぁ! 何がランだ! 誰が式神だ! 憧れるのもいいがな、お前らには、もっとやるべき事がある! ランニングでもしてこいやぁ!」

「ごめんなさい!」


 修練場にいる兵士達の脇を横切り、私はくすりと笑います。思い出してしまうのは、あいつの事。


「俺は、お前が嫌いだ」


 本当なら、とんでもなく苦しいその言葉。私はそれを聞いて、嬉しくなって笑ってしまいました。だって、私にそう言った男の顔も、笑っていたから。


「でも、私は好きよ?」


 男が少し苦い顔をします。そして、くく、本当誰だよお前、変わりすぎだ。と、呟くのが聞こえた後、いつものように、面倒臭そうに言いました。


「でもって何だよ。それだと、終わらねえじゃねえか、この話」

「終わらせない」


 はぁ。男は溜息をつきます。苛々とした溜息ではなく、どこか優しい溜息を。


「言っただろ? 全て終わらせたら帰るよ」

「嘘つき」

「本当だって。俺がやりたい事、やり残した事、『全て』が終わったらな?」

「嘘つき!」


 一度目と二度目、異なった意味での同じ言葉。


「ま、ここにいるカイル君が、俺の記憶を取り戻した。俺はカイルについていく。そういう話だっただろ?」


 何でそれを。この男、聞いていたのね?


「という訳で、ここでお別れだ。……ああ、そうだ。俺がさっき言った事、忘れないでくれよ?」


 魔王の息子の事? 忘れないわよ。あなたが言った事なら。でも、今はそんな事より!


「じゃあなスピシー。お前らも、後でプレハーブでな」


 男が背を向け、私を置いて逃げるように走り出しました。いえ、あれは逃げるようにというより、絶対逃げてる。私は、その背中に向かって、最後に叫びました。


「もう! 嘘つき! 嘘つき! 嘘つきぃ!」


 あと。


「だーい好き!」

 

 聞こえたのか、聞こえなかったのか。男の背中はどんどん小さくなっていきました。しばらくして、私も砦に向かって走り出します。私は、諦めるつもりなんてない。今回の事で、王国と、エンジが所属するアンチェインという組織に、繋がりがある事は分かった。しかも、それは思っているより、ずっと強い結びつきだ。


 待っていなさい。どこまでも、追いかけてやるんだから。


「嘘つきー!」


 大声で叫びながら、私は砦の中を駆け抜けました。


 兵の皆は、私の帰還を喜ぶより先に、ぽかんと口を開けていました。


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