第133話 落日
目の前で、ナギの体が水神に飲み込まれた。俺は走る速度を緩めず、魔法の目に魔力を通す。
「……いた」
水神の顔からやや下辺り、首の部分にナギの魔力が見えた。まだ大丈夫。ナギは死んではいない。水神が食べているのは肉体ではない、魔力だからだ。伝承にもあったように、目の前にいて、襲われなかったのはそのためだ。
水神が、俺の姿を捉え首を伸ばす。突き、なぎ払い、それらをひょいひょいと躱すと、滝壁まで俺は走った。水神が追ってくるのを横目で確かめると、ほとんど垂直なその壁を、突き出ていた足掛かりを伝って登り、最後に壁を蹴った。
「RUN」
壁を蹴る寸前に放った炎弾が、水神の顔に炸裂する。そして、一瞬俺の姿を見失った水神の首元、ナギがいるであろうその部分に飛んでいた俺は、続け様に、柄だけの剣を振るう。
「よし!」
大きな水音を立て、水神の首が落ちた。俺は、切り取られた首からナギを引きずり出し、その首を蹴って、地面がある所まで飛んだ。後ろを振り返ると、切り取った水神の首も、その先も綺麗に消えていた。
「やっぱりな……。くそ! おいナギ! 大丈夫か! 目を開けろ!」
ナギは目を開けない。それほど時間が経ってはいないはずだが、元々少ないナギの魔力は吸われていた。俺は胸に顔を当て、心音を確かめる。
良かった。ドクン、ドクンとナギの心臓の鼓動が聞こえる。死んではいない。ひとまず、俺はナギを池から少し離れた所に運び、また水際に戻る。
「さあ、出てこいよ」
俺が呟くと、水神はまた水面から顔を出した。切り取ったはずの顔も元通りだ。だが、それも予想通り。大蛇のように見えている体は、魔力で作ったこけおどし。それが俺以外にも見えている、そして、実体があると言う事は、この魔物が持つ、何らかの特殊な魔法だろう。
気付いたのは、水神の子を倒した時だ。最初は、中身がすかすかなだけかと思っていたが、あれほどの巨体を粉々にして、肉片や血が少なすぎたのだ。あの肉片と血は、おそらく水神の子を作り出す核のようなもの。こいつの本体の一部だったという訳だ。決して、子供なんぞではない。
「お前……怖いんだろ? 魔法を使える奴が。魔力を多く持った奴が。難儀なもんだよな? お前の餌は魔力なのに」
水神は俺を睨み、首をゆらゆらと揺らしていた。
「何が龍。何が水神。こんな田舎で、何も知らない住人を、いや、魔力の少ない獣人を騙して、調子に乗ってるだけの小者が。お前の正体は、物理攻撃が効かないだけの、ただの魔物だ」
通じてはいないだろう。だが、俺がそう煽ったタイミングで、水神は襲いかかってきた。
「可愛い妖精でも出てきたら、殺すのだけはやめてやる。ああ、言葉も通じたらな?」
本体を、引きずり出してやる。
マジック・マクロ キャパシティインクリーズ MLC RUN――。
……。
大きな水音、そして、水飛沫がぴちゃぴちゃと顔に当たっているのを感じ、俺は目を覚ました。自分の正気を疑った。
「RUN」
目の前に立っている男がそう言うと、半径5mはあるであろう炎弾が、いくつも飛んでいき、八つになった水神の頭を一斉に粉々にする。しばらくすると、また元通りになった頭が現れ、目の前の男、エンジに向かって大きな口を開ける。そうすると、また魔法で破壊される。その繰り返しだ。
もちろん、目の前で戦う男は凄まじい。魔術師とは聞いていたし、水神の子を容易くばらばらにしている所も見た事がある。まさかこれほどの魔法が使えるなんて。でも、それよりも……。
「頭が八つ!?」
「ん? 起きたか。良かった」
なぜ、そんなに気楽な口調なのか。この男は今、何を相手にしているか分かっているのだろうか。あの恐ろしかった水神が、増えているというのに。俺の驚く顔を見て、男は言った。
「心配ない。本体は一つだ。再構築に時間がかかっているし、もうそろそろだと思うんだけどな? あ、俺の魔力も、もうすぐ無くなるわ」
心配ないとは何だったのか。心配すぎる発言を残し、男はまた魔法を撃ち始めた。この状況だけを見れば、劣勢どころか、余裕すらあるのだが。
しばらく戦い続けた後、男は言った。
「ナギ。とどめはお前がさせ」
何を、言っているのだろう?
「俺の計算だと、このままじゃ魔力量で俺は負ける。今まで、どんだけ食ってきたんだか」
化物同士の戦いで、俺に何を期待しているのか。でも……。
「考えがある。ナギ、お前は俺を信じられるか?」
いつかもきいた台詞。
「……聞かせろ」
不敵に笑う目の前の男を見ていると、何でも出来そうな気がした。
……。
「さて、やるか」
覚悟は決まった。せっかく、ここまで相手の魔力を削ったのだ。失敗すれば死んでしまうだろうが、俺は後ろに立っているナギを信頼している。ここで、逃げるという選択肢はない。
「お前は、俺に何があろうと、さっき言った事を守れ」
「分かった」
「本当かぁ? 早まるなよ?」
「分かってるって」
チャンスは一度きり。俺は残っているほとんどの魔力を、それに回す。
「マジック・マクロ サン フォール」
太陽のような火の玉が、水神の頭上に出現した。それは、巨大過ぎると言っていい水神と五分の大きさ。俺はそれを打ち出した後、地面を蹴る。その火の玉を見た水神も、焦ったように頭を伸ばしてきた。
ナギ……後は頼んだぞ。
「え! エンジ!?」
俺は抵抗することなく、水神に飲み込まれた。
……意識が飛びそうになる。短いようで、長い時間。体からも、力が抜けてきた。おそらく、魔力が吸い取られているのだろう。
……だが、まだだ。俺はここでは終われない。俺がここで諦めたら、ナギが。それに、俺を送り出してくれた、あいつらも。
……早く、早く。
薄れ行く意識の中。遂に、俺は辿り着く。あれが……水神の本体!
RUN。
落ちろ、太陽! そして。
マジック・マクロ マジックディスターブ RUN。
俺は水神に触れた後、落ちる太陽が水神の八つの首を焼くのが見えた。
水神の本体、真っ黒な3m程の蛇が、俺を見ていた。はっ、やっぱり小者だったか。それに、何を勝ち誇った顔してやがる。俺達の……勝ちなんだよ。水神と呼ばれた魔物に中指を立てると、俺の体は、龍昇池の底に沈んでいった。
俺が意識を手放す寸前、黒い影が、水神の前に飛び出した気がした――。
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