第131話 最低限

 失敗しちゃった。やっぱり、俺なんかには無理だったよ――。


 俺の目の前には、全身に擦り傷を負ったナギが立っていた。軽い口調だが、目の端には涙が溜まり始めている。恥ずかしそうに笑ってはいるが、その表情は悲しい。一緒に来い、とは言えなかった。ナギがこの後どうするのか、どうしたいのか、想像が出来ていたからだ。


「仕方ないよな」


 ナギはそう言った。


「ファングとクロウの事、よろしく頼む」


 それだけを言うと、ナギは俺に背を向けた。俺が何を言おうと、ナギを止める事は出来ないだろう。強引に連れて行く事も出来るが、それじゃきっと駄目なんだ。今の俺が、ナギに言えるのは……。俺は、背中を見せているナギに向かって、口を開いた。


「雑草、いいじゃねえか」


 歩き出していたナギが、その瞬間だけ足を止めた。


「刈られても、踏まれても、しぶとく何度も何度も力強く生えてくる雑草。俺は、結構好きだぜ」


 ナギは顔だけをこちらに向けるように動かす。しかし、振り返る事はなく、そのまま走り去って行った。俺はナギの姿が消えるまで見届けた後、この村を出る準備を始めた。



「エンジさん。この度は本当に助かりました! 何とお礼を言ってよいのやら……」

「ああ」


 俺は宣言通り、水神の支配下に置かれた村人達を、村の外に逃がす事に成功した。正直、大した事はなかった。村を出る際には、水神の子と言われる奴らが、十匹程現れたが、そのほとんどは俺の魔法で砕け散り、スピシーにファングとクロウもいた。俺が教えた通りに戦うと、その三人も難なく水神の子を倒した。ファングとクロウは、話に聞いていたのと違う! と、驚いてはいたが、俺が説明をすると納得した。あの魔物には、小さなカラクリがあったのだ。


 この場にいる村人は、全体のおよそ六割。後の四割は、何かしらの理由で村を出ていく事を拒んだ者達だ。水神を信仰する村からも、何人かが来た事を考えると、まずまずの成果だと言えるだろう。


「お姉ちゃん。何で……。ガルル」

「お姉ちゃんにだって考えがあるの。でも……。グルル」


 俺達は、遠くに見える村の入口を眺めていた。この場にナギはいない。あいつは来なかった。


 魔法の練習を始めて二日目の深夜。遂に、ナギは魔法を習得した。ここにいる二人の天才は、勝手に出来るようになっていたという簡単な魔法ではあるが、その努力は認めたい。むしろ、こいつらの下手くそな説明で、よく習得したと言うべきだろう。


 その後、すぐにナギは川の向こうの村へ向かった。運も良かった。途中、小さめの水神の子が現れ、それを仕留めたのだという。そして、その死体の一部を持って、ナギは説得に向かったのだ。


 効果はあった。悩んでいた者達は、そのナギが持つ死体を見て、傷だらけの必死な様子を見て、村から逃げる事を決意した。先程言った何人か、というのがそれに当てはまる。だが、一人一人に村を出ない理由はある。ナギの両親を含め、全ての村人の説得は出来なかった。


 ……こうなる事は、分かっていたさ。


 俺は、今にも泣きそうなファングとクロウの頭に手を乗せ、言った。


「さて、俺の仕事はこれで終わったな。そっちの方向に真っ直ぐ行けば、俺達のような人間が大勢住んでいる、王国領だ。お前らなら、二日も歩けば着くだろう」

「……エンジ?」


 怪訝な表情をするスピシーに構わず、俺は言う。


「道中は、ファングとクロウがいる。魔王でも襲ってこない限り安心だ。そして、ここにいるその女、スピシーは王国の王女。後はこいつが、上手い事してくれるさ」

「ね、ねえ。何を言っているの? まるで」


 頼まれていた事はやりきった。最低限の仕事はした。後は、俺のわがままみたいなもんだ。


「俺は、ちょっと寄り道してくる」


 俺の意図なんて筒抜けだろう。別に、こんな遠回りな言い方をしなくてもいいんだけどな。直接言うのは気恥ずかしいというか、憚れるというか。


「それなら! 私も!」

「駄目だ」


 スピシーの言葉に、被せるように否定する。そして、同じ事を言おうとしていた、ファングとクロウにも、視線を向ける。


「駄目だ。俺の本来の仕事は、お前を王国に届ける事なんだよ。お前に何かあれば本末転倒だし、せっかく助けたこの人達が、魔物や魔族に襲われでもしたらどうする?」

「でも」

「それにな? さっき言った通り、多分、お前らじゃ水神との相性が悪いんだよ。ここは、俺一人で行かせてくれ」


 これは、命令に近い、お願いだ。だが、分かって欲しい。分かってくれると思っている。数瞬の沈黙の後、ファングとクロウが左右から俺の服の裾を引っ張り、俺が顔を向けると頷いていた。……後はスピシーだけだ。


 そのスピシーも、難しい顔をした後、一瞬、何かをこらえたような泣きそうな顔をし、最後に俺の顔を見据えると息を一つ吐き、仕方ないわね、と笑ってくれた。


「帰って来るのよね?」

「ああ」

「……ふふ。結局、助けるつもりだったんでしょう?」

「いや? 俺はただ、不快な蛇を焼いてやろうと思っただけだ」

「嘘つき。ちゃんと、帰ってきなさいよね?」

「もちろん。ちょっとやってみて、駄目そうなら逃げるさ」


 これは、本当にそう思っているし、そのつもりだ。記憶を失おうと、俺を支える何かは変わらない。変わったのかどうかも判断がつかないが、確かにそれは俺の中に残っていた。俺という人格、考え、行動を決める何かだ。俺は、いつ死んだっていいとは思っているが、死にたいとは思っていない。


「そんなあなたが好き」


 口癖のような、でも今回は少し違う、スピシーの言葉。


「変わってるな。いざとなったら逃げ出すような臆病者を、好きだなんて」

「ううん。そうじゃないよ」


 そう言うと、スピシーは無言で俺の方に近付いてくる。はにかみつつも、どこか上目遣いで。俺は、黙ってそれを眺めていた。


「あいや、待たれい!」


 その時、獣人の一人が声を上げた。俺の事を、水神の餌筆頭だとか抜かした、あの爺さんだ。


「すまんのう、お嬢さん。じゃが! 話は聞かせて貰った! これ以上、場が盛り上がる前に言わせて頂く!」


 俺に何かをするつもりだったのか、変態の行動は予測がつかないが、スピシーはぷく~っと、口を膨らませていた。


「エンジさん。それならワシらが、ここで待てばよいではないですか。皆も、少しくらい構わんよな?」


 爺さんの後ろにいる獣人達が、揃って首を縦に振る。


「それだと、俺が死んでたら……」


 どうするんだ? と、言い切る前に、スピシーが俺を睨む。悪い悪い。そんなつもりはないから。


「急ぐ事でもあるまい。ワシらはすでに、助けられたのだから。外の世界の常識を教えて頂ければ、ここで別れてもいいくらいじゃ」


 俺は考える。爺さんの言う事は最もなのだが、世界は思っているより複雑なのだ。特に、人間の世界は。それにここは魔族領。魔王軍と王国軍が停戦状態とは言え、何が起こるか分からない。説明だって、すぐに出来るようなものではない。


「二時間だ。二時間経っても、俺が戻って来なければ、お前らは先に行け」

「そんなに、短くて良いのか?」

「じゃあ、念のため三時間……って、違う違う。逆だよ。それだけ長く戦って、俺が生きている事なんてありえない」

「エンジ!」

「あー煩い。でも、そうなんだよ。決着は、もっと早いはずだ」


 もしも、最初から全力を出して戦ったなら、俺の魔法を考えるに、それこそ数分、数十分で戦いは終わる。どちらが勝つかは知らないがな。本当、不便な魔法ばっかだよ……。強力な魔法ってのは、リスクがあるのも当然かもしれないけどさ。もっと上手い事出来なかったの? 過去の俺?


「分かった。では三時間、ここでワシらは待たせて頂く。というよりも、本当はワシらがお願いする立場なのじゃがな。エンジさん、どうかよろしくお願いします」

「期待はしないでくれ」


 俺は最後に、スピシーの顔を見てから、寄り添うファング達の頭を撫でる。


「そんなに心配するな。ちゃんと帰るさ。『全て』が、終わったらな」


 俺は背を向けると、走り出す。


「……強くなったのね、エンジ」


 俺には届かなかったスピシーの呟きが、風に乗って流れていった。



 ……。



 龍昇池。今はそう呼ばれる場所に、俺は来ていた。池と湖の違いは、はっきりとはしないらしいが、感覚だけで言えば、湖に近い。あの魔物のカラクリは置いておき、水神の子、と呼ばれるあいつらでさえ、あのような大きさだったのだ。水神本体が住んでいるというなら、この大きさにも納得する。


 静かな水面を眺め、周囲を見渡す。この近くにはいない。一体どこに? いや、一体どこで? 俺は、逸る気持ちを抑え、池に沿って走る。


 しばらく走っていると、登ってきた時に見たようなものとは、比にならないくらいの、大きな滝が見えてきた。伝承だけを聞くと、この池が川の始まりだと思っていたが、どうやら違うらしい。


 水流がドドド、と大きな音を立て、水面を白く泡立てる。その、壮観とも言えるような、自然が作り出す偉大な光景と、大きな音とに掻き消され、最初は分からなかった。だが、そこにそいつらは、いた。


 水神の大きすぎる頭が、何かを捉えようとうねる。その何かは、俺がよく知っているもの。俺が探していた者。ナギだ。ナギは一人で、水神と戦っていた。俺は全力で走る。だが、俺が走り始めてすぐに、水神の頭がナギを吹き飛ばす。水切りのように水面を滑ったナギが、陸地まで飛ばされ、立ち上がったその瞬間。


 水神の大きな口が、ナギの眼前に迫っていた。


「あ……」

「ナギ!」


 俺の声に反応したナギが、こちらを向いた。そして、薄っすらと小さく笑ったかと思うと、ナギの全身は水神に飲み込まれた。


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