第130話 ナギ

 1魔法、1おっぱい。ナギは痴女ではなかった。俺が言った、多くの人は本気にしないであろう言葉を、律儀に守ろうとしていただけだった。


「お姉ちゃん! そうじゃないよ! こうだよ! ガルル」

「もう一度、よく見ておくの! こうなの! グルル」


 俺はナギに魔法を教える事にした。だが、俺の使用できる魔法の中に、ナギに合うような魔法は見つからなかった。適当に、初級魔法であるファイアボールなんかを教える事も出来たのだが、魔力量の少ないナギには、魔力を放出するような魔法はちょっとな。


「こうって……どう?」


 そこで、同じ獣人である、ファングとクロウに魔法を教えてもらう事にした。二人が得意とするのは、身体能力が上がる魔法。というより、それしか使っているのを見た事がないし、二人にとっては、大抵がそれだけで事足りるのだろう。二人の場合は、他の魔法も使えるようなのだが。


 その中で、今回ナギに教えているのは、体全体に魔力を通すのではなく、各部位の強化魔法。腕や足のみに魔力を集め、腕力や脚力を強化する、というものだ。魔力量も余りいらないし、魔力を外に撃ち出す事もない。ナギに教える魔法で、これ以上のものはないだろう。


「才能ないよ! お姉ちゃん! ガルル」

「私達は、教えて貰わなくても勝手に出来るようになってたの! グルル」

「う。天才のお前達と比べるなよ」


 川辺で魔法の練習をするナギ達を、俺は近くの岩に座り眺める。姉であるナギが弟妹に怒られていた。俺からしたら、感覚だけで教えようとしているファングとクロウもどうかと思うのだが、ナギは二人に怒る事もなく、むしろ楽しそうにしていた。


 ナギが突然、魔法を覚えたいと言った理由を、俺は考えていた。……そんなの、決まってるよな。


 流れる水が、俺の足をさらさらと撫でていく。



 ……。



「あれはもう、駄目かな?」


 少し話は戻る。俺は胸糞悪い気分を抱えつつ、水神を信仰する連中が集まる村から出て、歩いていた。


「それならそれで、俺はいいんだがな」


 これ以上、俺から言う事は何もない。最初から、そう決めていた事だ。唯一考えてしまうのは、ナギの事。あいつは、これからどうするのか。何を選ぶのか。しかし、それだって、俺が言える事は少ない。後はもう、本人の意思次第だ。


 村の入口が小さくなってきた頃、茂みを掻き分けるような音を立て、俺に近付いてくる者達がいた。その音は、先程の村があった方向から。俺は立ち止まり、振り返った。


「あの、エンジさん、と言いましたよね?」


 振り返ると、そこには三人の獣人が立っていた。初老の男女と、老人が一人。


「そうだが。お前らは?」

「私達は、あの娘の……ナギの親です」


 ペコリと頭を下げ、挨拶をしてきたのは、ナギの両親だった。そして横にいるのは、あの村の村長だという。紹介を受けた後、俺が黙って続きを待っていると、まずはナギの両親が口を開いた。


「あの子は、キング様に憧れているんです」


 キング。一人で様々な強大な魔物を倒し、村人達を率いていたという、この村に伝わる英雄だ。確か、最後は水神に飲み込まれたんだったか? 俺がそれを確認すると、ナギの両親は頷いた。


「私達は、あの娘の本当の親ではありません」


 俺は口を挟まず、黙って話の続きを聞いた。


 まず、ナギは英雄キングの子孫らしい。何十年、何百年経ったかは知らないが、それは間違いないとの事。外の世界を見る事の出来ないこの村にとっては、数少ない昔話。それは、実話であり娯楽だ。


 誰しもが、最初はキングに憧れた。もちろん、ナギもその一人。さらには、その血を引いていると言うのだ。両親は、いつも誇らしげにその話をした。ナギもその話を聞くのが好きだった。何度も何度も、両親にせがんだ。同じ年頃の友達には自慢した。


 英雄と崇められるような先祖に、憧れるのはよくある話だ。天才だ、神童だ、将来は偉大な人物になる。小さな頃だと、割と多くの子供が言われるであろうこの言葉。それは得てして、年齢の割に高IQだったり、他の子供よりも成長が早かったり、後は親の希望なんかが大半だ。その多くは、大人になるにつれ、周りとの差がなくなり、平凡になっていくものだが、ナギの場合は、それよりもさらにひどかった。


 ナギにはキングのような力はなかった。それどころか、並の獣人にすら、身体能力では劣り始めた。馬鹿にされた。衝突した。喧嘩した。いじめられ、塞ぎ込んでしまう時もあった。なんやかんや言いつつも、キングの血を引くナギが羨ましかったからだ。


 それでも、体と心は成長する。それが、良い方向か悪い方向かは置いておき、ナギはそんな自分を受け入れ始めていた。自分は特別ではない。どこにでもいる普通の、いや、自分は普通にすら届いているのだろうか? その頃のナギは、小さい頃の面影はなく、見ていてとても痛ましかったそうだ。


 転機は、ナギに弟妹が出来た事だった。それはもう、二人を可愛がった。自分を慕う、自分よりも弱い存在。守るべき存在。キングに憧れていたナギに取って、それは夢の欠片であり、拠り所でもあった。


 しかし、その二人は呪われた子だった。二人共がだ。それを聞いたナギは悲しんだ。泣いて泣いて、悔しんだ。でも、ナギはぶれなかった。いくら呪われた子と言われようが、ナギは庇った。ナギは二人に優しくし続けた。


 そんなある日、二人が村から離れた場所に隔離されてしまった。そういう決まりなのだ。大人に聞いても、誰も何も答えてはくれない。ナギは、毎日毎日探し回った。だが、子供の行動範囲なんてものは限られている。二人を見つける事は出来なかった。


 焦り、悲しむナギに、不幸は続く。ナギの両親が、いなくなった。


 父親は失踪し、母親は水神の子に飲み込まれた。誰かがそう言った。誰かが、それを見たのだという。呪われた子のせいだ。呪われた子を養うのが嫌になったんだ。それで、村から逃げようとした。心無い者達は、そんな事さえ言っていた。


 だが、ナギは両親を信頼していた。近くで見ていたのだ。両親は間違いなく、二人の弟妹を愛していた。きっと両親は、どこかで隔離されているという、二人を助けようとしたのだ。水神様に立ち向かったのだ、と。


 悲しい感情を必死に抑えつつ、幼いながらもナギは心に決める。二人の代わりに、自分が弟妹を見つけ出し、助け出すと。しかし、それから少しだけ成長したナギが見たものは、何かに無残に壊された跡が残る、小屋だった。


 ふらっと、何かに導かれるようにしてその小屋に入ると、見つけてしまう。少しだけ、背の高い人物の両手に、同じ背丈で同じ顔の子供が二人。すぐ近くにはお姉ちゃんという文字。見渡せば、至る所にそれはあった。それはおそらく、二人の弟妹が爪で書いたもの。壁に書かれた落書き。


 ナギは叫んだ。もうほとんどぼろぼろだったその小屋を、更に破壊し尽くした。そして、ナギは変わった。ナギの目的は、二人を助ける事ではなく、水神を殺すという事に。


「あの子が、村でなんと呼ばれているのかご存知ですか?」


 俺は首を横に振る。


「雑草、ですよ。お前は英雄なんかじゃない。どこにでもいる普通の子。どこでにも生えてきて、刈っても刈っても生えてきて、自分達に迷惑をかける、邪魔な草」


 俺は何も言わず、ナギの両親の言葉の続きを待った。そう言った二人の顔に、ナギに対する悪感情は見えなかったからだ。


「短くも、長くもない関係ですが……私達は、あの子を愛していますよ。それだけは、最初に言っておきます」


 嘘ではない。と、信じられるような思いを、俺は二人から感じた。


「こんな事になってしまって、少し嬉しいと思う気持ちがあるのです。好きな事をさせてあげたい。好きなように生きさせてあげたい。でも、このままじゃ、いつかあの子は死んでしまう。それならいっそ、村から出た方がいい。私達を恨んでもいい。どこでだって、楽しく生きててくれれば私達は満足なんです。……もう、私達の間に出来た子供のような事には、なってほしくないのです」


 そう言うと、母親は涙を流し、その場にうずくまってしまった。俺は二人に、一つだけ質問をする。


「なぜ、その事を俺に?」

「あの子を信用しているからですよ。そして、あの子が信用しているあなたを」

「俺とあいつは、まだ出会って間もないぞ? 悪巧みしている可能性だってある」


 母親を支えていた父親が、少しだけ笑った。


「今ので、余計に安心しました。本当の悪人は、そんな事聞かないですからね。それに、あなたが小悪党だろうと、ここで暮らすよりは、どこだってマシでしょう」


 世界には、死んだ方がいいと思えるような事もあるかもしれないぞ? 俺は、その言葉を飲み込んだ。実際、ナギが俺達と一緒に村を出たとして、別に何かしてやろうとは考えていないしな。


「あんた達は、来ないのか?」

「私達は……行きません。ここには、愛するもう一人の我が子が眠っているのです」

「そうか」


 そう決めているなら、俺は何も言わない。しかし、こういう話を聞かせるのは、ちょっとずるいよな。俺は鼻の上をかくと、口を開いた。


「もし、あいつが俺に付いてくるようなら、不幸にはさせない。少なくとも、俺の手ではな」

「ありがとうございます」

「任せろ。胸を揉ませて貰ったし、尻も撫でさせてもらったんだ。それくらいはな」

「……え? 出会ったばかりのはずじゃ」


 俺は話を打ち切るように視線を逸し、側にいた村長の方を向いた。


「今の話。もう少し詳し……」

「村長って言ったな? あんたも、話したい事があるのか?」

「うむ。今の話に、関係しとるかもしれん。実際に見てはいないので、確証はないがの」


 ナギに関係する話?


「呪われた子が、村に帰って来たそうじゃな?」



 ……。



「くそ! 出来ない! 俺にはやっぱり才能がないのかよ! ……でも」


 夜遅く。なかなか村に帰ってこないナギが気になって、俺が足を運ぶと、ナギはまだ一人で魔法の練習を続けていた。愚痴を吐きながらも、必死な顔で。俺はその姿を見ると、声をかけずに、その場を立ち去った。


 ナギがあんなにまで必死に、魔法を覚えたい理由。あの夫婦や、村にいる他の獣人達に思われているような、水神を殺すという事。それもあるだろう。でも、こいつはきっと、それだけじゃない。自分に才能がない事も、分かっているんだ。魔法を一つ二つ覚えた所で、どうしようもない事も。だから多分、こいつは。


 知らない奴なら、簡単に見捨てる事は出来るんだけどな。俺は自分に問いかける。


「はあ」


 自然と溜息が出た。


 ……俺達はもう、知り合ってしまったのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る