第129話 兄弟姉妹

「ああ……心配だわ」


 水神信仰をやめた村。その入口。地面に座る双子の獣人の目の前で、行ったり来たりを繰り返す女がいた。何かを考え込んでいたかと思うと、時折、はっと顔を上げ、あわあわと焦りだす。落ち着きがないとは、まさにこういう事を言うのだろう。


「やっぱり、私も付いていけば……ああでも、エンジに直接、弟達を任されたのだし」

「エンジなら大丈夫だよ! あと、僕はあなたをお姉ちゃんとは認めてないよ! ガルル」

「仮に水神が出たとしても、エンジなら軽くやっつけちゃうの! あと、私もあなたをお姉ちゃんとは認めてないの! むしろ敵! グルル」


 その言葉に、落ち着きがない女スピシーは、首を横に振る。


「ああ、可愛い弟達。そうではないの。私が心配しているのはね? あいつが、エンジが、どこぞの女を引っ掛けてこないか心配で……」


 その言葉に、ファングとクロウは無言になった後、顔を見合わせて、笑いだした。


「それこそ心配ないよ。用が済めばすぐに戻るって言ってたし。あと、僕は弟じゃないよ? ガルル」

「さすがに心配しすぎなの! それに、エンジが誰とどうなろうと、あなたには関係がないの! あと、私も妹じゃない! グルル」

「そうかしら……」


 油断は出来ない。今思い返せば、一緒に旅をしていた時、なぜかあいつには人が群がっていた気がする。巻き込まれていた、と言った方が正しいか。それが全員、女という訳ではない。行く街、行く街で、誰かしらに絡まれていた。悩み相談から、犯罪ぎりぎりのようなものまで。とにかく様々だ。


 話しかけやすい? 騙しやすい? それとも、ただの巻き込まれ体質なのか。あの時は、私も何も思わなかったけど、今なら何となく、その理由が分かる気がする。


 だって、この私が好きになった男なのだから。


「あ、お~い」

「エンジだ! ガルル」


 件の男、被告人エンジが帰ってきました。傍聴席にいる私達の姿を見つけ、ニヘラとした顔をしながら手を振っています。怪我もなく無事に帰ってきた事、悪い虫が周囲には飛んでいない事を確認すると、私はほっと胸を撫で下ろしました。どうやら、被告人は無罪放免……。


 ガササ。


「見つけた! エンジ! 胸! 私の胸を揉んで!」

「やっぱり!」

「ええ!?」

「ええ!?」


 ほらね。悪い予感というのは、どうしてこうも当たるのでしょうか。被告人エンジは逆転の末、見事有罪となりました。



 ……。



「やっぱりって、何?」

「もうもう! やっぱり!」


 スピシーは頬を膨らませ、む~っとうめき声を上げながら、俺を睨んでいた。むぅ……こいつの事はよく分からん。怒るスピシーから視線を逸し、横にいるファングとクロウを見ると、こちらも驚いた顔をして、俺を見ていた。何事だ?


「エンジ! 早く! 一刻も早く胸を揉めよ!」

「そうだった。お前も、何だよそれ」


 一刻も早くという言葉の続きが、胸を揉めなんて言葉に繋がる日が来るとは思わなかった。この世界もまだまだ捨てたもんじゃない。先程までは、少し暗い気持ちも抱えていたのだが、今は不思議とワクワクしていた。


「じゃあ、遠慮なく……ん?」


 胸に手を伸ばしかけた俺は、ファングとクロウの異変に気付き、腕を引っ込める。二人は、胸を触ろうとしている、邪な俺を止めようとしたのではない。その視線の方向はナギだった。その目は、今までに見た事がない程、敵対的な目をしていた。


「こいつは、ただの胸を触らせようとする痴女だ。俺とは別に、特別な関係ではな……」

「お姉ちゃん……。ガルル」

「お姉ちゃん……。グルル」

「お姉ちゃん?」


 すでにほとんど言ってしまった、俺の関係なさそうな話はなかった事にし、俺は真剣な表情をする。


「駄目よ! この子達のお姉ちゃんはわた……むぐ」


 状況を考えず、アホみたいな事を口走ろうとしたスピシーの口を抑える。俺に向かって胸を突き出し、こちらもまた、アホみたいなポーズを取っていたナギが、ファングとクロウに気付き、目を見開いた。


「ファング!? クロウ!?」


 ファングとクロウのおかしな雰囲気とは違い、ナギは笑顔になり、二人に駆け寄ろうとする。だが。


「僕達に近づくな! ガルル」

「それ以上近づけば、殺すの! グルル」

「あ……」


 随分と穏やかじゃないな。むふぅ、むふぅと怪しい息を吐いていた、顔を赤くしたスピシーの口から手を離すと、俺の手とスピシーの口には、何かしらの粘り気のある架け橋が出来ていた。何かしらのな。……こいつは、全く。俺は手をブンブンと振ると、ひとまず三人の間に入り、質問を投げかける。


「ナギ。この二人は、お前の弟と妹で間違いないな?」


 こくこくと、ナギは俺の顔を見て頷く。


「ファング、クロウ。こいつ……ナギは、お前らの姉なのか?」


 二人も頷いた。視線はまだ、俺の後ろにいるナギだ。


「そうか。それならまあ、言っておくか」


 出来る限り、気楽な雰囲気を心掛け、俺はファングとクロウに視線を合わせる。


「お前らは、姉ちゃんが嫌いか?」

「嫌いだよ。嫌いに決まってる! ガルル」

「お姉ちゃんも、お父さんもお母さんも、私達を捨てたの! グルル」


 それを聞いた俺は、ニッと笑い、二人の頭に手を置いた。


「勘違いだよ」



 ……。



 ある獣人の夫婦の元に、双子の子供が生まれた。男の子と女の子が一人ずつ。二人は、ファング、クロウと名付けられた。二人が生まれた事で、不幸になった者なんていなかった。優しい両親に、新たな生命の誕生に沸き立つその家族。二人は、祝福されて生まれてきたのだ。


 悪かったのは環境。呪われた村の風習だ。誰もそんな事、心の中では望んではいない。少し何かが違えば、喜ばれ、期待され。それほどの、とてつもない才能を二人は持っていた。しかし、この村では、それは呪われている証に他ならなかった。


 夫婦は足掻いた。今までは村の風習に身を預けはしていたが、やはり自分の子供となれば、話は違う。というよりも、自分達以外の皆も、心のどこかでは同じ疑問を持ち続けているはずなのだ。それが表面化しただけに過ぎない。実際、自分達がやろうとしている事に、誰も口を挟まなかった。見てみぬ振りをしてくれた。


 夫婦は焦った。小さな事から、様々な方法を試すも、上手くいかない。この事態を解決する事に時間の制限はないが、今にでもすぐに、それは起こる可能性はある。足早に過ぎていく時間の中で、夫婦は遂に覚悟した。


 村の外に、助けを求める。


 さすがに、その事は村の皆には言えなかった。引き止められるくらいならまだいい。だが、中には過激な考えを持つ者も、少数ではあるがいる。唯一言ったのは、村長に当たる男の父親にだけ。大きくなってきたとはいえ、自分達にはもう一人、愛する子供がいたからだ。


 良い作戦とは、決して言えるものではなかった。自分達が生き延びる事など、最初から諦めている内容だった。それでも、夫婦は一切の迷いもなく、自分達の身を投げ出した。子供達の事を思えば、自分達の命など何とも思わなかったからだ。


 単純な作戦。一人が囮になり、一人がその隙に村の外へ走る。本来であれば、上手くいくはずのない賭け。今までに、そんな事を試そうとした奴らが、何人、何十人いたのだろうか。囮になったのは母親だ。少しでも体力の多い父親が、助けを呼びに行く事にした。昔から伝わっている話も、多少はあるとはいえ、そこから先は未知の世界だったからだ。


 運が良かった。良すぎたと言ってもいい。それは快挙。思いが天に届いたのか、二人の覚悟がそれを導いたのか、男は村の外に逃げる事に成功した。その後も、男の強運は続く。まるで二人の子供達を、神が生かそうとしているのではないか、と思える程だ。あんな神気取りの魔物ではない、本当の神が。


 行く宛も分からず、勘のみに頼り、歩いた先に見つけたのは一人の人間。この世界の事を多少は知っている者なら、なぜこんな場所に人間が、と思っていただろう。だが、男は何も知らない。それどころか、何も考えられない程、弱っていた。最後は地面を這いずり、その人間に近付くと、男は言った。


「頼む。あの村から俺達の子供を、俺達の宝を、救ってくれ……!」


 男は、その人間に向かい、一方的に説明をした。問答している余裕なんてなかった。続いた男の強運、それは、その人間が興味を示した事。その人間が、一般的に言えるような悪人ではなかった事。何よりも、その人間が、男の頼みを難なくこなせる程の者だったという事だ。


「僕自身が動く事は、余りないのだけどね。その宝、盗ませてもらうよ」


 すでに限界は越えていた。男はその言葉を聞くと、幸せそうな顔で息を引き取った。



 ……。



「と、言う事らしいぞ? 良かったな、お前ら」


 最近寝不足でさ? と、友人にちょっとした悩みを言うような雰囲気で、俺はそう言った。俺の目の前にいるファングとクロウは、ぽかんと口を開け、間抜けな顔をしている。ぽんぽんと、二度頭を撫でるように叩くと、二人ははっとした顔をして、開けていた口を閉じた。


「軽い! エンジ、今の……俺にとっても、凄い重要な話だったような気がするんだけど!?」


 俺が話したのは、聞いた事実だけだ。話し始めて、一分も経ってはいないのではないだろうか。両親の気持ちなんて知らないし、どういうやり取りがあったかなんてものも、俺が知るはずない。ただ、こいつらの親がファングとクロウを助けるために命を投げ出し、アンチェインの誰かがそれに応えた。俺は、先程聞いたその話を簡潔に伝えただけだ。


「軽いって、アホか。何で俺まで、重い気持ちで話さなきゃならねえんだよ」

「え? あ……そうだけど、何となくさ」


 俺は溜息を吐き、ナギの顔を見る。


「こういう話は然るべき時に? ファングとクロウがもっと大人になってから? 今はまだ、勘違いをさせておく? ああそれか、俺が死ぬ寸前なんかの、もっと盛り上がる場面で言えば良いのか?」


 死ぬ寸前が盛り上がるとは限らないけどな。どこぞでひっそりと……うわ、この話はやめやめ。


「そういう訳では、ないけど」

「ないけど、何だよ」

「う……ごめん」


 違う違う。別にお前を責めようってんじゃないんだ。ただ、俺の考えはな……俺は一度目を瞑り、小さく息を吐くと、出来る限り優しい口調を心がけ、話し始めた。


「俺はな、こういう辛気臭い話ほど、気楽に伝えてやればいいと思うんだよ。簡潔、簡単にな。それともお前は、この二人を泣かせでもしたかったのか? ……お前らも、こんな話は聞きたくなかった?」


 俺はナギが首を横に振るのを見ると、ファングとクロウの方にも顔を向ける。少しあっけらかんとしていた二人も、俺の言葉には首を横に振った。


「そうだろ? いいんだよ。こういう事は伝えてしまえば。時には、タイミングが重要な話もあるがな。俺の中では、それは、この話には当てはまらない」


 子供にはまだ早い。こいつでは理解できない。じゃあいつ言うんだよ。大抵の事は、それを思い至った時に言った方がいいと、俺は思う。子供は、大人が思っているより子供ではないし、それを伝えて壊れてしまうような事もない。それがその時に理解出来なくとも、後になって思うのだ。あの時、言ってくれて良かった、と。少なくとも、俺ならそう考える。


「だからな。ナギ達は、お前ら二人を捨てたんじゃない。もう一回言うぞ? お前らは勘違いをしていただけだ。良かったな」


 俺がそう言うと、二人はナギを見た後、顔を見合わせていた。そして。


「お姉ちゃん! さっきはごめんね! ガルル」

「お姉ちゃん! ごめん! 好きー! グルル」

「ぐす。俺も、俺もお前らの事が……」


 ナギが泣いてしまった。まあ、『先程』ナギの話も聞いてきたし、気持ちが分からない訳ではない。積もる話もあるだろう……少し離れるか。俺はスピシーに視線を飛ばすと、恥ずかしそうに頬を赤らめた。おい、それは俺が期待したような反応ではない。


「やっぱり、エンジは僕のお兄ちゃん! ガルル」

「お兄ちゃんとお姉ちゃんが揃ったの! やったの! でも私は、お兄ちゃんの方が好きなの! グルル」


 感動の再会。二人を抱きしめようとしたナギの腕をすり抜け、ファングとクロウが俺の元へ、とてとてとやってきていた。まあ、よく考えれば、ファングとクロウにとっては感動というほどではないか。まだ小さい時の話だからな。勘違いを正されただけだ。


「ぐす。エンジィ」

「俺は特に何もしてない。せっかくだから、お姉ちゃんに甘えてきたらどうだ?」

「僕、もうそんな子供じゃない! ガルル」

「私も! それに甘えるならエンジがいい! グルル」


 少し恨めしそうな顔で、ナギに睨まれる。知らんがな。


「駄目よ! エンジに甘えるのは私なんだから! 私をお姉ちゃんと認めなさい。そうすれば、少しは見逃してあげるけど?」

「嫌!」

「嫌!」


 この変態が喋ると、基本的に場が荒れるな。段々分かってきた。ここは、とりあえず。


「いい加減にしろ。変態女」


 俺の言葉に、ナギが反応していた。


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