第127話 道中
「はふぅ~。待って、待ってってば! 怒らないから! もう、怒ってないから! だから待って~。はふ、はふ」
息を切らし、情けない声を上げながら、俺の後を追っかけてくる獣人がいた。いや、本当に獣人なのだろうか? 獣人の身体能力は軒並み高いと聞いていたが、どう見ても、俺より体力がない。身体強化の魔法を使っている俺の速さに付いてくるのはさすがと言えるのだが、ファングとクロウに比べると、悲しいまでに差があった。
ちっ……しゃあねえな。俺は立ち止まる。そもそも怒られる謂れはないが、怒らないと本人は言っている。それに、汗をだらだらとかきつつ、ヘロヘロになりながらも追いかけてくるそいつを見て、少し心が痛んだのだ。振り返り、俺が待っていると分かると、そいつは嬉しそうな顔をして、尻尾を振っていた。
「おっしゃ! とか、お前言ってたよな?」
「知らない」
俺は怒られていた。話が違う。弱みを見せたらすぐこれだ。都会だろうと田舎だろうと関係ない。奪い、奪われ。騙し、騙され。いつから世界はこんな風になってしまったのだろうか。いつだったか、人の良さそうな八百屋のおやじにも、りんごを投げられた経験もある……ああ。あれは俺が悪かったっけ。
「水もそこまで浅くなかったし、受け止めた方が危険だと思ったんだ」
「それは……そうかもしれないが、流されて行ったのは止めてくれよ! それが無理でも、せめて助け起こしに来いよ!」
「濡れるじゃん」
「人を助ける事が優先だろ! 普通!」
価値観は人それぞれ。勝手に決めつけるな。大体、あれくらいの小さな滝で何を言ってるんだこいつは。あんなん、子供が飛び込んで遊んでてもおかしくないような高さだったぞ。
「鮫いるじゃん」
「いねーよ! あんな川に!」
「鰐……」
「鮫も鰐もいねえんだよ! 見たら分かるだろ!」
んだよ、こいつよぉ。やっぱ止まってやるんじゃなかった。しかし……。
俺達は二人並んで歩いていた。何も言わず付いてくる事を考えるに、こいつも行き先は同じなのだろう。こいつが何者なのかは知らないが、目的を考えると知り合いを作っておいて損はない。未だ、ねちねちと絡んでくるこいつに、俺は仕方なく付き合う。
「そこはやれよ! もしかしたらそこには、甘酸っぱいボーイミーツガールがあったかもしれねえじゃねえか!」
「間に合っている」
むしろ食傷気味だ。たった一人の、変態のせいでな。あれからも、細々と大変だった。ちなみにその変態には、ファングとクロウの側にいてもらう事にした。寂しそうな顔をしていたが、さすがに、あいつらを連れて行くのは危険だと判断した。俺を兄と慕うファングに対して、完全に姉気取りなスピシーに、このお姉ちゃんも危ないよ! と、言ってはいたが。
「嘘つくなよ! この世の全てが面倒だ、みたいな生気のない顔しやがって。お前みたいな奴に、そんな相手がいるはずないだろうが!」
お前だよ、お前。面倒そうな顔はお前に向けてんだよ。気付け。
「馬鹿言え。一国のお姫様だって俺の手にかかればなぁ……あれ? お前女だったのか?」
口調から、何となく男だと思ってたわ。というか、今更だが甘酸っぱいボーイミーツガールって何だよ……。何を期待してんだ、こいつは。
「確かに俺は、男勝りな性格だとよく言われるが、それはあんまりだろ! なんなら確かめてみるか!?」
「悪いな。じゃあ、遠慮なく」
俺は間髪入れず、胸を揉み、尻を撫でた。
「ちょ! やん!」
「あ、ほんとだ」
「馬鹿! あ、ほんとだ。じゃねえよ! 本当に確かめる奴があるか!」
「え? だってお前が」
「言葉の綾だろうが! 話の流れだろうが! それに、何で胸も尻も両方触ってんだよ! どっちかで判断出来ただろ!?」
「そうかもしれない。でもさ、一撫での尻じゃ分かりづらいかもな?」
「何を疑問に思ってんだ! 一撫での尻って何だ! だったら、余計に胸だけで良かっただろうが!」
煩い奴だ。自分の言った言葉には責任を持てよ。
「一つ言っておく。俺は自分で見た事、自身で経験した事しか信じない。人に聞かされるあれこれなんて、何の役にも立ちはしない。そんなのは、頭の片隅にでも置いておくのが丁度いいんだ」
俺は怒るそいつの肩に手を乗せ、真剣な表情で語る。
すぐに手を払いのけられる。
「格好良いこと言って、ごまかしてんじゃねえよ! さっき俺の胸を揉んだ時、お前の顔ニヤけてたぞ!」
「ああ……それは、外の一般的な挨拶みたいなものだ。おはようと言えば、おはようと返す。胸を揉ませて貰えれば、笑顔を返す。お前は、こんな田舎にずっと住んでて知らないだろうけどな」
「嘘つけ! え? でも、本当に……?」
俺は何も言わず、頷きだけを返した。
「ああもう! 何を言ってものらりくらり! 大体誰だお前は! どうやってここにきた!」
気付くのが遅いんだよ。だがまあ、やっと本題に入る事が出来そうだ。
「山を越え、谷を越え、行き着いた先は、おかしな風習に身を預ける、獣人の村だった。辿り着いた者の名はエンジ。そのエンジは今、煩くて面倒な女に絡まれていた。気乗りはしないが、エンジはその女に名を尋ねる」
「おいい! 何で物語風!? おかしな風習ってのも……あんまりだし、煩くて面倒って俺の事か? その気持ちは心の中にしまっておいてくれよ!」
「エンジは思う。やはり面倒な女だ。そして、早く名乗れよ、と」
「ああ! 分かった、分かった! だから、それもうやめろ! 俺の名前はナギだ! この先の村に住んでいる!」
「やっとか馬鹿野郎……と、エンジは思った」
「お前……そう言えば、何でも許されると思ってないか?」
心を読めるのか!? エンジは、驚きに目を見開いた。
……。
「ふ~ん。水神様をねぇ」
俺は村へ行く理由をナギに話した。それとなく会話を続けると、ナギの、自分の住んでいる村に対する考えが、俺の想像していたような事とは、少し異なっていたからだ。つまり、こいつは現状、俺の味方側だ。
「説得は無理だな。諦めろ。あの村にいる連中は、俺の親も含め、頭が凝り固まっている。村から逃げようなんて、すでに思ってもいないのさ」
ま、予想通りではある。だが、やってみない事には話は進まない。ナギはどこか辛気臭そうな顔をして、村の方角を見つめていた。
「それにな。俺だって、お前の言う事なんか信じられない。さっきの走る速度だけを見れば、確かに人間にしては中々やるな、とは思う。だが、その程度だ。信用してもらいたければ、目の前で証拠でも見せるしかないね。お前も、さっき言っていた事だ」
「証拠な」
その時だった。微かな揺れを感じた後、俺達の方へ向かっているらしき、しゅるしゅると言った音が聞こえてきた。それは草をかき分け、木をなぎ倒し、こちらへと近付いてくる。
「嘘だろ? 何で? ……ああ。お前を、か。そりゃそうだよな」
ナギは眉間に皺を寄せた後、少し笑い、俺の方を見て落胆したような顔を見せる。それが意味する所は、今の俺には分からなかったが……。
「お前……」
俺は少し歩き、ナギの前へ出た。
「いい機会だ。ナギ、これでお前が納得するかは分からないがな」
証拠とやらを、見せてやる。
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