第126話 伝承
それはいつの頃だろうか。少なくとも、ここ数十年の話ではない。今生きている者の中に、始まり、を知る者はいない。
それは災害に似ていた。雨、風、雪、地震に干ばつ、熱波、寒波。様々な災害があるだろうが、そのどれとも違う。決して、自然に起きた事ではないし、耐え忍べば通り過ぎていくものでもなかった。災害の定義は分からないが、ここに住む者達にとっては、最も長く、最も多くの命を奪った災害だった。
それは突然現れた。最初は誰も、これと言った関心を示さなかった。しばらくは何もしなくてもよいな、と喜んでいる者までいた。よくある事と言えばそれまでだし、自分達の強さに自信をもっていたからだ。誇りがあった。敵対していないとはいえ、すぐ近くには、自分達とは別の凶暴な種族が住んでいる。だが、安々とはやられない自信があった。向こうもそれが分かっていたのか、わざわざ攻めて来る事もなかった。
しかし、無情にもその誇りは打ち砕かれる事となった。それが現れた当日、村の中でも屈強な戦士が数十名、討伐に向かった。本人達にとっては、討伐という物々しさを感じる言葉よりは、狩りという言葉が当てはまる。それは生活の一部。いつも通りの事をするだけ。それだけの人数で向かうのは、その獲物がそれなりに大物だったからだ。
河川の上流部。自分達が住む川下から、二つ、三つ、滝を越えた所にある、大きな池。その池は、池から流れる川が山に出来た一筋の傷のように見える事から、流傷池と呼ばれていた。その流傷池に、それは現れた。
大蛇。正確な大きさまでは分からないが、見るものを圧倒するような大きさ。あれは鱗なのだろうか。体面は薄っすらと光り、透けているようにも見える。このような大きさの魔物が、今までどこに住んでいたのか。なぜこんな所に突然現れたのか。疑問には思ったが、細かい事は今はいい。すでに、村に住む子供が一人、この大蛇の犠牲になっていた。何にせよ、もう見逃す事は出来ない。
池の中をするすると泳いでいたその大蛇は、戦闘態勢を整えた戦士達に気付き、その大きな体の半分だけを、水面から出す。威嚇するように口を大きく開けるも、声が出ている訳ではない。ゆらゆらと体を揺らしていた大蛇が、その集団へと、頭を伸ばした。
ズドン、という鈍い音と共に、大蛇の頭が地面に突き刺さる。だが、一人として、食べられた者はいない。その頭に当たった者すらいない。元々、身体能力の高い種族。俊敏性だけで言えば、魔族にだって負けはしない。さらに、この者達はその中でも、一回りも二回りも、早く動く事の出来る戦士だ。大蛇の動きも遅くはないとは言え、そのような分かりやすい一撃を避けられないはずはなかった。
村には、キングと呼ばれた英雄がいた。力、速さ、頭の良さ。何をとっても他を圧倒していた。キングというのは愛称で、実の名は今は分からない。だがそれでも、彼が皆を引っ張り慕われていた事、数々の強大な魔物を一人で狩った事などは、今も村に伝わっている。
そのキングも、もちろん今回の戦いに参加していた。先頭に立ち、皆を率いていたのも彼だ。大蛇の初撃を避け、キングは握った両こぶしを突き合わせた後、咆哮する。びりびりと、キングの威圧感とも言うべき何かが、大気を震え上がらせるほど高まった。他の者の目からは、キングの突き合わせたこぶしから、蒸気のようなものが立ち上ったようにも見えたらしい。
そして、キングは地面を蹴り、地面に刺さったままの大蛇の頭に、腕を振り抜いた。ゴウ、という風切音と共に、キングのこぶしが大蛇の頭を捉える。その瞬間、大蛇の首から先は粉々になった。余りにも豪快な一撃。余りにも早々の決着。キングへの賞賛や、憧れる声に、辺りには歓声が響いた。
しかし、戦いと呼べるものは、この一撃だけだった。粉々になったはずの大蛇の頭は、いつの間にか元に戻っており、その大きな口で、背中を向けていたキングを丸飲みにした。一瞬の出来事。辺りは打って変わり、静まり返っていた。
後は、戦いとは言えないただの虐殺が続いた。大蛇が強くなった訳ではない。戦士達の攻撃が当たらなかったのだ。大蛇の体は大きい。間違いなく、ど真ん中をこぶしが貫いているはずなのに、当たらない。当たらないというよりは、感触がない。稀に、大蛇の体を捉える者もいたのだが、キング程の一撃は放てない上に、すぐさま砕いた体は元通りになり、絞め殺され、飲み込まれた。
村には誰も帰ってこなかった。戦士達の帰りを待っていた者達の前に、代わりに現れたのは大蛇。一人、二人、老若男女問わず、その大蛇の犠牲となっていく。
満足した大蛇が帰った後、生き延びている者達は集まった。長々と居た割には、以外にも犠牲者の数は少ない。中には、大蛇の目の前にいながらも、生き延びた者達もいたようだった。
村を出よう。誰かがそう言った。異論を唱える者はいない。それしか、生き延びる方法がなかったのだ。慣れ親しんだ土地を離れたくないのは、皆同じ気持ちだが、この場所はもう、安心して住めるような場所ではなくなった。
荷物をまとめ、村を出ようとすると、先頭に立っていた者が地面に膝をついた。全員が息を飲む。目の前には、先程襲ってきたものよりは小さいが、それでも大きな数匹の大蛇が、村を囲むように徘徊していた。顔を上げ、こちらを見てくるが、襲っては来ない。それを見た何人かが、大蛇の間を走って抜けようとしたが、殺される。遠回りしようとして抜けようとした者も殺される。悲鳴は、かなり遠い所からだった。どうやら、村の周囲は囲まれているらしい。村人達は、泣く泣く村へと引き返した。
その後は、なぜか少し平和な日々が続いた。時折、村の近くへと大蛇が姿を現すものの、何もせずに帰って行く。人々は気付いた。こちらから何もしなければ、大蛇は襲ってはこない。村から出ようとしなければ、大蛇は襲ってはこないと言う事に。
それも少し間違いだった。遂に、大蛇に襲われた者が現れた。若い夫婦に、その子供が一人。数年は何もなく、油断した矢先の事だった。この時、襲われたのはこの三人だけだったが、大蛇はそれからも、現れる頻度こそ少なくなっていったものの、人々を襲い続けた。
ある時気付いた。大蛇は、無作為に襲いかかっているのではないという事に。襲われていたのは、魔力が強い者。魔力は誰の体にも備わっているが、その中でも、将来は魔法が使えるほどの魔力を持っている者だ。魔法を苦手とする獣人にも、極稀に魔力の強い者が生まれてくるが、大蛇が襲うのは、決まってそういう者達だった。
いつしか、大蛇は龍と崇められるようになり、流傷池は龍昇池と名を改めていた。そして、その龍が襲うのは、呪われた子。魔力の高い者は、大人になる前には殺される。その子供を庇おうとした者も殺される。だから、呪われた『子』。
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「そう、伝え聞いております」
「なるほど……」
俺達は、解毒の薬を渡してくれた爺さんからの話を聞いていた。村に来たばかりの頃は、スピシー優先で触りしか聞いておらず、改めて伺ったのだが、思っていたより根が深い。これは昔話のようだが、今もこの土地を苦しめ続けている実話なのだ。
「どうか、お願い出来ますかな?」
村に入る際、大蛇を数匹片付けた俺を見て、この件を何とかしてくれないか、と頼まれていた。薬も貰った事だし、今も俯いて話を聞いていたファングとクロウを見ると、何とかしてやりたい気持ちもあるのだが……俺に出来るのか?
「エンジさん……と、言いましたね? この水晶に、手をかざしてみて下さい」
「ん? こうか?」
俺は言われるがままに、怪しげな水晶に手をかざす。
「おお! やはり、私共と比べると凄い魔力だ! 魔法、使えるのですよね!?」
「ああ」
そりゃあ、あの大蛇を焼いたのも魔法だしな。見たことないのか? この村の現状を考えるに、それも当然か。
「おお! やはりそうですか! エンジさん! ばっちり、水神様に狙われますよ! これは!」
今は水神様と呼んでいるのか。それより、何で嬉しそうに言うんだ? あなた、ばっちり巻き込まれてますよ、何とかしないとね! って事? 俺は、全然これっぽっちも嬉しくねえんだけど。
「エンジ、やってあげない? 私は、苦しんでいる人達を見捨てるのは、ちょっと……もちろん、エンジが決めた事には従うけどね」
お前、やっぱ勇者なんだな。そういう所、素直に感心するよ。
「それに、エンジの格好良い所が見れるかと思うと、私。あ、想像するだけで、何かが溢れそう」
やめようかな。やめといた方がいいよな? これ。今ので上がりかけてたやる気も、ちょっと引っ込んだし。だが……。俺は、俺の服の端を掴んでいる、ファングとクロウを横目に見る。
そうだよな。これで、こいつらが獣人の村から出て、向こうで生活していた理由も何となく分かった。どうやって村を出たのか、こいつらの過去に何があったのか、気になる事は色々あるが、今は聞くべきではないだろう。それより俺は。
「やれるだけ、やってみるよ」
「おお! さすがは水神様の餌、筆頭ですな! 是非お願いします!」
「誰が餌だ。誰が筆頭だ。まあ、今の話を聞いて、もしかしたらと思う事もあるんでな」
「……溢れそう」
この二人が今、どう思っているのかは知らない。でも、こんな顔されたら、兄が出張るしかないよな。
……。
要は水神様と呼ばれている魔物を倒すか、この村から、村人全員を外に逃がせば良いのだが、この事態を解決する上で、問題がいくつか出てきた。俺は今、その一つを解決すべく、ある場所へ向かっていた。
ある場所と言うのは、この村から川を挟んだ向こう側にある、もう一つの村だ。そう。川辺でファングやクロウの事を、呪われた子、と叫んでいた連中のいる村だ。ここまで言えば、何となく分かるだろうが、俺達を快く迎え入れてくれたこちら側の村とは違い、あちらの村にいる奴らの考え方は少し特殊だ。
それさえ何とか出来れば、解決方法も広がりを見せると思うのだが、難しいだろうとは思っている。だがまあ、簡単な所から潰していかないと、この先、俺にも覚悟が必要だからな。
そんな事を考えつつも歩いていると、俺達が水浴びをした川辺に辿り着いていた。基本的には不干渉。この川を超えれば、向こうの村の縄張りだ。
「濡れるのやだ~。落ちたら鮫がいる~」
俺が小さな滝の近く、水面から頭を出した岩の上を、小粋な歌を歌いながらジャンプして渡っていると、その滝の上から声がした。
「あ、ああ~! 誰か止めて~! 誰か助けて~!」
その情けない声に俺が滝の上を見ると、誰かが流されてきていた。その誰かが、滝の落ちる部分。つまり、滝面とよばれる所に差し掛かった時、俺と目が合った。
「やった! 助かった! 優しく受け止めて!」
「よっしゃ! こい!」
ざばん! ぷか~。す~。
俺は受け止めなかった。その誰かが滝壺に落ち、川の勢いに乗って流されていくのを見届けると、俺は額の汗を拭う振りをし、向こう岸へと見事渡りきった。
「やったぜ」
俺は手をぐっと握り、ガッツポーズをする。
「やったぜ、じゃねえ~! てめぇ! 受け止めろって言っただろうが~!」
しばらく流されていた知らない誰かが、怒りの表情を見せつつ、俺の方へ走ってきていた。あー。絶対面倒臭い何かだ。俺は逃げるように、目の前に広がっている森へと走った。
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